02 生理がきて突きつけられた現実
03 スカートをはく日々の始まり
04 性同一性障害という言葉と概念を知って
05 突然、男子の制服を着て登校
==================(後編)========================
06 周囲の理解に支えられて
07 修学旅行での事件と母へのカミングアウト
08 「男」への階段を駆け上がる
09 初めて社会から否定される経験を経て
10 僕がカミングアウトする理由
06周囲の理解に支えられて
学校の柔軟な受け入れ態勢
男子の制服を着ることを認めてくれただけでなく、その他にも、性的マイノリティへの理解を促進するための取り組みを、学校側は積極的に採り入れた。
過去には、男性から女性になりたいという、自分とは逆のパターンがあったと聞いた。その子はずっと男子の制服を着て登校していたそうだが、保健の先生からは「いろいろと参考にしたいから、協力してね」と言われたりもした。
実は、自分の制服のことがきっかけとなり、なんと制服に女性用のスラックスが導入されることになった。
「結構はいてくれる女の子、いたんですよね」
また、保健の先生に呼ばれ、「『3年B 組金八先生』で性同一性障害の役のモデルになった、虎井まさ衛さんという人がいるんだけど、これを機に講演に呼んでみようと思うけど、どう? 嫌じゃない?」と相談されたことも。
「それで虎井さんが来てくださって、全校生徒の前で、自分の歴史や今までのことを話してくださったんです」
トイレも、教員用の女子トイレを1人だけ使わせてもらっていた。
「すごい端っこにあって、先生すらもあんまり使わないようなトイレでしたけど(笑)」
大事な仲間たちとの高校生活
高校時代の写真には、ワイシャツにネクタイを締め、ズボンを腰まで下ろしてパンツを見せた ”腰パン” スタイルの陸さんが、いわゆる『ギャル男』っぽい雰囲気の男の子たちと楽しそうにつるんでいる姿が収められている。まったく、違和感がない。
「いつも一緒にいる男友だちとで、『ぱいおつ』ってグループを作ってたんですけど(笑)。授業中にスカートの間から見えるパンツを探したりとかして、『ちょっと陸、こっち来て~、見てみる?』とか、そんなことばっかりしてました(笑)」
男友だちと馴染むための秘訣は、初めにきちんと自分の気持ちを伝えること。
「友だちになる時に、最初から、自分はこういう人だと言いました。『分かってると思うけど、男としてふつうに扱ってくれていいから』って」
「伝えられたことで、もしかしたら相手はびっくりしたかもしれないけど、気にせずに接していたら、どんどん仲よくなっていったって感じですかね」
彼女もできた。
最初はテニス部の後輩と付き合い、別れた後は、同級生と付き合った。
どうやら学校に自分のファンクラブがあったということを、後から自分を慕う女の子に聞いた。
付き合った女の子たちから、自分のセクシュアリティについて何かを言われたことはほとんどない。
みんな自分のことを理解して受け入れてくれていたと思うし、周囲も付き合っていることを知っていた。
同級生の彼女とは高校を卒業した後も付き合ったが、お互い進学し、新しい環境に置かれて考えが変わったりということで別れた。
自分のセクシュアリティのことは特に理由とならなかった。
07修学旅行での事件と母へのカミングアウト
「男になる」ことへの強い決意
学校の受け入れ態勢の柔軟さや、自分から最初に友だちにきちんとセクシュアリティを伝えておく対応、それに性格もあってのことか、学校生活で、自分のセクシュアリティが原因で嫌な思いをしたことがない。
そのためか、あまり自己否定せず生きてこられたと思う。
「治療するんだ、戸籍の性別も変更するんだって決めていて迷いがなかったから、自己否定もしないようにしていたんだと思います」
手術のやり方も、費用も、どこでできるかも、全部自分で調べ、部活のかたわらガソリンスタンドのバイトでお金を貯めた。
「情報もみんな簡単には教えてくれないんですよ。インターネットで知り合った人も、病院とかなかなか教えてくれない。自分で調べろという人が多かった。ブログを読んでも、『最近のやつらは自分で調べもせず、すぐ人に聞く』って書いている人もいました」
「だからやっぱり、自力で調べてましたね」
修学旅行で担任から受けたショックな対応
高校で初めて壁にぶち当たったのは、修学旅行でのことだ。
仲のよい『ぱいおつ』メンバーと一緒に行動していたが、ホテルは男女別の部屋割り。ぱいおつメンバーとは一緒になれなかった。
しかし夜に『ぱいおつ』メンバーから招集がかかったため部屋に行き、一緒に過ごしていたが、そこに担任が見回りに来て見つかってしまう。
「『なんでお前がここにいるんだ!』って、スリッパで思いっきり叩かれたり、本当にわけが分からないぐらい怒られて。え、なんで?って感じだったんですけど」
「結局、誰も使っていない1人部屋に閉じ込められて、お前はここにいろと言われて」
担任からは「何かあったらどうするんだ!」と言われた。
担任が顧問を務める野球部の部員が『ぱいおつ』メンバーにいたこともあり、おそらく、女性が男性の部屋に行っているということでのトラブルを考え激怒したのだと想像するのだが、釈然としない気持ちは今も残る。
「担任はちゃんと自分の事情も知っていたはずなんですよ。なのに、どうしてあんなに怒られなきゃいけなかったのか、今でも理解できない。あの時は本当にショックで、寝られないし、朝ご飯も食べられませんでした。
この一件がきっかけとなり、後日、学校に母親が呼ばれ、今後のことを話し合うこととなった。
「保健の先生と担任と、自分と母親が同席して、初めてきちんと自分のセクシュアリティのことを話し合いました」
「『男に戻れるように、これから治療をしていきたいし、名前も変えたい』、と伝えたら、母は『分かってたよ』って。『りなから言ってくれるのを待ってた』って」
08「男」への階段を駆け上がる
ホルモン治療開始と改名
母へのカミングアウトを済ませ、気持ちもスッキリしたところで、”一秒でも早く治療を始めたい” という思いがさらに強くなる。
まずは、あらかじめ調べておいた、性同一性障害の診断書を一日で出してくれるクリニックで診断書をもらい、その後、ホルモン注射へ。
事前に自分で病院に行きパンフレットもらい、それを母に見せ、説明した。
カミングアウト後、母は協力的で、治療について特に否定されたり、ダメだと言われたことはない。
ホルモン注射には保護者の同意が必要だったので、母を連れて病院に行ったところ、「今日から注射打てるけど、どうしますか?」と聞かれる。
「まさかその日に打てると思わなかったのでびっくりしちゃって。こんなにすぐ打てるんだって」
「でかい注射器に入れるのかと思ったらこんな小さな注射で。この小さな透明の液体から、どんな変化が起きるんだろうってドキドキした感じを今でも覚えてます」
「2回目に注射を打ってからちょっと声が出しづらくなって、みんなに『風邪ひいてる?』って聞かれました。注射を打つたびに変わっていくのを実感して、最初の10回ぐらいはすごい楽しかったです。男になっていくのが嬉しかった」
改名についてもカミングアウト翌日から調べ始め、自分で申立書を書き、裁判所に行った。
新しい名前は、呼ばれ慣れた「りく」にした。
3年生に進級するタイミングで学校での名簿をすべて新しい名前に変えてもらい、「浅倉陸」として卒業することができた。
乳腺切除と性別適合手術
卒業後、専門学校1年生の時に、都内の病院で乳腺切除の手術をする。
手術には、ガソリンスタンドのアルバイトで貯めたお金を充てた。
性別適合手術はその翌年の12月。学校の長期休暇の間に、単身、タイに飛んだ。病院はインターネットで調べ、自分で見つけた。
乳腺切除手術をした病院の先生が紹介してくれたタイの病院の日本人スタッフにお世話になりながら、手術に臨んだ。
アテンド会社を経由しない分、費用を抑えることができた。
誕生日の2日前にタイに入り、翌日手術。
二十歳の誕生日は、手術を済ませた身体で迎えた。
09初めて社会から否定される経験を経て
大学受験でぶつかった社会の壁
順風満帆に見える22年間だが、実はセクシュアリティのことを理由に大学入学を断られる経験をしている。
小学校の頃からヘルニアに悩まされてきたのもあり、最初は作業療法士の資格が取れる大学を目指した。
入学説明会の時に事情を話し、男性として大学に通いたい旨を伝えた。
大学側からは、「大丈夫ですよ、こちらで配慮します」という返答。
しかし受験後、不合格通知を受け取る。
その直後、知り合いだった、その大学とつながりがある医療関係の会社の社長から呼び出される。
「なんだろう? と思って行ったら、『陸くん、不合格だったでしょ?』って言うんです。『大学側が、女性として通うならいいって言ってるんだけど、どう?』って」
「即答で、『嫌です』って断りました」
つまり、試験は合格点だったが、初めから男性として通いたいと希望を出していたから不合格にした、ということだった。
怒りと、自分が否定されたのを感じた。
それまでは、修学旅行で嫌な思いをしたことはあったけれど、概ね、周囲の理解に支えられ、受け入れられ、順調に男性としての歩みを進めていたはずだった。
だけれど、大学入学で初めて社会からシャッターを下ろされて、拒絶されたのだ。
「悔しかったですね。なんでだろうなって。でも、だからこそ治療に火がついた。早く、ちゃんと男性に戻したいなって」
この一件で、まだまだLGBTに対して理解が進まず、偏見を持っている人もいることを実感し、日本という国自体が嫌になってしまった。
だが同時に、将来は同じように困っているLGBTの人たちの手助けができれば、という思いも芽生え始めた。
誰も、まったく気づかないのに
大学を諦め、改めて進路を検討しなければならなくなった時、父の仕事を手伝おうとも思ったが、母から「専門学校でもいいから何かしら学校は行きなさい」と言われてしまう。
作業療法士の専門学校はまだ募集があったが、母が飲食業ということもあり、調理系の学校も楽しいかもしれないと軽い気持ちで調理の専門学校の体験入学に行ったところ、自分のセクシュアリティを話すとすんなりと受け入れてくれたので、そのままとんとん拍子で入学することに。
もちろん、男性として、だ。
実は今も、専門学校時代の友だちは、自分のセクシュアリティを知らない。
あえて言おうとは思わなかったし、言いたくもなかった。男性としてみんなが見てくれてるのならそれでいいじゃないか、と思っていた。
逆に、まったく気づかれないことで、男としての自信もできた。
卒業後は、レストラン経営の会社に就職。
就職活動中はまだ戸籍変更が完了していなかったが、入社までには間に合い、公に男性として入社することができた。
フレンチレストランでの勤務のかたわら、恋人もできた。
この職場を、もうすぐ退職する。
退職理由を上司へ伝える際、初めて自分が過去、女性だったことを話した。なかなか伝わらず、「えっ? 女性になりたいの?」と勘違いされるほど、環境に自然に溶け込んでいた。
彼女にも付き合ってすぐに話したが、びっくりするほど無反応だった。
どういう意味か分かっているか確認すると、「陸さんが女性だったってことですよね。でも、陸さんは、陸さんだから」と、まったく意に介さない。
自分から言わなければ、誰も自分が「元女性」だったなど気づかない。
それなのに、なぜ、今、公表しようとしているのだろう。
10僕がカミングアウトする理由
自分の中の偏見も解いていく
「やっぱり、今の日本のLGBTの現状には、窮屈な部分が多いから」このままで生きていても何も変わらないと思った。
言いたくない人ももちろんいるのは知っている。
しかしカミングアウトしたところで相手にとっては何も変わらない。
それならば、機会があるなら発信して、セクシュアリティのことで困っている人の目に留まって、何か少しでも勇気づけられたらいいと思う。
「今までは、彼女ができても、自分がFTMということをちょっと気にしていた部分はありますね。彼女は受け入れてくれても、やっぱり周りの目とかが気になって。彼女が気にしてるんじゃないかって勝手に思ってました」
「普通に男性として生きられているのに、元女性でしたってオープンにするのも、彼女が何か矛盾を感じないかなあと考えたり」
少し前までは、ネットで「元女性でした」と書いている人がまったく理解できなかった。
「なんでわざわざ書くんだろう」、「男に変わったんだから言う必要ないんじゃない?」と思っていた。
しかし、SNSで自分のプロフィールにFTMと書いたりしていると、知らない人から相談を受けることもある。
「どうやって治療されましたか、とか、学校でどういう風にしてましたか、とか。やっぱり悩んでる子がいるんですよね」
最近、LGBTの友人が増えた。
カミングアウトした上でアクティブに生きている人たちを見て、堂々としているのは別に悪いことじゃないと思うようになった。
「実を言うと、昔はLGBTの友だちって作りたくなかったんです。自分で勝手に ”そっちの人” ってラベリングして、『なんでふつうの男なのに群がんなきゃいけなんだ』って思ってた。
今はそんなことまったく思わず、誰とでも仲よくできるようになってますが(笑)」
自分のこれまでのことをオープンにし、新たな仲間ができることで、世の中には多様な価値観や生き方があることを知った。
それにより、自分自身が持っていた ”偏見” も解かれていったのだ。
誰だって、自分らしく
過去の自分も、今の自分も、みんな同じ、自分である。
自分のことを受け入れられない人間には、他人を受け入れることなどできないと思う。
人間は本当にひとりひとり違っていて、セクシュアリティに関わらず、結局はその人の性格、人間力が、人間関係を作っていく。
だから、広い目で見たら、セクシュアリティの問題は実はそんなに大したことではないのではないかと思っている。
そんな思いをベースに、陸さんは世界へと語りかける。
世界中のみなさんへ
与えられた一度きりの人生
自分らしく生きること
自分で人生を選択出来ることが
大きな幸せだと感じています。
これはLGBT限らず全ての人にも言えることだと思います。
1日1日を大切にし
今日より明日、より良い自分に出会えるように。
私はそんな生き方を心がけています。
浅倉 陸
自分を信じ、自分で選び取ってきたからこその揺るぎない自信がある。
「本当に、人に恵まれていますよね」と最後に伝える。返ってきたのは、確信に満ちた笑顔だった。
「はい。これからも恵まれる自信があります(笑)」