萩尾望都原作の漫画『ポーの一族』は、2018年に宝塚歌劇団にて舞台化された。原作が好きだった私は、まさか同作品で、LGBTQ+当事者としての葛藤を主人公に重ねて観ることになるとは思っていなかった。
パートナーと会話していて気づいた「LGBTQ+」として葛藤する瞬間
普段、私は自分がLGBTQ+であることをあまり意識しないで生きているけれど、それでも時折葛藤が訪れる瞬間がある。
LGBTQ+に向けられた悪意ではなくても
先日、パートナーと話していて「最近モヤモヤしたことがあったんだよね」という話題になった。
パートナーが好きなYouTubeの番組に、とあるインフルエンサーが出演していたらしい。
動画内でのキャラクターがおもしろかったので、そのインフルエンサーのSNSアカウントをフォローしたところ、彼女がSNSで差別的な文章を投稿したのだという。
「多様性なんてくそくらえ」という一言で締めくくられたその投稿は、LGBTQ+ではなく、ほかのマイノリティな人々に対して向けられたものだった。でも、パートナーはその文章を見て「わざわざ『多様性なんてくそくらえ』と投稿するような人なんだ・・・・・・」とショックを受け、アカウントのフォローを外したとのこと。
自分に対して向けられた攻撃でなくても、マイノリティを排除しようとする意思そのものに、LGBTQ+当事者としてショックを感じてしまう。まるで自分自身も排斥されたかのように思ってしまう。
パートナーが明かしてくれた気持ちに、私も共感をおぼえた。
「LGBTQ+としての自分の居場所を守りたい」という葛藤
私の知人のなかには、私がLGBTQ+であることを知ってくれている人も多い。
ただ、私がレズビアンで、同性のパートナーと一緒に暮らしているという事実と、一般的な「マイノリティ」の人々の存在は、まったく別のものとしてとらえている人もいるのだ。
私の目の前で「○○くんって、クネクネしていてオカマみたいだよね」などと誰かを馬鹿にするような発言をされると、まるで自分が攻撃されたかのように動揺してしまう。
そのとき、私が「ちょっとそういう言い方は・・・・・・」と止めに入ったとして、それは正義感などではなく、LGBTQ+としての自分を守りたい、自分もふくめたセクシュアルマイノリティとしての居場所を守りたいという一心なのだ。
でも、おそらく差別的な発言をした本人には、ピンとこない気持ちなのだろうと思う。
そして先日、この葛藤と似たような感情に再会する機会があった。
舞台『ポーの一族』を鑑賞した日だ。
バンパネラの苦悩を描いた舞台『ポーの一族』
舞台『ポーの一族』は、バンパネラ(吸血鬼)を主人公に展開される、少女漫画が原作の作品である。
漫画原作の舞台『ポーの一族』を鑑賞して得た新たな気づき

舞台『ポーの一族』を最初に観たのは、2018年、宝塚大劇場でのことだ。
もともと原作の漫画が好きだったため、宝塚歌劇団花組で上演されると知って、全力でチケットを取った。
原作ファンである小池修一郎氏による脚本・演出は、漫画版の雰囲気を見事に再現していて、キャスティングも素晴らしく、当時はただただ感動をおぼえた。
その後、2021年に梅田芸術劇場主催にて、2026年には宝塚歌劇団雪組で再演され、どのバージョンにも足を運んだ。
宝塚歌劇団では、トップスターをふくむ出演者の持ち味にあわせて脚本や演出を変更することが多く、そのため舞台『ポーの一族』は、どのバージョンも楽曲やセリフが少しずつ異なっていた。
原作では、バンパネラの主人公・エドガーをめぐる周囲の人々との関係性は、ごくあいまいに描かれているけれど、舞台版ではどの関係をピックアップして描くか、というポイントが違っているのだ。
2018年版では、エドガーの義母・シーラへの思慕が、2021年版では、のちにバンパネラの仲間に加わる少年・アランとエドガーとの同性愛のような友愛関係が、そして2026年版では、エドガーと実の妹・メリーベルとの絆が強調されている。
そして、先日の2026年版の観劇を経て、新たな気づきがあった。
前述した「LGBTQ+としての葛藤」を、主人公・エドガーの姿に重ねて観てしまう瞬間があったのだ。
LGBTQ+の孤独と重なる、バンパネラの少年・エドガーの姿
『ポーの一族』は、人間の血(エナジイ)や薔薇の花を糧として生きるバンパネラ(吸血鬼)の一族に拾われた少年・エドガーが、少年の姿のままバンパネラとなってしまい、孤独を抱えて生きるというストーリーだ。
バンパネラは、胸に杭を打たれたり、銀の銃弾で貫かれたりしないかぎりは死なず、老いることもない。人間のような食事も必要としないし、妊娠や出産をすることもない。「人ならざる」存在なのだ。
だからこそ、10代の少年の姿のままバンパネラとなった主人公・エドガーは、孤独を癒せる相手がいない。人間と恋愛ができるわけでもなく、対等なパートナーを手に入れるためには、自分と同世代の子どもを新たにバンパネラに変えるしかない。
その孤独と苦悩に、漫画の読者も、舞台の観客も共感をおぼえるのだと思う。
私もLGBTQ+として、自分が他人と違うこと、パートナーをなかなか見つけられないことに苦悩していた時期を思い出してしまった。
そして、舞台を鑑賞している最中、とあるセリフで急に「LGBTQ+としての葛藤」がフラッシュバックし、思わず涙が出てしまった瞬間があったのだ。
舞台『ポーの一族』の「人ならざるもの」の姿にLGBTQ+の葛藤を重ねて
『ポーの一族』では、エドガーたちバンパネラの正体が人間たちにばれ、迫害されてしまうシーンがある。
LGBTQ+の葛藤がフラッシュバックした、印象的なフレーズ

バンパネラ(吸血鬼)は、キリスト教において「存在してはならないもの」であり、悪霊の一種のようにとらえられている。
舞台『ポーの一族』においても、エドガーたちがバンパネラであると見破った人々は、十字架や杭を手に、彼らを迫害し、追い詰めようとする。
バンパネラによって具体的な被害を受けたわけではなくても、自分たちとは異なる存在、理解できない、道理を超えていると思う存在は排除したいという強い意思によって、人間たちとバンパネラは敵対してしまう。
特に印象的だったのは、エドガーに向かってある人物が言い放った「お前たちは存在しない!」というセリフだ。
エドガーはそれに対して「存在している、あなたたちよりずっと長く」と哀しそうにつぶやく。
その瞬間、私は「存在しない(存在するべきではない)」とされてしまいがちなマイノリティとして―LGBTQ+当事者として、自分自身が糾弾されたかのような錯覚をおぼえた。
「子どもを作ることができないようなLGBTQ+は、生物としての本能に反している」
「LGBTQ+が身近にいると、社会に悪影響が出る」
これまでに遭遇したことのあるLGBTQ+への差別発言が、一瞬で脳内を駆け巡り、エドガーへの強い共感をおぼえて、つい涙がこぼれてしまった。
同じ舞台を3度、バージョン違いで観てきたなかで、これは初めての感覚だった。
『ポーの一族』から感じとる、LGBTQ+としての孤独と苦悩
舞台『ポーの一族』では、原作にもある印象的なフレーズが歌詞として取り入れられている。
そのうちのひとつに
「創るものもなく 生み出すものもなく うつる次の世代にたくす遺産もなく 長いときをなぜこうして生きているのか」というものがある。
私は今回の観劇で、このフレーズがLGBTQ+を表現したものでもあるように感じたのだ。
少年のままバンパネラとなったエドガーは、誰かと愛を交わし合うことも難しいし、子どもを作ることもない。
正体がばれて迫害されてしまわぬよう、息をひそめてあちこちの国を渡り住むため、バンパネラの仲間以外に心を許せる存在もいない。
恋愛や結婚、家族を作ること、子どもを産み育てることが価値のあること、あたりまえのことのように考えられている社会では、LGBTQ+はエドガーのような「人ならざるもの」として、孤独と迫害への不安を抱えて生きていたはずだ。
私自身、同性愛者への差別発言を見かけるたびに、同性婚が日本で法制化されない事実に直面するたびに感じていた葛藤を、人間たちに迫害されるエドガーの姿に重ねてしまった。
「(存在してはいけないはずなのに)なぜお前たちは存在している?」と糾弾されるエドガーの哀しげな表情に、思わず涙がこぼれた。
今の日本で、LGBTQ+である私が明確な迫害を受けずに生きていられるのは、あたりまえのことではなくて、何かが少しずれてしまったら、存在自体を糾弾されるようなことも起こり得るのだ。(関連記事はこちらNOISE:レズビアンが迫害される架空の日本を描いた小説『愛の国』を、現実にしないために。)
だからこそ、舞台『ポーの一族』の1シーンにここまで心を揺さぶられ、エドガーの苦悩に共感してしまう。
『ポーの一族』は、マイノリティの孤独や葛藤を「バンパネラ」という存在に託した、私たちの心にそっと寄り添ってくれるような作品なのだと思う。
LGBTQ+として「存在している」と旗を振るために

冒頭で述べたパートナーとの会話の中で、モヤモヤすることはあるけど、最近はLGBTQ+に理解を示してくれる人が増えたよね、という話になった。
あらゆるマイノリティへの差別がなくなったわけではないけれど、LGBTQ+の話題が出ると「ああ、知り合いにもLGBTQ+の人がいるよ」と、好意的な反応を示してくれる人が増えた気がするよね、と。
つまり、LGBTQ+差別をなくすためには、私たちのようにカミングアウトをためらわないLGBTQ+当事者が、積極的に存在を主張していくことが大事なんだろうね、とも。
舞台『ポーの一族』で「お前たちは存在しない」とバンパネラを迫害した人々のように、LGBTQ+の存在を身近に感じられず、結果的に差別意識をもってしまう人はまだまだいるはずだ。
「私たちはここにいるよ」
「LGBTQ+当事者はあなたの近くにも存在しているよ」
旗を振るような気持ちで、私は今日も文章を書いている。
いつの日か、LGBTQ+か、そうでないかという境界線すらあいまいになって、性自認や性的指向、恋愛的指向が多様であることがあたりまえになって、誰もが安心できる居場所を見つけられるような、そんな社会が訪れる日のために。
■作品情報
漫画『ポーの一族』
作:萩尾望都
出版社:小学館
ミュージカル・ゴシック『ポーの一族』
脚本・演出:小池修一郎
出演:明日海りお(2018年・2021年)、朝美絢(2026年)、ほか
制作:宝塚歌劇団(2018年・2026年)/梅田芸術劇場(2021年)
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