02 幼い頃の自分
03 挫折を味わった高校時代
04 再び社会で生きていける環境を求めて
05 命がけの恋と大失恋
==================(後編)========================
06 セクシュアルマイノリティの自分
07 男であれず、女になれない
08 男性でも女性でもない “自分” を手に入れるまで
09 両親の愛情があったから
10 悩み苦しんだ先に、答えがある
01自伝的ノンフィクションの出版
著書「男であれず、女になれない」
自身の半生をつづった作品が第23回小学館ノンフィクション大賞にノミネートし、2017年3月に「男であれず、女になれない」を出版した。
性別への疑問を感じ始め、セクシュアリティの居場所を探し、男性器を切除して、男性でも女性でもない “自分” を手に入れるまでの半生を描いた自伝的ノンフィクションだ。
「もともと趣味程度で文書は書いてはいて、何か形に残したいなあと思っていたんです」
そんな折にこのコンテストの存在を知り、応募してみたらあれよあれよという間に最終選考まで通ってしまった。
執筆を通して、これまでの自分の道のりを整理することができた。
この本があればいちいち説明しなくても自分というものをわかってもらえるので手っ取り早い。
書籍化はいい機会だったと思う。
「友達や家族は私がこういう人だ、というのは昔から知っているから、本でその理解がより深まったらなと思います」
「私のことを知らない人が本で私を知るようになるのは、ドキドキするなって感じです」
「人それぞれ感じ方は違うので、自由に感想を持ってもらえたら嬉しいです」
出版後の反響
まだ書籍発売後2ヶ月足らずだが、多くの反響が自分の耳に届いている。
「自分の人生を活字にしたことで、私はそういう人だと世間は認識していく。良い意味で逃れられなくなったなと思っています」
「でも、セクシュアリティのことも今後の自分の人生も、決着がもうついているので、逃げも隠れもしませんけど(笑)」
嬉しいのはLGBTの人に限らず、いろんな人に読んでもらえて、その感想を知れること。
「本に書いてあることで、自分の人生に必要なことがあったらそこをピックアップしてもらって」
「少しでいいから、誰かの人生の役に立てたら幸せです」
また、かつての自分と同じようにセクシュアリティで悩んでいる人からの反響もある。
「『初めて自分と同じような人に出会えました!』っていう方もいて」
「私と同じように、どのセクシュアルマイノリティにも属さず、誰とも共感できずに悩んでいた人がいたんだなって」
どのセクシュアルマイノリティにも属さないけれど、それでも何とか社会でやっていっている人がいるということをこの本で知ってもらいたい。
自分と同じように悩む人の助けに少しでもなれたらと思っている。
02幼い頃の自分
小さくて可愛かった幼少期
幼少の頃は、小さくて華奢な可愛らしい子。
女の子っぽい男の子だった。
「家の中でお姉ちゃんのリカちゃん人形で遊ぶのが好きでした」
「2歳上の兄がいて野球をしていましたが、何でそんなに走り回ってるの? という感じで冷ややかにみていました(笑)」
「洋服が汚れるのも嫌で、男の子が外で泥だらけになって遊ぶのも何が楽しくて? と思っていました」
どこか冷めた目で周囲を見ていた。
女の子っぽい男の子だったが、かといってランドセルは赤がいいと思ったことはなかったし、性別の違和を感じることもなかった。
小学校高学年、中学にかけて第二次性徴を迎えるが、自分の体の変化に戸惑うこともなかった。
「もともとガッチリしているタイプでもないし、背もクラスで一番小さい。体毛もあまり生えてこなかったんです。だから、自分の体が嫌だと思った記憶もありません」
性格は、小さい頃からとにかく気が強い。
カッとして手を出すよりも、口で相手を負かすタイプだ。
「とにかく口が達者なので、本気出せば相手が立ち上がれなくなるくらいの言葉を吐いちゃいます」
「体は小さかったから力では勝てなかったけど、口ゲンカでは相手をボコボコにしてしまうので、敵に回すと怖い奴だと思われていましたね(笑)」
男らしくなく女っぽい自分は、いじめのターゲットにされてもおかしくなかったと思うが、勝気な性格もあってかいじめに遭うことは一切なかった。
男女関係なく、みんなまぜこぜになって遊んでいたし、女の子っぽい男の子である自分のことを周囲はごく自然に受け入れていた。
だから、自分の性別を意識することもなかった。
そして、女っぽい自分に悩むこともなかった。
家族を持つことへの憧れ
3人兄弟の末っ子。
4つ上の姉はすごく可愛がってくれたし、2つ上の兄もケンカになっても自分に手を上げることは決してなかった。
父も母も自分にめいっぱい愛情を注いでくれた。
家族と一緒にいるのが楽しかった。
だから、小さい頃から将来自分もあたたかい家族をつくるのが夢だった。
「高校、大学を卒業して普通に就職して、27歳くらいで結婚。子供は4人つくろうって思っていました。家族でいるのがすごく楽しかったから」
子供を持ちたかった。
親になりたかった。
父親は物腰が柔らかく穏やかな人。
父親から男性的なふるまいを求められたこともなかったし、大きい声を出したり叩かれたりすることもなかった。
「男らしくない自分だけど、大人になったら父親みたいなお父さんになれると思っていました」
03挫折を味わった高校時代
地獄の男子クラス
自分の性自認が問題として明るみになったのが、高校2年の時。
高校は進学校で、2年からは文系・理系のコース別のクラス分けになった。
理系コースを選択するのは男子のほうが多く、男女混合クラスと男子のみのクラスができるのが事前に分かっていた。
「担任の先生に、男子クラスに私が入るのは誰にとってもいいことがない、絶対にやめてほしい、って進言していたんです。絶対だめだよ、いいことないよって」
担任の先生もクラス編成会議でその意見を出してくれたようだが、結局自分は男子クラスになってしまった。
男子クラスに入ると知って、「私は男女で分けると、男のほうに分けられちゃうんだ」と衝撃を受けた。
男子クラスは自分にとって地獄だった。
担任の先生は熱くて男たちを率いていく体育会系タイプ。
「『お前たちいくぞー!』っていう暑苦しい感じで、挨拶も「ざーっす」っていう男の太い声(苦笑)。思春期の男の子の臭いもするし」
「もう五感で感じるすべてが嫌で嫌で。そこに自分が入れられていることが我慢ならなくて」
「一刻も早くここから逃れたいという思いで、頭の中はいっぱいでした」
例えるなら、運動が嫌いな弱弱しい男の子が、ある日突然ラグビー部に入らされて無理やり校庭を走らされるようなものだ。
「初めはクラスの子に冗談っぽく嫌だー、って言ってたんですけど、だんだん笑えなくなっていきました」
とうとう、教室では一言もしゃべらなくなった。
「クラスメイトはみんな本当にいい子たちで、仲良くしようぜって感じだったんですけど、自分はこの場所にいたくないってことしか考えられず、彼らを受け入れられませんでした」
誰かに相談するとか、担任にクラス替えを申し出るとか、建設的に考える余裕もなかった。
とにかく一刻も早くこの男子クラスから抜け出したかった。
徐々に体調不良を理由に、早退する日が増えていった。
高校中退
しだいに身体的な症状も現れるようになった。
授業1コマの50分間もトイレを我慢することができず、席を立つようになった。
でも、授業前にトイレは済ませているので、行っても出るわけがない。
膀胱炎のような症状。トイレにずっと行きたくて、居てもたってもいられない感じが続いた。
心も体も擦り減らしながらの日々。
そんな時に、友達のお姉ちゃんが高校を中退して大検(高等学校卒業程度認定試験)を受けて大学に行ったという話を耳にした。
「あっ高校を辞めてもいいんだ、高校を辞めて大検という大学までのルートがあるんだ、ということを知りました」
「・・・・・・それを知ってしまったら、もう踏ん張りがきかなくなってしまったんだと思います」
以降、さらに学校に行かなくなる日が多くなり、高校2年を終えることなく中退することになった。
それまでの人生は、それなりにスムーズに歩んできたのに、まさか自分に高校中退の汚点が残ることになるとは・・・・・・。
本当に人生は何があるかわからない。
04再び社会で生きていける環境を求めて
引きこもりの日々
高校中退後から大学に入学するまでの2年半の間は、ほとんど家にこもっていた。
食欲がなくどんどん痩せていった。
それでも、大検に合格して大学に行くという唯一の希望の光があったから、勉強だけはしていた。
口に出しては言わないが、ご飯も食べず閉じこもっている自分のことを、両親はすごく心配していただろう。
でも、「これからどうするの?」というプレッシャーになることを、両親は一切聞かなかった。
「両親も、私の心と体のエネルギーがゼロに近いことがわかっていたから、なんとか今を生き延びさせなきゃいけない、ってことに必死だったと思います」
両親は「一生このまま、私たちが面倒見ていくことも覚悟しないとな・・・・・・」と思っていた時期があったようだ。
この一連の原因は、男子クラスに所属することへの嫌悪感。
自分の性自認の問題であったが、このことについて自らに問いかけることも深堀することもしなかった。
それは、心のエネルギーの余力がなかったというのもあるし、もう一度何とか社会に戻らなきゃという気持ちが強かったからだと思う。
大学進学
男子クラスに適応できず、高校を中退した自分は、社会から弾かれてしまったという劣等感があった。
何とか今の場所から元の場所へ這い上がらなきゃという思いがある一方で、社会に戻ることが怖くもあった。
「大学で何を学びたいかというよりも、より自分が社会で生きていける環境、自分にとってやさしい環境を探しました」
肩で風を切って歩かないといけないような環境で、頑張るエネルギーは持っていなかった。
大学に選んだのは、社会福祉学部だった。
「将来福祉に携わろうとする人は、人の役に立ちたいと思う心根の優しい人たちだろうと思ったから」
「正直、福祉の道に進む希望はありませんでしたが、社会で生きていくための再スタートの場所として、よい選択をしたと思います」
もう失敗は許されない、このチャンスは絶対つかまないといけないと臨んだ大学生活のスタートは、何事もなかったかのように順調に切ることができた。
たくさん友達もでき、普通の大学生として充実した毎日を過ごすことができた。
やっと普通の人と同じレールに戻ってくることができた。
すがすがしく前向きな気持ちだった。
05命がけの恋と大失恋
本気の恋
同じ大学の同級生の男の子に恋をした。
「男の子を好きになっても、その恋は叶わないと思ってはいたけれど、好きになるのは自由だしいいかって」
男の子を好きになってしまう自分に、嫌悪感があったり悩んだりすることもなかった。
いや、そんなことを考える暇がないくらい、彼のことがとにかく大好きだった。
世界一素敵な人だと思ったし、この人のためなら何だってできると思った。
本当の恋をしたのは初めてだった。
「彼を好きになったきっかけはよく覚えていないけれど、ある時、彼が『しんどい時には寄りかかればいいじゃん』って私に言ったんです」
「なんとか這い上がろうとずっと頑張ってきた私は、その言葉ですごくときめいてしまいました」
彼にも、「私の好きは友だち同士の好きだけじゃなくて、それ以上のものもあるよ」と伝えていた。
さんざん友だちとして好きだと伝えて、すごく近い距離になった後の告白だったから、彼は何も言えなかったと思う。
あんなに人を好きになったのは、人生であの時一度きり。
会いたくて一緒にいたくて仕方なかった。
彼と一緒なら、何をしていても楽しかったし嬉しかった。
失恋
大好きな彼に彼女ができた。
同級生で、同じ仲良しグループの中にいる女の子だ。
最高潮に盛り上がっていた私の恋心は、粉々に砕け散った。
私が男で彼も男だということ。
彼女は女であり、彼が好きになるのは女であるということ。
このゆるぎない現実を当たり前のように受け入れなければいけないこと。
しかも、自分が一番触れられたくないセクシュアリティの部分で恋に破れたこと。
それに向き合うことができず、心は壊れていった。
もう彼がいないならこの世界には意味がない。
自分の存在すべてを否定し、絶望した。
生きる意欲がまったく持てず、半死半生の中、何とか命だけはつなぐ日々が続いた。
やっと再スタートを切れたのに、また半死半生の状態になってしまったのだ。
死にたいという気持ちがありながらも、社会に何とか留まらなければならないという気持ちもあり、教授や友達の助けを借りながら、なんとか大学を卒業することができた。
<<<後編 2017/08/06/Sun>>>
INDEX
06 セクシュアルマイノリティの自分
07 男であれず、女になれない
08 男性でも女性でもない “自分” を手に入れるまで
09 両親の愛情があったから
10 悩み苦しんだ先に、答えがある