最近、テレビの歌番組に出演したことで、注目を集めている宝塚歌劇団。わたしは高校生のころから宝塚ファンですが、レズビアンとして宝塚の作品に救いを感じることもあれば、異性愛規範を感じてもやもやすることも。
レズビアンからしたら、宝塚作品は異性愛規範的な物語ばかり?
女性の演者だけで成り立っている宝塚歌劇団。宝塚で上演されるミュージカルの多くは、男役と娘役の間のロマンスを中心にした物語です。
「ザ・異性愛規範的」な宝塚作品
宝塚の作品では、主人公や登場人物のほとんどが「異性カップル」や「異性愛者」のキャラクターとして描かれています。
主人公の男女の恋愛が実ってハッピーエンドを迎えるか、さまざまな障壁があって実らずに悲劇的な結末をたどるか。
どちらにせよ、男女間の恋愛を中心において物語が展開していくことが多いです。そのため、宝塚作品は異性愛規範的であると感じることが多々あります。
同性同士の恋愛が描かれることは圧倒的に少なく、異性同士が両想いになったり、異性婚したりすることは基本的にポジティブなものとして表現されるからです。
異性愛規範的な物語を「男役」と「娘役」で演じる宝塚
もやもやすることがあるわたしですが、宝塚の面白さの1つは「ザ・異性愛規範的」な物語を、タカラジェンヌ(宝塚の役者)という、女性の役者たちだけで演じていることだと思っています。
タカラジェンヌは、宝塚歌劇団に入団するためのトレーニングとして音楽学校に入学する際、すでに「男役」と「娘役」どちらになるかという予定を決められています。まれに、男役から娘役や、娘役から男役へと転向することや、普段は男役だけど数作品だけ娘役を演じるという場合もあります。
しかし、ほとんどのタカラジェンヌは退団するまで、男役か娘役のどちらかを極め、いつも男役か、いつも娘役を演じるのです。
レズビアンのわたしから見た「男役」は「本物の男」ではない?
長い間「男役」を極め「男性らしさ」を身につけてきたタカラジェンヌを、一部のファンが「本物の男」と評することもあります。男役のタカラジェンヌは、普段の生活でも足を広げて座ったり、肩幅を広く見せたりと、いわゆる「男性らしい仕草」をすることが多いのも理由の1つでしょう。
しかし、レズビアン・コミュニティにいるわたしからしたら「本物の男」という表現は、あまりしっくりきません。
なぜなら、ジェンダー・アイデンティティが女性であっても、男性らしい雰囲気のレズビアンであるボイ/マスク/ブッチが、わたしの周りにたくさんいるからです。
男女間の「異性愛物語」が、女性たちによって演じられる。それによって、宝塚作品が「男性らしい女性」と「女性らしい女性」の間のロマンスが描かれた、レズビアン物語にも見えることがあります。
そう考えると、一概に「宝塚は異性愛規範的だ!」とは言えないような気もします。
レズビアンの視点から。宝塚は同性愛をどう描くのか?
異性愛規範的な物語を描いていたとしても、役者が女性だけなので、レズビアン的にも読み取れる宝塚作品。しかし、実際に同性愛を扱うとなると、同性愛嫌悪的だったり、異性愛に回収されてしまったりすることがあります。
レズビアンが感じ取る、宝塚作品『ニジンスキー』での異性愛規範

たとえば2011年に上演された、宝塚のミュージカル『ニジンスキー』。男性バレエダンサーであるニジンスキーを主人公にした作品で、ディアギレフという男性プロデューサーがニジンスキーを愛しているという設定です。
しかし、物語のなかで、ディアギレフのニジンスキーに対する同性愛的欲望は、おぞましいものとして表現されている印象がありました。
公式の作品解説でも、彼の感情は「歪んだ愛情」と表現されてしまっています。ディアギレフが、ニジンスキーにとって「悪夢」のように現れるシーンなどもあり、舞台装置も相まって、同性愛が強くネガティブなものに描かれてしまっているようでした。
それだけでなく、宝塚作品『ニジンスキー』は、同性愛的な欲望を向けてくるディアギレフからニジンスキーが逃れ、ロモラという女性との愛に救いを見出していくという展開を見せます。
男性同性愛から距離を取り、異性愛によろこびや幸せを見出す。同性愛嫌悪を下敷きにした、典型的な異性愛至上主義的な物語のように感じました。
レズビアン的には、観るのがなかなかしんどい作品です。
同性愛者の登場人物が複数出てくる宝塚作品『蘭陵王』
『ニジンスキー』のほかにも、宝塚作品で同性愛が扱われるものに、2018年上演のミュージカル『蘭陵王』があります。
『蘭陵王』は「美しすぎる武将」と称された蘭陵王(男性)が主人公。そして、彼を愛する高緯という男性や、高緯を愛する逍遥君という男性が登場します。宝塚作品では珍しく、複数の男性同性愛者が描かれる作品です。
しかし『ニジンスキー』と似たように『蘭陵王』も、同性愛嫌悪やゲイ男性へのステレオタイプを色濃く反映してしまっている作品でした。
たとえば、蘭陵王が高緯に対して「汚らわしい」という言葉で拒否するシーンは、レズビアンのわたしからしたら少し胸が痛くなるものでした。蘭陵王が女性から迫られたら、いくら彼女に好意がなくとも、そんなセリフにはならないんじゃないかと思ったからです。
ほかにも、高緯や逍遥君を「女性らしい男性」として描いていることにも、違和感が。男性同性愛者/ゲイ男性を「女性らしい」とするステレオタイプをそのまま使ってしまっているように思えたからです。
レズビアン的にも萌える。少年同士の親密性を描いた宝塚作品『ポーの一族』
明確に恋愛関係ではないけれど、男性間での親密性を描いた宝塚作品に『ポーの一族』があります。
NOISE記事『LGBTQ+の苦悩を「人ならざるもの」に重ねて―舞台『ポーの一族』で涙した一瞬』でも紹介されていましたが、『ポーの一族』はちょうど今、宝塚で上演されています。
原作は漫画『ポーの一族』。バンパネラ(吸血鬼)として生きることになってしまった少年エドガーが主人公で、アラン・トワイライトという少年とのやり取りが密に描かれます。
二人の関係性は、いわゆる「恋愛」には見えないことも多いものの、吸血のシーンなどにおける性的にも見える身体接触や、お互いを必要とし合う気持ちの強さからは「ただの友だち」ではない雰囲気が漂います。
レズビアンで宝塚ファンのわたしからすると、そもそも数少ない、少年同士の親密さが全面に出ている作品に、クィアさを感じ、うれしさをおぼえます。
さらに、それを女性たちが演じているということが、余計に「萌え」をさそいます。
アランとエドガーの関係性が、惹かれ合いながらも反発し合う「中性的な女性」同士の親密性のようにも見えて、わたしはそのクィアさを存分に楽しめるのです。
キスやセックスが隠される宝塚作品。レズビアンのわたしはどう思うか?
気になる点はありつつも、同性愛を扱うこともある宝塚作品。一方で、作中の「異性愛」においても、わかりやすい性的なシーンはあまり出てこないことが多いです。
キスを隠す宝塚の演出

以前テレビ番組で、宝塚歌劇団を退団した人が、宝塚でつちかった「キス隠し」を実演して、珍しがられているのを観たことがあります。
宝塚では基本的に、役者同士がキスしているところを観客に見せません。口元を手で覆ったり、観客に背を向けたりすることで、実際にキスしているのかわからないけれど、キスシーンだということはわかるように演じられます。
正直、宝塚ファンとしてはもう「キス隠し」に慣れてしまいましたが、いまだに多少は「なぜキスを隠すんだろう?」と疑問に思います。というのも、宝塚以外の外部のミュージカルでは、キスが隠されることはほとんどなく、男女間であっても、同性同士であっても、観客に見えるかたちで、役者が実際にキスを交わすことが大半だからです。
ぼんやりと描かれる宝塚のセックスシーン
宝塚作品では、キスシーンだけでなくセックスシーンもあいまいに描かれます。
セックスシーンらしき場面では
・きれいな衣装をまとった人たちがたくさん出てきて、セックスしている2人があまり見えなくなったり
・暗転してナレーションが流れたり
・そもそもセックスシーンがなく、次の日の朝の目覚めだけが描かれたり
セックスはぼやかされて「幻想的」に昇華されるようなイメージがあります。
レズビアンとして、宝塚作品のキスとセックスの不在を考える
キスとセックスが、ある意味タブーのようになっている宝塚作品。
レズビアンとしては、女性の役者同士がキスをしたり、セックスシーンを演じたりすると「生々しくなってしまう」から隠されるのかな、と勘ぐってしまいます。
キスやセックス以外なら、女性同士で演じられていても、まだ「演じているだけ」と言い訳ができる。
でも、女性同士の役者がリアルにキスしたり、わかりやすいセックスシーンがあったりすると、あまりに「女性同性愛/レズビアン的」になるからやめておこう。
そんな裏の意図があって、宝塚作品ではキスとセックスがぼやかされているような気がするのです。
このように、少し同性愛嫌悪的な演出にも感じられるキスシーンとセックスシーン(の不在)。
一方、キスやセックスをリアルに演じないことで、逆に、宝塚で演じられる「性的なもの」の幅が広がっているように感じることもあります。
頬に触れる
目線を交わす
手を取る
そんなささやかな仕草に、性的な雰囲気をかもしだすのが上手いのが、タカラジェンヌだとも言える気がします。
キスとセックスに限定されない、さまざまな「性のあり方」を見せてくれる宝塚だから、レズビアンのわたしもずっと惹きつけられるのかもしれません。
レズビアンとして問い続ける「宝塚は異性愛規範的か」

宝塚ファンになって6年。
はじめて宝塚作品を観たときは、その美しさと妖しさに圧倒され「これはすきになってしまう・・・・・・」と思ったのを、今でもおぼえています。
宝塚には、ほかのミュージカルでは観られない「何か」があると思いつつも、レズビアンとして異性愛規範や同性愛嫌悪に傷つき、作品が観たくなくなった時期もありました。
同時に、宝塚がすきだというクィアにはよく会います。すきだけど、すきだからこそ、異性愛規範は批判する。そんなクィアな宝塚ファンの友人たちと、宝塚談義に花を咲かせることも多々あります。
タカラジェンヌのなかには、ノンバイナリーやトランス男性もいるかもしれませんが、基本的に女性の役者たちだけでさまざまな物語を演じるという、開かれた可能性を生かして、宝塚がクィアのファンたちにとっても安心して観られる作品をつくってくれるように、願ってやみません。
■参考情報
宝塚歌劇バウホール公演 バウ・ミュージカル「ニジンスキー」
■作品情報
漫画『ポーの一族』
作:萩尾望都
出版社:小学館
バウ・ミュージカル『ニジンスキー』
作・演出:原田諒
出演:早霧せいな
制作:宝塚歌劇団
ロマンス『蘭陵王』
作・演出:木村信司
出演:凪七瑠海
制作:宝塚歌劇団
ミュージカル・ゴシック『ポーの一族』
脚本・演出:小池修一郎
出演:明日海りお(2018年・2021年)、朝美絢(2026年)、ほか
制作:宝塚歌劇団(2018年・2026年)/梅田芸術劇場(2021年)
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