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Writer/遥

レズビアンではない作家、レズビアンと公言している作家の「女性同士の恋愛小説」を読むとき

女性同士の恋愛小説のなかには「レズビアン当事者が書いた作品」「当事者ではないと思われる作家が書いた作品」があり、それぞれ違った魅力があります。レズビアンである私は、こうした小説を読んでなにを感じるのか。

レズビアンの私が女性同士の恋愛小説を読む理由

異性同士でも同性同士でも「恋愛」の本質は変わらないはずです。それなのになぜ、レズビアンの私は男女の恋愛ではなく「女性同士の恋愛小説」を読みたいと思うのか。その理由についてあらためて考えてみます。

レズビアンの私が身近に感じる恋愛小説

相手を好きになる気持ち、惹かれる瞬間、関係が深まっていく過程。異性同士であれ同性同士であれ、そこに大きな違いはないでしょう。

それでもレズビアンの私が男女の恋愛ではなく「女性同士の恋愛小説」を読みたいと思うのは、物語を「自分事」としてより近くに感じたいからです。

男女の恋愛小説を読むとき、私はどうしても「自分とは違う世界」をのぞき込んでいる感覚になります。

感情の動きは理解できても、自分の経験や感覚と重ならない。どこか少し距離を感じたまま物語を追ってしまうのです。

たとえば、女性主人公が男性の体格や声の低さにドキッとする瞬間や、異性愛を前提に話が進んでいく部分は、共感できずどこか引っかかりを感じます。

一方で、女性同士の恋愛小説には、私が日常で感じてきた苦悩や、同性への特別な感情の芽生えが描写されています。

登場人物が、まるでもうひとりの自分のように感じるほど、高い没入感を味わえることもあります。

そのため、私は恋愛の本質はどのセクシュアリティでも同じだと思っていても、より自分が共感しやすい物語を求めてしまうのでしょう。

レズビアン作家が書く「生々しさ」がクセになる

数ある女性同士の恋愛小説のなかでも、レズビアンを含むクィアの作家が書く作品には、ほかでは得られない独特の魅力があります。

それは、作家自身の体験、記憶からくる生々しいリアリティです。

たとえば、レズビアンの主人公が異性愛者の女性に恋をしたときの葛藤や不安です。

好意を悟られたくないのに、ふとした会話の温度や視線の揺れに期待してしまう気持ちや、相手の近くにいる男性への闘争心。こうした複雑な心の動きの描写は、とくに私が当事者性を感じる部分です。

また、元カノとの距離感もリアルです。別れたあとも完全には切れない関係性、連絡がくると心がざわつく感覚、互いに新しい恋をしていてもどこかで比較してしまう複雑さなど、実際に私のまわりのレズビアンの友人からよく聞くような「あるある」も、物語のなかに自然に書かれています。

さらに、女性同士の身体的な接触にまつわる描写も、当事者の作家だからこそリアルに書ける部分だと思います。

もちろん、小説は創作物なので、自分の体験とは完全に切り分けて執筆する作家もいるとは思います。

しかし、それでもレズビアンを含むクィアの作家の小説にはどこか「女性同士の恋愛を知っている人」の書きぶりがにじむように私は感じるのです。(関連記事はこちらNOISE:レズビアンの私が友達にやきもちを焼く理由

自分のセクシュアリティや恋愛観がクリアになる

女性同士の恋愛小説を読むことは、レズビアンの私にとって、自分のセクシュアリティと恋愛観を見つめ直すきっかけになります。

ときには主人公に強く共感できない場面があっても、その「共感できなさ」こそが、自分の内側をよりクリアにするヒントになるのです。

主人公の恋愛遍歴や、同性のどの部分に惹かれるのか、友情と恋愛感情の境目、男性に対する感情などが自分とは違うと感じるとき、自然と「私ならどうだろう?」と自分のセクシュアリティについて内観することになります。

そして物語を読み進めるなかで、自分のセクシュアリティの「位置」がより明確になるのです。

また、主人公が恋を進めるペースや、相手との距離の取り方、関係の築き方が自分と違うとき「私はもっと慎重に進めたいタイプなのか」「どんな関係性を心地よいと感じるのか」と、自分の恋愛のスタイルが見えてきます。

このように自分を知るヒントとなりうる点も、女性同士の恋愛小説の魅力です。(関連記事はこちらNOISE:ひと目ぼれが多い私はフレイロマンティック? デミロマンティックの友人と話して気づいたこと

レズビアンではない作家が書く女性同士の恋愛小説について思うこと

女性同士の恋愛小説を書くのは、レズビアン作家だけではありません。自身のセクシュアリティについて公言していない作家、男性と結婚して子どもがいる女性作家や、男性作家など、さまざまな作家がいます。こうした作家が書く小説は、当事者の作品とは異なる視点があると感じます。

「レズビアンと公言していない=異性愛者」とは限らない

「レズビアンではないと思われる作家」が書いた女性同士の恋愛小説について語るとき、読者としてまず意識しておきたいのは「レズビアンと公言していない=異性愛者」とは限らないという点です。

作家のセクシュアリティは、作品から完全に読み取れるものではありませんし、公表していないだけで、実はレズビアンやバイセクシュアル、パンセクシュアルなどのセクシュアリティである可能性もあります。

そのため、書き手が男性と結婚している女性だから、あるいは女性と結婚している男性だからといって「異性愛者が書いた女性同士の恋愛」と断定するのは早計だと感じます。

セクシュアリティは外側から判断できるものではなく、本人がどう名乗るか、どう感じているかによって決まるものです。公表していないだけで、クィアの当事者である場合も十分にあり得ます。

だからこそ「公言していない=異性愛者」と決めつけず、どんな感情が書かれ、どんな関係性が描写されているのかを、作品そのものから丁寧に読み取る姿勢が大切だと感じています。

レズビアンではなく「ノンケ女性」が主人公になる小説が多い?

レズビアンと公言していない作家が書く女性同士の恋愛小説には、主人公がレズビアンではなく異性愛者の女性、いわゆる「ノンケ女性」という設定の作品が少なくありません。

物語の出発点が「同性を好きだと自覚している女性」ではなく「異性愛者として生きてきた女性が、特定の女性に惹かれてしまう」という設定になることで、恋愛の軸が「あなたが特別」「あなたにだけ惹かれてしまった」というニュアンスになる傾向があります。

この構造は、作家が異性愛前提の世界で物語を組み立てるときに自然に選ばれやすいのかもしれません。主人公がノンケ女性であることでドラマ性をつくりやすく、物語としての起伏も生まれます。

ただ、レズビアンの読者である私にとっては、主人公の恋の揺れが「セクシュアリティの自覚」ではなく「特定の相手への例外的な感情」として書かれるため、当事者の恋愛とは少し違う距離感を覚えることがあります。

とはいえ、レズビアン作家の小説にもノンケ女性が主人公の作品はありますし、物語としての面白さやドラマ性は十分にあります。

レズビアンとは異なる視点から書かれていることを意識しながら読むと、その特徴がよりクリアに見えてくると感じています。

「レズビアン当事者ではないなら女性同士の恋愛小説を書くな」とは思わない

私はレズビアンですが、当事者ではない作家が女性同士の恋愛小説を書くことに対して批判したい気持ちはありません。

創作は、作家が自分とは異なる立場や感情を想像し、物語として形にする営みです。

異性愛者の作家が女性同士の恋愛を書くことで、当事者とは異なる視点や解釈が生まれ、それが作品の魅力につながることもあります。

大切なのは、誰が書くかではなく、どんな感情がどんな過程で書かれ、どんな関係性が立ち上がっているかという作品そのものの質です。

多様な作家が女性同士の恋愛を書くことで、読者が触れられる物語の幅も広がると考えています。

「レズビアンが主人公の恋愛小説を読みたい!」と声を大にしていいたい

女性同士の恋愛小説はいくつかありますが、個人的にはノンケ女性が主人公だったり、恋の相手がノンケだったりするパターンが多い印象です。だからこそ、当事者の視点や体感から書かれた恋愛の物語を、もっと読みたい気持ちが自然と湧いてきます。

ほしいのは「正しいレズビアン」ではなく、多様なレズビアン

私が女性同士の恋愛小説に求めているのは「正しいレズビアン像」ではなく、もっと多様なレズビアンの姿です。

レズビアンの生き方や恋愛の仕方は人の数だけあり、単一の像にまとめられるものではありません。

女性として女性が好きな人もいれば、自分の性自認に迷いのある人もいます。

恋愛に積極的な人もいれば慎重な人もいるし、一途な人も、複数の相手とパートナーシップを築く人もいます。恋に落ちる瞬間も、関係の築き方も、抱える不安も人それぞれです。

こうした多様なレズビアンが登場することで、女性同士の恋愛小説はより豊かで、より多くの人に開かれたジャンルになっていくと思います。(関連記事はこちらNOISE:これって変? レズビアンなのに推しは男性。

レズビアンの私が読みたいレズビアン小説

レズビアンの私が読みたいのは、主人公が「レズビアンである」と自覚し、そのうえでレズビアン同士の恋愛が自然に書かれている物語です。

出会いや別れが特別な設定や劇的な展開によってではなく、日常のなかでゆっくりと関係が育っていく空気感に惹かれます。

現代を生きる当事者の感覚とリンクするような、生活の延長線上に恋が芽生えるリアリティがあると理想的です。

また、同性愛が「例外的な出来事」として扱われるのではなく、最初から特別視されない世界で、レズビアン同士の恋愛がごく自然に発展していく物語にも強く惹かれます。

恋愛そのものが物語の中心でありながら、セクシュアリティが過度に説明されず、あたり前の前提として流れている作品。そんな没入感のあるレズビアン小説をもっと読んでみたいです。

大事なのは「共感できるか」だけではない。レズビアンの私にとっての女性同士の恋愛小説

女性同士の恋愛小説を読むとき、私にとって大事なのは「共感できるかどうか」だけではありません。

主人公に共感できてもできなくても、その違いが自分のセクシュアリティや恋愛観をより深く理解するきっかけになります。

どんな書かれ方であれ、女性同士の恋愛が物語として存在していること自体が、自分の経験や感情を照らし返してくれる大切な機会だと感じています。

今後、多様な女性同士の恋愛小説が増えるといいなと、期待しています。

 

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