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MTXというカテゴリーに捉われない、オールマイティな自分でいたい。【後編】

MTXというカテゴリーに捉われない、オールマイティな自分でいたい。【前編】はこちら

2019/06/08/Sat
Photo : Rina Kawabata Text : Ryosuke Aritake
今泉 憲人 / Norihito Imaizumi

1974年、宮城県生まれ。2歳半からピアノを始め、小学生の頃はスイミング、習字、英会話と、さまざまな習い事をこなす日々を送る。名古屋芸術大学を卒業後、音楽留学で2年間フランスに滞在。帰国後、さまざまな職業に就きながらピアノを続け、現在はピアノ販売業に従事。2007年に結婚し、2児の父でもある。2018年12月からホルモン治療を開始。

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INDEX
01 厳しい母親と習い事だらけの日々
02 不条理ないじめと「好き」の気持ち
03 男である自分と男の嫌な部分
04 人生初の彼女と内緒の交際
05 反対された進路と揺るがなかった意志
==================(後編)========================
06 念願の音大生活とバイセクシュアルかもしれない自分
07 輝かしい海外生活と失って気づいた愛情
08 思いがけない同棲と家族のいる生活
09 トランスジェンダーと父親の狭間
10 秘めたままの想いと抱いている夢

06念願の音大生活とバイセクシュアルかもしれない自分

執念のピアノコース

「名古屋芸術大学のピアノコースは落ちて、最初は音楽教育コースで入ったんです」

しかし、ピアノへの熱は冷めず、2年生で転科試験を受けて、ピアノコースに移る。

当時はアップライトピアノを持っていたが、本格的なグランドピアノが欲しかった。

「母は『ピアノの何が違うの?』って理解してくれなかったので、自分でバイトして、お金を貯めました」

2年生までに100万円貯をめ、親に30万円だけ出してもらい、グランドピアノを購入。

住んでいた物件は「ピアノ可」だったため、思いっきり練習した。

「ただ、朝から弾いていたら、隣の人に『時間を決めて練習してくれ』って言われちゃって(苦笑)」

朝は大学で練習し、夕方16時半から21時まで家で練習する日々が続く。

「その頃は、将来の夢ってなかったです」

「ピアノだけで生活していけないことは、薄々感づいていたから、教職課程は取ってましたね」

勉強熱心な彼女の影響

2年生の時に、女の子とつき合い始めた。

「『留学したい』って言っている彼女に感化されて、僕も留学資金を貯め始めました」

「親に『卒業後は留学したい』って言ったら、『何しに行くの』って怒られましたけど(苦笑)」

声楽コースだった彼女は、ルーマニアやイタリアを目指していた。

自分はどの国で、何を学ぶか、考える。

「ハンガリーに姉妹校があって、ほとんどの学生はそこに行くんですよ」

「でも、僕はみんなが行くところには、行きたくなかったです」

交流のあった声楽の教師が「フランスにいい学校があるよ」と、教えてくれた。

バイセクシュアルの可能性

その彼女とは、1年ほどで別れてしまった。

4年生の時には、別の女の子とつき合った。

「恋愛対象は、女の子に向いてましたね」

「でもある日、ゲイの友だちから『君ってバイじゃない?』って言われたんです」

そのゲイの友だちは、大学受験の会場に出会い、入学してからずっと仲良くしている人。

どこを見て、そう思われたのかはわからない。

当時の自分は、白いサテンのシャツを着て、8cmのヒールをはき、中性的な雰囲気で過ごしていた。

そのファッションを見て、バイセクシュアルだと判断されたのかもしれない。

「でも、言われた時には違和感がなくて、そうかも、って思っちゃったんです」

一度だけ、ゲイの友だちと関係を持ったことがある。

「不思議な感覚でしたけど、嫌ではなかったんです」

「友だちには『普通だったら反応しないよ』って、言われました(笑)」

07輝かしい海外生活と失って気づいた愛情

キラキラのフランス留学

大学を卒業して半年が経つ頃、音楽留学でフランスに渡る。

南フランスのモンペリエに向かい、日本人留学生もいるというモンペリエ大学に通い始めた。

「初めての海外で、最初は寂しかったですね」

「最初の1週間はホテルに泊まって、部屋を探したんです」

あまりの寂しさから、親に「明日部屋が見つからなかったら、帰国していい?」と聞くと、「いいよ」と言ってくれた。

「でも、その次の日に部屋が決まって、『とりあえず1年頑張るわ』って伝えました(笑)」

「音楽の言葉って世界共通だから、レッスンの内容は大体わかりましたね」

「でも、日常会話ができなくて困りました。ピアノの先生は日本語も少し話せたから、なんとかなったんですけど」

そんな困難も含めて、大学生活と留学生活がもっとも輝いていたと思う。

「現地で中古の自転車を買って、ワインカーヴを巡ったりしましたね」

「夏は夜明けが早くて日没が遅いから、朝4時ぐらいに出発して、22時くらいまで1人旅をしたり」

途中でパリ近郊の学校に移り、結果的に2年間、フランスで過ごした。

夜逃げ同然の家出

帰国後は、新潟の実家に戻った。

親には「家にピアノを置いちゃダメ」と、言われてしまう。

「父からも母からも『新潟で就職しなさい』って、言われましたね」

「日雇いのバイトをしながら、将来を考えていた時に、Aolのチャットで東京の人と知り合ったんです」

府中に住んでいたその人は、「良かったら東京に来ない?」と、誘ってくれた。

その言葉に背中を押され、上京することを決める。

「引っ越しの準備をしていたら、両親がすんごい怒って、父にも『お前なんて勘当だ』って言われました・・・・・・」

「でも、東京に出たかったから、レンタカーに荷物を詰めて、夜逃げ同然で家を出ました」

両親がかけてくれた言葉

家を出た半年後、父が急性くも膜下出血でこの世を去った。

「家を出てから、まったく会話してなかったんですよね」

その2年後、母の体にガンが見つかり、2年間の闘病の末、他界した。

両親が亡くなってから、思い出した言葉たちがある。

「中高生の頃、母が『子育てを1年するごとに、私も勉強になってる』って、話してたんです」

「大学時代には、よく『あんたがいて良かったよ』って、言ってくれていました」

留学を終えて帰国した時には、父からこう言われた。

「大学進学や留学で家を離れてから、お母さんは毎日お前の話をしてたんだよ」

ほとんど自覚したことはなかったが、母は深い愛情を注いでくれていた。

「若い頃はうざったいと思ってましたけど、亡くなってからありがたさを理解しました」

08思いがけない同棲と家族のいる生活

なし崩し的な始まり

東京に出てからは、不動産仲介業など、さまざまな仕事に就いた。

12年前、楽器店で働いている時に1人の女性と出会う。

「ギターを買いに来たお客さんのつき添いで来ていた女性と、知り合ったんです」

「最初、恋愛的な興味はまったくなかったんですよ」

いつしかプライベートでも会う仲になっていた。

「彼女が『家を出ないといけないから、物件を探してるんだ』って、言ってたんです」

「不動産業界にいた経験があったから、僕も手伝いました」

しかし、条件に合う物件はなかなか見つからない。

「僕は3DKの部屋に住んでいて、ひと部屋余ってたから、ルームシェアを提案したら、彼女はすぐに『行く』って返事をくれました」

「その後だったかな。夜に電話で、『好き』って言われてしまって」

「彼女はそのまま僕の家に来て、同棲生活が始まりました」

子どもがもたらしてくれたもの

彼女には人としての好意を抱いていたため、自然と恋人関係になっていく。

「11年前、僕が33歳の時に子どもができたんです」

2人で子どもを育てていくことを決め、入籍した。

「住んでいた部屋の更新時期が迫っていたので、『これを機に引っ越そうか』って話になったんです」

「もともとは賃貸の予定だったんですけど、後々のことを考えて、買うことにしました」

価格の上限を3000万円に設定して探すと、当時住んでいた立川では見つからなかった。

「埼玉の所沢までは3000万円を超えたけど、狭山に行くとすごく安かったんです」

物件を見つけてすぐに内見に向かい、周囲の環境を確認して、翌日には契約した。

「出産予定日が近かったから、上の子の誕生記念で買った感じですね」

第1子は、女の子だった。

その4年後、第2子の男の子が産まれる。

「4人とも家族が大好きで、仲良しだと思います」

「僕も普通の父親として、生活を送ってました」

09トランスジェンダーと父親の狭間

しっくりきた女性ものの服

30代後半に入り、社員旅行の道中で転機が訪れる。

行きのバスの中で、「女装が一番似合うスタッフは?」というアンケートが実施された。

「その第1位が、僕だったんです」

「実際に女装をすることになって、女性社員にメイクをしてもらいました」

「タイトスカートをはいた時に、妙にしっくり来たんですよね。なかなかいけるじゃんって」

学生の頃から変わらず、男性ものの服に対する嫌悪感は持ち続けていた。

留学していた時に憧れたものは、イタリア人女性のカラフルなファッション。

女装した時の気持ちは、憧れに一歩近づいたから芽生えたものなのだと感じた。

「職場はスーツじゃないと怒られるので、私服を徐々に変えていきましたね」

「ユニセックスに見えるレディースの服を集め始めました」

「家では父親をやらないといけないので、女装まではいけないなって」

リボンがついたコートを着ていて、妻から「女ものじゃない?」と、疑われたことがある。

「その時は『ユニセックスだよ』って言い張って、乗り切りました(笑)」

トランスジェンダーという存在

40歳頃から自分の性別が定まらなくなり、ネットで「ゲイ」などの用語を調べた。

「42歳ぐらいで『LGBTER』と出会ったんです」

「いろんな方の記事を読んでいく中で、トランスジェンダーという言葉があることを知りました」

「インタビューに応えている方々の生き方に憧れましたね」

「家庭を持っている方もいれば、子どもが生まれてからトランスしている方もいて、人生って自由じゃんって」

トランスジェンダーについて深く知っていくと、ホルモン治療に興味が湧いていく。

「一度、並行輸入でホルモン剤を買ってみたんです」

「でも、その時は妻にバレて、すごく怒られて、全部捨てられました」

妻には「美容のために買った」と、言い訳をした。

「社員旅行の後から、月1回美容室に行くようになったので、美容の意識が高いことは妻も知っていたんです」

「だから、それ以上は追及されませんでした」

完全なる中性

「体を変えたいという思いはあります。でも、男であることも捨てたくないです」

そう考えるのは、1人の人間である前に、1人の父親だから。

「子どもがいる以上、きちんと役割を果たさないといけない、って思うんです」

「だから、目指しているのは完全な中性」

大学生時代も、中性の心を持つことを常に意識していた。

「当時は、ピアノの演奏に影響したからです」

「いい音楽を奏でるには、男の気持ちも女の気持ちも持っていないといけないと思います」

「 “今泉=中性” として受け取ってもらえる演奏を、伸ばしていきたかったですね」

そして、今また “今泉=中性” を目指している。

「心だけじゃなくて、見た目もちょっと変えてみたい、とは思ってました」

「家庭があるから完璧に女性化はできないけど、できる限り中性でありたいなって」

10秘めたままの想いと抱いている夢

中性への第一歩

2018年12月、ホルモン治療を始める決意をした。

同時に、精巣の摘出手術も行った。

「不意に、邪魔だな、って感じたんです」

性犯罪のニュースを目にするたびに、被害に遭った女性の気持ちを考え、悲しくなった。

「自分は罪を犯さない自覚があったけど、男として同じように見られることが嫌だったんです」

「だったら精巣だけ取って、男女両方の気持ちを持っていたらいいんじゃないかなって」

都内の病院で、手術を受けた。

「日帰りの手術で、3週間ぐらいは痛みで苦しみました。傷口に血が溜まったりもしましたね」

「でも、手術を終えてから温和になって、イライラすることが減った気がします」

打ち明けられない相手

妻には、まだ自分のセクシュアリティについて話せていない。

「機会があれば話すと思うけど、できることなら話さないままでいきたいです」

「家庭崩壊になるかもしれないんで・・・・・・」

ホルモン剤を見つけた時の妻の怒りを思い出すと、話すタイミングがつかめない。

「受け入れてもらえないことが怖いし、今の家庭を守りたいんですよね」

11歳の娘の髪をとかしてあげる時間も、7歳の息子と2人で語らう時間も、かけがえのないもの。

「僕は口うるさい父親なので、子どもには『パパ怖い』って言われます(笑)」

「でも、子どもたちとよく話すし、仲は良好ですよ」

妻には、LGBT当事者の知り合いも、何人かいるようだ。

「新宿二丁目で働いている友だちもいるみたいだから、多少は知識もありそうです」

だからといって、打ち明けるまでには至れないでいる。

カテゴリーに区分されなくていい

ホルモン治療を始めてから、街に出ることが楽しくなった。

「男子トイレに入った時に、すれ違う男の人が振り返るのが、ちょっと快感です(笑)」

女の人が入った!? と思われることを感じると、うれしい。

「電車内の座席に座っていて、両隣に女の人が座ってくるようになったんです」

「僕は男なんだけど、と思いつつ、女の人に見られているみたいで感動しますね」

今でも目指しているものは、完全な中性。

「どちらかに寄りたいって思いもあるけど、中性を貫きたいって気持ちも強いですね」

「カテゴリーの中で、自分を区分されたくないんです」

固定概念に捉われない、オールマイティな自分でいたい。
そして、中性の自分として、ピアノを弾き続けていきたい。

「音楽の世界にも中性の人がいるよ、って表せられればいいなって。その過程も大事にしていきたいな、って思いますね」

具体的な目標は立てないようにしているが、大きな夢は抱いている。

今はまだ内に秘めている思いも、いつかオープンにできるように・・・・・・。

あとがき
憲人さんは明るくて、賑やか。躊躇なく行動してきたことの多さが、今を築いていると感じた。「娘の髪をとかしている」と、目を細めて話す姿がとりわけ印象に残っている。子どもにとって、親の[役割]は年々変わっていくもの。でも、親であるという[存在]は、生涯変わらない■いつか家族が知ったとき、この記事から何をおもうだろう。憲人さんがそうであるように、どんな種類の感情でも、大きさでも、愛情で包まれていたらいいな。(編集部)

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