02 演劇部の男役でモテモテ
03 「わしのカノジョ」に囲まれた中学時代
04 同人誌を作り、漫画制作に注力
05 幹に複数の枝が生える恋愛観
==================(後編)========================
06 婚約破棄。そして、別の相手と結婚
07 週末にしか会えない結婚生活
08 大阪の女性とときめく出会い
09 家族へのカミングアウト
10 ポリアモリーというライフスタイルとこれからの未来
06婚約破棄。そして、別の相手と結婚
農協から転職、婚約
結局、伯父さんの紹介で清水市農協に入ることになった。
24歳のときに、「まだ結婚しないのか」と、上司に嫌味をいわれるような保守的な職場だった。
「事務職で、お茶汲み、コピー取りもしてました。緑色のタイトスカートの制服がありました。静岡だから、緑はお茶の色ですね」
自分ではスカートなど持っていないが、意外とコスプレ感覚で受け入れることができた。
「父の仕事が冠婚葬祭でしたから、漠然と父の会社で結婚式を挙げなきゃ、という使命感はありました。相手が男か女かとか、そのときは何も考えてませんでしたね」
ちょうどJリーグが始まった年で、職場の同僚とエスパルスの試合を見にいったのはいい思い出だ。
「農協に4年勤めて、デザイン会社に転職しました。そこで知り合った男性と交際して、婚約を交わしました」
デザイン会社は2年で辞め、大手化粧品メーカーにホームページ制作担当として入社した。
「自分自身は化粧はしなかったですね。化粧品会社で、唯一、化粧をしない女だなっていわれてました(笑)」
オフ会準備での出会い
当時、ネットのハンドルネームは男性の名前を使っていた。まだ、女の名前でネットに入るのは危ない、という時代だった。
「漫画関係のサイトで気が合って、4年間、男同士の友情を培った友人がいたんです。神奈川県に住んでいて、漫画家のアシスタントをしている人でした」
あるとき、彼が師事していた漫画家のオフ会が企画された。
「30人くらいが参加する大きなオフ会でした。そのときに彼がスタッフの代表、自分がファンの代表としてオフ会を切り盛りすることになったんです」
彼には仕切る才覚がなかったので、自然と自分が中心になって企画を進めることになった。
「準備を進めるなかで、どうしても電話で相談しなきゃいけない成り行きになって、声でバレてしまうから、実は女だっていうことを告白したんです」
しかし、いざ話してみても驚く様子もなく、「ふ〜ん」という反応しかなかった。
そして、ついに対面。2回ほど会う頃には、お互いに惚れ合ってしまった。
「婚約していたデザイン会社の彼とは、もう結婚式の日取りも決まって会場を予約していたんです。父が式場の営業担当でしたから、キャンセルだけはやめてくれっていわれて・・・・・・」
結局、婚約は破棄となった。しかし、日取りの1年後に相手の名前が変わっただけで、結婚式は予定どおりに執り行われた。
「母は、漫画家のアシスタントで大丈夫か、サラリーマンのほうが安心だといって、考え直せないのかって、最後まで粘ってましたね」
07週末にしか会えない結婚生活
週に一度しか会えない週末婚
28歳で結婚。ウエディングドレス姿を披露し、お色直しで十二ひとえまで着た。
「完全にコスプレでしたね」
親の家は出て、静岡にアパートを借りた。しかし、夫の職場は埼玉県、自分も化粧品会社を辞めたくなかった。
「週末に彼が静岡に来るという週末婚でした。1週間に一度、会えるかどうかでしたね」
事実上、平日は一人暮らしとなったが、夜遊びは慎み、恋愛関係にあった複数の人たちは結婚を機にすべて整理した。
「彼は自分に嫉妬してくれたんです。それも惚れた要因でした」
そして、週末婚を2年続けたあとに退職、埼玉に引っ越した。
ようやく夫婦として同居生活が始まり、初めて他人と一緒に暮らすことになった。
「もともと、ネットで男同士の友情から始まったせいですかね、違和感はなかったです。女扱いされないのがよかったです。基本的に、あまりお互いに干渉しない生活でした」
自分がバイセクシュアルで女性の恋人が過去にいたことは話したが、当時、性自認についてはあえて明かさなかった。
カノジョがいることは彼にとってファンタジーの世界のようで、漫画好きには受け入れやすかったようだ。
「彼に性自認をカムしたのはずっとあとで、本当に性別を変える直前でした。ホルモン治療を開始するにあたって、夫の同意が必要だったからです」
「夫は特に驚きませんでしたね」
居心地のいい会社に就職
子どもについては、結婚する前から作らないことを確認し合っていた。
「子どもが嫌いとか、子どもを育てるのが嫌、というわけではないんです。彼が生んでくれるなら生んでほしいくらいです。でも、自分で生むという選択肢はありません」
FTMの記事を読んでいると、子どもを生んでから戸籍の性別を変えた人もいる。
「大変だろうなぁって思います。もし、仮に自分で子どもを生んでいたら、ホルモン治療を受けるという決断はなかったかもしれませんね」
20年以上勤務した不動産会社にも、最初は女子社員として就職した。
「社長はじめ、職場の雰囲気はよくて、働きやすかったです。自分を隠す必要がなかったので、正式にカムしたわけじゃありませんが、性的指向のことは、みんなわかっていたと思います」
よく飲みに行くメンバーには、「男なんかより女のほうが好き」「ほとんどオスと思ってもらっていい」などと話した。
「女扱いされないし、居心地がよかったので、20年も勤めることになったんだと思います」
08大阪の女性とときめく出会い
夫は主夫になり、自分が養う
ストレスのない夫婦生活と居心地のいい職場。埼玉での新生活・二人暮らしは順調に思えた。
「ひとつ誤算だったのは、漫画家の先生の連載がなくなって、夫の仕事もなくなったことですね。一緒に住み始めて、すぐでした。でも、彼は新しい先生を探して、仕事を変えようとはしませんでした」
彼が主夫を決め込み、自分が夫を養うスタイルになった。
「ちょっとくらい働いてよ、とは思いましたけど(笑)、特にそれで言い合いになるということもなかったです。自分が働けばいいって思ってましたから」
20歳代のときのように新しい出会いや恋人を求めることはしなくなったが、ネットのコミュニティには参加していた。
「相変わらず、男のハンドルネームを使ってました。その辺の個人的な部分は、結婚前とぜんぜん変わりませんでした」
こうして平穏で落ち着いた生活が続いていった。
「そうですね、40歳くらいになって、自分が枯れてきたなと感じるようになりました」
ネットを通じて久しぶりの出会い
45歳のとき、久しぶりにときめく出会いがあった。
「大阪に住んでる女性で、ネットのゲーム仲間のひとりでした。男なの? 女なの? って聞かれたんで、生物学上はメスだけど心はオスだよって答えました」
「それでもいいなら、会ってみようかという話になりました」
会ってみると、すぐにお互いに惹かれ合い、つき合うことになった。
「自分より年上でしたけど、未婚で、それまでは男としかつき合ったことがない人でした」
つき合うにあたって、「わし、離婚はしないよ」とはっきり釘を刺し、彼女もそれを了承した。
09家族へのカミングアウト
夫へのカミングアウトは・・・
仕事を辞めた機会に、カウンセリングを受けることにした。
「彼女に男として愛されるうちに、自分の性自認をはっきりさせておこうという気持ちが強くなったんです」
夫にカミングアウトした。
「家族の承諾が必要で、夫に『実は、自分は男なんだよね』って打ち明けましたが、このときもはっきりした反応はありませんでした」
2、3か月で性別違和の診断が下りることもあると聞いていたが、実際には1年かかった。診断が下りて、すぐにホルモン療法を開始する。
「一番のコンプレックスは女っぽい声だったんです。父も弟も声が低いので、自分もすぐに低くなると思ったんですが・・・・・・」
治療を始めて1年経ったが、まだ満足するまでには低くなっていない。
カミングアウトより母のプライドを大切にしたかった
性別適合手術は考えていない。
「閉経していますし、いまさら子宮を取る必要はないでしょう」
実家である静岡の家族には、まだカミングアウトをしていない。
「転職するときに電話で話しましたが、もう5年くらい会っていません。関係が悪いわけじゃないんですけど・・・・・・」
「もちろん、治療のこともいっていませんから、今度会ったら、自分の変化を見てびっくりするかもしれませんね」
実は当初、ホルモン療法は母が亡くなってからにしようと考えていた。
「障害者の母にとって、健常者を生んだことはプライドなんです」
「治療をしてしまうと、性同一性障害っていうことになってしまうんで、きっと悲しむと思うんです。でも自分が50歳になって、こっちにも時間がなくなってしまいました」
10ポリアモリーというライフスタイルとこれからの未来
夫との生活と妻との生活
彼女は大阪を引き上げ、埼玉県に引っ越してきた。
「一度、うちに泊まりに来たので、夫には最初、友だちと紹介しました。でも、彼女との生活がメインになりましたから、すぐに恋人だとわかったと思います」
現在は彼女のことを、公に妻と呼んでいる。
「今、妻は働いていないので、ひとりでふたつの世帯、夫と妻を養う生活です」
「基本的には彼女と一緒に住んで、彼のところには月に2、3回行く感じです。夫は、恋人と住んでいることは知ってます」
彼女と住む、という話を切り出したときも、彼は嫉妬して取り乱すようなこともなかった。
「話の核心から逃げようとするんですよね。弱いんですかね、それとも相手が女だから、いいんですかね。男と一緒に住むという話だったら嫉妬したのかもしれませんね」
法律婚、同性婚、ポリアモリー
20年以上勤めた不動産会社を退職し、カウンセリングやホルモン療法を開始。大きなイベントがあった1年間のブランクを経て、2023年から新しい会社で仕事をしている。
「ダンボールを作る会社で、工場もいくつかあります。社内のITを整備する仕事で、他県の工場に出張したりしてます。入社から1年経って、ようやくみんなが名前を覚えてくれたところです」
今は男性社員として就職し、妻とふたりで暮らしている、と話してもいる。
「本来の自分の姿に、ようやくたどり着いた感じです」
戸籍の性別は、子宮卵巣の摘出手術を受けなくても変更できるよう、法律の整備がより進むだろう。そして、同性婚の法制化も実現するかもしれない。
「あまり声を大きくして、自分はこうです、受け入れて、受け入れて! って主張するのは好きじゃないんです。みんなのためを思って活動するのは、いいと思うんですけどね」
「実際、妻は結婚を望んでいますから、いろいろな可能性がありますね。でも、同性婚ができるようになったら夫と離婚しなければいけません」
「でも今、自分のなかでは、彼はきれない。離婚は考えられません」
夫のいる家を出るのも大きな決断だった。
そして、ポリアモリーは、複数の人と同時にそれぞれが合意の上で性愛関係を築くライフスタイルだが、自分にはしっくりこない感覚もある。
「ポリアモリーの概念には、本当に必要だろうか? と思う部分もありますし、それに彼女が他の誰かを好きになったら、嫉妬するでしょうね」
夫がいる家と妻がいる家。
ふたつの家庭で生きるという生活に行き着いたが、さあ、これからどうするか。
社会の行方を静かに見守り、3人で自分たちの道を選ぶことになりそうだ。