政治やフェミニズム、同性婚のことを考えるのは、私にとって生活の一部。気になるニュースがあれば署名したり、時間が合えばふらっとデモに参列したりと、日常の延長で社会運動に参加する30代のレズビアンです。そんな私ですが、デモに疲れたり友達との温度差に悩んだりすることもあります。
レズビアンの私が、政治・フェミニズム・同性婚にまつわるアクションに参加する理由
私は数年前から政治・フェミニズム・同性婚にまつわるアクションに参加していますが、それ以前はそこまで積極的ではありませんでした。なぜ、私がデモや署名などへのハードルを越えられるようになったのか。
将来「自分は何もしなかった」と後悔したくない
私がアクションに参加する理由は「今の社会に不安や危機感があるから」だけではありません。私は将来「自分は何もしなかった」と後悔したくないのです。
署名やデモは、社会を劇的に変える魔法ではないけれど「やることはやった」と自分にいえる、確かな実績になると思っています。
未来の自分が胸を張れるように、今できる範囲で動いておきたい。そんな気持ちが、私を日々のアクションへと自然に向かわせています。
行動は心の安全装置にもなる
SNSやニュースサイトをみていると、人権をないがしろにした暗いニュースや差別的な言説が絶えず流れ込んでくるため、ひとりで不安を抱え込んでしまうことがあります。
周りに味方が少ないのでは、誰も関心をもっていないのでは。デモに参加する前の私は、いつもそんな孤独を抱えていたように思います。
しかし、実際にデモやイベントに足を運んでみると、社会と隔絶されたような感覚は一気に薄まりました。
LGBT当事者、また政治やフェミニズムと真剣に向き合う人たちを目のあたりにして「自分はひとりじゃない」と実感できたからです。
そのとき私は、行動することは社会を変えるためだけでなく、揺れやすい心を守る安全装置にもなるのだと気づきました。
政治・フェミニズム・同性婚にまつわるアクションは「レズビアンとして」というより生活者として
私は政治やフェミニズム、同性婚にまつわるアクションに参加していますが「レズビアンだから」という理由だけで動いているわけではありません。
私にとって社会運動はもっと日常的なもので「ひとりの生活者として参加している」という感覚のほうが近い気がします。
フェミニズムも同性婚も「政治」と切り離せない課題です。政治のことだと言えます。
政治、社会の仕組みが自分の暮らしに直結している以上、気になるニュースがあれば自然と目が向きますし、違和感や不安を覚えたら「少しでも状況をよくしたい」と思うのは、ごく普通の反応だと思います。
デモや署名、官邸の問い合わせフォームで意見を送ることは特別な行為ではなく、生活の延長でできる「意思表示」です。
政治やフェミニズム、同性婚の実現は、レズビアンを含むLGBT当事者だけの問題ではありません。
多くの人の生活に関わるテーマだからこそ「レズビアンだから」という当事者意識と同じくらい「生活者として生活を、社会をよくしたい」という感覚があるのです。そんな気持ちを胸に、私は今日も小さなアクションを続けています。
政治・フェミニズム・同性婚のデモに参加するレズビアンの私。正直、しんどいときもある
政治やフェミニズム、同性婚の実現にまつわるデモやイベントには気軽に足を運べるけれど、その軽やかさとは裏腹に、胸の奥がずんと重くなる日もあります。
デモや署名をしても、社会がすぐ変わらない徒労感

デモや署名を続けていても、社会がすぐに変わるわけではありません。
どれだけ声をあげても変わらない現実を前に「私の行動は意味があるのだろうか」と気が沈む瞬間があります。
とくに、同性婚の実現やジェンダー平等のような大きな課題は、一朝一夕で動くものではないからこそ、歩みの遅さに徒労感が積もることもあるでしょう。
それでも、行動をやめてしまえば「何もしなかった自分」を未来に残してしまう。
だからこそ、変化が見えなくても、今日の一歩を積み重ねることをやめたくないと思っています。(関連記事はこちらNOISE:「レズビアン=男性嫌い」は本当?)
差別的な声や暗いニュースに心が削られる日々
SNSを開けば、特定の人種やジェンダーに対する差別的なコメント、戦争にまつわるニュースなどが次々と流れ込んできます。
人間の尊厳、人権をないがしろにするようなコメントをみるたびに「この社会で生きていくのはしんどい」と感じてしまう日もあります。
そんな状態でデモや署名に向き合うのは、正直、気力が必要です。行動したい気持ちはあるのに、SNSの荒れた空気に飲み込まれて、前に進む力がそがれてしまうこともあります。
それでも、心が削られる日々のなかで、同じ思いを抱える人たちが確かに存在していることを知ることが、私にとって小さな支えになっています。(関連記事はこちらNOISE:ボーイッシュ&フェミニンのレズビアンカップルが感じるジェンダーバイアス。「見た目」で決めつけられる違和感)
政治関連の話題について友達と温度差を感じたときのさみしさ
フェミニズム、同性婚などは「政治のこと」とも言えます。その政治への関心度は人それぞれ。
友達とのあいだに温度差があるのは「あたり前のこと」。頭ではそう理解しています。
それでも、ふとした瞬間に自分と友達との間に温度差を感じて、勝手に傷ついてしまうことがあります。
私にとって政治やフェミニズム、同性婚などのテーマは、日々の生活と地続きの大事なもの。しかし、友人にはそこまで響いていない。
そんなとき、否定されているわけではないのに、どこか自分だけが別の景色をみているようなさみしさを覚えます。
「わかってほしい」という気持ちを押しつけたくない一方で、分かち合えない孤独に苦しさを感じるのです。(関連記事はこちらNOISE:SNSで声をあげないのは逃げ? LGBT当事者が差別から心を守るために)
友達と温度差を感じたら。健やかに関係を続けるために大切にしている視点
友達の考えや温度差そのものを否定せず、健やかに関係を続けられるためには、どうすればよいのか。私が意識しているのは「軽率に相手をジャッジしないこと」です。
表では語らなくても、裏で静かに行動している人もいる

表では政治やジェンダーの話題を積極的に語らない人でも、実は人知れず行動を起こしていることがあります。
署名をしたり、官邸の問い合わせフォームに意見を送ったり、寄付をしたり、選挙の際に自分の意思で投票したり。デモに参加せずとも、SNSで発信はしなくとも、見えないところでアクションをしている人は、少なくありません。
声の大きさや表現の仕方が違うだけで、関心の深さやおもいの強さは必ずしも表に出るとは限らないと私は思います。
だからこそ、友達が政治や同性婚についての話に期待するようなリアクションが返ってこないからといって「関心がない」と決めつけるのは早いのかもしれません。
そう考えると、温度差に揺れる気持ちが少しだけやわらぎます。
情報の届き方が違えば、関心のもちやすさも違う
私は日ごろからSNSやニュースサイトをこまめにチェックしています。
SNSには大きなニュースだけでなく、報道ではほとんど触れられない出来事や、現政権や社会全体の課題点や警鐘、LGBT当事者ひとりひとりの声も流れてきて、心が痛むこともあるけれど、知れてよかったと思う情報も多いです。
一方で、SNSやニュースサイトをみる習慣がない人は、そもそもこうした情報にたどり着く機会が少ないまま、日々を過ごしている可能性があります。
ひとりひとりが社会に関心をもつべきだと思ってしまう反面「知らないから関心がもちにくい」「よくわからないから話題に入りにくい」と感じるのは当然だとも思います。
そのため、友達が政治やジェンダーへの関心が薄いと感じるとき、責めるべきは友達ではなく、情報が届きにくい構造そのものだと私は考えています。
人を責めずに構造をみる。そのうえで、自分が今できることを考える。そう意識することで悩む時間が以前よりもずいぶんと減ったような気がします。
激務や生活状況で「考える余力」が奪われることもある
激務が続いたり、生活そのものに余裕がなくなったりすると、社会のことを考えるための「心のスペース」が奪われがちです。
関心がないのではなく、ただ生活を支えることで精一杯。そんな状況の人は少なくないでしょう。
私の友人も「仕事の忙しさに追われて政治や同性婚にまつわるニュースを追う気力が残らない」とこぼしていました。
ここで注目すべきポイントは生活の余白を奪う働き方のほうであり、友達本人ではありません。
もちろん、政治への参加は生活の基盤をつくる大事な行動です。しかし同時に、生活そのものもまた基盤。「自分の暮らしを守ること」は、優先されるべきことです。
デモや署名のようなアクションは一度きりで終わるものではなく、細く長く続いていくものです。だからこそ「できるときに、できる方法で関わればいい」と私は思っています。
レズビアンの私が、政治・フェミニズム・同性婚と向き合い続けるためのセルフケア
政治やフェミニズム、同性婚の実現にまつわる課題に直面すると、現実の重さや理不尽さに心が疲れてしまうのは自然なこと。長く関わり続けるためには、自分の心を整える時間が必要です。
自然・趣味で心を整える「回復時間」をつくる

疲れたとき、私は散歩に出て自然と触れ合うようにしています。緑を眺めたり、鳥の声に耳を澄ませたりしていると、張りつめていた気持ちが少しずつほどけていくのを感じます。
家のなかで趣味に没頭する時間も同じで、好きなことに集中していると、不安感が弱まり、自分のペースが戻ってくるような気がします。
こうした「回復時間」をつくることで、悲観的な考えや暗い感情に引っ張られることなく、心も体も健康でいられています。
考えが偏りそうなときは読書もいい
自分の考えが凝り固まっていないか不安になったとき、私は読書をします。
とくに小説は、登場人物それぞれの視点で、その人の人生を疑似体験できるところが好きです。読むなかで「この人はこう感じていたのかもしれないな」「こんな受け止め方もあるんだ」と、視野が広がる感覚があります。
また、政治やジェンダーにまつわる本で歴史や背景、事例などを知ると「社会で今、何が問題なのか」「どこがつまずきなのか」がクリアになることも。
SNSやニュースをみると「今の社会が怖い」「反対意見がとにかく怖い」という漠然とした不安をつい抱いてしまいますが、仕組みがわかるとその恐怖心がやわらぐ気がします。
人は変わる。その瞬間を信じて待つ
私は今30代ですが、20代前半のころは仕事やプライベートのことで頭がいっぱいで、政治や同性婚について深く考える余裕がありませんでした。
しかし、SNSや当事者へのインタビュー記事、ドキュメンタリーなどを通じて、政治やフェミニズム、同性婚の実現と向き合う人々の存在を知り、今では私の生活において社会運動に参加することは欠かせないものとなっています。
人は変わります。
人生のどこかで、誰かの言葉や出来事をきっかけに、関心が芽生える瞬間はきっとおとずれます。
社会の問題は「強い人だけが向き合うもの」ではなく、生活と地続きのテーマです。誰もがいつか関心をもてるように、私はただ静かに待ち、見守りたいと感じています。
今、私は誰もが当事者意識をもってほしいと、祈るようにデモや署名に参加する日々を送っています。
しかし、そんなときこそ、目にみえる情報だけで相手を断罪したり、理解がないと決めつけたりせずに「その人が変わるかもしれない未来」を信じたいのです。
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