レズビアンとゲイは、おなじ「同性愛者」というカテゴリーであっても、微妙に異なる存在だと思う。共通する部分もあれば、意外と全然違うんだ、と驚く部分もある。そこで、最近知り合ったゲイ男性と話すなかで気がついたことをお伝えしたい。
レズビアンとゲイは違う世界で生きている?
レズビアンとして生きてきた私は、実を言うと、これまでゲイの男性と深く知り合うことがなく、おたがいのことを語り合う機会もなかった。
「ゲイの男性」の話題が出ても困惑していた自分
LGBTQ+の話題が出たり、私がレズビアンだとカミングアウトをしたりすると、ごく自然な流れで「ゲイの男性」の話題が出ることがあった。
自分の友人にゲイの男性がいるとか、芸能人のあの人もゲイなんだよね、とか、ドラマや映画に登場するゲイ男性の描写について、などなど・・・・・・。
そういった話を聞くたびに、私はどこか説明しづらいような気持ちになった。
なぜなら、私はレズビアンだけど、ゲイの知り合いがいない。ゲイの男性と話したこともあまりなく、それらの話題がかぎりなく遠いものに感じられたからだ。
不思議なことに、私に対して「ゲイの男性って実は✕✕って本当?」など、都市伝説のようなうわさの真偽をたずねようとする人もいて、そのたびに私は困惑した。
知らないからだ。
レズビアンとゲイは、似ているようで結構違う、別々の世界で生きている存在なのかもしれないと思っていた。
ただ、個人的に、いつかはゲイ男性と話をしたいとも考えていた。私が感じているような「世界の違い」を、ゲイの人もレズビアンに対して感じているのかどうか、むしろ共通点はどのくらいあるのかなど、実際に話してたしかめてみたかった。
レズビアンとゲイの雑談のなかでの気づき
実は最近、ひょんなことからゲイの男性と知り合う機会があった。
LGBTQ+に関連する出会いではなく、仕事の関係で、本当に偶然出会ったのだ。
なぜ彼がゲイだとわかったかというと、雑談のなかで「ぼくの彼氏がね」というフレーズがサラッと登場したからだ。
ひそかに「!」と衝撃を受けた私は、こちらも(なぜか)負けじと「そういえば、私の彼女もそう言ってましたよ」などと言ってみた。あくまでサラッと、あたりまえのように。
おたがいに「!」とひっそり反応しつつ、その後は徐々に、じわじわとLGBTQ+にまつわる話をするようになった。カミングアウトのこと、家を借りるときに不便を感じたこと、パートナーシップのこと・・・・・・。
まだ知り合って間もないけれど、おたがいに雑談をするなかで感じた、レズビアン(私)とゲイ(彼)の違いと共通点について、書き留めておこうと思う。
もちろん、レズビアンだから、ゲイだからというより「私だから」「彼だから」という要素が大きいと思うので、必ずしもレズビアンやゲイが全員おなじというわけではない。
これは「広くみんなに共通する話」なんていうものではなく、あくまで私が彼と話すなかで感じた「レズビアンとゲイの世界の見え方」についての個人的な話だ。
レズビアンとゲイがわかりあえるポイント
「住む世界が違うのではないか」と感じてはいたものの、いざ話してみると、レズビアンとゲイとして共感し合える部分がいくつもあることに気がついた。
レズビアンもゲイも、似た苦労を経験して生きている

いちばん共感し合えたと感じたのは、おたがいに苦労してきた経験だった。
私も、ゲイの彼も現在はパートナーと一緒に暮らしているけれど、まず住む部屋を借りるまでにさまざまな障壁があったのだ。
レズビアン(ゲイ)同士のカップルだと言えば「オーナーさんが嫌がるかもしれません」と言われてしまったり、逆に「友人同士なんです」と言えばこの部屋でシェアハウスは無理だと断られたり・・・・・・。
あげくの果てに、一緒に住んでいることを隠して、ひとりだけが部屋を借りてもうひとりはこっそり同居するという手段を提示されたということも、おたがいに経験していた。
結婚という契約関係が用意されていないだけなのに、カップルが一緒に暮らすということがここまで困難になるのかという衝撃をおたがいに共有できて、同志と話しているような気持ちになれた。
また、パートナーが転勤になった際にとても困るという話もおたがいに理解し合えた。
パートナーが職場でカミングアウトしていない場合は特に、会社に配慮をもとめることも難しく、遠い場所への転勤が決まってしまうと、結婚ができないレズビアンやゲイのカップルは苦難を強いられる。
何の契約関係もないまま遠距離で交際を続けるか、あるいはパートナーにあわせて引っ越しするしかなく、会社からの福利厚生も期待できない。
こんなとき、同性婚が早く法制化されるか、同性カップルのパートナーシップへの理解が深まってほしいと思わずにはいられない。その気持ちをシェアできたのは、私にとってとても新鮮な感覚だった。
レズビアンとゲイの、両親との複雑な関係
私も彼も周囲にカミングアウトをしており、レズビアン(ゲイ)であることをオープンにしているほうなのだけれど、それでも両親との関係性には悩みを抱えていた。
ゲイの彼は、父親がLGBTQ+に対してあまり理解を示してくれない人で、今でもパートナーの話をすると不機嫌になるという。
また、彼のパートナーは両親に一切カミングアウトをしておらず、一緒に暮らしていることも秘密にしているのだそうだ。
私は、今では両親ともにパートナーのことを話せるようになったが、母親とは学生時代にカミングアウトを通じて言い争ったことがあるため、いまだに少しギクシャクしている。実をいうと、私はまだ母にパートナーの顔写真すら見せたことがない。
私のパートナーは、両親との関係は良好だと言っているものの、父親はまだ少し受け入れ難く感じているかもしれないとのことで、私自身も彼女も、おたがいの両親にそろってあいさつをしたことは一度もない。
ほかの人に話すと少し重すぎるかなと、ふだんはあまり言わないようにしていたLGBTQ+に関する話題を、おたがいに話して「だよねえ、わかる」と言い合ったことで、とても心が軽くなる実感があった。
「そうなんだ、大変なんだね」ではなく「わかる、うちもそうだよ」というリアクションがくることが、こんなにもありがたいんだ・・・・・・とあらためて噛みしめた。
このあたりの話題については、レズビアンやゲイという属性の違いは感じず、同性愛者という大きなカテゴリーのなかで気持ちを共有し合うことができた。
レズビアンとゲイの感覚は、やっぱり異なる?
仕事を通じて、ひょんなことから知り合ったゲイの彼とレズビアンの私。話していてあまり共感できないと思う部分も少しあった。レズビアンとゲイというより、あくまで個人と彼個人のケースではあるけれど、ご紹介しよう。
ゲイ男性は、ゲイ関連のコンテンツをよく見ている?

ゲイの彼はポッドキャストを聴くのが趣味で、ゲイのパーソナリティが運営しているポッドキャスト番組をいくつも聴いているらしい。
また、YouTubeでゲイ関連の動画を見ることも多く、日常的にゲイ男性によるコンテンツをよく楽しんでいるのだと言っていた。
ここは、私自身と明確に違う部分だと感じた。
私は、レズビアン関連のコンテンツをあまり見ていない。パートナーは「昔はレズビアンの人のYouTubeチャンネルをチェックしていたよ」と言っていたけれど、彼女も最近ではほとんど見ていないという。
パートナーと付き合い始めた頃は、レズビアンカップルのあるあるなどを知りたくてレズビアン関連のコンテンツを探したこともあったけれど、レズビアンのコンテンツはゲイのコンテンツに比べて圧倒的に少ないように思った。YouTubeも、ポッドキャストも、エッセイなども。
また、あまりに生々しすぎるレズビアンの実態も、いっそ可愛らしくデフォルメされたようなレズビアンカップルの日常も、自分にとってはあまり参考にならず、見ていて(聴いていて)楽しいと思えるものも限られている気がした。
ゲイの彼にそう伝えると、彼は「おもしろいかどうかより、友達や仲間の話を聴いているような気持ちで楽しんでいるけどね」と答えてくれた。だから、もしかするとこれは私と彼のタイプの違いというだけかもしれない。
ただ、レズビアンという属性と比べて、ゲイという属性のほうがキャラクターとしてポップに受け止められることが多いという感覚はある。
現に、フィクションの世界でも、芸能界に生きるタレントの人たちでも、レズビアンよりゲイの人のほうが圧倒的に数が多いと感じるし、よりライトでカジュアルな存在だというイメージがある。
私は学生の頃、カミングアウトしていない友人に「レズビアンのことはよくわからないけど、ゲイの友達はほしい! 悩みごとや相談を聞いてアドバイスしてくれそうだから」と言われたことを思い出した。
やっぱり、レズビアンよりもゲイのほうがキャラクターとして魅力的なんだ、とつい思ってしまう。
たぶん、映画やドラマのイメージによる影響が大きいのだろうけど、レズビアン当事者としてはなんとなく悔しい思いもある。
レズビアンとゲイ、違う世界で生きる者同士の関係性
ゲイの彼と話をするなかで、ふと、ゲイとレズビアンの理想的な関係とはどういうものだろう? と疑問が湧いた。
同性愛者であることを周囲に悟られたくないときに、偽装カップルとして協力し合うのか。
あるいは、立場は少し違うけれど似たような境遇にある者同士として、おたがいに理解し合える友人になるのか。
どちらも、映画などのフィクションのなかで見たことのある関係性だ。
(関連記事はこちらNOISE:ゲイとレズビアンの溝、そして絆。映画『恋人はアンバー』から感じたこと、キーワードは「クローゼット」。短編映画『私たちの、』に込められたレズビアンとゲイの心もとない思い)
ただ、私がゲイの彼と話すなかで抱いた感覚は、どちらとも少し違う。
たとえるなら「俳優とダンサー」のような、あるいは「作家とデザイナー」のような、少し違うジャンルの世界で生きているけれど、たまに少しだけ世界が交わって、おたがいの気持ちを共有できる存在―それが、私がリアルだと感じたレズビアンとゲイの関係性だ。
もちろん、深く関わり合って友情を結ぶゲイとレズビアンの人たちもいるのだろうけど、私はそもそもLGBTQ+関連の知り合いや友人が少ない。
レズビアン女性やゲイ男性よりもむしろ、ノンバイナリーやアロマンティック・アセクシュアルの人と知り合う機会のほうが多く、同性愛者だからというくくりで誰かと仲良くすることはあまりない。
性別による感覚の違いは、ないと言ってしまえばうそになるし、前述したこと以外にも「ああ、やっぱり違う世界で生きている人なんだな」と感じるポイントは多々あった。
でも、だからこそ、この貴重な巡り合わせと出会いに、感謝したい気持ちでいっぱいになった。
一瞬の交差でもありがたい、近くて遠いレズビアンとゲイの関係性

ゲイの彼と知り合ったものの、会うときはおたがいにレズビアンやゲイならではの話ばかりするというわけではない。
むしろ、それ以外の話をすることのほうが圧倒的に多い。
最近では『ちいかわ』というキャラクターのアニメ映画を観に行ったという話で盛り上がり、会うたびに「あの歌がよかったね」「実はこのキャラクターにハマっちゃって」といった話ばかりしている。
私たちは、レズビアンとして、ゲイとしての自分だけを、毎分毎秒意識しているわけじゃない。だから、関係性はそんなに密でなくてもいい。
何度か会うなかで、ごくたまに、ほんの一瞬、レズビアンとゲイとしておたがいの気持ちをシェアできるだけでも、心がふっと軽くなる。
今のこの距離感が、案外リアルなゲイとレズビアンの友情の形なのかもしれない、と最近は考えている。
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