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養子縁組はゲイの私たち二人にとって、ベターな選択だった【後編】

養子縁組はゲイの私たち二人にとって、ベターな選択だった【前編】はこちら

2024/11/15/Fri
Photo : Tomoki Suzuki Text : Hikari Katano
矢島 竜也 / Ryuya Yajima

1986年、新潟県生まれ。小学校では容姿をからかわれていたが、4年生でキャラを確立してからは「やじまん」の愛称で親しまれる。専門学校進学を機に上京し、メディア関係の仕事を経験したのちに福祉業界に転身。2017年に同性パートナーと養子縁組を結んだ。

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INDEX
01 十一屋のお孫さん
02 やじまん誕生
03 男の子が好きなことは言ってはいけない
04 物書きにチャレンジしたい
05 バイセクシュアルなのかゲイなのか
==================(後編)========================
06 福祉の道へ
07 パートナーと義父との共同生活
08 義父へカミングアウト
09 養子縁組と母親へのメッセージ
10 西東京市をLGBTQ当事者でも安心して暮らせる街に

06福祉の道へ

ベンチャー気質がきつい・・・

専門学校を卒業して、新宿二丁目にある小さな編集プロダクションに就職する。

「会社は新宿二丁目にありましたけど、LGBTQをテーマに扱う会社というわけではなくて、大手出版社から依頼されるような会社で、そこの書籍編集アシスタントを務めました」

高校生のころからあこがれの業界に身を置くことができ、やりがいも感じていたが・・・・・・。

「若手社員を厳しく育てる社風で、社長がビシバシと私を鍛えてくれてたんですけど、そのしごきが割ときつくて・・・・・・(苦笑)。仕事がつらくなって、入社1年半で限界値を迎えてしまいました」

そのころ、祖父の債務の影響を受けて新潟への仕送りが必要となり、稼げる仕事に就く必要もあった。

「祖父がだらしのないところがあって、そのあおりが私にまで及んだんです。安月給のなかから頑張って仕送りしてたんですけど、もっと給料をもらえないとどうにもならないな、と」

横浜で住み込みの新聞配達をしながら営業する正社員として転職し、1年ほど働いた。

「もう一つの道」を思い出す

転職先で働いているとき、体調を崩して3か月の入院を余儀なくされたことがあった。

「ベッドの上で、これからどうやって生きていこう? って考えてました」

新卒で就職した編集プロダクションの社長からは「物書きとしてはまだまだだ」と言われていたから、すぐに物書きに携わることは難しいかもしれない。

「高校のときに考えてた『人の役に立ちたい』っていう、もう一つの軸を思い出したんです。そっちの道で生きていくのもいいかな、って」

再び東京に戻り、高齢者介護の業界に転職した。

「自分の仕事がダイレクトに高齢者さんに伝わって、ありがとう、って言ってもらえることがうれしくて。本が出版された反響とは違って、相手の気持ちがわかりやすいし、私の心も満たされました」

福祉の仕事は天職だと実感しつつ、働きながら資格を得ていった。

07パートナーと義父との共同生活

パートナーとの出会い

「同性が好きだ」という自分の気持ちを開放してから、20代のうちには何人かと交際したが、どれも長続きしなかった。

「20歳くらい年上の人とお付き合いすることが多かったですね」

ワンナイトラブではなく、お付き合いする相手とは将来一緒に生活することを考えたかったが、そこにたどり着く前に挫折することが続く。

「セクシュアリティまわりで得た経験とか考え方が、相手と私とでは違ってたんです」

「ただ『好き』っていう気持ちだけじゃパートナーシップって長続きしないんだな、ってトライアンドエラーを繰り返して学びました」

そのようななか、28歳ころに出会った相手が現在のパートナーだ。

3人での共同生活

パートナーと出会ってすぐに「この人だ」と感じた。

「パートナーはすごく愛情深い人で、そういう『重め』のテンションで来られたことが初めてだったんです。その愛情に包み込まれることが幸せだったんだと思います」

パートナーとその父親が同居している西東京市の住まいを改築する間、パートナーが私の家で生活することに。

「お試し同棲のルームシェアですね。新しい家が建ったら、私もそっちに引っ越すことになってました」

新居ができあがり、パートナーと義父との3人の同居生活が始まった。

「お義父さんとしては、新しく建った家に、年の離れた見知らぬ若造が急に転がり込んできたわけで(苦笑)。すごく不審がられましたよ」

当時、パートナーは義父にゲイであることをカミングアウトしていなかったため、同居を始めた本当の理由も言えず、適当にはぐらかすしかなかった。

「お義父さんと二人きりになったときには『タツヤくん、息子とはどういう関係で、どこで出会ったんだ?』って根掘り葉掘り聞かれて」

「私の名前は『リュウヤ』なんだけど、と思いながら(苦笑)、福祉の勉強会で意気投合して、仲良くさせてもらってます、って話しました」

「お義父さんとしても、急に知らない人と一緒に暮らすのはなかなか理解できなかったんじゃないかなと思います」

パートナーとの楽しい同棲生活! ではなく、義父を含めた3人での生活をどのように乗り越えていくかに注力を注いでいかなければならなかった。

08義父へカミングアウト

ホモではないよね?

パートナーと義父との共同生活が始まって、1か月近くが経過したある日のこと。

「うちが改築中に、息子が竜也くんの家に3ヶ月間住まわせてもらってたから、すぐに出ていけとは言わない。でも、半年くらいの間には出ていってほしい、とお義父さんに言われました」

次いで、「2人がホモみたいな関係だったら、世間に顔向けできない」と義父は発言した。

「食べてたご飯の味がしなくなって、頭が真っ白になりました・・・・・・」

一方、パートナーは「そんなやましい関係じゃない」と激高。

食卓が沈黙に包まれ、気まずい空気が流れた。

「ただ、それ以降はその話題は上がらなくなって、お義父さんから詮索されることもありませんでした」

竜也くん、仕事を継いでほしい

当初、半年のうちに家を出るよう言われていたが、それからもしばらく住み続けられるようになった。

「パートナーがお義父さんと喧嘩することがあったので、私が間に入って調整したり、お義父さんの肩をもって『そんなこと言う必要ないんじゃない?』ってパートナーに反論することもあったんです」

同居当初は「突然住みついた、見知らぬ男性」と思われていたが、一緒に暮らすうちに「気の回る優しい人だ」と義父から信頼を得られたのだ。

「お義父さんが就労継続支援B型事業所の運営をしてたんですけど、パートナーは所長を継ぐ気がなくて。でも私が福祉の仕事に就いてるから、竜也くんに継いでほしいとお願いされたんです」

その依頼は断ったが、息子の親しい年下の友人としての共同生活は、1年半ほど続いた。

急なカミングアウト

2017年の年明けだった。

友人と外で食事をしているときに、LINEでパートナーから連絡がきた。

「親父に自分たちの関係性について伝えた、って」

義父へのカミングアウトについて事前に話し合って準備を重ねていたわけではなく、こちらとしては寝耳に水だった。

「なんで急に言った!? ってびっくりしました。どういう顔をして帰ればいいのか、って(苦笑)」

義父の反応はどうだったのか? とパートナーにLINEで確認すると「わかった、とだけ言った」とのこと。

「怒ったり、ケンカになったりもせず、お義父さんはパートナーのカミングアウトをひとまず受け取ったみたいでした」

カミングアウト後も、義父の私に対する接し方に悪い変化は見られなかった。

「竜也くんが息子のパートナーってことはわかったけど、そろそろ嫁は取らないのか? と言われたこともあったので、ちゃんと理解できてる、とは言えなかったですけどね(笑)」

義父へのカミングアウトは、とりあえず無事に終了した。

09養子縁組と母親へのメッセージ

現状でのベターな手段・養子縁組

義父へのカミングアウトから約半年後、パートナーと養子縁組を結ぼうと決意する。

「どちらから提案したのかはよく覚えてないですね」

養子縁組した2017年当時、渋谷区など一部の自治体では同性パートナーシップ制度が導入されていた。

でも、自分たちの住む西東京市では、まだその動きが見られなかった。

「もし同性パートナーシップ制度が利用できるようになったとしても、法的根拠はないから心許ないよね、って」

お金と時間をかけて公正証書を作成する手も考えた。

でも、異性カップルなら紙1枚だけ提出すれば法的に結婚することが叶うのに・・・・・・と思うと釈然としない。

「私がパートナーの苗字に合わせることに抵抗がなかったこともあって、養子縁組って手もあるよね、って話になったんです」

「戸籍上は親子になるので、そこは今でもあまり納得はできてません。でも、ベストではないけどベターな選択肢だよね、って」

回りくどい説明

養子縁組をパートナーと結ぶと苗字が変わるため、新潟の家族へカミングアウトする必要性が出てきた。

「養子縁組をする半年くらい前、正月に帰省したときに、母親に養子縁組をすると報告しました」

でも、今の日本では同性のパートナーと結婚できないから、とセクシュアリティを含めて伝えたわけではなかった。

「年の離れた友人にお世話になっていて、お義父さんも事業所を継いでほしいと言ってるし、友人も自分が亡くなったら今の家に住んでほしいって言ってるから、養子縁組をしたいんだ・・・・・・って、よくわからない説明をしました(苦笑)」

「当時カミングアウトするには、私の気持ちがまだ整ってなかったんです」

そのとき言い出せなかった理由として、母親にはLGBTQのことを理解してもらえないだろう、と思っていた側面もある。

「たとえばNHKのEテレで障害者のかたが映ってるのを見たら『お母さん、こういうのかわいそうで見てられない』ってチャンネルを変えるような人だったんです」

「同性愛者だなんて精神に異常をきたしてる、不幸だ、って思われるんじゃないか? って」

養子縁組について小難しい説明を聞いた母親は「それは、あなたがお嫁に行くようなものなの?」と返してきた。

「まさか母親から『お嫁に行く』なんて言葉が出てくるとは思わなくて、動揺しました」

とても重大なことだから、ということで、その年の春に母親がパートナーと義父に挨拶するため、上京することになった。

ビデオレターで伝えたかったこと

2017年の春、両家の顔合わせをセッティングした。

ちょっと高級な日本食料理屋の個室に、母親と母親の姉のような存在である親友が、パートナーと義父の前に着席した。

「以前に話した、事業所を継ぐとか家を相続するってことは建前で、本当はパートナーと日本でまだ結婚できないから、養子縁組という形をとろうと思ってるんだ、と言いました」

ただ、酒好きである母親はすでに酔っぱらっており、カミングアウトをちゃんと受け止めて理解できるとは思えなかった。

「母親が話を聞いてくれないだろうなってことは予測してたので(笑)、30人くらいの友人に協力してもらってビデオレターを事前に用意してたんです」

「ゲイでも、こんなにたくさんの人やパートナーに支えられて幸せだよ、ってことを伝えたい、って友人にはお願いしました」

一人ひとりが、母親宛だけでなく、私にもありったけのエールを送ってくれた。

「今思い出すだけでも泣きそうになるくらい、うれしかったです」

ビデオレターに、自分を生み育ててくれたことに対する感謝の気持ちをつづった手紙を添えて「家に帰ったらちゃんと読んでね」と母親に手渡した。

翌日、手紙を読み、ビデオレターを視聴した母親から電話がかかってきた。

「お母さん、同性愛とかよくわかんないけど、竜也が選んだ人生なんだから応援するよ、って言ってくれて。母親はちゃんと母親だったな、っていい意味で裏切られました」

両家へのカミングアウトも無事済ませたうえで、2017年6月にパートナーと養子縁組を結んだのであった。

10西東京市をLGBTQ当事者でも安心して暮らせる街に

養子縁組で得られる安心感

養子縁組をしてから自分の苗字が変わったので、各所で手続きを行った。

「手続きを通して、本当に養子縁組したんだっていう実感がわきました」

養子縁組をして8年が経過した現在でも、パートナーと法的に家族だと認められている安心感がある。

「家族になれたっていう安心感が、根底に流れるようになりましたね」

ただ同居している同性カップルとは違う関係性。

「もう簡単には離れられませんからね(笑)」

小さなイライラ

2年前に義父が特別養護老人ホームに入所し、パートナーとの2人暮らしがいよいよ始まった。

「ケンカまではいかないですけど、お互いの得手不得手が結構違うので、小言を言いあうことはあります(笑)」

パートナーが使ったまま放置したティッシュや綿棒を、ブーブー言いながら私が片付ける。

車に乗って出かけるときには、運転が得意なパートナーがドライバーを務める。

「一人で家事をすると疲れるので、最近は一緒に洗濯物を畳んだりしてます」

日々の共同生活での折り合いの付け方は、同性カップルも異性カップルも変わらない。

西東京市をだれもが安心して暮らせる街に

以前は、ゆくゆくは西東京市でLGBTQフレンドリーな介護事業所を立ち上げたい、と考えていたこともあった。でも、最近は将来の展望が変わりつつある。

「人の役に立ちたいってより、LGBTQ当事者に限らず、この街の人たちに安心して暮らしてほしい。そのために、自分のこれまでのキャリアや専門性を活かせたら、って思ってます」

「安心」にもさまざまなとらえ方があるが、私が考える安心感とは、居心地の良さに近い。

「自分の好きな服を着て心地いいって思えるような、自分らしくいられる安心感のある瞬間や場所を増やしていきたいです」

今までの人生の道のりも、人に恵まれてきたおかげで幸せな道を選べることができた。

夢はまだ漠然としているが、限界を決めずにパートナーや周囲の人を巻き込んで、模索していきたい。

 

あとがき
こんなにもまぁるく、他者と交流する人がいるのか。それは、竜也さんとのメールの交換から思ったこと。言葉の力で心もほぐしてくれる■「お母さん、同性愛とかよくわかんないけど、竜也が選んだ人生なんだから応援するよ」。子どもがLGBTQ+の当事者だと知った瞬間、我が子のこととなれば、受け止めきれない感情もあるだろう。そんなときは、自分の気持ちの中身に目を向けたい。その悲しみ?不安?怒り?はどこからくるのか。深呼吸して、ゆっくりと。(編集部)

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