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LでもBでもQでもなく、人間性を見つめたい【前編】

「通常の人間関係では、セクシュアリティやエスニシティは、その人がどこに住んでいるかということと同じくらい、関係ないですよね。私は性別よりも、人間性を見ています」。透徹した眼差しでそう語る丹波紗恵さんは、ミレニアル世代の大学生。自分のセクシュアリティについて、深く悩むことはなかったという。

2019/01/23/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ray Suzuki
丹波 紗恵 / Sae Tanba

1997年、神奈川県生まれ。高校まで両親と熊本市内で過ごす。新体操を得意とし、歌やダンス好きが長じて海外ドラマの大ファンに。高校2年でオーストラリアに、大学2年でアメリカに、1年ずつ留学。現在は就活中。時間があるとパスポートを手に、東京ディズニーリゾートに頻繁に足を運ぶディズニーファンでもある。

USERS LOVED LOVE IT! 32
INDEX
01 東京ディズニシーの同性結婚式に見惚れて
02 気づいたら、やっていた新体操
03 そんな、スペシャルじゃないです
04 夢中になった海外ドラマ
05 恋愛は他人事に思えた中学時代
==================(後編)========================
06 好きになった人が好きなんです
07 同性愛がフィットする
08 レズビアンには区切りがない
09 彼よりも、彼女を選んだのに
10 なぜ同性愛が嫌いだと言い切れるの?

01東京ディズニーシーの同性結婚式に見惚れて

16歳が見た “ふたりウェディングドレス”

テレビで見て、一瞬で目が釘付けになった。
なんて、きれいなんだろう。

純白のウェディングドレスに身を包んだ女性がふたり、並んで歩いている。
ブーケを手に、アップにした髪からはベールを垂らし、誇らしげに顔をあげている。

華奢なデコルテも、美しかった。

ミッキーとミニーも、彼女たちの結婚を祝福して、キスを浴びせている。
そんなところも、ちょっとうらやましく感じられた。

あるレズビアンのカップルが、東京ディズニーシーで初となる同性結婚式を挙げたのは、2013年3月のこと。

そのとき、私は16歳。高校1年生だった。

「ふたりでウェディングドレスを着るのって、素敵だな。私も、したいな」。素直に、そう思った。

「あれ? 日本でも同性婚、できるんだっけ?」

素朴な疑問が湧き、すぐに家のパソコンで検索した。

「うーん、式だけ、だったんですよね・・・・・・」

日本での同性婚は、まだ法的に認められているものではないんだと、そのとき確認することができた。

同性愛を知ったのは、アメリカのドラマ!?

「同性愛」のことは、いつの間にか、なんとなく、知っていた。
だって、大好きな海外ドラマにも、よく出てくるから。

この頃、夢中になっていたドラマは、アメリカ・オハイオ州の高校合唱部を舞台にした『glee/グリー』。

歌あり、ダンスありの、青春ミュージカルドラマだ。

どちらかというとイケてない高校生たちが、グリークラブ(合唱部)の存続をかけて、さまざまな困難を乗り越えながら、州大会優勝を目指すというストーリーの『glee/グリー』。

合唱部には、マイノリティとされる人種や、ゲイ、レズビアン、車椅子に乗った障がい者といった困難を抱えたメンバーもいるという設定。

従来のアメリカの学園ドラマとは大きく異なっていて、世界中で話題を呼んだ。

そもそも海外ドラマが好きになったのは、小学生のころだった。

テレビの買い替えにともなって、有料チャンネルを一定期間サービスで見ることができたことがきっかけだった。

02気づいたら、やっていた新体操

物心ついたときには、新体操をしていた

内装業を営む父と、当時は専業主婦だった母の間に生まれた、ひとりっ子。

「幼稚園の年少のころから、新体操をやっていました」

「父親が、もともと器械体操をやっていて。私にもずっと、体操をやらせたかったみたいです」

物心ついたときには、もう新体操をしていた。

レッスンの最初の日のことはよく覚えていないが、幼いころの思い出のほとんどは、音楽に合わせて、リズミカルに体を動かしている自分だ。

どちらかというと、ダンスを習うような感覚があり、楽しかった。

「週3とかで、やってましたね」

音楽やリズムに合わせ、カラフルなリボンやボールを華麗に操る。
新体操の華麗な演技を身につけることは、とにかく楽しかった。

目立つのが好きな、活発小学生

小学校でも、活発に過ごす。

「そんなに静かなタイプじゃなかったですね。アクティブでした」

音楽会や学芸会は、活躍のステージだ。
必ず手を挙げて「やります」と意思表示、大きな役を射止めていた。

「絶対、何かしらやる! 人前に出ることは、毎年やってましたね(笑)」

「人に見られるのは好き。新体操をやっていたからかなあ」

大きな声でセリフを言ったり、踊ったり、歌ったりすることが大好きだった。

「クラス委員もやりました。目立つのが好きだったんですね(笑)」

今振り返っても、嫌な思い出なんか、ちっとも浮かんでこない。

屈託のない、幸福な子ども時代が過ぎていった。

中学まで、新体操を続ける

新体操は、中学生になっても続けた。中学生になるのも、楽しみだった。

「ルールの違いで、小学生はできない手具がありました。それが、棍棒。クラブと呼ばれる手具です」

2本セットで持ち、回転させながら高く投げて、またキャッチする。
重いクラブ(棍棒)を扱うには、器用さや集中力が必要で、他の手具よりも難易度が高いのだ。

「中学生にならないとできなかったから、レア感がありました」

「中学になってクラブをやれたときは、すごくうれしかったですね」

身体の柔軟性が求められるのが新体操。

体操をしていない人と比べれば、十分柔らかいのだが、新体操の世界で突出した存在になるには、自分の柔軟性がまだ足りないと感じていた。

「試合には出ていましたが、身体が柔らかくなくて。筋力もないし」

「だからこそ、演技のなかでは手具を上手に使いこなすことで、点数を稼いだりしていました」

03そんな、スペシャルじゃないです

ひとりっ子で、自立心旺盛

ひとりっ子だったから、小さなときから、きょうだいがほしかった。
それも自分の下にではなく上、お兄さんやお姉さんが、ほしかった。

そんな気持ちがあったことを、なんとなく覚えている。
でも、さみしがり屋や甘えん坊をして、両親を困らせた記憶はない。

「食べ物の好き嫌いもないし、両親は私を育てやすかったと思いますよ(笑)」

事業を切り盛りし、いつも社交的でアクティブな父。
釣りが大好きで、そのために家を空けることも多かった。

一人娘だからと、デレデレ甘やかされたとは、思っていない。

「どちらかというと、父は私に厳しかったですね」

華奢でスマートな母は、なんでもできる人。
料理や手芸が上手で、今あるものでクリエイティブに、ものを生み出す人だった。

「家族のことを丁寧にこなす人ですね」

そんな母も、やがて外に出て、働くようになった。

「親、大好き」みたいな感じじゃ、ないんです

家族のことを話すときは、なんだか、淡々としてしまう。

「でも、全然普通。というか、そんなスペシャルなことはないんですよ(笑)」

「ひとりっ子だから、一人に慣れていました。ペットもいないし」

「私が、しっかりしなきゃっていう感じかな」

「小さいころから自立していたというか、なんていうか『親、大好き』、みたいな感じじゃ、ないんですよね」

父と母は、自由に育ててくれたと思う。
べったりの親子関係ではなく、ほどよい距離感が、そこにはあった。

「自由に、そして、私の思った通りに、育ててくれたと思うんです」

幼いころは確かに、叱られたこともあったけれど、父と母に過干渉されたと感じたことは、これまで一度もない。

「基本、私のあたりが強いんで(笑)。イライラすると、態度に出ちゃうんですよ、モノにあたっちゃったりとか」

04夢中になった海外ドラマ

好きなものが煮詰まった世界

小学校4年生か5年生のころ、家でテレビを買い換えた。

アメリカのディズニー・チャンネルで、ドラマ『ハイスクール・ミュージカル』を初めて見た。

ドラマで描かれる世界に、心底憧れた。

「好きなものが、煮詰まった世界だったんです」

『ハイスクール・ミュージカル』ももちろん、歌あり、ダンスあり、ドラマあり。

「・・・・・・なんだろう、日本の学校とは全然違う。すごく楽しそうで、一気に心を奪われました」

ドラマを見れば、体がリズムをとって踊れてしまうし、一緒に歌うのも楽しい。

自然と、英語も好きになった。

「英語の歌も耳コピで聞いて、歌ったりして、だんだん聞き取れるようになりました」

このことは、その後の人生に、大きな影響を与えることになる。

小学校の同級生が、日本のアイドルグループに夢中になっているのを尻目に憧れたのは、歌も踊りも上手な、海外ドラマの主人公たちだった。

憧れた。

現在に至るまで、出演者の女の子のインスタグラムをフォローしているほどだ。

このころから、好きになったり憧れたりするのは、女性のほうが圧倒的に多かった。

今になって、そう思う。そんな自分の性指向に、気づくのだ。

中学では放送部の部長に

中学生になるのは、待ち遠しかった。

習っている新体操では、クラブ(棍棒)ができるようになる。
学校では、いよいよ英語の授業が始まる。

「英語が好き、ミュージカルが好きだったから、ワクワクでしたね」

部活動は、放送部に決めた。

「なんとなく、話すことが好きだったし、それこそ小学生のときから目立ちたがり屋だったし(笑)」

部員は20名ほどで女子が多く、男子は数名のみ。

「毎日、朝と昼の学校放送をしながら、放課後はNHKの放送コンクールに出す作品を作る作業をしていました」

実は、体育会系文化部の異名を持っていた放送部。

発声練習や筋トレも厳しかった。
冬でも校庭のランニングは必須だった。

学校で1、2位を争う怖い先生を顧問に、ピリピリと緊張感の漂う部活動。

「コンクールのために、物語を朗読したり、学校でおきたできごとを文章におこしてアナウンスしたり、ラジオやテレビの番組を作ったりしましたね」

放送部の活動に、まじめに取り組んでいた。面白かったからだ。

得意の敬語が放送部で役立つ

2年生になると、推薦されて部長を務めた。後輩を育てる役回りだ。

「このあいだまで小学生だった子たちが1年生になって入ってきます。敬語を使いなさいとか、指導するんですよ」

部長としての責任を感じていたので、自分なりに職務を全うしたかった。

「後輩は、やっぱり可愛いから甘やかしたくもなるんですけど、上にいる者が注意しないと誰も教えないから、心苦しいけれど、厳しい先輩になりました」

「新体操のクラブは、年功序列ではなく、入った順です」

「たとえ年下でも、自分より先にクラブに入れば、その人は先輩。だからその人とは、敬語で話しなさいと教わりました」

新体操をしていたから、学外にも友だちや先輩、後輩がいた。
学校生活では、どうしても学年の違いだけで、先輩後輩が決まってしまう。

でも実社会では、そうはいかない。
ひとりの人間として、相手に対する敬意を、いかにきちんと表するか。

学校だけしか知らなかったら、自分の世界は、今よりもきっと窮屈だったろう。

そう思うと、新体操をしていて、本当によかったと思う。

05恋愛は他人事に思えた中学時代

恋愛は他人事に思えた

中学校の3年間で、好きになった異性はいなかった。

「素敵だと思う人は、いませんでしたね」

誰かに告白されたことも、なかった。

通っていた中学校が、1学年10クラスもあり、知らない人も多かったからかもしれない。

「自分でも、恋愛は他人事に思えてました」

でも、なんとなくだが、先生が好きだったことはある。

「すごくかっこいい、イケメンの先生が、紗恵の中学校に赴任するらしいよ」

自分とは別の中学に通う、新体操の仲間が教えてくれた。
その通り、20歳代で若い男の先生が赴任した。

「爽やか系です。知り合いが『かっこいい』というから、私も『おお、そうなんだ』となって、たぶん影響されてしまったんですね」

密かに、好きだった。
あからさまにアピールはしなかったが、きっと存在は認知されたはず。

恋というより、ごく淡い憧れのようなものだったのかもしれない。

高校入学後、ガチの留学を目指す

進学は、プロテスタントの私立高校へ。

いざ入学すると、オーストラリアのアデレードに姉妹校があり、その高校と1年間の交換留学を実施していることを知る。

毎年、1名か2名が留学している。単位も取れるため、学年がだぶらないで済むという。

その留学とは別に、夏休み期間だけなどのより短期の交換留学プログラムもあった。

しかし、その年は日本の高校が受け入れ側となる年で、このプログラムで行ける枠は、あいにくなかった。

逆にこのことで、がぜん、やる気が掻き立てられた。

「それならいっそ1年間、ガチの留学をしようって思ったんです」

留学経験のある父も、「行っておいで」と賛成してくれた。

ラッキーなことに、この年に応募したのは自分だけだった。
高2での1年間の交換留学が、ほどなく決まる。

そして高1の終わり頃、ふいに彼女ができる。

恋愛は、他人事ではなくなっていた。

そしてこの恋愛は、ちょっと、複雑な人間模様を描くことになる。


<<<後編 2019/01/25/Fri>>>
INDEX

06 好きになった人が好きなんです
07 同性愛がフィットする
08 レズビアンには区切りがない
09 彼よりも、彼女を選んだのに
10 なぜ同性愛が嫌いだと言い切れるの?

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