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花束みたいな世界を作りたい。いろんな花が集まってこそ美しいから【後編】

花束みたいな世界を作りたい。いろんな花が集まってこそ美しいから【前編】はこちら

2024/11/25/Mon
Photo : Taku Katayama Text : Kei Yoshida
木村 咲良 / Sakura Kimura

2004年、大阪府生まれ。幼い頃から習い始めたダンスの世界を通して、LGBTQの存在を知り、ジェンダー&セクシュアリティや人種などに関する人権問題に興味をもつ。ゲイの男性を好きになったり、恋人から言われた「女性ではなく咲良という性別」という言葉がしっくりきたことから、自らのSOGI(性的指向・性自認)を何度も見つめ直すなか、クエスチョニングやパンセクシュアルという名称に行きつく。

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INDEX
01 力仕事で家族を支える母
02 “いい子ぶっている” おかげで
03 母も自分も、おそらくHSP
04 ダンスから知ったLGBTQや有色人種に関する人権問題
05 “あるべき姿” を目指して疲れることも
==================(後編)========================
06 LGBTQを題材にした演劇を
07 パンセクシュアル? クエスチョニング? もしくは性別 “咲良”
08 レインボーフェスタで見た世界
09 身近なところで、できることから
10 自分と向き合って他者を受け入れる

06 LGBTQを題材にした演劇を

身分の異なる女性同士の恋愛を描く

社会課題へのアクションは、高校2年のとき、ひとつのかたちとなった。

文化祭で、LGBTQを題材にした演劇をクラスで制作したのだ。

「高校に入って、私と同じく、社会課題に対して興味をもつ女の子と出会ったんです。やっと、思いを共有できる友だちができたって感じでした」

「その子は、自分自身もADHDだったりすることもあって、社会課題への意識がとても高くて、なにより理論的で、気持ちばかりが先立つ私の頭のなかを、いつも言語化してくれました」

「高2のときの演劇は、その子が脚本を書いてくれて、主演も務めてくれて、私はダンスや衣装やキャラクターの設定づけを担当しました」

ある国の王女が、他国の王と結婚することを望まれていながらも、身分の低い女性と結婚するというストーリーだった。

演劇制作に取り組むにあたって、まずはLGBTQについてクラス全員の理解を深めることから始めた。

LGBTだけでなくQ(クエスチョニング)やXジェンダーもいる。
男性ふたりで子育てしているカップルもいる。

「劇中にゲイバーのシーンを設けて、そこに集うさまざまなセクシュアリティの登場人物が思いを語っていくようにしました」

「主人公の王女が、その人たちに出会って、自分も自分が思うように生きようと勇気づけられるという重要なシーンです」

「ラストシーンは映画『グレイテスト・ショーマン』の主題歌『ディス・イズ・ミー』で、全員で踊りました。すごくいい思い出です!」

劇中では「ディス・イズ・ミー」のほかにも、“自分らしさ” をテーマにした楽曲を使用することも意識した。

障がい者とともに楽しむ身体表現

この演劇作品は、文化祭において高い評価を得たことから、保護者を含め、外部に向けても公開するために再演することになった。

「クラスは全員で35人くらいいたんですけど、先生がみんなをまとめてくださって。全員で前向きに取り組めたからこそできた作品でした」

「ただ、私たちが “伝説” をつくってしまったせいで、その翌年からは、文化祭ではこれからずっと舞台演劇をしようと学校側が決めてしまったみたいで・・・・・・それはそれで申し訳ないです」

「文化祭では演劇じゃなくて、お店をやりたいって子もいると思う(苦笑)」

大学生になってからも、身体表現の場を自ら見つけて活動していたが、ただ踊るだけではなく、“多様性” をテーマに動きたいという思いが強くなっていく。

「ネットで調べていたら、障がいのある人たちとダンスをするボランティアを見つけて、DMを送って参加してみました」

「それがきっかけで、車椅子で俳優活動をしてる方と出会って、彼女の舞台に出演させてもらったり、広報として携わらせていただいたりしたんです。それもまた、すごくいい体験でした」

07パンセクシュアル? クエスチョニング? もしくは性別 “咲良”

男子生徒がOKな刈り上げ、女子はNG

「中学3年生のときかな、好きになった相手がゲイだったんです」

「そのあとも、いわゆる “男っぽくない” 感じの男性に惹かれることが多くて・・・・・・。そんな自分こそ、“女っぽくない” のかなと思ったりして」

「そのあと、高3のときの同級生で、いま付き合ってる彼氏に、『お前のことは女とは思ってなくて、“咲良” って性別やと思ってる』ってポロッと言われて、すごいしっくりきたんですよ」

女性はこうあるべき、という価値観を押し付けられることに息苦しさを感じることもあった自分としては、「そっちのほうが助かる」とも思った。

高校時代の髪型はポニーテールだった。
しかし、後頭部の下半分は刈り上げていた。

先生から「奇抜すぎるから、その髪型はやめなさい」と言われた。

「男子生徒は刈り上げOKなのに、なんで女子生徒の私が刈り上げたらダメなんだろう、ってすごい疑問に思いました」

女性として生きるのは苦痛ではない、しかし、女性としてというよりも、まずは “咲良” というひとりの人間として接してもらえたほうが心地いい。

「人を、男性とか女性とか、社会的に決められた枠で判断しない、“その人” として接する、ということを私自身が意識しているので、私のこともそうやって接してもらえたほうがうれしいっていうのはあります」

パンセクシュアルなのかも

自分が女性であることに疑問はない、しかし女性だから男性を好きになるということではないと思う。

「男性を好きになったこともあるし、かっこいい女性に憧れたこともあります。自分はパンセクシュアルなのかもって思うことも」

「まだ、自分の性別について、深掘りできてないとは思うんです。でも、そこを深掘りして決める必要って、あるのかなとも思うんですよ」

「性別がはっきりしてなくてもいい。自分らしく生きていられたら、それでいいんじゃないかなって」

社会的に決められた枠に囚われて、鬱々としている人もいる。

だったら枠を取り払ってもいいのでは。

「自分の人生の舵は自分でとることができたらいいなって思います」

08レインボーフェスタで見た世界

誰もが自分の個性を輝かせられる世界

2023年10月に開催された関西レインボーフェスタには、高校2年のときに一緒に演劇に取り組んだ同級生と一緒に初参加。

「シンプルに楽しくて。世界が、こうなればいいのになって思いました」

「私が、ずっと言ってることのひとつに『花束みたいな世界をつくりたい』っていうのがあるんですよ。花束って、いろんな色や形の花が寄り集まって、より美しくなるじゃないですか」

「一輪の花よりも、ずっと美しくなる。百合も、霞草も、みんな必要」

「誰もが、自分の個性を輝かせることができるような、その個性を受け入れ合えるような、そんな世界になればいいのになって思っています」

言わずもがな「咲良」の名前は桜の花から名付けられた。
そして母の名前は百合の花から。

花好きの祖母の影響で、自分自身も花から着想を得ることが多い。

「高校時代は、『将来の夢はひまわり』って言ってました(笑)」

「ひまわりって、ずっと太陽に向かって伸びていって、花を咲かせるじゃないですか。私もそういうふうに、前を向いてポジティブに生きていきたい」

「そんなひまわりの姿から、私自身がパワーをもらうこともあったので、私が誰かにパワーをあげられるような人間になりたいって思って」

常にポジティブでいなくても

いまは『将来の夢はひまわり』というわけではない。

2023年に “本当の自分” と向き合った。
自分のなかのネガティブな要素をとことん見つめているうちに、どうやってもポジティブ思考ができないほどに疲弊したのだ。

「いわゆる “病んだ” 状態でした」

「でも、そのおかげで、常にポジティブでいなくてもいいのかなって思うようになったんです。ひまわりにならなくてもいいのかなって(笑)」

そんな怪我の功名のような思考の転換はほかにもあった。

「病んだ経験があるから、誰かが病んでしまったときに、その人の気持ちに共感できるようになったのかもって思います」

「病むことのつらさを知らなかったときは、『病んでも、なんとかなるんちゃう』って思っていたところがあったけど・・・・・・」

「病んでよかったのかもしれないですね(笑)」

09身近なところで、できることから

どうしようもできないこともある

2024年のいまは大学2年生。

大学1年生のとき、海外インターンシップを企画・運営する企業を通じてプログラムに参加し、インドネシアのバリ島とバングラデシュに渡った。

「性的マイノリティに焦点を当ててプログラムに参加したので、バリに住んでいるLGBTQ当事者にお話を聞いたりしました」

インドネシアは人口の9割がイスラム教徒。
LGBTQはイスラム教の教義に反しているため、認められていない。

同性愛を違法とする州まで存在する。

しかし、ヒンドゥー教徒が多いバリ島は比較的LGBTQに寛容だとされる。

「バリ島でお話を聞かせてくださった当事者のなかには、わざわざ別の地域から移住してきた人もいて。でも親には自分がLGBTQだと伝えていないとか」

さらにはインドネシアと同じく、国民のほとんどがイスラム教徒であるバングラデシュを訪れ、LGBTQだけでなく女性への差別も目の当たりにする。

「差別を、社会課題をなんとかしたいと思っていたけど、どうしようもできないこともあるという現実を思い知りました・・・・・・」

どこでどのように生きるか

特に、宗教から成る社会的構造を変えようとするのは、難しいだけでなく危険を伴うこともある。

「その現実を知らなければ、なんとかなるって思えたかもしれないけど、どうしたらいいのか、よくわからなくなってしまいました」

「でも、そこで生きる当事者の人たちはすっごいつらいだろうって思う・・・・・・。そこに直接アプローチするのはできなくても、身近なところにも、きっとできることはあると思ってます」

「誰もが生きやすいコミュニティづくりとか」

インドネシアにおけるバリ島のような “安全地帯” をつくることは、誰かの助けになるかもしれない。

しかしまた、その “安全地帯” でしか生きられないことを憂う人もいる。
ただ、選択肢が増えるのは歓迎されることではないだろうか。

せめて、どこでどのように生きるか、選択できる自由があればいいと思う。

10自分と向き合って他者を受け入れる

自分を愛せる人を増やしたい

花束みたいな世界をつくりたい。

そのためにも、できるだけ多くの人に、男としてとか女としてとかではなく、“その人として” 生きてほしいと願う。

ほかでもない自分自身がそんなふうに生きたいと思うから。

「もうすぐ二十歳ですが、友だちのなかには、いまも両親の考えに縛られている子もいます。海外留学をしたいのに父親に止められる、とか」

「その子によると、父親のプライドが高すぎて、子どもである自分が父親より恵まれた環境で学ぶのが気に食わないんだと思う、って・・・・・・」

「その子の父親のように、自分が満たされていないと、満たされない状況を相手にも強要してしまうのかもしれないなって思いました」

その父親が子どもの頃に、思うように生きられていたら。
満たされていなくても、それでもいい、と自分を愛せていたら。

「自分を見つめて、それでいいよねって思える人を増やしたい」

「自分を愛せる人を増やしたいです」

「その子の父親には、私が会って話したいくらい(笑)」

祖母のように、49歳で看護師免許を取得して、69歳のいまも海外旅行を楽しめるような・・・・・・何歳になっても常に新しいことにチャレンジできる生き方を目指している。

「私もそうしたいし、誰もがみんな好きに生きてほしい」

そう思えるようになったのは、病んでしまうほど徹底的に、自分自身と向き合って、ネガティブ要素も含めて受け入れることができたから。

なるべくフィルターを通して見ないように

「自分と向き合って、気づいたことがもうひとつあるんです」

「誰もがみんな、自分のフィルターでしか世界を見ることができないって」

生育環境がまったく同じ人はおそらくいない。
また、たとえ環境がまったく同じであっても、感じかたや考えかたは人それぞれだろう。

そうやって、“自分のフィルター” はつくられていく。

それは “価値観” とも言い換えられるかもしれない。

「みんなが同じわけがないなって、改めて確認することができました」

「だからこそ、なるべく自分のフィルターを通して相手を見ないようにするようになりました。それも2023年の自己内省で得たものです」

「自分を受け入れられたら、相手のこともきっと受け入れられるようになるって信じてます」

そしていつか、差別という人権問題が少しでも解決できるといい。

 

あとがき
古着のコーディネート、ひまわりのジレがよく似合う。くるくると変わる表情・・・どんな話しをする咲良さんもまぶしいほどだった◼️年末まであと1ヶ月ほど。2024年の咲良さんはどうだったかな? 内省を続けた昨年は、ジタバタせずに “自分” と歩きはじめたプロセスだったようだ。身近な人に支えられて生きていると実感もしたんだね◼️師走は、しあわせな新年を生きるために自己内省をしようかな。この一年、関わってくれた人やできごとを思い浮かべて。(編集部)

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