INTERVIEW
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性同一性障害の自分をもっと愛していい、って過去の自分に言ってあげたい。【前編】

岡山から、夜行バスで東京まで来てくれた山神里己さん。朝早くからのインタビューでも、爽やかな笑顔を見せながら、1つ1つの出来事をじっくり噛みしめるように語ってくれた。あふれ出しそうなモヤモヤを、1人で抱えてきた学生時代。未来が見えない状況から自分を解放できたのは、道を切り拓いた先輩や受け入れてくれた家族、友だちがいたから。

2019/02/06/Wed
Photo : Ikuko Ishida Text : Ryosuke Aritake
山神 里己 / Satomi Yamakami

1993年、岡山県生まれ。双子の兄とともに生まれ、小学生になってから2人で空手を始める。中学から高校にかけてはソフトテニスに打ち込み、柔道整復師になるため専門学校に進学。幼い頃から性別に違和感を覚え、柔道整復師として就職してからホルモン治療を開始。来年、性別適合手術(SRS)を受ける予定。

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INDEX
01 2人きりの性別違いのきょうだい
02 大好きな両親の期待に応えること
03 “男の子” “女の子” という意識
04 膨れ上がる恋愛感情と自分への違和感
05 世にあふれている偏見を避ける術
==================(後編)========================
06 性同一性障害として生きていく道
07 波乱と平穏のカミングアウト
08 思っていたよりやさしかった世間
09 今すべきことと将来やりたいこと
10 ようやく得られた生きている実感

01 2人きりの性別違いのきょうだい

珍しい男女の双子

「僕、双子なんですよ」

二卵性の兄がいる。

自分は女の子として生まれてきた。

「わざわざ男と女で生まれたのは、意味があったんだろうな、って今は思います」

「双子だからといって、特別なことは全然ないですけど(苦笑)」

よく「同時に同じこと言ったりするの?」と聞かれるが、双子らしい神秘的な経験はない。

「学内の決まりだったから、クラスも絶対一緒にならなかったです」

「でも、双子ってだけで珍しいから、自慢でしたね」

同時に2人を育てる両親は、大変だったと思う。

未熟児で生まれた兄と自分は、産後の入院期間も長かった。

「入院中は、『ミルクくれ』って泣くばっかりだった、ってお母さんから聞きました」

「家に帰ってきてからも、『ミルクくれ』ってずっと泣いとったって(笑)」

「でも、物心ついてからは、あんまり泣かなかったみたいです」

一緒に外に飛び出して、駆け回り、疲れ切って帰ってくる。

「お母さんは『手がかからなくて、助かった』って言ってました(笑)」

減っていく兄とのケンカ

兄とは、いつも一緒だった。

遊びも習い事も、常に隣にいた。

「小学生ぐらいの時は、よく山に登って、秘密基地を作ってました」

「自転車に木の枝を積んで、友だちを集めて、うまく作れないなりに頑張るんです」

「小学生って性別とか気にしないから、兄とは一緒に遊んでましたね」

「ちっちゃい頃は殴り合いのケンカもしてました。・・・・・・自分が一方的に攻撃するんですけど(苦笑)」

アクティブな自分と比べて、兄は落ち着いていた。
言い合いになっても、どこか余裕のある兄に腹が立った。

「性格が違って、あっちはまさにお兄ちゃんって感じだったから、ムカつきましたね(笑)」

歳を重ねてケンカは減ったが、一緒に遊ぶことも減っていった。

「中学生になると、男の子と遊んじゃいけん、って思い込んじゃったんです」

誰かに何かを言われたわけではないが、周囲が男女で分かれていく空気を読み、自分も従った。

「自分も女じゃないといけん、みたいな気持ちはありましたね」

02大好きな両親の期待に応えること

おしゃれ後回しで育ててくれた母

両親は、2人とも真面目。
特に母は、しつけに厳しかった。

「ご飯を食べる時、『左手をテーブルの上に出しなさい』って、めっちゃ言われてました(苦笑)」

「一般的なしつけを、きちんとしてくれましたね」

「だから、厳しかったけど、近づきたくないってわけではなかったです」

働きながら家庭を支え、2人の子どもを育ててくれた母。

当時はショッピングにも行かず、服装も地味でいつも同じだったように思う。

「僕らが成人してから、お母さんが垢抜けたんですよね」

「子どもから手が離れて、解放された感じで、おしゃれもし始めました」

成人してからは、母が好きな藤井フミヤのカウントダウンライブに、家族4人で東京へ行くことが恒例となっている。

「家族が好きなんで、都合をつけて一緒に行くようにしてます」

少年のようなマイペースな父

父も真面目だが、少年のような部分を持ち合わせている人。

「お父さんは、車バカなんです」

「僕が小学生の時、お母さんに黙ってMR-Sを買ってきたんですよ。ちょっとヤバいですよね(笑)」

車が届いた時、母はキョトンとしていた。

「お母さんも、よう受け入れたなって(苦笑)」

「でも、両親は仲がいいと思います。お父さんが甘えてて、お母さんがツッコミを入れる感じです」

「お母さんが冗談で『お金があったら離婚してた』って言ってたんですけど、夫婦ってそんなもんかなって(笑)」

かわいがってもらうこと

幼い頃の自分は、好んでズボンをはいていた。

その姿を見た母から「あんた、もうちょっとかわいい服着な」と言われたことがある。

何気ないひと言だった。

「その時に、かわいい服を選んだ方が喜んでもらえるんだ、って思ったんです」

「それから、世間的に普通であること=かわいがってもらえること、って考えるようになっていきましたね」

決して親の愛情を感じていなかったわけではない。

しかし、自分のワガママを貫いたら、かわいがってもらえなくなると思ってしまった。

「だから、自分の願望よりも、親や周りの人の期待を優先していたと思います」

ズボンではなく、フリフリの服も着るようになった。

「その頃から、人の気持ちをすごく察するようになっていきましたね」

03 “男の子” “女の子” という意識

女の子用プロテクター

小学生の頃の習い事は、空手、スイミング、習字。
すべて兄と一緒に通っていた。

「その中で一番続いたのは空手でしたね。小学1年から中学1年まで、通ってました」

空手の試合では、男女で分けられる。

それまでは性別を意識したことがなく、兄とも同じように遊んでいた。

「自分は女の子の方で戦わなきゃいけんのやな、って嫌な気持ちはありましたね」

試合に出場する際、小学生でも男の子は股間用プロテクターをつける。
女の子も同様に、胸用プロテクターをつけなければいけなかった。

「当時は自分のことを、女とも男とも思ってなかったというか、意識してなかったです」

「でも、胸用のプロテクターをつけることが、めっちゃ嫌でした」

「それをつけるってことは、胸があるってことじゃないですか。その事実が嫌だったんです」

股間用プロテクターをつける兄が、うらやましかったわけではない。

性別を意識せざるを得ないことが、受け入れ難かった。

話せなかった負の感情

しかし、プロテクターに対する嫌悪感を、周囲には打ち明けられなかった。

「嫌だ」と言ったら、見放されてしまう気がしたから。

「嫌だって気持ちは、僕のワガママだと思ったんです」

「ワガママを言ったら、親にも先生にもかわいがってもらえない、って思ってたから・・・・・・」

自分が男か女かということよりも、大人にかわいがってもらうことの方が重要だった。

心の中のモヤモヤは、自分の中でひっそりと抱え込むしかなかった。

明確になっていく違和感

中学校ではソフトテニス部に入り、空手からは遠ざかっていった。

「テニス好きな親の影響で、兄と同じ部活に入りました」

「そこでも、男子と女子で分かれていたんですけどね(苦笑)」

中学生になると、男女で制服も違い、さらに性別の違いは明確になっていく。

「スポーツを一生懸命やったら、違和感はなくなるんじゃないか、って部活に熱中しました」

「高校も、強い人が集まるようなスポーツ強豪校を選んだんです」

進んだ先は、女子高。

「女子高に行けば、自分は女になれるとも思ってました」

しかし、高校で思ったように成績を出すことはできず、違和感も解消されることはなかった。

04膨れ上がる恋愛感情と自分への違和感

女の子に抱いた恋愛感情

話は、小学6年生の頃に戻る。

通学路が一緒だった同級生の女の子が、気になった。

「かわいい感じの子で、家にも遊びに行っとったんですよ」

「下校班は別だったけど、班員が徐々に散っていくのを見計らって、最後は2人で帰ってました」

「好きって気持ちは、結構丸出しにしとったと思います(笑)」

女の子に恋愛感情を抱いている、という意識はあった。

しかし、そこに対しては、深く考えることはなかった。

「自分が幸せで楽しかったから、特に抵抗感とかは抱かなかったです」

「でも、普通じゃないといけん、って気持ちもありました」

男の子に対しては、あんな風になりたい、という憧れの気持ちを抱いていた。

その気持ちが恋愛感情ではないことはわかっていたが、気づかないふりをしていた。

「女の子と話している時は、憧れている男の子の名前を出して『好き』って言ってました」

目立たないという処世術

好きな子とは、いつでも一緒にいたかった。

しかし、同級生の女の子たちから、妨害されるようになっていく。

「好きな子と一緒に過ごそうと思っても、別の子から『あっちに行こう』って誘われてしまうんです」

「いじめとかはなかったけど、女の子同士でごちゃごちゃしてましたね」

ある日、思い切って「自分が何かしたかな?」と同級生たちに聞いたことがある。

同級生たちからは「なんであの子とばっかり仲良くするの?」と、逆に問い詰められた。

「もともと人の気持ちを察する子どもだったけど、この出来事がきっかけで、ますます敏感になりました」

「人づき合いに慎重になりましたね」

「その時の恋心は、ずっと封印しました」

目立つと叩かれてしまう、という方程式が、頭の中で組み上がってしまった。

中高の部活でもレギュラーになって目立つことを避けるため、実力を出し切れなかった。

自分と同じ女の子

中学校で、仲良くなった同級生がいた。

その女の子は「自分は男なんだと思う」と、話してくれた。

「2人でよく遊んでいたし、自分も同じかもしれない、って思ってました」

「でも、その子が周りから『変だよね』って言われているのを聞くと、『自分もそうかも』とは言えなかったです」

その子から「お前も同じじゃない?」と言われたこともあったが、「何それ?」と素知らぬふりをした。

「同じなんて絶対に言えないけど、オープンにできているその子がうらやましくもありました」

05世にあふれている偏見を避ける術

我慢してはいたスコート

体育会系の女子高だったため、女性らしさを求められることはほとんどなかった。

生徒たちも、どちらかというと男の子のようなノリ。

「恋愛系の話さえ振られなければ、過ごしやすい環境でしたね」

「ただ、部活はキツかったです・・・・・・」

中学時代と変わらず、高校でもソフトテニス部に入部した。

「中学は短パンで良かったんですけど、高校はスコートをはかないといけなかったんです」

ひらひらのスコートも女子用の制服も嫌だった。

しかし、自分だけが着るものを変えて特別扱いされ、目立つことも嫌だった。

部内には、堂々と交際している女の子同士のカップルがいた。

「彼女たちを見ながら、自分と同じだな、と感じました。それでも、やっぱり『自分も同じなんだ』とは言えなかったです」

彼女たちが、偏見の目にさらされていることを知っていたから。

「他の部員や同級生が、面白半分で『あの2人仲いいけど、どうにかなってるんじゃないの』って話していたんです」

「本人たちは堂々としていても偏見はあるんだと思ったら、そっちの世界に行くのは嫌だなって・・・・・・」

自分自身を守るため、卒業してからもずっと隠していくんだ、と心に決めた。

「もし共学に進んでいたら、こういう気持ちにはなっていなかったかも」

「今思い返しても、自分を出すことがすごく怖かったんだろうな、って思います」

自分だけの秘密

自分自身でも受け入れられていないから、人に打ち明けることもできなかった。

偏見から来る否定の言葉を、受け止められるほどの覚悟はできていない。
だからこそ、自分のことをちゃんと知りたかった。

「携帯電話で検索して、“性同一性障害” って言葉を知りました」

「知識は得られたけど、受け入れるには程遠かったですね」

調べている時の画面は、誰にも見られてはいけない。
そんな気持ちが働き、1人きりの空間でだけ調べていた。

「それだけ、人には知られちゃいけないことだと考えていましたね」

進みたい道と進んでいく道

正直な気持ちを、表に出せない環境が苦しかった。

専門学校に進んだら、ホルモン治療を始めて、男として生きたい。

そんな発展的な気持ちが、なかったわけではない。

「だけど、世間には素直な気持ちを出せるわけがない、って考えの方が大きかったです」

「親にも言えてないし、治療して気持ちが変化するとも思えなかった」

「オープンにしてた同級生と同じようにできるわけがない、って自信もなかったですね」

本当の気持ちを隠したまま、女性として生きていかなければならない。

そう思うたびに、気持ちは落ち込んでいった。


<<<後編 2019/02/08/Fri>>>
INDEX

06 性同一性障害として生きていく道
07 波乱と平穏のカミングアウト
08 思っていたよりやさしかった世間
09 今すべきことと将来やりたいこと
10 ようやく得られた生きている実感

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