INTERVIEW
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映画もCMも不動産業も。自分らしく生きるトランスジェンダー男性の姿を伝えたい。【前編】

現在の名前は両親と一緒に考えた。「最初は、もとの名前にある漢字を使おうと思ってたんですが、父が『その漢字を見るたびにつらかった頃を思い出すかもしれない。まったく違う名前にしては?』と言ってくれて。貴という漢字は、男の子がもうひとり生まれたら使おうと母が考えていたそうです」。自分たちがつけた名前に固執せず、子の気持ちに配慮してくれた両親。合田貴将さんのライフストーリーは家族への感謝の気持ちから語られた。

2024/10/29/Tue
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
合田 貴将 / Takayuki Goda

1993年、東京都生まれ。幼少期、女の子向けの遊びや服装よりも、男の子向けのもののほうが自分の好みだと気づく。トランスジェンダーだと自覚したあとも大学生になるまで隠していたが、初めて付き合った女性にカミングアウト。大学卒業後、留学を経て証券会社へ入社し、不動産関連会社に出向したのちに独立。26歳のとき、企業CMに性別をオープンにして出演。主演映画『息子と呼ぶ日まで』が2024年11月、31歳の誕生日に公開。

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INDEX
01 両親に泣きながらカミングアウト
02 認知度が高まると可能性も高まる
03 空気を読んで隠した性別
04 家電量販店でトランスジェンダーを知る
05 バレる恐怖に恋心が勝った
==================(後編)========================
06 女性として内定、男性として入社
07 ニューヨークで体感した多様性
08 性別適合手術や戸籍変更は誠意?
09 妻の両親が “息子” と呼んでくれた
10 LGBTQが人生を歩む、その隣に

01両親に泣きながらカミングアウト

今後の人生は男性として生きていきたい

父と母と、1歳下の弟の4人家族。

幼少期の思い出といえば、家の裏手にある公園でキャッチボールをしたり、近所のラーメン屋に行ったり。家族旅行として遠出するよりも、家族みんなで、のんびりと自宅近くで過ごしたことが思い起こされる。

「家族はすごく仲がよかったし、愛情深い親だったからこそ、なにか少しでもいまの関係が変わってしまうのが怖くて、20歳になるまでずっと、カミングアウトできずにいました」

20歳。大学2年生のとき。

自分の将来を考えて、考えて、考え抜いた結果、これからは男性として生きていこうと決意した。

「その日は弟がいなくて、家に両親だけで。今日絶対に言うぞって決めていて、アルバイトが15時に終わって・・・・・・」

「それから近所の橋の上で2時間くらい、カミングアウトしたら家族との関係が変わってしまうんじゃないか、本当に言っていいのか・・・・・・って自問自答しました」

「それから家に帰って、両親に『話があるから、そこに座ってほしい』って言って、『自分は、ほんとは心は男性だから、今後の人生は男性として生きていきたい。そのための手術の費用を稼ぎたいから大学を辞めさせてください』みたいな感じで言いました」

家に帰った時点で、すでに泣いていた。

泣きながらも懸命に気持ちを伝えると、両親もまた泣いていた。

レズビアンじゃなくて男性だった

「両親は否定したり責めたりはせず、つらかったね、気づいてあげられなくてごめんね、と私を気遣う言葉をかけてくれました」

「手術を受けることに関しては、父は『自分の人生だから好きにしていいよ』と言ってくれましたが、大学を辞めることについては、父自身が若い頃に学歴で苦労した経験から『卒業してほしい』と」

フランスに住んでいた経験のある母親の考えからか、“16歳になったら一人前” という子育て方針が両親にはあるようだった。

「そのとき私は20歳だったので、親は子どもの人生には口を出さないって感じで接してくれました。大学を卒業してほしいというのは、あくまで父からのアドバイスでしたね」

カミングアウトのすぐあと、母から聞いた話によると、父がポロッと「もう “ふつう” の女の子として生きていくのは難しいのかな・・・・・・」と、つぶやいたこともあったらしい。

「母は、すんなり受け入れてくれてましたね。父も、そのあと本やネットで情報を集めたりして、理解を深めていってくれたようです」

両親へのカミングアウトの2〜3カ月後に、弟にも伝えた。

「弟は私のことをレズビアンだと思っていたみたいで、『レズビアンじゃなくて男性だったんだね、いろいろとしっくりきたわ』って言ってました」

「弟には、両親にカミングアウトしたときのことを話して、ふたりで一緒に『うちの両親はなんて素晴らしいんだ・・・・・・』とレストランで号泣してしまって。店員さんに『大丈夫かな?』って怪しまれたはず(笑)」

「家族のことも含め、自分は、なんかその・・・・・・人生の運のほとんどを人との出会いで使っている気がします。それほど人には恵まれてますね」

02認知度が高まると可能性も高まる

他校の女の子からファンレターを

幼い頃から体を動かして遊ぶのが好きだった。

6歳でテニスを習い始め、9歳からはサッカーを始めた。

「そのあと結局、10歳からまたテニスをやりたいってなって、本格的にプロを目指すようなクラブチームに入りました」

週5〜6日は放課後に練習。
そして週末は試合がある。

「父はスポーツ観戦が好きだったので、私の試合はいつも楽しみにしていて、応援に来てくれてましたよ」

学校以外の時間のほとんどをテニスに費やしていて多忙な日々ではあったが、楽しさが心身の疲労を吹き飛ばしてくれた。

「中学3年生くらいまで髪の毛を短くしていて、ボーイッシュな感じだったんですけど、その格好でテニスも強かったんで、試合会場ではけっこう目立ってたと思います」

「他校の女の子から、一緒に写真を撮ってほしいと言われたり、ファンレターをもらったり・・・・・・楽しかったですね(笑)」

舞台出演やファッションモデルも

単純に目立つことの快感もあったかもしれない。

しかし、それ以上の喜びがあった。

「知らない子が自分のことを知ってくれること自体が、まずうれしいんですけど、そうやって知ってもらえると、他校のテニス部の顧問の先生にも『ボーイッシュな、すごいテニスが上手な子がいる』と噂が伝わって、土日の練習に他校から呼んでもらえて。それがすごいうれしかったですね」

目立つことで、人とつながる機会が得られる。
人とつながることで、自分の可能性を伸ばすチャンスに出会える。

テニスでの体験があったからこそ、人とつながることは、自分の可能性を伸ばしていくことなのだと、いまも喜びとして感じている。

「2020年にパンテーン(P&Gジャパン)の広告に出演したこともそうなんですが、2024年11月1日に公開される映画『息子と呼ぶ日まで』で主演を務めて・・・・・・実はその前の5月に舞台に出演したり、企業のLGBTQ研修でスピーカーをやったりもしています」

「あと、アパレルでジェンダーレスモデルの話もあって。1つの出来事から、3つ、4つと広がっていって、これからもきっと広がっていく。そういうのがすごい好きです」

「あ、このLGBTERのインタビューも広がっていったご縁の1つだと思っています。映画も、記事も、公開が楽しみです!」

03空気を読んで隠した性別

なんで男性なのに体が女性なんだろう

自分がトランスジェンダーだと気づいたきっかけ。
それを説明するのは難しい。

「これはトランスジェンダー当事者にしかわからない感覚かもしれないんですけど、なにがきっかけで自分が女性でなく男性だと気づいたのか、ではなくて、本当に『なんで自分は男性なのに女性の列に並んでいるんだろう』『なんで男性なのに体が女性なんだろう』って思うんですよ」

「きっかけはわからないですが、幼稚園に通ってた頃にはすでに、女の子向けの遊びや服装よりも、男の子向けのもののほうが自分の好みだと気づいてましたね」

「赤ではなくて、青か黒しか着たくなかったし、仮面ライダーとか戦隊ごっこしかやりたくなかったんです」

そんな幼少期、幼稚園の先生に「好きな男の子はいるの?」ときかれる。

好きな女の子はいたが、好きな男の子はいなかった。

「そこで、幼いながらも “ふつう” は女の子は男の子を好きになるんだ、女の子を好きっていうことは言っちゃいけないんだなって空気を読んで、先生には○○くんが好きと嘘をつきました」

好きな女の子がいるのに好きな男の子がいる、という嘘。

中学生になっても、高校でも、その嘘から逃れることはできなかった。

「中学生まではボーイッシュな感じだったんですが、高校生からは、自分がトランスジェンダーってことがバレるかもしれないと思って、逆に髪を伸ばして、セーラー服を着てましたね・・・・・・」

トランスジェンダーは変なもの?

トランスジェンダーだとバレることを恐れていた。

“ふつうの女子高校生” を装わなくちゃいけない。
テレビに出てくる 「おねえタレント」 のような存在だと疑われたくない。

「その頃はトランスジェンダーに関する正しい知識もなかったし、周りにトランスジェンダーの知り合いなんていなかったし、たぶん、自分自身がトランスジェンダーのことを変なものだと考えていたんだと思います」

絶対に人には言えない。
バレるのも怖かった。

「人に知られたら、自分がトランスジェンダーだと決定づけてしまう。知られていないあいだは、まだ、そうじゃない人生を送れるんじゃないかって考えてました」

学校に、好きな女の子がいた。
だからこそ自分は、“ふつうの女子高校生” でいなくてはいけなかった。

「男の子とはあまり話さないし、メールアドレスは絶対に交換しないようにしてました。万が一、男の子から告白されたりして、その男の子が私の好きな女の子の好きな相手だったら、三角関係ができてしまうから・・・・・・一度そんなことがあったんですよね」

「好きな女の子とは仲良くしたいから。恋敵にはなれないです」

絶対に彼氏をつくらない。
勉強ばかりしている、特待生の高嶺の花。

そんなふうに周りから噂されることもあった。

04家電量販店でトランスジェンダーを知る

自分で自分が気持ち悪い

女の子は男の子が好きなのが “ふつう” のようだ。
では、女の子であるとされる自分が女の子を好きなのは・・・・・・?

そのヒントを見つけたのは14歳のときだった。

「家族で、近所の家電量販店に行ったんですよ」

「親がマッサージ機コーナーにいるあいだに、自分だけパソコンコーナーに行って、ネットにつながってるパソコンで『体は女 心は男』みたいなワードで検索してみたんです」

検索結果として表示された言葉が、トランスジェンダーであったのか、“おなべ” だったのか、新宿二丁目だったのかはわからない。

しかし、自分と同じような人がいるということを初めて知る。

「地球上で自分だけだと思い込んでたんで、自分以外にもいるってことがわかって、すごく安心しました。自分だけじゃなかった、って」

高校生になってからは、自分のスマホで情報収集ができるようになった。おそらくは、その過程でトランスジェンダーという言葉も知る。

自分以外にもトランスジェンダーがいるということは安心感につながったが、同時に、そうである自分を受け入れがたい気持ちも残っていた。

「こんなこと言ってはいけないんですが・・・・・・自分で自分が気持ち悪い・・・・・・。当時はそんな感覚がありました」

自分以外のトランスジェンダーの人生に触れて

自己嫌悪感は、恋多き多感な時期により一層募っていく。

「好きな女の子に好きだといえないし、恋は絶対に叶わない」

嫌悪感というよりも絶望感に近い感情を抱いていた。

しかし18歳の頃、SNSでトランスジェンダー活動家の杉山文野さんのことを知り、ひと筋の光が差した。

「髭ががっつり生えた姿とか、堂々と話をされる姿勢を見て、『あ、自分もこの可能性はあるかもな』って思えたのが、FTM(トランスジェンダー男性)としての将来に希望を見出した一歩だったかも」

その後、オフ会で実際に本人と会って衝撃を受けた。

「まず、自分以外のトランスジェンダーに会ったのも初めてで」

「自分らしく生きて、さらに事業もされていて・・・・・・。こんな人生があるんだ! っていうのを目の当たりにした瞬間でした」

「自分もこうなれるかもしれない・・・・・・こうなれるんだ」

それからは、カミングアウトして生きていくことも本気で考えるようになる。

「実は、そのオフ会の会場の入り口で、入ろうかどうしようか、入ってしまったら引き返せないんじゃないか、って30分くらい悩んでいたんですけど、あのとき勇気を出して入ってよかったと思います」

05バレる恐怖に恋心が勝った

頭よりも心と体が先に動く年頃

幼稚園の先生に「好きな男の子はいるの?」ときかれ、女の子が好きだと言ってはいけないと思い込んでから、ずっと隠し続けてきた自分の気持ち。

好きな女の子にはもちろん、友だちにも、家族にも言えないまま、長いあいだずっと隠してきた。

高校生になって、恋人ができたと話す友だちの笑顔を見ながら思う。

自分の恋は絶対に叶わないだろう。

しかし大学生になって事態は急変する。

「彼女ができたんです。初めての」

「大学の同級生で、すごく仲がよくて。ふたりで遊びに行って、夜遅くなったから今日はもう泊まろうかってことになって、そのホテルの部屋でキスしてしまって・・・・・・一気になにかが目覚めてしまった感じでした」

「私は当時、髪は長かったですけど、服装とか言動はいまみたいに男の子っぽい感じだったんで、お互いに恋愛対象として意識してたのかな、たぶん」

「というか、18歳くらいって超多感な時期じゃないですか。頭よりも心と体が先に動いちゃうような。衝動に突き動かされた感じでした(笑)」

最初のカミングアウトの相手は大切

ホテルでのお泊まりから1週間後に、人生で初めてのカミングアウト。

「実は、自分は心が男性なんだ、あなたのことが好きだから付き合ってほしい、みたいな感じで伝えて、相手からOKをもらいました」

「家族にもカミングアウトする前です。そのときはまだ、杉山文野さんにも会ってないですし、誰かに言う予定もなかったから、本当に衝動的にカミングアウトしたような感じです(笑)」

その衝動的なカミングアウトは結果として、いい流れを生んだ。

いまだからこそ思う。
最初にカミングアウトする相手は、自分を必ず受け入れてくれる人がいい。

「1人目って、すごい大切。自分のことを否定しないで受け入れてくれる人にカミングアウトしたほうがいいと思います」

「その1人目に受け入れてもらえたっていう安心感が、次につながっていくと思うので。私も、彼女に受け入れてもらえたから、親へのカミングアウトにつながりましたし、そのあとも広がっていきました」

「本当に、彼女に会えてなかったら、もしかしたら私はいまも髪の毛を長くして、OLをやっていたかもしれないです」

出会えたこと、自分を受け入れてくれたことを、心から感謝している。

 

<<<後編 2024/11/05/Tue>>>

INDEX
06 女性として内定、男性として入社
07 ニューヨークで体感した多様性
08 性別適合手術や戸籍変更は誠意?
09 妻の両親が “息子” と呼んでくれた
10 LGBTQが人生を歩む、その隣に

 

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