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Writer/日向レマ

改名から半年。ノンバイナリーのぼくが、あらためて感じること

戸籍上の名前を改名して半年が経つ。「ノンバイナリーでも改名ができるのか」と不安に思うこともあったけど、無事、新しい名前になることができた。改名の大変さと自分にとっての意義を、あらためて語ってみたい。

ノンバイナリーのぼくがチャレンジした「改名」

ノンバイナリー、改名に成功して半年

「生まれたときの名前と、今の名前が違う」という人はどれだけいるだろうか。

ぼくもそのひとりである。と言うとよく「名字が変わったの?」と聞かれるけど、変えたのは下の名前だ。半年前に、家庭裁判所に申し立てて改名している。

通称名として使い始めてからは、およそ1年。ノンバイナリーのぼくにとっては、元の名前よりずっとぴったりくる名前になった。

というのも、ぼくのジェンダーアイデンティティは男性・女性どちらでもなく「無性」という感覚なのだ。

ひとくちに「ノンバイナリー」といっても実感する性別はいろいろだけど、ぼくは「自分は男女のどちらの性別としてもやっていけない。そもそも、何らかの性別に自分をあてはめたくない」というタイプだ。

ぼくの元の名前は、読みから性別が推測できる名前だった。しかし、無性であるぼくとしては「表記からも、読みからも性別がわからない名前がほしい」と思っていた。

新しい名前は、まさにそういった名前である。

虐待と性別違和は、ダブルで苦しかった

ところで、名前はよく「親からの最初のプレゼント」なんて言われたりする。その通りかもしれない。プレゼントする側に問題がある場合を除けば、だけど。

ぼくは虐待サバイバーだ。

子どもに暴力を振るう母親と、無関心な父親の元で育っている。度重なる暴力や暴言のなかで、ふつうの子ども時代を送ることが難しかった。

現実に耐えられないぼくが選んだのは、なるべく本の世界に逃げ込んで過ごすことだった。物語の中はとてもしあわせだ。

当時のぼくにとって「自分」という概念は、とても曖昧だったように思う。

しかし、成長するにつれて、母親からの暴力はなくなっていった。体格が互角になったからだ。

物理的な暴力以外はいろいろとあったけど、少なくとも家庭にいると命が危ない、ということはなくなった。環境が少しずつマシになったことで、ぼくは「自分」として生活できるようになる。

「自分」を取り戻すということは、自身の感情と直面するということだ。物語に逃げ込むことによって感じずに済んでいた、傷つきや悲しみも戻ってきた。

そのなかで気がついたのは、自分の身体と性別への強烈な違和感だった。

そんなわけで現在のぼくは「虐待サバイバー」かつ「性別違和当事者」ということになる。

名前を変えたかった理由は、この2つの属性両方に関係している。
暴力を振るう親に呼ばれていた名前。そして、戸籍上の性別を明らかにしてしまう名前。

この名前で生きていたくない、と思うわけは、十分すぎるくらいあったのだ。

改名にずっと踏み切れなかった

自分の名前が嫌だ、という感覚は、かなり前から持っていた気がする。

でも、その気持ちがすぐに改名に結びついたわけではなかった。

理由はいろいろあるけど、一番は「改名ってすごく大変らしいし、ノンバイナリーの自分はできるわけない」と思っていたからだ。

勝手にあきらめていたぼくが変わったのは、実は、ぼくが書いているこのメディアNOISEのおかげだ。

ノンバイナリーのライター・チカゼさんが、NOISEにて改名のプロセスを丁寧に説明した記事を書いてくださっていた。(関連記事はこちらNOISE:ノンバイナリーでも改名は可能! すべてのトランスジェンダーが改名を成功させる方法とは?【その1】

記事を読んで「これなら、自分一人でもできるんじゃないか?」と思えたことで、ぼくは改名に踏み切ることができたのだ。そして自分自身でも、改名についての記事を書こうとしている。

ぼくが今回書く記事は、改名の方法論というよりも、改名前後でどんなことを感じ、何を考えていたか、についてだ。ひとりの当事者の記録として、読んでもらえればうれしく思う。

ノンバイナリーのぼくが改名までに感じていたこと

「ノンバイナリー」って本当に伝わる?

改名を決意したぼくには、大きな不安要素があった。「ノンバイナリー」という概念への社会、医療の理解度の低さだ。

前述したNOISEのチカゼさん記事を読んだことで、ぼくは改名に関してとても重要なことを学んでいた。

トランスジェンダー男性/女性ではなく、ノンバイナリーにも性別違和の診断がおりる可能性がある」ということだ。

ぼくは長らく自分の性自認について、FTM/MTF(トランス男性/トランス女性)とは言えない自分に、性別違和の診断はおりないのではないかと誤解していた。

しかし、そうでないのならば、性別違和を理由に改名ができる可能性がある。

しかし、ノンバイナリーであっても性別違和の診断が可能だということは、専門家サイドにも知れ渡っていないようだ。

当時在籍していた大学の保健センターでは、主治医に「診断は出してあげたいけど、あなたは男性になる予定はないんだよね?」と難しい顔をされ、ていねいに説明をして診断書を書いてもらった。

同じく利用していた大学の学生相談所でも、改名の希望を伝えるとカウンセラーに「ノンバイナリーなら診断は出ないですよね?」と聞かれ、これまたていねいに説明をして誤解を訂正することになった。

また、改名前に行った法律相談でも、不安になることがあった。

弁護士さんはとても親身になってくれたんだけど、ぼくに「裁判官はノンバイナリーを知らないから、申し立ての時には『ノンバイナリーとは何か』みたいな資料を添付するといいよ」と教えてくれたのだ。

知らないのが悪いわけじゃない。でも、改名という一生に関わることを判断する人たちに対して「ノンバイナリーとは何か」から説明しなきゃいけないのは、流石にちょっと不安すぎる。

まあ、実際それはきっと有益なアドバイスで、申し立てにはちゃんとノンバイナリーの説明を添えたんだけども。

ドキドキ! 裁判所ガチャ

ぼくが怯えていたのは「裁判官・裁判所によって、名の変更に関する判断は大きく変わる」という噂だった。

改名は基本的にプライベートな手続きだから、この噂を検証することは難しい。でも、改名したトランスジェンダー/ノンバイナリーの人々の体験談は、インターネットでそれなりに探すことができた。

そこに書かれていた裁判所の対応は「とても親身になってくれた」というものから「差別的な扱いを受けた」というものまで、本当にさまざまだった。

なかには「身体的な治療の証拠を求められた」「プライバシーにかかわることを聞かれた」という当事者もいた。

あと、通称名(変更したい名前)の使用実績についても「数か月使っていればOK」から「数年必要」というものまで、判断が大きく分かれていた。裁判所間でも判断は違うようで「地方の裁判所は厳しい」なんて説があったりもした。

怖すぎる。

そんなわけで、裁判所にも裁判官にもガチャ要素があるらしい、ということは認識していた。でも、知ったからといってどうにかできるわけではない。

ぼくにできたのは、毎日「どうか自分の改名申し立てが、差別的ではなく、ノンバイナリーに理解のある人に担当されますように」とひたすら祈ることだけであった。

待つしかない、という不安

改名の準備を始めてから、実際に許可が下りるまで、ぼくの場合は半年足らず。

しかし、その半年はとてつもなく長いように感じた。

少しずつ通称名の実績を積み上げる日々。できることをすべてやって、それでも改名許可が下りるかわからない、という事実はぼくを強く不安にさせるものだった。

間違いなく自分のことだけど、自分に決定権がない。

毎日そんなことをぐるぐる考えながら、寿命が縮むようなストレスと戦っていたように思う。

改名後に起こったこと

ぼくがやっとの思いで改名したあと、どんなことがあったかという話をしたい。

手続きラッシュに追われる日々

改名によろこぶぼくを待っていたのは、手続きの山だった。

市役所に行って身分証を変えて、職場と学校にも連絡する。銀行口座にクレジットカード、あと、あれとそれとこれと・・・・・・。

正直、どれを変更完了したか、自分でもわからなくなる。あと、平日に役所や銀行に足を運ぶのは結構大変だ。ぼくは学生だったからよかったけど、就職したあとだったら泣く泣く有給休暇を消費していたかもしれない。

しかも、多くのシステムは下の名前を変える人間を想定していない。

電話で「下の名前の変更です」ときちんと伝えても「改姓はwebフォームでできますが・・・・・・」と言われ、ため息をつきたくなりながらもう一度説明したこともある。

あと、改姓にともなう名義の変更はオンラインで済むところが多いのに、改名だと電話で問い合わせたり、書類を郵送したり、とやたら手間がかかる。

実務上の事情はあると思うんだけど、ついつい「実質的には同じ手続きなんだし、こっちもオンラインじゃダメかなあ?」と言いたくなってしまう。

ゆっくり名前に馴染んでいく

あと、新しい名前に慣れるには、そこそこ時間がかかる。

書類にうっかり前の名前を書きそうになったり(周りから見れば、自分の名前が怪しい挙動不審な人間である)。

電話口で名前の漢字を聞かれて、どうやって説明したらわかりやすいかな、と一瞬迷ったり。

半年経っても、病院なんかでフルネームで呼ばれると「おお・・・・・・」と感慨深くなってしまったりする。

「人に呼ばれてその名前になる」というか、自分以外の人に呼んでもらうことで自分の名前になっていくんだなあ、ということを体感している最中だ。

意外と(?)周りは混乱しない

ぼくは周囲にノンバイナリーだとカミングアウトしている。

改名に関しても、学校や職場、そして友人たちにずいぶん協力してもらった。正直、すごく恵まれている。

だから、と言ったらいいんだろうか。改名の事実を伝えても、ネガティブな反応はまったくといっていいほどなかった。

「いい名前じゃん」
「なんて呼んだらいい?」

と言ってくれる人ばかりで、本当にありがたい限りだ。

日本で自由な改名が難しいのは、安易な名前の変更を認めると「社会的な混乱を招く恐れがあるから」と言われているらしい。

ただ、改名したぼく自身の体感としては「簡単に名前の変更を認めると社会が混乱するって、本当に?」と言わざるを得ない。もちろん、ぼくの周りに素敵な人々が多いのはわかっている。

でも、ただ名前が変わるだけで混乱するほど、社会ってやつは脆かっただろうか。

別に改名したから口から炎を吐けるようになるわけでも、異形の怪物に変身するわけでもない。その人がその人であることには変わりがないよね、と思ってしまう。

「なんて呼んだらいい?」
「〇〇がいいな」

本当は、それくらいのやり取りでいいのにね。

ノンバイナリーのぼくが思う「改名」という選択肢の意義

戸籍上の改名の許可が下りたのは、奇しくも誕生日の前日だった。

親からの贈り物であることが多い名前。それを、ぼくは自分で自分にプレゼントした、ということになるのかもしれない。

そしてその結果、ぼくは名前を呼ばれることが嫌じゃなくなったし、名前どころか自分まで新しくなれたような気持ちで生きている。

もっと言うと、顔つきもちょっと若々しくなったような気もする(それは流石に言い過ぎかもしれない。でも、前より顔が明るくなったのは確かだ)

もしかしたらこの記事を読んで「改名までする必要があったのか」「呼ばれたい名前を、あだ名やハンドルネームとして使えばよかったじゃないか」という人もいるかもしれない。

でも、ノンバイナリーかつ虐待サバイバーであり、家庭や社会に翻弄されてきたぼくにとって、改名は絶対に必要な経験だったと思う。

だって、新しい名前は、未だ自分に自信が持てないぼくでも、自力で何かをつかみ取って生きていける、という何よりの証明だからだ。

それはより平たく言うと、ノンバイナリーかに関わらず「自分の可能性を信じる」ということになるのかもしれない。

その気になれば名前だって変えられる。

その事実は、ぼくを強烈にエンパワーメントしてくれる。
この名前での人生が始まってから1年目。

これからどんなふうに生きていけるか、とても楽しみだ。

 

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