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母でも父でもなく、1人の親。カテゴライズせず個として生きる【後編】

母でも父でもなく、1人の親。カテゴライズせず個として生きる【前編】はこちら

2020/10/01/Thu
Photo : Taku Katayama Text : Sui Toya
島 咲穂子 / Sahoko Shima

1987年、東京都生まれ。子どもの頃から性別違和を感じていたが、男性になりたいという強い欲求は感じてこなかった。大学生の頃、自分はレズビアンなのかもしれないと思い、女性とも付き合ったものの、男性的な役割を求められることに苦しさを感じた。セクシュアリティのゆらぎを感じたまま社会人になり、28歳のときに参加した婚活パーティーでパートナーと出会う。2019年に出産し、1児の親として子育てに奮闘中。

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INDEX
01 息苦しい子ども時代
02 3年間のいじめ
03 リストカット。SOSに気づいてほしかった
04 父との突然の別れ
05 心は限界に
==================(後編)========================
06 Xジェンダーを知らなかった頃
07 空白の1年
08 共鳴した理由
09 色づく世界
10 カテゴライズを手放す

06 Xジェンダーを知らなかった頃

レズビアンかもしれない

初めて男性と付き合ったのは、大学に入学した直後。

「とりあえず、男の子と付き合ってみるか、みたいなノリです(笑)」

「でも、お互いに交際経験がなかったので、付き合うっていっても、何をすればいいかわかりませんでしたし、合わないからやめようって言って、数ヵ月で別れましたね」

その後、自分の性的指向にも疑問が湧くようになる。

「男性がちょっと苦手だったので、もしかして自分はレズビアンなのかな? って考えました。それで、mixiのレズのコミュニティに入ってみたんです」

そのコミュニティで女の子と知り合い、立て続けに3人と付き合った。

しかし、相手から男性的な役割を求められるたびに、申し訳ない気持ちになった。

「リードするとか、守ってあげるとか、そういう男性的な立ち位置を女性から期待されるんです」

「相手の理想に寄せようと頑張ったんですけど、どうしてもしっくりこなくて・・・・・・」

「自分を隠して付き合い続けるのは、失礼なんじゃないかって、悩み始めました」

それ以降、女性と交際するのはやめた。

体のこわばり

女性と付き合えないなら、女性にならなければいけない。そう思い、胸を潰すのを控えるようになる。

大学2年生のとき、同じ大学の男の子と付き合うことになった。

「当時、鬱病がひどくて、相手の体を受け入れられない状態だったんです」

「頑張ろうと思えば思うほど、体がこわばってしまうんですよね」

そういう事情があったため、関係が近づいたときに、「私と付き合うのはやめたほうがいい」と伝えた。

「別に、そういうことをしたいから付き合うわけじゃない」

「咲穂子が咲穂子であればいいと思ってるから、一緒にいてくれないかな?」

彼はそう言ってくれ、男友だちの延長のような感覚で付き合うことになった。

彼のことは好きだったし、一緒にいるときは穏やかな気持ちになった。
しかし、彼と一緒に寝ているときは、一睡もできなかった。

「寝ているあいだに、何かされたらどうしよう、って怖かったんです」

「そんなことをする人じゃないのはわかってたんですけど、心から信じられませんでした」

彼とは3年間付き合い、大学卒業と同時に別れた。

瓶の水が空になる

臨床心理士の資格を取るには、大学院に進まなければならない。

しかし、パニック障害の発作と鬱病が悪化し、授業になかなか出られなかったため、進学どころではなかった。

「カウンセラーを目指して大学に入りましたが、その夢は途中で諦めました」

「何人もの教授に、『卒業だけはしたいのでお願いします』って頼み込んで、ギリギリで卒業させてもらったんです」

自分のことを知りたいと思い、期待して大学に入ったが、何もつかめないまま終わってしまった。

「入学した頃は、瓶いっぱいに水が入っていてタプタプしてたのに、ザッて流されちゃった感じでした」

私はこれから、どうやって生きていけばいいんだろう。
暗い気持ちにおおわれる。

07空白の1年

27歳の引きこもり

大学卒業後は、アパレル系の会社で派遣社員として働いた。

「正社員になれなかったことについて、母は何も言いませんでした」

「鬱が悪化していたし、リーマン・ショックの影響で新卒の就職が困難だったから、派遣で仕事をしているだけまだマシ、って思ってたんでしょうね」

アパレル系企業の契約が切れた後は、コールセンターなどのアルバイトを転々とする。

「電話を取らなきゃいけないのに取れなくて、手が震えました」

「それで、『トイレに行ってきます』って言って、職場のトイレでリストカットをするんです」

「その傷が職場の人にバレて、辞めることを繰り返してました」

27歳のとき、一度休んだほうがいいと思い、1年ほど何もせず家に引きこもった。

母が仕事に行っているあいだに、指示された家事をこなし、それ以外はずっとベッドで寝る日々。

「友だちとも会わなかったし、LINEがきても返事をしませんでした」

「空白の1年って呼んでます」

その1年間で、一度だけ旅行に出かけた。

「母の妹が福岡にいるんです」

「叔母さんから『沖縄に行こうよ。海楽しいよ、きれいだよ』って誘われて、なぜか行ってみる気になったんですよね」

沖縄旅行は想像していた以上に楽しく、海がとても好きになった。

「海ってすごい、って初めて思いました」

ロマンスカーでの婚活パーティー

そうやって、何もしない日々を過ごす中で、少しずつ「自分を変えなければいけない」「このままの人生は嫌だ」と思うようになる。

その時期、母や親戚から「結婚しないの?」と聞かれ、お見合いを持ちかけられることが多かった。

「相手の方に何の興味も持てないまま、お見合いをしてました(苦笑)」

「男性をパートナーとして選ぶべきか、自分でもまだわからなかったんですけど・・・・・・」

「早く家を出たかったし、もういいや、と。いい方がいたら、勢いで結婚してしまおうと思ったんです」

いくつかのお見合いが成果なく終わり、28歳を迎える。

ある日、気分転換に海を見たくて、母方の祖母が住んでいる江ノ島に遊びに行った。

「電車に乗るとき、1枚のチラシがたまたま目に入ったんです」

「小田急ロマンスカーの車内で開催される、婚活パーティーのチラシでした」

新宿から箱根へ向かうロマンスカーの車内で、席替えをしながら色々な人と自己紹介をする。

ロマンスカーを降り、江ノ島水族館に移動した後は、自由時間と書かれていた。

「気になる人がいたら、声をかけてカップルで水族館を回ってもいいし、1人で回ることもできるんです」

「海も見られてお得。このパーティーに行ってみようって、自分で決めました」

ロマンスカーに乗り込み、3回目の席替え。
目の前に座った人と挨拶を交わした瞬間に、「この人だ」と思った。

「『初めまして』っていう動作を見て、ピンときたんです。この人とは、縁があるなって思いました」

相手も、何か感じるものがあったらしい。水族館を回るとき、「一緒に回りますか?」と誘われる。

「メガネをかけていて、いかにも真面目そうなんですけど、男性的な圧力を感じない人なんです」

「歌舞伎の女形みたいな、やわらかい雰囲気が好ましかったんですよね」

パーティーの最後、カップルになりたい人の名前を書く時間があった。

1番から3番まで名前を書けるが、1番同士でなければカップルは成立しない。

「その人の名前だけ書いて、ダメだったら諦めようと思ってました。そうしたら、向こうも1番に書いてくれて、カップルが成立したんです」

08共鳴の理由

イメージとのギャップ

婚活パーティーが夕方5時に終わり、なんとなく誘い合って、飲みに行くことになった。

「エヴァンゲリオンを作った監督が、『シン・ゴジラ』っていう映画を作ったから、今度見に行かない?」

そう言われ、早くも次に会う予定が決まった。

「映画を見に行った日の帰り、私の地元の駅まで送ってもらったんです」

「まだ時間が浅かったし、離れがたくて、近所の公園のベンチに座って話をしました」

「そのときに、『結婚を前提として付き合ってください』って言われたんです」

もちろんうれしかったが、打ち明けておかなければならないことがあった。

服で隠していたけれど、自分の腕には無数の傷がある。

「このまま付き合うことはできないと思って、初めて自分から傷を見せたんです」

「振られるかもしれないけど、後でバレて気まずくなるよりいいと思ったから」

腕の傷を見た後、彼はいつものやわらかい表情のまま、「初めましてのときから気づいてました」と言った。

「僕はそういうところに価値観を置かないし、古い傷だってすぐわかった。だから、別に気にしないです」

「そういうあなたも込みで、付き合ってください」

彼の両親は厳しく、その期待に応え続け、卒業後に選んだ職業は公務員。

大学院に進学し、安定した職業に就くという、世間で理想とされているレール。

そのレールから外れることなく生きてきて、付き合った相手にも、素の自分をさらけ出すことができなかったそうだ。

「付き合い始めたとき、私のどこがいいと思ったの? って聞いたんです」

「そうしたら、他の子より断然個性的だったから、って言われました」

彼の家に初めて行ったとき、部屋の中を見て唖然とした。

「cali≠gari(カリガリ)っていうヴィジュアル系ロックバンドがいるんですけど、彼はそのバンドでボーカルをしている石井秀仁さんが大好きなんです」

「部屋いっぱいに、石井さんの写真集や雑誌の切り抜きや、グッズが飾られていました」

誰に言っても、「え? この実直そうな人がヴィジュアル系?」と驚かれるだろう。

そのくらい、彼の見た目のイメージとはかけ離れた趣味だった。

「彼は7歳上で、そのときもう30代半ばだったんですけど、付き合った人にヴィジュアル系が好きだって打ち明けたのは初めてと言ってました」

「2人とも、親には言っていない秘密みたいなものがあって、そこが共鳴したんだと思います」

この人と結婚しよう

ロマンスカーで彼に出会ったのが28歳の夏。

その年の11月には、結婚式の準備を始めていた。

「結婚を決めた理由は2つあって、1つ目は、失敗したらそれはそれでいいと思ったからです」

「母に『1回は結婚してほしい』って言われてたし、たとえうまくいかなくても、結婚したっていう履歴を作れれば成功だと思ったんですよ」

「2つ目は、彼を信じてみようと思ったから」

「腕の傷は、自分の中では負の象徴でした。それを知って選んでくれた彼のことを、信じてみようと思ったんです」

彼には、セクシュアリティのことも打ち明けた。

腕の傷について話したときと同様に、やわらかい表情のまま「それは個性だろう」「そのままでいてくれ」と言ってくれた。

「過去に、女の子と付き合ったことも話したんですけど、面白そうに聞いてましたよ」

「『ええ! どんな感じなの?』って(笑)」

「こんな感じだったけど、私がつらくなっちゃって・・・・・・って説明したら、『そうなんだ。大変だったね』って言われました」

09色づく世界

隣で安心して眠れる人

父が亡くなってから、色の薄れた世界で生きてきた。

しかし、彼が人生に登場したことで、急に鮮やかな色味を感じるようになった。

「目に映る色がはっきり見えるって、すごいと思いました」

付き合った当初、性行為ができないという話も、彼に打ち明けた。

「タイミングが合えばでいいですよ」と言われ、特に急かされることもなかった。

「関係の進展は、本当にゆっくりでした。ひとつひとつ、段階を踏んでいったんです」

それまで、誰かが隣で寝ていると、緊張して眠ることができなかった。
しかし、彼の隣ではぐっすり熟睡できる。

「隣で寝ても安心できる、初めての人でした」

子どもを育てる覚悟

結婚を決めたものの、子どもを作る気はゼロに近かった。

彼にも、今すぐは無理と話した。

「性行為に抵抗があるんだったら、それはそうだろう」
「前向きに考えたいけど、強制はしないよ」

そう言われてホッとした反面、ここまで寄り添ってくれる彼に、何一つ返せないことが歯がゆかった。

「自分が母親になれるんだろうかって、さんざん悩みました。母親の役割をまっとうできる自信もありませんでした」

「それでも、私の個性を受け入れてくれた人の子どもを産もうって、覚悟を決めたんです」

彼にその覚悟を伝えると、「母親とか父親とか、そういうカテゴライズはもういいじゃないか」と言われた。

子どもができたら、2人で親として育てていけばいい。

そう言われ、少しだけ肩の力が抜けた気がした。

10カテゴライズしない自由

強い決意

子どもを作ろうと決めてから、間もなく妊娠。2019年の夏に出産した。

「子どもが4000g近くあったので、帝王切開で産んだんです」

「思った以上に痛いし、手術が初めてだったので、パニックになって動けなくなったんですよ」

手術台に移ってくださいと言われたものの、全身がガクガク震える。
名前を言ってください、と指示されても、言葉を発することができなかった。

しかし、子どもが取りあげられ、泣き顔を見せてもらった瞬間に、心の中に強い決意が広がるのを感じた。

私はこの子を守っていこう。

親として、一生この子を守っていくんだ。

ゲイカップルの記事が与えてくれた自信

出産後、呼吸がうまくできなかったため、呼吸器をつけてもらった。

「手術の光景がフラッシュバックして、なかなか眠れなかったので、ナースコールをして、母を呼んでほしいと頼んだんです」

「看護師さんからは、『親になったのに親を呼ぶなんてどういうことだ。我慢しろ』って言われてしまいました」

「1時間後にまた呼んでください。そのときに決めましょう」と言われ、部屋に1人で取り残された。

呼吸器は苦しく、フラッシュバックはつらく、病室には誰もいない。
頭が混乱して、もう一度ナースコールをした。

「本当は彼についていてもらいたかったけど、すごく忙しい時期で、病院に来られなかったんです」

「看護師さんがやっと母を呼んでくれて、病室に泊まってもらいました」

帝王切開の傷がうまく治らず、入院生活は長引く。

リハビリの合間に何気なくスマホを見ていたとき、子どもを育てているゲイカップルを紹介した、海外の記事を見つけた。

FTMで子宮を残していた男性とのゲイカップル。

「それを見たときに、私の状態ってこういう感じなんじゃないかと腹落ちしたんです」

一般的な「男女」のカップルではなくても、きちんと子どもを産んで、育てている。

「こういう事例があるなら、私もきっとやっていける、って自信が湧いてきました」

彼にもその記事を転送し、「2人で親として、責任を持って子どもを育てていけばいい」と再確認し合った。

母親らしく、父親らしくなんてどうでもいい。

「子どもができたことで、2人とも、またちょっと自由になったんです」

「私は胸を潰してるし、髪は水色だけど、彼と一緒にベビーカーを押して、堂々と街中を歩いてます」

「家では協力し合っておむつを替えるし、離乳食も作る。2人とも、子どもが大好きです」

今の自分を作ってくれた人たち

セクシュアリティについて、母にカミングしたのは、最近のこと。

泣かれたり、怒られたりすると思ったが、「知ってたよ」とあっさり言われた。

「胸を潰しているのを知ってたけど、踏み込めなかった」

「Xジェンダーっていう言葉は知らなかったけど、そういう感じなんだろうなと思ってた。それで?」

拍子抜けして、しばらく言葉が出てこなかった。

「それまで、母とちゃんと話し合う機会がなかったんですよね」

「息子が寝ているあいだに、2人でお茶を飲むようになって、『実はこう思ってる』とか、意見交換ができるようになったんです」

「『孫を産んでくれてありがとう』とも言われました」

子どもができてから、母はすごくやわらかくなった。

人ってこんなに変わるんだ、と驚くほどに。

「家に引きこもっていたときは、ベッドに横たわったまま一生を終えるんだなって思ってました」

「これではダメだと思って、起き上がれたのは、色々な苦しさを乗り越えてきたからだと思います」

厳格な祖父母も、父も、この人生で出会った人が1人でも欠けていたら、今の自分はあり得なかった。

つらいいじめも経験したが「子どもがいじめられたとき、どう対応してあげればいいか、あなたは誰よりわかるね」と彼に言われた。

「今後はダイバーシティが進んでいくと思いますし、個性や多様性がもっと認められるようになると、期待しています」

自分は母親ではないし、父親でもない。
どちらにも属さない自由があることを、彼と子どもが気づかせてくれた。

「私たちは、三者三様の個性の集まりです」

「親だから、子だからではなく、個と個で尊重し合って、これからも生きていきます」

あとがき
電話でもメールでも対面でも、咲穂子さんはずっと物堅い。「歩んだ人生をきちんと誰かに聞いて頂いたこと自体が初めてでしたが、これまでの経験に対するネガティブな気持ち、ポジティブな気持ちが整理されました」とお礼のメッセージが届いた■苦しみを乗り越えられたのは、咲穂子さん自身が重ねた勇気。そして、出会えた人々の存在だ。信頼できる人がたった1人でもいれば、目の前の世界は変わる。取材後、雲間から差した光に笑顔が輝いた。(編集部)

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