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母の理解は現在進行形。少しずつでも前進したい【後編】

母の理解は現在進行形。少しずつでも前進したい【前編】はこちら

2018/02/22/Thu
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ray Suzuki
杉本 彩央里 / Saori Sugimoto

1990年、兵庫県生まれ。東京工業大学生命理工学部生命科学科卒業。システム開発会社に勤務、金融業界をクライアントにSEコンサルタントとして活躍中。中高6年間は演劇部に所属し「劇団キャラメルボックス」などの脚本を好んで上演。大学時代は大手コーヒーショップチェーンでアルバイト。映画鑑賞が趣味。

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INDEX
01 今、本当はとても不安です
02 先生も一目置く優等生として
03 私服の学校に行きたかった理由とは
04 性同一性障害の治療を受けたい、わかってほしい
05 両親への最初のカミングアウトは、撃沈
==================(後編)========================
06 これでおさらば、いざ東京へ
07 居心地のよい場所が見つかる
08 父に「今、幸せだ」と伝えたかった
09 ヒステリックになる母から逃げたくて
10 母とのこと、何とかしなくては

06これでおさらば、いざ東京へ

すべての縁を切るつもりで、家を出たい

とにかく、家を出たかった。

それは心に決めていた。

「友だちとの縁も切るつもりでした」

「体を変えるということは、友だちの縁も切らなければならないと、当時は本気で思っていたんです。しかもそれを友だちには言えなくて」

思えばそれまで、積極的に友だちを作って来たわけではなかった。

「早く全部、ことを済ませて、次に友だちを作るときは、最初から男性で通して、カミングアウトしなくていい状態をにしないといけないと、当時は思ってたんですね」

「そのためには親とも縁を切るつもりで、東京に出ないといけないと思ってました」

大学で何を学ぶかということよりも、新天地で働いて生きていこうとばかり考えていた。

学費も生活費も、自分で稼ぐつもりだった。

当時、ホストの青春を描いて人気を博した漫画やドラマ『夜王』の影響もあった。

実際は、それは無理だと悟るのだが、「人生を一からやりなおすぞ!」という思いにひたっていたのは、変えたいことが、たくさんあったからだ。

下着を堂々と洗える幸せから、暗い大学生活へ

無事に、東工大の入試にパスし、春からの東京生活が現実となった。

母は、東大を目指して欲しかったようだった。

「第一声が『東大じゃなくていいの?』だったのは、なんというか、母にとって重要なのはそこなんだな、って思いました」

「・・・・・・最初に、『合格おめでとう』と言ってほしかったですね」

それでも、東京生活がうれしかった。

「すごい解放感で、それは洗濯ができることだったんです。しょうもないけど、大きなことでした(笑)」

胸をつぶすためのナベシャツやボクサーパンツなどの下着を、これからは自由に、堂々と洗うことができるのだ。

それまでは中2くらいから、何かにつけお風呂で手洗いをして、自室でドライヤーと格闘しながら、こっそり乾かしたりしていたのだから。

大学生活は、共学に慣れないこともあり、いくつかの失望があった。

ふたたび「どっち?」という、眼差しを向けられること。

女の子扱いもされた。

気を使ったり使われたりの面倒くさいやりとり、その応酬には、うんざりするばかりだった。

そして、塾や予備校で感じていた男子への羨望が、大学という場所ではより拡大進化せざるを得なかったことも、辛かった。

「見た目からして彼らとは、本当に全然違う」

「僕は一生懸命に男性になろうとして行動するけど、並ぶとやっぱり外見からして違う。それがものすごく嫌でしたね」

自然と、キャンパスから足が遠のいてしまった。
卒業にも5年を要した。

でも、そのかわりになる場所にも巡り会えていたのは、幸いだった。

07居心地のよい場所が見つかる

コーヒーショップのアルバイトを始める

都心のターミナル駅近くにある、誰もが知るコーヒーのチェーン店。

そこで、アルバイトを始めた。

塾講師のアルバイトも並行してやっていたが、飲食やサービス業に明確な興味があった。

「自分の知識をすぐ生かせる塾講師はやりがいがありました。でも、まっさらなところで、人に頭を下げて、サービスを提供して、それでありがとうって言ってもらえる。そんなサービス業で、『仕事』を学んでみたかったんです」

「そういえば、仕事というものへの意識が中高時代から強かったですね」

その根底には、「仕事ができれば、自分の問題なんて関係なくなるはず」という思いもあったのだ。

「いい会社でした。作業じゃなくて、『仕事』というもの教えてくれました」

「店長が仕事を教えてくれるのが、すごく楽しかった」

トランスジェンダーであることは、そこではあまり意味がなかった。

「履歴書には名前があるから女性だとわかるんですけど、仕事ができればそれでいいよね、という感じ」

「むしろ仕事ができないと問題になるけど(笑)、仕事ができればそのことを評価してくれる場所でした」

ありのままの自分が受け入れられていることを感じられた。

自分の頭で考えてこそ、その仕事が手応えのあるものになることも、おもしろかった。

「居心地がよくて、ずっとバイトしてました(笑)。シフトもフルタイム、オールオッケーみたいな」

大学1年から卒業まで続けた。

アルバイトとしては、社員に次ぐ上位のポジションだった。

通院するも、緩慢な治療に耐えられず断念

18歳になったとき、さっそく病院に行った。

性同一性障害の治療で知られる都内のメンタルクリニックだ。

「でもやっぱり、まだ未成年だったから『ご両親はどうしているの?』とばかり聞かれて、話がぜんぜん進まなくって」

「もうイッライラしちゃって。面倒臭くなって、やめちゃいました」

半年ほど通院したが、ここからも自然と足が遠のいた。

一方、コーヒーショップのアルバイトの先輩のなかには、自分に対し弟のように接してくれる男性もいた。

うれしかった。

その先輩がアルバイト先を卒業するタイミングで、思い切ってGIDのことをカミングアウトした。

大学2年ごろのことだった。

「先輩は『別に』みたいな感じ。そうだなって思ってたわけではないけど、だからって『ほかの女の子と同じだ』とも思ってなかったって」

「そこから、その先輩と一緒に遊ぶようになって、食事や買い物に連れ出してくれるようになったんです」

その後、身近な友人には、自然とカムアウトする。

そんなことを繰り返しながら、大切な人間関係をきちんと築いていた。

「僕が大学5年目で卒業するころには、セクシュアリティのことをバイトのみんなはだいたい知ってたんじゃないかと思います」

08父に「今、幸せだ」と伝えたかった

成人したので、再び治療を開始する

成人式は、高校の同窓会にだけ出席した。

メンズのスーツ、それも千鳥格子のおしゃれなスーツにネクタイでキメて出かけた。

「彩央里、あいかわらずカッコイイね」という感じで受け止められた。

20歳になった。

成人したから、話もきっと進めやすくなっているだろう。
治療再開だ! 今度は、治療の進展もスムーズだった。

「でもやっぱり、ご両親には話そうね、ということになって」

もう親の許諾はいらない年齢ではあったけど、このときは、医師のアドバイスや方針を素直に受け止めることができた。

両親に対する最初のカミングアウト、「治療を受けたい」と真摯に訴えたのは、中学2年のときだった。

「確かにあの当時は幼かった。20歳のときも今からすれば十分に幼いけど、それでも14歳の頃よりは冷静になってもう一度、と思ったんです」

「まあ焦らんと」という父のセッティングに感動

母親では、話にならないことはわかっていた。
だから、まず父親に話すことにした。

大企業のエリートサラリーマンの父は、自分が14歳のあの頃、仕事を優先し、子育ては母に任せていた。

「母も、要領のいい自分より不器用な姉ばかり見ていたように思います。あくまで僕の当時の印象ですけどね」

さっそく福岡に単身赴任中の父を訪ねた。

2泊3日の旅のプランを、父はあれこれ考えてくれていた。

「父にはわかっていたんですよ、僕が何しにきたのかを」

ウィンドサーフィンが趣味の父。

父は、趣味仲間が経営するショーパブにも連れて行ってくれた。初体験で楽しくて、バーへもはしごした。

「でも、だいぶ福岡観光を楽しんだころ『あのね・・・・・・今回、遊びにきたわけじゃないんだよね』と父に切り出したんです」

自分は話をしに来たのであって、何も言わずに帰るわけにはいかなかった。

「すると父が『まあまあ焦らんと』って、その日は話をさせてくれなかったんですよ」

翌日、父は「ウィンドサーフィンに行く海を見せたい」と、行きつけのビーチに連れて行ってくれた。

誰もいない海だった。

ビーチを見渡すベンチにふたりで腰を下ろすと、父が口を開いた。

「何を話しにきたかは、わかってるよ。昔、話してくれたことだね」

父の言葉をとっかかりに、自分も堰を切ったように話し始めた。

14歳の頃は言葉もつたなく、その結果、好戦的な態度になってしまった。
そのことを、今は申し訳なく思っていること。

とはいえ、あのことは気の迷いではなく、これから治療を進めていくつもりであること。

彼女もいること。周りの友人にはカムアウトしており、セクシュアリティなんて気にしないで一緒にいてくれる友だちもたくさんいること。

支えてくれる大事な人がいて、今、とても幸せであること。

父は、そんな話を遮ることなく、聞いていた。

そして、ビーチにあるおしゃれなイタリアンレストランで食事をした。

父にカミングアウトする旅は、これで終わった。

09ヒステリックになる母から逃げたくて

父の温かい理解を得て

翌日、父から長文のメールが届いた。

ーーあのとき、仕事を優先して向き合わなかったことを後悔している。あのときちゃんと向き合っていれば、もっと話ができたかもしれないーー

父のメールは、そんな言葉であふれていたが、しめくくりの一文が今も強く心に残っている。

「『何があっても今は幸せだよ、という言葉を聞けて、一安心しています』というもので、すごいよくできた父親だ!と思いましたね(笑)」

治療の際には、病院に同行したいとも言ってくれた。

「お母さんにも話すなら、一緒に帰るから日を合わせる」と、帰郷の日取りも相談しようと言ってくれた。

元来、自分の性格はどちらかというと、父に似ていると思っていた。

GIDについても父は、ネットはもちろん医学書まで目を通し、できる限りの調べを尽くしていた。

その結果、父親としては「身体を大切にしてほしい」という立場をとっている。

親としては、手術や治療について、もろ手を挙げて賛成はできない。

手術をしない選択肢も選んでほしいが、そのようなリスクを踏まえたうえで、いかに幸せに生きていくかは、自分で決めるしかない、という意見だとおもう。

「僕が勝手に、いいように解釈しているだけかもですが(笑)」

ヒステリックな母から逃げたくて

一方、母にその話をすると、いつも冷静でなくはなってしまう。

「僕はいつも、そこから逃げたくなるんです、母のヒステリックになる部分を受け入れる心もなくて・・・・・・」

留年が決まったことを実家で報告したときだったか、母は医師をしている伯父を味方に連れて来て、無理やり説得させようとしたことがあった。

「でも僕からしたら、伯父さん内科医だから知らないはずだよね、と(笑)」

「なんで(性同一性障害)なの?」と聞く伯父に呆れたあまり、「こっちが聞きたいですよ」と、半笑いで返した。

すると母の怒りはさらに炎上、逃げるように実家をあとにしたことを覚えている。

ここ数年の母の言い分は、こういうものだった。

「みんないろいろな運命を抱えて生きているのに、あなただけそれをどうにうかしようなんて、かなりのわがままだ」

「テレビのドキュメンタリーでよくあるような『紆余曲折あったけど今は仲良くやってます』っていうのは、私にはできない」

「『そんなふうに産んでごめんね』と言うお母さんがいるけど、私はそんなお母さんにはなれないから」

もう、この人に対して理解を求めることは、本当に不可能だ。
メアドも電話番号も、母の名前の字面すら見たくないので、消去してしまった。

母は、用事を見つけてちょくちょく上京、届け物を欠かさない。ひとり暮らしのマンションの下まで来たこともあった。

それでも、コミュニケーションは最小限に、心を閉ざし続けていた。

「今となっては、母の気持ちをおもうと少し心苦しいですね」

10母とのこと、何とかしなくては

GIDをオープンにして就活へ

就活のシーズンが来た。

すでにGIDをオープンにすることに抵抗がなくなっていたので、自分のなかではもう、はっきりと決まっていた。

「セクシュアリティを受け入れてくれる会社でしか、働きたくない」

スーツが似合う金融マンに憧れて、金融業界に絞っての就活だった。

面接の最後に「何か質問や言いたいことはありませんか」と聞かれるものだが、そこがアピールタイムだ。

「1点お伝えしたいのですが、ご覧の通り、私は履歴書上では女性となっていますが、男性として働きたいと思っています」

金融業界はセクシュアリティに理解を示そうとしている企業が出はじめていて、企業側も想定の範囲内であったようだ。

金融業界をクライアントとするシステム開発会社のコンサルタントとして採用が決まった。

「『セクシュアリティに関しては何の問題もない』言われました。『結果さえ出してくれればそれでいい』と。入ってみたら、実際そうでしたね」

26歳でホルモン治療を開始し、昨年の1月、胸の手術を受けた。

「今でこそひげも生やしてますけど、入社した当時は『どっち?』みたいは反応もありました」

「でも、だんだん仕事ができるようになると、それについて言及されることが一切なくなったんです」

お母さんをめぐる思いに変化が

妹のように可愛がっていた後輩が、去年の夏、突然、この世を去った。

彼女の抱える感情、意思や行動について、否定することなど一切なかった。

「お前がそうしたいんなら、それでいいんじゃない」

そう言って、世にいう正論を伝えるのではなく、いつも彼女を受け入れ、尊重しているつもりだった。

「・・・・・・少しでも本人が楽な気持ちになれるならいいと、そう思っていたんです」

でも、娘に先立たれたお母さんが、告別式でひどく取り乱していたのを見たら、いたたまれない気持ちになった。

「彼女に対して、あれで本当によかったんだろうか」という気持ちになった。

そのように後悔すること自体が、彼女を裏切っているかのように思えた時期もあった。
一体、どうすればよかったのか。ますますわからなくなった。

「でも、彼女を否定しなかったことは間違っていなかった。今もそう思います。ただ、それと同じぐらい確実に、理解したことがあるんです」

「お母さんは、彼女を愛していたし、愛している。そして彼女も、自分が愛されていることを、頭ではきっとわかっていたはずなんです」

これまでずっと、母と距離を置いてきた自分だからこそ、その複雑に交錯する思いが、透けて見えてくる。

頭では、本当は、理解しているのだ。すべてを。

すると、自分の母親に対しても、今までとは違う感情が湧いてきた。

「初めて、このままじゃだめかな、って思うようになったんです」

「このときまでは、母親なんて、いなくなっても泣かないって思ってましたが、そうじゃないのかもしれないって」

まだ、家族に対し具体的なアクションはおこしていない。

でも、LGBTERに出ることは、ひとつのきっかけになる。

現在の夢は、30歳までに結婚すること。

ここでも具体的に解決していかなくてはいけないことを、コツコツとクリアしていくまでだ。

「結婚だってできるし、子どもだって授かれる。世の中を変えるというと大げさですが・・・・・・。そうするためにも、少しずつでいいから、何か自分にできることをやっていきたいんです」

一歩一歩、着実に歩んでいる道の先には、想像もつかない出来事があるだろう。たとえどんな場面に立ちあうことになっても、10代のあの頃よりは静かに引き受けたい。そう「何があっても今は幸せだよ」と言えたんだから。

あとがき
「大人になってさ、親心も分かってあげよう」と、精神論で受け応えてしまいがちな日頃を省みる。杉本さんが[妹]へ投げた言葉は違った。「それはそれで、いいよね・・・」。誰でも本当は、ひたすら、そのままを聴いてくれる人を求めている■遠くにいるあなたへ。今度、杉本さん会えたら[兄さん]とどんな話しをしたいですか?カッコいいのに、カッコつけたくないあなたの兄さんは、今日もちゃんと生きてます。過ぎた時間を大切にしながら、明日を見ています。(編集部)

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