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LGBT当事者であることを隠さず、ありのままの自分を生きたい【前編】

首元や腕、パンツの裾をめくれば脚にも、身体の隅々に彫られたタトゥーが目を引く土屋綾さん。一見すると強面だが、話を聞いているうちに彼女を切らしたことがない理由が、なんとなく伝わって来る。竹を割ったような素直さと、物事を前向きに考えられる強みは、母親の愛情が育んだものでもあった。

2024/09/09/Mon
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Hikari Katano
土屋 綾 / Ryo Tsuchiya

1994年、北海道生まれ。母親と二人暮らしで育つ。得意なサッカーを生かして高校はスポーツ推薦で進学するが、高校卒業後は土木建築業界でキャリアを築き始める。コロナ禍に上京し、さまざな仕事を経験。現在はフリーランスの職人として働いている。

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INDEX
01 寂しさを感じなかった生活
02 サッカーとの出会い
03 モテモテの中学生
04 修学旅行先は自分たちで決める!
05 車と家のために就職
==================(後編)========================
06 新天地・東京でスタートのはずが・・・
07 母親へのカミングアウト
08 LGBT当事者との交流
09 お金大好き!
10 オープンに生きてみようよ

01寂しさを感じなかった生活

二人暮らし

幼少期は、北海道・札幌で母親と一緒に暮らす。

「母親が若いころに離婚して、そのあとにお付き合いした人との間に26歳のときにできたのが自分だそうです。でも母親はその人と結婚しなかったので、母親は自分のことを『バツイチ・未婚の母』だと言ってます」

「父親のことは名前も顔も何も知らないですけど、185cmのメガネをかけたサラリーマンの人だった、ということだけは聞いてます」

母親は歓楽街・すすきののバーで働きながら、自分を育ててくれた。

「ある日、保育園に母親が迎えに来たと思ったら、膝から血を流してた光景が衝撃的で、今でもよく覚えてます(笑)」

「酔っぱらって歩いてる途中に雪道でこけたらしいんですけど、それでも子どもを迎えに行かなきゃ! って、膝を真っ赤にした状態で来てくれたみたいです」

母親は昼夜問わず働くだけでなく、仕事が休みの日にはいろんな場所に連れ出してくれた。

「札幌に住んでたころには毎年雪まつりに行ってましたし、秋田にいたときには東北各地にある遊園地や動物園に連れて行ってもらいました。東北の水族館は制覇しましたよ!」

子どもを一人で育てながら働くことはさぞかし大変だったと思うが、パワフルでだれとでも仲良くなれる母親は、自慢の存在だ。

二人での生活を寂しいと思ったことはないが、小学生のころに母親の姿を探して、夜中に近所をさまよったことはある。

「夜に一人で寝ていて、目が覚めたときに母親がいなかったから、裸足で外に出たところを警察のお世話になったことは何回かあります。母親の携帯番号を覚えてたので、電話をもらった母親が急いで帰って来てました」

ひな祭りは随身で参加

保育園でのひな祭り。女の子の多くがお雛様の衣装に身を包むなか、自分は弓矢を携えてお殿様を守る「随身」の姿で参加した。

「写真では、胸を張って弓矢を構えてます(笑)」

弓矢を持つ姿がかっこいいから、と自ら希望したらしい。保育園側は事前に母親に確認を取っていたという。

「保育園の先生に『お雛様じゃなくても大丈夫ですか?』って聞かれたらしいんですけど、母親は『あの子のやりたいようにやらせてください』って答えたそうです」

自分では、男の子のやっているものをやりたい、という自覚はなかったように思う。

自分の好きなようにさせてくれた母親や保育園には感謝している。

なぜか秋田に引っ越し

札幌で数年を過ごしたのち、4、5歳のころに秋田に移り住んだ。

「正直、なんで道内でもなく、仙台とか都市でもなく、秋田だったのか? ってことは、今でもまだよく分かってません」

秋田に親戚がいたわけではない。

「大人になってから、『秋田に来たのって、ぶっちゃけ男が理由でしょ?』って母親に聞いたことがあったんですけど、そこは濁されました(笑)」

いろんな人と関わることが大好きで、歴代の彼女ともすぐに仲良くなるような母親だが、なぜか自分の男性関係の話になると話をうやむやにする。

02サッカーとの出会い

やんちゃな「女の子」

小学校に上がる前からずっと走り回っているような少女時代を過ごす。

元気いっぱいで外遊びが好きな性格は、小学校に上がっても変わらなかった。

「教室にいるのは授業中だけで、休み時間になったらすぐボールをもって外に飛び出してました。格闘系の遊びをするのも好きでしたね」

「屋内でやるおままごとかお絵描きとか、じっとしているような遊びは全然興味なかったです」

遊び相手は男子が多かった。

「男子と、もう一人活発な女の子がいて、その3人で遊ぶことが多かったかな」

小学校高学年のときに女子からいじめられていた・・・・・・ということを大人になってから知った。

「大人になってから同級生の女の子と会ったときに『覚えてる? ウチ、小学校のときいじめてたよね』って言われたんです。でも、自分には全然記憶がないというか、いじめられてたっていう認識がなくて(笑)」

言われてみれば、女子から無視されていたような気もする。

でも、もともとそりが合わない人との人間関係にくよくよ悩まない性格なので、いじめられていることにすら気づかなかったのかもしれない。

「なんかハブかれてるのかな? くらいは思ってましたけど、気にしてなかったですね(笑)」

サッカーのクラブチームという居場所

小学校4、5年生のときから、サッカーを始める。

「その前にミニバスケットボールを1年ほどやってたんですけど、地域の女子クラブチームに誘われてサッカーを始めました」

子どもから社会人まで所属する大きなサッカーチームが、自分の居場所になった。

「高校に入るまでそのチームに所属してました。みんなでワイワイできるのが楽しかったですね」

サッカーは、社会人になってもフットサルチームに入るなどして継続している。

「コロナ禍が明けて都内でも集まれるようになってからは、LGBT当事者のフットボールのコミュニティで、遊びとしてサッカーを楽しんでます」

03モテモテの中学生

スカートは、はかない!

地元の中学校に進学すると、制服問題に直面する。

「スカートは小学生のとき、写真館での撮影でドレスを着させられたとき以外ははいたことがなくて。スースーする、あの感覚が苦手なんですよね(苦笑)」

制服のスカートはもちろんはかなかった。

「寒い地域で、スカートの下にジャージをはいてる女の子っているじゃないですか。自分は、スカートははかずにスウェットをはいてました」

上はブレザー、下はスウェットで学生生活を過ごした。もちろん、先生に怒られた。

「せめてスウェットじゃなくてジャージにしろ! って言われてましたけど、寒いから嫌だ! って逃げてました(笑)」

「文化祭の日には『男女逆転だ!』って、自分のスカートを男子の友人にはかせて、自分はその男子のズボンをはいてみたこともありました」

なぜか先輩からちやほやされて

中学校に進学すると、テニス部やソフトボール部の女子の先輩たちからかわいがられるようになった。

「学校では帰宅部で、小学校のときと同じ地域のクラブチームでサッカーを続けてました。中学校のサッカー部ものぞいたんですけど、ミニゲームばかりの小規模なものでつまらなさそうだったんで、入りませんでした(笑)」

中学で部活に入っていたわけではないため、なぜ先輩たちからかわいがってもらえていたのかは、正直に言って今でも謎だ。

「接点はなかったはずなんですけどね。でも先輩とタメ口で話してましたし、メールアドレスも全員知ってましたね」

小学校のときから引き続き、同級生の女子生徒から冷遇されたが、こちらは気にならなかった。

「学校には男友だちや、自分をかわいがってくれる先輩がいるし、外にはクラブチームがあるし、全然平気でした」

初めてのお付き合い

人生で初めて彼女ができたのは中3のとき。

「相手は、当時流行ってたGREEとかmixiで知り合った、秋田県内に住む同級生の女の子でした」

最初は県内で花見デート。何度か一緒に遊ぶうちに、相手から「実は好きなんだ」と告白された。

「自分のことは男性として見てくれてたと思います。そのころは、私服で黙ってると男の子に間違われることもありました。まだ治療とかしてなかったんで声も高かったですけどね」

客観的には「女の子同士が付き合っている」と見られることもあっただろうが、そのことに対して思い悩むことはなかった。

「ただ好き同士が付き合ってるだけだし、って思ってました」

「外で手をつないでいても、男性と違って女子なら『仲のいい友だち同士なんだな』って思われるから気にならなかった、っていうのもありますね」

学生だった期間に男子から数人告白されたこともあるが、男性と付き合ったことはない。

04修学旅行先は自分たちで決める!

早々と進路決定

サッカーの腕を見込まれ、著名なアスリートを多数輩出している宮城県の東北高校からスカウトされた。

「中3に上がるころにはもう進路が決まってました」

秋田県外の私立高校へ進学して寮生活を送るとなると、いくら特待生とはいえ費用がかさむ。

そのため、高校進学に際しては奨学金を借りる必要があった。

「母親から、その高校に行くなら奨学金を借りなさい、って言われたときは、お金を稼ぐ大変さをまだ全然知らなかったですね」

高校生活のために結構な金額の奨学金を借りたが、それも無事、2024年中に返済終了予定だ。

グアムじゃなくて国内なら

高校の修学旅行先は、グアムと当初決まっていた。

「一人当たり十数万円も旅費がかかるってことだったので、ただでさえウチは学校に通うのだけで精いっぱいだから、自分は修学旅行に行きません、って学校に言ったんです」

クラスメイトのなかに修学旅行参加を希望しない生徒がいることについて、クラスで話し合いに発展した。

「みんなに『一緒に行こうよ!』と言われたので、『国内ならいいよ』と返したら、じゃあ自分たちのクラスだけ行き先を国内に変更しようということになりました」

行き先は、自分の行ったことのなかった大阪に決定。

「北海道は出身地だし、沖縄は自分が行ったことあったので却下しました(笑)」

さらに、大阪とよくセットとなる行き先である京都・奈良へ足を運ぶことはせず、行動範囲を大阪に限定することで交通費や宿泊費をさらに浮かせることに成功した。

「先生は学内での調整が大変だったと思いますけど、結果的に大阪にしてよかったです! グアムに行ったほかのクラスからも『あのクラスの修学旅行、すごく楽しかったみたい』ってうらやましがられました」

卒業写真の修学旅行のページは、ほかのクラスがグアムで撮影しているなか、自分のクラスだけは大阪での写真が掲載されている。

高校時代の楽しい思い出のひとつだ。

05車と家のために就職

専門学校に行こうと思ったけれど

高校卒業後は、専門学校に進学してスポーツインストラクターになろうと考えていた。

「クラブチームでサッカーをしてるときに、ストレッチや筋トレを教えるスポーツインストラクターが来ていて、こういう仕事があるんだって知りました。スポーツにずっと関われるし、この仕事がいいなって」

「サッカー選手になろうとは思ってなかったですね。クラブチームに所属してるときから、上には上がいるんだなってわかってたので」

ただ、専門学校に進学するには、さらに奨学金を借りる必要がある。

「そのときは車が欲しかったんです。車と専門学校を天秤にかけたときに、専門学校は何歳になっても進学できるし、車を選ぼう! と(笑)」

車の購入資金を貯めるために、就職に進路変更した。

「母親のお客さんのなかに、大工の親方をしているかたがいたんです」

もともと、祖父など親族のなかに建築関係の仕事に就いている人が何人かいた。

母親も、かつては図面を引く仕事を志していたことがあり、建築業界は身近なところにあった。

「『将来、自分の家を自分で建てたいな』って思ったので、そこから建築業界に入りました」

キャリアアップのためにはどん欲に

最初は、母親に紹介された親方のもとに体験がてらアルバイトとして入ってみただけだったが、実際に始めてみると仕事の面白さにどんどんのめり込んでいく。

「『家を建てる』と一言で言っても、そこには足場屋さん、塗装屋さんとか、いろんな業者が関わるんです。『今度はあっちの仕事もしてみたいな』ってあちこちの会社で働いたので、今は建築関連の基本的な仕事なら幅広くできるようになりました」

建築現場で仕事をしていて、体力やFTM(トランスジェンダー男性)であることに関して、挫折感を味わったことはない。

「もしできないことがあったとしても『絶対できるようになるから、見とけよ!』って思っていて。負けず嫌いなんですよね(笑)」

できないことができるようになれば、少しずつでも給料が上昇し、ステップアップにつながる。

「さすがに筋力のある男性に比べれば持てる重さは少なくなりますけど、そこらへんの男子よりは力はあると思いますし、体力にも自信があります!」

 

<<<後編 2024/09/13/Fri>>>

INDEX
06 新天地・東京でスタートのはずが・・・
07 母親へのカミングアウト
08 LGBT当事者との交流
09 お金大好き!
10 オープンに生きてみようよ

 

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