INTERVIEW
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花束みたいな世界を作りたい。いろんな花が集まってこそ美しいから【前編】

「私の日本語大丈夫ですか? いま英語も勉強してるんですけど、母から『先に日本語を勉強しなさい』って言われるくらいに、昔から話すのが下手で(苦笑)」。生まれも育ちも大阪の木村咲良さん。大阪弁ではなく “関東弁” で冒頭にそう話す。家族のことや友だちのことを常に気にかける優しさゆえに、自分を責めすぎていたこともあった。いまはそんな自分も受け入れられるようになり、愛せるようになったという。

2024/11/20/Wed
Photo : Taku Katayama Text : Kei Yoshida
木村 咲良 / Sakura Kimura

2004年、大阪府生まれ。幼い頃から習い始めたダンスの世界を通して、LGBTQの存在を知り、ジェンダー&セクシュアリティや人種などに関する人権問題に興味をもつ。ゲイの男性を好きになったり、恋人から言われた「女性ではなく咲良という性別」という言葉がしっくりきたことから、自らのSOGI(性的指向・性自認)を何度も見つめ直すなか、クエスチョニングやパンセクシュアルという名称に行きつく。

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INDEX
01 力仕事で家族を支える母
02 “いい子ぶっている” おかげで
03 母も自分も、おそらくHSP
04 ダンスから知ったLGBTQや有色人種に関する人権問題
05 “あるべき姿” を目指して疲れることも
==================(後編)========================
06 LGBTQを題材にした演劇を
07 パンセクシュアル? クエスチョニング? もしくは性別 “咲良”
08 レインボーフェスタで見た世界
09 身近なところで、できることから
10 自分と向き合って他者を受け入れる

01力仕事で家族を支える母

子どもには「やりたいことをやってほしい」

「母も大阪生まれ大阪育ち。『挨拶と愛嬌だけでなんとかなる』みたいな明るい大阪人って感じです。気合いで生きてる人っていうか(笑)」

運送業に従事している。

「私と弟のために朝から晩まで力仕事を頑張ってくれてます」

両親は、中学1年生のときに離婚。
母はシングルマザーとなってから、正社員として働ける現在の仕事を選んだ。

「仕事がキツくて腰を痛めたりもしているので、力仕事じゃなくて、別の仕事をやってほしいとは思うんですが、弟はまだ中学2年生だし、これからまた学費とかも必要になるし、転職は簡単じゃないのかなとも思っていて」

「そのぶん私もアルバイトをがんばってます」

そんななか、車の運転が好きな母は、仕事で活かせるように大型自動車第二種免許を取るために勉強するなど、向上心をもち続ける。

「母は、就職に有利な学歴もないし、祖父が厳しい人だったせいで、やりたいことを制限されて生きてきたんですが、私と弟には、『やりたいことをやってほしい』と、自由にさせてくれているんです」

しかし幼い頃から、看護師として病院で働く父のことを、『男性で看護師だなんて珍しいな』と思っていた。

祖母の生き方から受けた影響

父は看護師、母はトラック運転手。
性別の枠に縛られない職業選択といえる。

「そんな家庭環境が、いまの自分の “性別にこだわらない思考” に関係しているのかな・・・・・・? 強く意識はしてないですけど」

「影響を受けているといえば、父方の祖母からの影響は大きいと思います。祖母も看護師なんですが、49歳のときに看護師免許を取得したんですよ」

69歳のいまも現役。

過酷な看護師の仕事の合間に、たまに休みをとって、友だちとマチュピチュへ行ったり、孫たちを韓国に連れて行ったりしている。

「何歳になっても、やりたいことしながら生きていけるのって、めっちゃいいなあって、祖母の生き方にはすごい影響を受けてます」

そして大学生のいま、母と弟と3人で、大阪で暮らしている。

「弟とは6つ歳が離れていて、私が子育てしている感じです」

「ブラコンかっていうくらい、めちゃくちゃ可愛がってます(笑)」

「いま、中高生向けの教育関係の企業でインターンをしているんですが、ちょうど弟が中2なので、メンターとしての練習をしたりもしてます」

02 “いい子ぶっている” おかげで

小さな幸せに気づくことを意識

中学1年生のときに両親が離婚し、まず思ったのが、寂しいとか悲しいではなく、「弟のためにお父さんの代わりにならなければ」だった。

「母や母方の親戚からは『多感な時期に両親が離婚してしまったから、グレるかもしれないって思ってた』って言われました(笑)」

「思えば、その頃から “強がる” ようになったのかも」

「生徒会長になって、学校を良くするために頑張ってみたりとか」

そしてポジティブ思考にも拍車がかかった。

「母は、がんばって生きているぶん、感情の浮き沈みが激しくて。ある日、サイゼリアで家族3人でご飯を食べてるときに『こんなところでしか食べられなくて、ごめんね』とネガティブモードに入ったんです」

「でも私は、『高級な店で美味しいと思えるより、サイゼリアで美味しいって思えたほうが幸せじゃない?』って言いました」

自分の言葉に「確かに!」とハッとした。

「それから、いろんなことをポジティブ変換するようになりました。ないものを憂うよりは、手の中の小さな幸せに気づくことを意識して」

しかし、そんな自分を “いい子ぶってるだけ” と感じてもいた。

人前でしかがんばれない自分にモヤモヤ

人の目を気にしすぎるところがあると思う。

「人前だと『やります!』ってがんばれるけど、家に帰るとダラダラしてがんばれなくて」

「人前でしかがんばれない自分に、ずっとモヤモヤしていました」

自分のなかの外面と内面。
中学生のとき、そのギャップに気づき、自分を責める気持ちが芽生えた。

「がんばっていても、それは本当の自分なのか、いい子ぶってるだけの自分なのか、私は “本当の自分” で生きられていないんじゃないかな、ってずっと自問自答していたんです・・・・・・」

「そして昨年、初めて “本当の自分” と向かい合うことができて、いい子ぶってる自分を受け入れることができました」

“いい子ぶっている” とはいえ、がんばっていたのは事実。

人の目を気にして、誰かの期待に応えるため、行動してきたおかげで、さまざまな人と出会い、未来につながるような経験をすることができた。

「ずっと、いい子ぶっている自分を責めていたので、受け入れることができたのは私にとって、すごく大きなことでした」

03母も自分も、おそらくHSP

「ママより勉強していてすごい」

69歳のいまも生きたいように生きる、祖母から受けた影響は大きい。
そしてやはり、母からの影響もまた大きい。

「母は、学生の頃にあんまり勉強してこなかったからか、学歴とか成績というものにあんまり関心がなくて、私ら子どもにも求めてこないんです」

「私が『もうテスト勉強やりたくない』って言ったら、『もうやらんでいいやん』って言ってくれたりとか。そのおかげで、いやいや、テスト勉強はやらなあかんし、って逆に自分から思える、みたいな(笑)」

「そうやって、自分で考えて動けるようになったのも母のおかげかも」

母からは、勉強をはじめ、なにごとにも価値観を押しつけられたことがない。
他者と比べられたこともない。

「だから、すごいのびのびと生きてこられたって思います」

「勉強しなくてもいい」と言う母だったが、ただ甘やかされていたわけではなく、「勉強しといたほうがいい」というスタンスではあった。

それこそ「自分が従事しているような力仕事以外の仕事にも就けるだろうから」と、できなら勉強はしといたほうがいいと考えていた。

「勉強がイヤだなって思ったときに、母が言ってくれていたのは、『ママより勉強していてすごいよ』『ママよりいろんなことを知ってるね』ってこと」

「私だけでなく、弟もそう言われて育ってます」

相手が求めていることに気づきやすい

おおらかな母でも、外で気を張っているぶん、家では弱音を吐くこともある。

「たぶん、母も私もHSP(Highly Sensitive Person)なんだと思います」

「相手が求めていることとか、周りから期待されていることに、気づきやすい気質なので、そのぶん疲れてしまうのかなと」

その気質のおかげで、中学校での生徒会や高校の部活動で、さまざまな意見に耳を傾けて、「誰も取り残さないように」と努めることができた。

しかし、その気質のせいで悩んでしまうこともある。

「物事にはプラスの面とマイナスの面があるので、どちらも考えると、どうしたらいいのかわからなくなるんです」

「誰かが悩んでいるときに、『私だったらこうするよ』って言いたいのに、その人の立場を本当に理解しているのかわからないのに、気軽にわかっているようなことを言えなくなって」

「言いたいことを見失って、ああ、自分はその人の力にはなれなかったんだ・・・・・・ってなったり」

「考えすぎだってわかってるんですけど(苦笑)」

さまざまな意見に耳を傾け、いろいろな視点で見て、どれをどこまで尊重するのか・・・・・・その線引きはとても難しい。

「その線引きができなくて、しんどいことがあるので、自分で線引きができるように、思考パターンというか、考え方を探っているところです」

04ダンスから知ったLGBTQや有色人種に関する人権問題

LGBTQだけではない差別

幼い頃に、踊る楽しさを知った。

「3歳になる前に琉球舞踊の教室に通っていて、小学校1年生くらいからはヒップホップのダンスを習い始めて、琉球舞踊は4年生までやってました」

「体を使って表現する楽しさとか、人前で舞台に立つ度胸とかは、琉球舞踊やダンスから身についたんだと思います」

ダンスの世界を広げてくれたもののひとつがSNS。

中学生になってからは、インスタグラムで自身のアカウントをもち、憧れているダンサーをフォローして、世界中のさまざまな文化に触れた。

そして、国内外のダンサーたちの投稿を通して、差別をはじめとした人権に関わる社会課題の存在についても知る。

「ダンサーさんのなかにはLGBTQの当事者もいて、その人たちのダンスは本当にかっこいいのに、社会では差別を受けていたりすることを知って、中学生ながらも “現実” を見た気がして、強い違和感をもちました」

「LGBTQに対する差別だけじゃなくて、その頃ちょうど “Black Lives Matter” が話題になっていたので、人種差別についても考える機会が多かったですね。あとはそうした差別が題材になった映画を観たりも」

その人がいかに素敵かを知らないまま

差別の存在を知ったときに、まず思ったのは「もったいない」ということ。

「その人のダンスとか、人柄とか、そういうことをなにも知らないのに、人種とか性別とか、生まれもったもので決めつけて、その人がいかに素敵なのか知らないままなんて、もったいないってすごい思って」

その気持ちを、そのままSNSで投稿することもあった。

社会課題に関する記事をシェアし、意見を発信して問題提起をする。
SNSでは、自分でもそうした行動を起こせるという実感が得られた。

「日本人には、単一民族で成り立っている国家だという考えがあるのか、たとえばアメリカのように移民の多い国よりは “自分と違う人” を受け入れることに慣れていない人が多いように感じてます」

「だから、LGBTQに対しても、意識が低いのかも・・・・・・」

存在を意識していないからこそ、理解が追いつかないのではないだろうか。

「母も、テレビを見ていて『男の人同士で結婚する人たちって、ほんまにいるんやね』って言ったりしていたので、あ、そういう感じなんだな、って」

中学生からもち始めた問題意識は、障がいをもつダンサーやアフリカ系のダンサーなど、さまざまなダンサーたちと触れ合うことで深まっていった。

05 “あるべき姿” を目指して疲れることも

酒乱の祖父を諭していた経験から

ダンスの経験から、人前に出るのは得意で、話すことも好きだった。
だからこそ、生徒会長を務めることができたのだと思う。

「そんな自分になったのは、母方の祖父の影響があると思うんです」

「祖父は、普段はいい人なんですけど、お酒を飲むと暴れちゃう人で、母や祖母が祖父に対して諭すのを見て、私も一緒に言うようになって」

「そのうち『咲良の言うことのほうが正しいなぁ』って言われるのがうれしくなって、いまこう言ったら喜ばれるかもしれないなっていう思考が芽生えてきて・・・・・・」

「そうやって、いい子ぶる癖がついたみたいです(苦笑)」

怒鳴り合う大人たちを見て、感情的になって話しても意味がないと思った。

どんな場面で、どんなことを言えばいいのか。
相手は、なにを求めているのか。

そんなことを常に考えるようになった。

自分の思いよりも他者の思いを優先して

「いま思うと、生徒会長をやっていたときって、すごくしんどかったんだと思います。生徒会長って、いろんなこと言われるし、嫌われる立場だし」

「あの頃は、先生と生徒会のみんなだけが味方だって考えていて、そばにいる人たちから認められたい一心でがんばってたように思います」

「それが本当に自分のやりたいことだったのかというと、もしかしたら、そうでもなかったのかもしれない・・・・・・」

だからこそ、心身ともに疲れ果てることもあった。

「自分の思いよりも、先生の思いを優先して、『こうあるべきだよね』っていうところに向かおうとしていたのかなって思います」

「自分の性格として、『こうあるべき』っていうのに囚われてしまうことがあるので、しんどくなってしまうことはあります。でも、そのおかげで、行動を起こせている部分もあるので、それはそれでいいかなって」

それでもモヤモヤしてしまうときは、SNSが救いになることもあった。

理想ばかり追いかけて、自分が自分らしく生きられていないかも。
クラスのみんながもっともっと受け入れ合えばいいのにな。

SNSへの投稿は、モヤモヤを言語化して自分の考えを深める時間だった。

 

<<<後編 2024/11/25/Mon>>>

INDEX
06 LGBTQを題材にした演劇を
07 パンセクシュアル? クエスチョニング? もしくは性別 “咲良”
08 レインボーフェスタで見た世界
09 身近なところで、できることから
10 自分と向き合って他者を受け入れる

 

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