ミニマリスト志向のわたし。クローゼットには大きく分けて白、水色、濃紺の服しかありません。シャツ、ニット、パンツ、ジャケットがほとんどです。リボンやフリル、ギャザーなど装飾がほどこされている服はありません。わたしはシスジェンダーで、自分が女性であることに違和感はない。でも “女性らしい” といわれる服を着たいとは思いません
「女性に見える?」を気にしていたアセクシュアルのわたし
子どものころから「男の子みたい」と言われると、なんとなく嫌でした。でも、かわいい服を着たいわけでもなかったんです。大人になってからは、自分の好みとは関係なく「女性らしく見せないと」と考えるようになりました。
「男の子みたい」と言われて
幼稚園から小学生を卒業するまで、わたしは耳を丸出しにしたショートヘアでした。周りの大人や友達から、よく「男の子みたい」と言われたのを覚えています。
何十年も前の話なので、そのときなんと返したのかまでは覚えていません。ただ、いい気分ではなかったのは記憶に残っています。
これはきっと、わたしがシスジェンダーで自分の女性性を疑っていなかったからでしょう。「男の子みたい」と言われると、妙な引っかかりがありました。
転機が訪れたのは、中学校に入学してすぐ。校則が厳しく、こまめにカットしてショートヘアを保つのが難しくなったんです。
「これは伸ばしっぱなしにするほうが楽だ」と気づき、あまり気は進みませんでしたがひたすら伸ばしました。前髪もです。前も横も後ろもひとまとめにしてゴムで束ねる。これがわたしの学生時代のスタイルでした。
年齢より上に見える外見もあいまって「おばさんみとたい」と陰口をたたかれたりもしましたが、美容院に行く手間が省けて朝の準備もラク! 陰口くらいどうってことありませんでした。
高校を出て社会人になってから、伸ばした髪をばっさり切ったときには「子どもみたいな髪型」と言われたこともあります。丸っこいショートヘア。わたしのオーダーが下手だったために、意図せず幼いころと同じ髪型になってしまったんです。
もやっとしました。
髪の毛が短いだけなのに、急に「女っぽくない」「幼く見える」と言われてしまう。だからといって、ロングヘアに戻したいわけでもありません。
女性に見えないと言われるのはなんとなく嫌。でも、女性らしく見せるために髪を伸ばしたいわけでもない。
わたしはずいぶん長いあいだ、この矛盾を抱えていました。今はショートヘア一択で、ゆくゆくは刈り上げてしまおうと思っています。だって、ラクですから(笑)。
「男性とともに生きる」と思っていたアセクシュアル
さて、わたしの服の好みは昔からあまり変わっていません。パンツスタイルが好きです。ロング丈以外のスカートは苦手。というか、嫌いです。
「かわいい」より「かっこいい」を選びたい。それにもかかわらず、20代のころ、休日にひらひらしたスカートをはいていました。
当時のわたしには「社会でうまくやっていくには、女性らしさを大切にしていると思われた方がいい」という考えがありました。時代背景もあったのかもしれません。
わたしが高校を卒業して社会人になったのは1990年代の後半。昭和から平成になって数年経ったころです。女性には愛嬌や謙虚さ、つつましさが求められ、ちょっと男性の上司に口答えしようものなら「女らしくない」と叱られることもありました。
いまならちょっと考えられませんね。
会社の飲み会では彼氏の有無を聞かれ、結婚や出産について「ちゃんと考えているのか」と問われ、とても生きづらい時代でした。少なくとも、わたしにとっては。
だからそこから抜けだすために、あえて女性らしさを前面に押し出した服で婚活したこともありました。
アセクシュアルという言葉を知らなかった時代。心身ともに女性で、だから男性と一緒になって、ともに生きる。そうした道を望まなければ、女性として認められない気がしていたんです(関連記事はこちらNOISE:アセクシュアルの結婚迷走記録)。
おかしいですね。
男でも女でも、恋愛対象が誰であっても、誰でもなくても。
わたしはどこまでも「わたし」でしかないのに、いったい誰に対して、自分は女性だと伝えたかったのか。
いまとなっては、わたし自身もちょっとわからなくなっています。
服と振る舞いにまとわりつく「女性らしさ」
ずっと昔の話ですが、わたしの周りには「女性ならこう見せなきゃ」「女性ならこう振る舞わなきゃ」という空気がありました。いつの間にか、わたし自身もその価値観を取り込んでいたように思います。
ミニスカートをはかなくなった理由

子どものころは、親が用意した服をいろいろ着ていました。
4歳ごろの写真を見ると、オーバーオール姿の自分がいます。今でも思うのですが、この服装が一番自分らしい。たしか祖母が買い与えてくれたものですが、よく着ていたのを覚えています。
わたしが自分で着せてと言ったのか、祖母や母が着せてくれたのか、そこは覚えていませんが・・・・・・。この服だけは記憶に残っているので、相当好きだったんだと思います。
反対に、嫌いだったのがミニスカートでした。ミニというか、膝が出る丈がもうダメ。とはいえ、子どものころのことです。まわりの大人が買ってくれた服を着るほかありません。
まだ10歳にもならなかったある日、祖父が経営していた会社に勤めていた男性から「そんな短いスカートだと下着が見えるよ」とからかわれたことがありました。あのときから、私服でロング丈以外のスカートをはいたことはありません。
他者に自分が「女性」として見られること。その事実を突きつけられ、幼いわたしにとってかなり居心地の悪い経験でした。
「女はお酌しろ」と言われた苦しい時代
高校を卒業して就職すると、服装のほかにも「女性はこうするもの」がありました。
飲み会の席では、年配の上司から「女の子なんだからお酌して」と言われていたんです。これは会社にもよるでしょうが、わたしが高校卒業後に就職した会社では、いつも上司にお酌させられていました。
いまなら「いや、飲みたい人が自分でグラスにつげばいいでしょ!」と思いますよね。わたしも実はそう思っていました。でも、社会人になったばかりのわたしは、職場での振る舞いはそういうものなのだと、割り切らざるをえなかったのです。
女性だからお酌をする
女性だから愛想よくする
女性だから、女性らしく見える服を着る
当時のわたしが生きていた世界では、こうした暗黙のルールがあったように思います。
誰が悪いという話ではありません。わたし自身、そのルールに従えば波風立てずに働けると信じていました。
「ちゃんとした大人の女性」として見られるためには、決められた型にはまっておいたほうがよかったんです。
20歳を迎えたころだったでしょうか。上司から「もっと色気のある服着ろよ」と笑われたことがありました。セクハラもはなはだしいですが、当時は「そうですよね。考えてみます」と言うのが精一杯でした。
いまなら絶対に許しませんけど。
LGBTQ+とファッション。「似合う」と「好き」を自分で決める
いまのわたしは「女性らしく見えるか」を服選びの基準にしていません。パーソナルカラーや骨格などの「似合う」と、自分自身の「好き」。そこに着ていて楽しいかどうかも加えて、クローゼットの中身を決めています。
LGBTQ+当事者なわたしのファッション論

わたしの恋愛指向はアロマンティック。性的指向はアセクシュアル。LGBTQ+のなかでは ”+” にあたります。
そしてジェンダーについてはシスジェンダーです。自分を女性だと認識しています。
だから「女に見えない」と言われたときにモヤッとしたのは、やっぱり自分がシスジェンダーだからなのかもしれないなって、思っています。でも、ここは自分でもはっきり説明できません。
以前の、女性であることと、世間が考える「女らしさ」を演じることは別だと書きました。(関連記事はこちらNOISE:壊れているなんて言わせない。アロマンティックが楽に呼吸できるようになるまで)
今回はファッションにスポットを当てていますが、服については昔よりもずいぶん簡単に考えられるようになった気がします。
女性に見えるか、男性に見えるか。
LGBTQ+であるか、LGBTQ+のなにか。
それよりも、自分に似合っているか。この服を着た自分が好きか。
服を選ぶときには、そちらのほうがずっと大切です。
性自認が女性だから、女性らしいファッションで気分が上がるかっていうと、必ずしもそうじゃないんですよね。
基準は「似合う」「好き」「しあわせ」
服を買うとき、わたしは結構こだわります。
40歳を越えてから、パーソナルカラー診断や顔タイプ診断、骨格診断を受けました。似合う色、デザインや素材は履修済みです。
だからといって、診断結果に合った服をそのまま買うわけでもなく。どれほど好きなデザインでも、自分には似合わないと思う色なら買わない。反対に、似合う色でもデザインが好きではなければ買わない。
そして、わたしは持ち物を最小限にしていたいミニマリスト志向です。すでにもっている服と合わせられない服も買いません。その基準で何年も過ごしていると、いつしか白、水色、紺のメンズライクな服ばかりになりました。
我ながら面倒くさい。でも、これくらいでちょうどいいんです。
だって、いまのワードローブはわたしにとっても似合っています。
昔は「女性性を表せているか」という基準で服を選んでいました。いまは「自分が楽しくなれるか」が基準です。着ていてハッピーか否か。それだけ。
この価値基準がバシッと決まってから、服を買うときの迷いが減った気がします。
「女性らしく見える」と「わたしらしく見える」は、同じじゃない。だったら、わたしは後者を取りたいと思います。
ワンピースだって、甘さはいらない
現在のお気に入りに、ライトベージュのシャツワンピースがあります。
ワンピースと聞くと「女性らしい服」という印象をもつかもしれませんね。でも、この服はわたしにとって少し違うんです。無駄な装飾がなく、一枚で着ても甘く見えない。
下にパンツを合わせれば、ロングトップスとして着られます。前を開けてコートとして羽織るのも好きです。
ひとつの服なのに、その日の気分で着方を変えられる。そこが気に入っています。
ちゃんとワンピースとしても着ますが、長年パンツ派として生きてきた身としては、ちょっとスース―して落ち着きません(笑)。
「女性らしさ」より「わたしらしさ」を着ていたい

いまのクローゼットの中身は「きれい」より「かっこいい」。
甘いより、爽やか。女性的よりも男性的。わたしらしいと思っています。
ちゃんと女性に見えていたら、それはそれで構いません。男性に間違われたら、さすがに一瞬「ん?」とは思うかもしれないけど、昔ほどモヤモヤしない気がします。
だからといって、どう見られてもいいわけではなく・・・・・・。
わたしにも「こう見られたい」って姿は、あります。
優しそう
真面目そう
何でも引き受けてくれそう
これ、他人からよく言われていたわたしの印象です。ありがたいといえばありがたいけど、狙っていた印象と違うんだよなぁ・・・・・・。
「話しやすそう」と思ってもらえたらうれしい。これは、ライターとして文章を書くようになる前から変わりません。
いまは、取材で人に話を聞く仕事もあります。インタビューする相手には、できるだけ構えずに話してほしい。だったら自分自身も、近づきやすい雰囲気でいたいと思うんです。
他人の目を、まったく気にしないわけではないんですよね。若いころと違うのは、どう見られたいかを自分で選んでいるところかな? と思っています。
「女性だから、女性らしく見られなければ」じゃない。
「わたしは、こう見せたい」になったんです。
この色は似合うかな
この形は好きかな
今日はこれを着たらしあわせかも
好きな服を着て、のびのびと生きていたい。
性別を見せるんじゃなくて「わたし」を見せるためのもの。いま、わたしのファッションはそれくらいシンプルです。
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