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HIV陽性でありゲイである自分に誇りをもち、死と生についてポジティブに考えたい。【後編】

HIV陽性でありゲイである自分に誇りをもち、死と生についてポジティブに考えたい。【前編】はこちら

2025/01/02/Thu
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
加藤 力也 / Rikiya Kato

1968年、北海道生まれ。小学校低学年の頃、自分が好きな相手は同性だと気づく。大学生になるまでゲイであることを隠し続けていたが、19歳のとき、初めて同じセクシュアリティの男性と出会い、ゲイ・コミュニティに足を踏み入れる。33歳でHIV感染を告知され、服薬を開始する。35歳からはHIV陽性者や周囲の人を支援するNPO法人ぷれいす東京で、自身の経験を語るスピーカーとして講演を行い、現在は同団体の理事を務める。

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INDEX
01 「男らしくしなさい」
02 ゲイだとバレない立ち位置を探していた
03 つらいときに救ってくれたのは音楽
04 自分以外のゲイとの出会い
05 カミングアウトの前に考えるべきこと
==================(後編)========================
06 HIVを理由に解雇宣告
07 名前も顔も出してダブルカミングアウト
08 マイノリティを “排除” しない社会へ
09 HIVの発見は早いほうがいい
10  人生には期限があるから

06 HIVを理由に解雇宣告

検査イベントでHIV陽性に

1992年、23歳のとき、初めてHIVを身近なものとして感じた。

アカーの合宿に参加していたとき、メンバーのひとりが「感染した」と打ち明けてくれたのだ。

「これから自分はHIVであることを社会に対してカミングアウトしていくから、その前に皆さんに伝えておきたいと思って、って言われたんです」

「その人は自分と同い年だったし、一緒にLGBTQのことを考えていた仲間だったので、一気にHIVが身近なものに感じました」

「しかも当時はまだ治療法がない時代だったし、もしかしたら、この人も数年後には亡くなってしまうかもしれない、と思ったら、すごいショックが大きくて・・・・・・」

「たぶん、その後に自分の感染を知ったときよりもショックが大きかった気がします・・・・・・」

そう、その10年後に自分も感染してしまう。

「HIVの検査イベントに友だちと遊びに行ったんですよ。2日間のイベントで、1日目に採血して、2日目に結果を聞くっていう」

「2日目に友だちと結果を聞きに行ったら、自分だけ別室に連れてかれて、ドクターから告知をされて、説明とかがあって、なかなか外へ出ていけなかったんです」

「友だちは陰性だったんで、すぐに外へ出られたんですが・・・・・・。自分がなかなか出てこなかったので、友だちも、もうわかってるなって」

最初にカミングアウトしたのは、そのとき一緒にいた友だちだ。

 HIVは自分だけの問題ではないと弁護士に相談

「感染したと知ったときは・・・・・・まさかと思ったところもあるし、やっぱりかと思う気持ちもあった。思い当たることもあったし・・・・・・」

感染が発覚してから3日後には通院を始め、障がい者認定の手続きを経て、2カ月後から服薬をスタートした。

「アカーの仲間からカミングアウトされてから10年後、HIVの研究も進み、治療法もできたし、すぐに死ぬことはなくなったし、時代は変わったと言えるんですが、社会のHIVへの意識は、あんまり変わってなかったと思う」

「病気のことを会社に伝えたら、不当解雇されそうになったんです」

勤めていたのは食品加工会社。

役員から「なにかあったら、顧客に対して責任がとれない」と言われた。

しかし、ここで泣き寝入りするわけにはいかない。

これは自分だけの問題ではない。

同じようにHIV陽性者が現れたら、同じような目にあうかもしれない。

「それで弁護士に相談したら、『解雇だなんて言ってません。あなたの体が心配だから別の部署に異動を提案しただけです』と言われてしまって」

しかし異動した先の部署では、ルーティーンしか与えられず、残業もさせてもらえず、ひとりだけ定時に帰らされた。

「あの人だけなぜ」と噂がたっても、病気のことは周りに言うなと会社から口止めされていたため、次第に部内で孤立してしまう。

「仕事がないからモチベーションも下がるし、職位や給料は変わらないという取り決めだったのに結果的に給料が下がって、賞与もなくなるし・・・・・・。いまなら、なんですぐに辞めなかったんだろうって思いますけどね」

「4年、意地でその会社にしがみつきました」

07名前も顔も出してダブルカミングアウト

不当解雇されそうになった経験を

現在、理事を務めているNPO法人「ぷれいす東京」の門を最初に叩いたのは、HIV陽性がわかってすぐのことだった。

「いきなりアポなしで行っちゃって。本当は予約をとらなきゃいけないので、迷惑をおかけしてしまったんですけど(笑)」

「それでも、対応していただけて、感染がわかって間もない人のためのプログラムに参加するように勧められました」

そしてその数年後には、自分もかつて参加した新陽性者のためのプログラムのファシリテーターをボランティアとして務めることになった。

同時に、講演会などで自分の経験を話すスピーカーとしての活動を開始。

当初は、実名は出さず、取材などでは顔の撮影も断っていた。

「スピーカーの依頼で多かったのが、陽性とわかったときの職場での経験を話してほしいというもの。解雇されそうになった、って話です」

「それは伝えなければならないことだなと思って、お受けしてました」

「でも、実名と顔を出すのは怖かったんですよね」

ゲイでありHIV陽性だとカミングアウト

ぷれいす東京の研究事業を手伝うことになり、さらに数年後には正式なスタッフとなり、徐々に名前も顔も出すようになっていった。

「同じ団体のなかで、名前も顔もオープンにして活動されている人がいたんですよ。その姿勢を見て、インスパイアされたのもあります」

「あと、自分が実名を出して活動したところで、何か影響があるかと冷静に考えてみたら、ネガティブなことは考えられなかったんです」

「陽性者が支援の仕事をしてるっていうのは、団体にとっても大事なことだし、スタッフという立場上、この姿勢は守っていかなければと考えました」

名前も顔も出してスピーカーとして活動できる陽性者は少ない。

地元では話せない。実名だけは伏せてほしい。
さまざまな事情があって、フルオープンにはできない人が多い。

それはつまり、陽性者に対する偏見が根深いことを示している。

「HIVが発見されて30年。不治の病ではなくなっても世の中のHIVへのスティグマ(偏見や差別)って変わらないんだ・・・・・・って」

「じゃあ、変えるためにはなにをしたらいんだろう、っていうと、やはり多くの人にリアリティをもってもらうしかないんです」

「本当に小さな一歩なんですけど、自分が名前も顔も出して陽性者ですって公表して、それを聞いてくれた人だけでも知ってもらえたら」

スピーカーとしての活動を続けて20年ほどの月日が経つ。

最近では、学校などで10代の子どもたちに話す機会も増えてきた。

「HIVの話をするときは、併せてセクシュアリティの話もします」

「子どもたちが将来、LGBTQ当事者に出会っても、自分の話を聞いたことで『まぁ、初めてじゃないし』って戸惑わずにいられるかもしれない」

「HIVとセクシュアリティのダブルカミングアウトをしてます」

08マイノリティを “排除” しない社会へ

検査を受けることが一番大事

HIV陽性者として講演会で必ず話すことのひとつに、現在の治療環境についての情報などがある。

「薬は飲むだけじゃなく注射することもできますよ、とか、きちんと服薬して、ウイルスが体内から検知されない状態になったら、相手にうつすこともなくなりますよ、っていうことも伝えます」

「HIVはゲイの病気だって思っている人はまだまだ多いみたいですが、ヘテロセクシュアル(異性愛者)にも陽性者はいらっしゃいます」

「そんな陽性者のなかには、結婚して、子どもをもうけている人たちもいるんです。そういうことまで知ってる人は、少ないんじゃないかな」

中高生に話すとき、もっとも伝えたいこととは。

「やっぱり、検査を受けることが一番大事だってことです」

「検査をしなければ感染したことがわかりにくい病気だし、定期的に検査したほうがいいってことは伝えるようにしています。保健所なら、無料で匿名で検査を受けられるってことも併せてお話しします」

ゲイはマジョリティなのだと気づいた

「自分が中高生だった時代よりは、LGBTQのこともHIVのことも、聞いたことがあるって子どもは多いと思います」

そこで大切なのは、セクシュアリティにしても病気にしても、自分と異なる人を排除する方向には進まないでほしいということだ。

「一人ひとり違うのが当たり前だし、違う人たちが一緒に共存できる社会は誰にとっても住みやすい社会だと思うから」

「自分と違うからと排除してしまったら、その閉じられた社会で、今度は自分が排除されるかもしれない、という可能性も考えてほしい」

自分はマイノリティだと思って生きてきた。
しかし、LGBTQのなかで、ゲイはマジョリティなのだと気づいた。

いま、さまざまな活動を通して、レズビアンやバイセクシュアル、トランスジェンダー、ノンバイナリーなど、自分とは異なるジェンダーやセクシュアリティの人たちと接する機会が得られている。

「自分自身も、ゲイ以外のセクシュアリティの人たちを差別していないかって、ちょっと立ち止まって考えることもあります」

「以前は、ゲイだけの合唱団に所属してたんですが『みんな同じだ』と思ってると齟齬が生まれてしまうんです。ケンカしたり、分裂したりとか」

「そうじゃなくて、最初から『みんな同じだ』なんて思い込みをせず、ニュートラルに相手と接することがとても大事なんだ、といますごく思うんですね。それがすごいラクで、楽しいなって、感じてます」

09 HIVの発見は早いほうがいい

HIVへの恐怖心と検査を受けることへの不安

スピーカーとして幾度も講演会を重ねていくと、世代によって、HIVに対する認識が異なるのでは、と感じることがある。

「中高生であれば、学校の保健の授業でHIVのことを学べる機会もあるそうで、治療する薬があることを知ってる子もいるんですね」

「でも中高年になると、ネガティブなイメージが強いようで。感染したら死んじゃう、とか、病気のせいで酷い見た目になっちゃう、とか」

「だから検査を受けること自体が怖いし、結果を知るのもすごい怖い、って人が結構いらっしゃるようで・・・・・・」

「その結果、発症してしまって、発見が遅くなって、余計に治療が大変になってしまう、というケースも」

恐怖心や不安を少し拭うことができたらと、もしもHIV陽性だった場合に、どのようなリスクがあるのか、治療にどのくらい費用がかかるのか、仕事はできるのか、生活で気を付けるべきことはあるか、などを伝えていく。

それは、HIV陽性者である自分の役目だと考えている。

「繰り返しになりますが、検査を受けることが大事」

「早く知って、早く治療を始めることがメリットだってことを伝えたい」

世の中のLGBTQへの意識

HIVの支援活動を続けて20年、LGBTQの活動に参加してからは32年経つ。

長い月日のなかで、変わらないままのものもあるが、明らかに変わったと思えるものもある。

「LGBTQという存在が世の中で認識されて、それについてちゃんと考えなきゃいけないよね、っていう動きがあるのはとてもいいことだと思います」

「自分が中高生だった頃は、存在さえ知らず、自分だけかもって思いながら生きていたから。仲間がいるかもしれない、って思えるだけでも希望がある」

思春期からずっと、同性を好きになるなんて自分だけだと思い込み、そのことは誰にも言えない最大の秘密だった。

しかし、HIVの感染がわかったとき “秘密の優先度” は変わった。

「陽性であることのほうが重大になって、ゲイだということは、どうでもいいとは言わないけれど、知られてもいいやって思えるようになりました」

「もし知られたとしても、悪いことをしているわけじゃないし、誰かになにか言われる筋合いはないって」

「世の中のLGBTQに対する意識が、変わってきたからかもしれないです」

10人生には期限があるから

音楽と旅行と動物

活動を続けているなかで、ストレスから精神的に落ち込むこともある。

カウンセリングを受けて治療したこともあるが、そもそもストレスを解消する術を身につけることも大切だ。

現在のストレス解消は3つ。
LGBTQ混声合唱団と旅行、そして動物との触れ合いである。

「旅行はすごく好きですね」

「昨年、シドニー・ゲイ・アンド・レズビアン・マルディグラに合唱団として出演するためにオーストラリアに行ってから、台湾へ行ったり、札幌へ行ったり、現地のパレードを歩いて、観光もして、みたいなことをしてます」

「あとは、アニマルセラピーって言うんでしょうか、動物と触れ合うことで、癒されているところがあるなぁって思います」

実家では犬を飼っていたことがあり、自宅に猫が住み着いたこともあった。

いつかはパートナーと一緒に暮らして、犬を飼うことが理想。
犬であれば、旅行に連れていくこともできるのでは。

「ともあれ、パートナーをつくるよりも、ワンちゃんを飼うことのほうが、どっちかというと現実的かもしれないです(笑)」

「どう死ぬか」は「どう生きるか」

犬と暮らす生活を夢見ると同時に、この先を見据えたとき、思うことがある。

「人生には期限があるなぁって」

「HIVだとわかったとき、自分は身近にいる誰よりも先にいなくなるんだって思ったんですけど、気がついたら、たくさんの人を見送ってきたんですよ」

「主治医も亡くなったし、親友も亡くなって・・・・・・。大事な人がどんどんいなくなっていく。そう思うと、自分がいなくなったときに、残された人がなにも背負わなくていいようにしたいなって」

言い方はよくないかもしれないが “きれいな死にかた” もしくは “スマートないなくなりかた” を考えるようになった。

いわゆる終活もしたほうがいいと思ってはいるが、自分のことよりも先に両親のことをやるべきだという気持ちもあり、先延ばしにしている。

「とはいえ、ずっと一緒にいると思っていた人が突然いなくなることはある」

「それがいつ誰の身に起きてもおかしくない。その時期は自分では選べないかもしれないから・・・・・・。そう考えたら、いろいろ準備しなければならない時期なんだろうなとは思います」

「・・・・・・と言いながら長生きしちゃったらどうしよう(笑)」

そもそも、死ぬときのことを考えるのは、ポジティブな思考だ。

「死を考えるのは生を考えることだと思います。どう死ぬべきかって考えるとき、どう生きるかってことを同時に考えるんで」

どう生きてきたかを思い返し、これからどう生きるかを考え、来世を想う。

「いままでの人生、やり直したいことはあるけれど、セクシュアリティについては変わらなくてもいいかなって思います。また、ゲイで生まれたい」

「ゲイだったから考えたこともいっぱいありますし」

HIVになったからこそ、いままで考えなかったことを考えるようになった。
出会えなかった人とも出会えた。

「そうしていまの自分がある。だから、そこは否定したくないかなって思いますね」

 

あとがき
対話する相手の状況、おもいに最大限の想像力を尽くすこと。それは力也さんの経験が物語る。力也さんとの会話は、まるで罪をゆるしてもらえる場のような感じがして(特に大罪はないはずだけど)、取材後、うまくはいかなかったあれこれを思い出しながら帰った■人はたいがい、他人と違うと感じるマイノリティ性を持っている。D・カーネギー「避けられない運命には調子を合わせる」。力也さんの声を届けたい。最新の正しい知識を知ろう! 検査に行こう!! 道はあるよ!!! (編集部)

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