INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
サイト登場者(エルジービーター)募集

バレエが好き、化粧もする。これからもきれいを追求したい【前編】

新幹線から降りてすぐに写真撮影が始まったにもかかわらず、モデルのようなポージングで取材陣を虜にした森田都音さん。しかし、その自信たっぷりに見える立ち居振る舞いの裏ではコンプレックスを抱いているという。性自認と性表現との間で揺れる葛藤は、現在も完全に消化しきれていない。

2025/03/12/Wed
Photo : Taku Katayama Text : Hikari Katano
森田 都音 / Satone Morita

2004年、京都府生まれ。家族関係が厳格な家庭で、長女として育てられる。幼少期から一人で過ごすことを好み、中学校から体調を崩し不登校気味になる。高校生のときにFTM(トランスジェンダー男性)、パンセクシュアルであると自認する。6歳から始めたクラシックバレエは、現在も続けている。

USERS LOVED LOVE IT! 5
INDEX
01 自分にとっては「普通」の家族
02 不思議な子ども
03 ダンスの基本・クラシックバレエ
04 平和な小学生生活
05 体調を崩して
==================(後編)========================
06 こぢんまりとした女子高
07 第二次性徴で感じた身体への嫌悪感
08 両親へのカミングアウト後も
09 大好きなバレエとFTMという自認のはざまで
10 FTMでも自分がおもう表現を目指して

01自分にとっては「普通」の家族

家族のなかでの立ち位置

京都市内の中心部から少し離れた伏見で生まれ育つ。

「有名な観光地からはちょっと距離があるので、騒がしいところではないですね。近くにはお茶やお酒で有名な宇治もあります」

両親、3つずつ年の離れた弟2人と、現在も実家で暮らしている。

「めちゃくちゃ仲のいい家族ではないけど、仲が悪いわけでもないと思います(笑)」

「弟たちは自分とは似てなくて、ワーッと騒ぐタイプです」

家族の関係性には、父の方針が関わっている。

「父は自由業でピアノやハープの調律師をしている、頑固で繊細な人です。自分の性格は父に似てると思います」

父からは、家族のなかでの「立場・役割」を考えるように、と教えられてきた。

「勉強や家事の手伝い、家族との付き合いにおいて、自分でできることをしなさい、と言われてきました」

いまは、アルバイトをかけ持ちして実家に暮らしている自分に対して「将来、どうしていくのか?」と聞いてくることが多い。

「友だちのような関係性の家族、ではないですね」

予定はきちんと報告

母は心配性な性格で、出かける際には、事前に予定を詳細に伝える必要がある。

「時間、場所、会う人のこととかをカレンダーに書いといてね、って言われてます」

現在、自分は20歳だが、いまでも急な外泊は禁止だ。

「事前に教えておかないとダメだって言われてるんです」

「言うことを聞かないでいるともっと厳しく外出を制限されちゃうんで、言いつけは守るようにしてます」

友だちからは「厳しすぎじゃない?」と言われることもある。でも、自分ではこれが「普通」だと思っている。

「自分はこの家族しか知らないから、比べられないってのもありますけど、親から心配される原因が自分にあるから言われてるんだと思ってます」

02不思議な子ども

なぜ「不思議」認定されていたのか?

保育園に通っていたときには、親や保育士からよく「不思議な子ども」だと言われていた。

「でも、なんでそう言われてたのか、いまでもよくわかってないんですよね(笑)」

小さいころから友だちの輪にあまり入らず、よく一人で遊んでいたからかもしれない。

「空気を読みながら周りと一緒に過ごしたり、大人数のなかにいたりするのがあまり得意じゃないんです。保育園児のワーッていう大声も苦手でしたね(苦笑)」

とはいえ、大人から子どもたちの輪のなかに入るよう強制されることもなく、優しく見守られるなかで穏やかに過ごした。

「不思議って言われるのも嫌な気分ではなかったですね。『そうなんやなぁ』くらいに思ってました」

物語の世界

一人で過ごしているときは、大抵本を読んでいた。

「母方の祖母がよく本を送ってくれたり、買ってくれたりしたんです」

本のなかに描かれている物語の世界に入り込むことが好きだ。

「1つの本や特定のジャンルにしばられずに、保育園にあった本は片っ端から全部読んでました」

いまも読書の中心は小説だ。

「活字にたくさん触れてきたからか、年齢の割に文章がしっかりしてるね、ってよく人に言われます」

でも、自分で小説を書こうとは思わない。

「チャレンジしたことはあるんですけど、起承転結を作ってまとまりのよい文章を書けなかったです(苦笑)。文章を書くより、絵を描くほうが好きですね」

03ダンスの基本・クラシックバレエ

ダンス好きが高じて

クラシックバレエを始めたのは、6歳のとき。

「テレビで放送されていた新体操やフィギュアスケートを見て、真似して踊ってたんです」

自分が楽しそうに踊る姿を見た父が「京都市内でダンスを学べるところはないか」と探してくれて見つかったところが、現在も通っているクラシックバレエの教室だった。

「途中でお休みした期間もありましたけど、踊ることが楽しいからバレエを続けてるんだと思います」

いまは趣味として週1回通っている。

「バレエには、いろんなジャンルに通じるダンスの基本的な要素が詰まってるんです」

プロのダンサー以外にも、テーマパークのパフォーマー、ダンスのコーチなど、ダンスに関わる仕事はたくさんある。それらのベースとして必要な動きがバレエなのだ。

ダンスと演技

バレエの発表会で演目を披露するときには、ただ人前で振り付け通りに踊るだけでなく、役を演じるという要素が加わる。

「バレエは男女の役割がはっきりしてるんです。ダンサーの性別によって体の動かし方や振り付け、演じられる役柄もちがいます」

普段の練習のときには、バレエでの性差と自分のFTM(トランスジェンダー男性)という性自認の間で悩むこともあるが、本番を迎えると気持ちが変化する。

「舞台で踊るときは役に入り込んでいて、普段の自分ではない感覚です。別人として振る舞えるところが楽しいですね」

バレエ好きには、物語が好きという趣味も関わっているかもしれない。

04平和な小学生生活

自他ともに認める、真面目で静かな子

進学した地元の小学校には、知り合いである保育園の子どもは数人しかいなかった。

「保育園のときと同じように、本を読んで過ごしてることが多かったですね。特にいじめられたりすることもなく、穏やかに過ごしてたと思います」

学校では読書をして過ごし、放課後にはクラシックバレエに打ち込む・・・・・・。

そのころはメガネをかけていたこともあり、周囲からは自分の思っている以上に真面目な子として認識されていたように思う。

「すごく真面目で静かな子、って思われてたみたいです(笑)。まあ、たしかにあまりはしゃぐようなタイプではなかったですけどね」

バレエ漬け

常に一人で過ごしていたわけではなく、放課後や休日には近所の友人と遊ぶこともあった。

「マンションに住んでいるので、同じマンションに住んでる子とは仲が良かったです」

でも、バレエの発表会やコンクールが近づくと、多くの時間を練習に割いた。

「発表会前になると、週3、4で教室に通ってました。休日は朝から晩まで練習することもありましたね」

身体を動かすことは好きだが、学校の体育が必ずしも得意というわけではなかった。

「体力や筋力があるわけでもなく、足が速いわけでもなかったので・・・・・・。マット運動のときだけは輝いてました(笑)」

05体調を崩して

体調不良で学校に行けない

地元の中学に進学して、わずか1週間で体調を崩し、10日間ほど学校を休むことを余儀なくされる。

「原因はよくわかってないですけど、病院ではストレスちゃうか? って言われました」

小学校から中学校で環境が大きく変わって、心理的な負担を受けたことは確かだろう。

「3つの小学校が1つの中学校に集められたんですけど、自分の通ってた小学校はそのなかで人数が一番少なくて、おとなしい性格の子が多かったんです。でも中学は人数が何倍にも増えるし、そのなかにはやんちゃな子もいて・・・・・・」

いきなり変わった環境にうまく対応できず、身体的に影響が現れたのかもしれない。

学校に行けない理由を説明できず

体調はほどなくして回復したが、その後は心理的に学校に足が向かなくなってしまう。

「心療内科ではうつ病と診断されましたけど、原因はよくわかってないです。いじめられてたわけでもないし、友だちとの人間関係が直接的な原因となったわけでもないですね」

「日数にすると、3年間のうち半分くらいは学校に行ってないと思います」

最初のうちは、「学校には必ず行かなければならない」と考える父との摩擦が絶えなかった。

「父は、引きずってでも学校に行かせる! という感じでしたね・・・・・・」

お互いに「なぜ学校にいけないのか」を伝えたり、理解したりすることができなかった。

「最初のうちは、親とバチバチに言い合ってました」

でも時間が経過するにつれて、不登校についてだんだんと親も理解を示してくれるようになる。

「毎朝、『今日は学校行きや』『学校行かへんの?』『行かへんなら電話しいや』って優しく声をかけられるくらいになりましたね」

自分でも、学校に行かなければならないことは頭ではわかっている。でも、身体がどうしても動かなかったのだ。

「友だちがわざわざ家まで迎えに来てくれても、制服に腕を通せなくて・・・・・・」

友人が自分のことを気にかけてくれているのに、その気持ちに応えられない自分に嫌悪感を抱いた。

学校だけでなく、大好きだったはずのバレエからも、足が遠のいた。

「電車にも乗れなくなってしまって・・・・・・。休んだり、また通ったり、を繰り返してました」

周囲の対応に感謝

思うように学校に通えない自分を、学校は放置せず、適度な距離感で対応してくれた。

「スクールカウンセラーに話を聞いてもらいに、週1で学校に通ってました」

カウンセラーは登校を強制することも、不登校を肯定することもなかった。なにもアドバイスをしない代わりに、自分の話をただ聞いてくれた。

「配布物を家に届けてくれる子もいました」

たまに登校した際も、周囲から心ない言葉を投げられずに済んだことは、ありがたかった。

「普段、家で何してるの? って自然に聞かれることはあっても、なんで学校に来ないの!? って問い詰められるようなことはなかったです」

なかでも、なぜか自分に根気よく話しかけてくれた一人の男子は、いまでも連絡を取り合う友人だ。

「普通の女の子とはちがうおもろい奴、って思われてたみたいです。その子には彼女がいたので、恋愛的に興味を持たれてたわけではないと思います」

学校から「来てください」と言われたこともあり、学校行事にはなるべく参加した。

「行事のときって、普段の授業みたいにクラスメイトみんなで過ごさなきゃいけないわけじゃないから、過ごしやすかったんです」

「修学旅行では、比較的仲のいい子たちと一緒に沖縄を回りました」

就寝時に恋バナになり、気になる男子の名前を挙げないと解放されないと思った自分は、あの仲のいい男子の友人の名前を口にした。

「それからは、恋愛的には全然好きじゃないのになぜか応援されました(笑)」

学校に思うように通えないなかでも、せめてもの思いで、提出物だけは必ず期日までに取り組むように心がけた。

「学校の対応はよかったなって思います」

 

 

<<<後編 2025/03/19/Wed>>>

INDEX
06 こぢんまりとした女子高
07 第二次性徴で感じた身体への嫌悪感
08 両親へのカミングアウト後も
09 大好きなバレエとFTMという自認のはざまで
10 FTMでも自分がおもう表現を目指して

 

関連記事

array(2) { [0]=> int(25) [1]=> int(28) }