“ふつうの生き方“ って、一体だれが決めるんだろう。恋愛の話についていけなかった10代の頃から、いつも小さな引っかかりがあった。たぶん、わたしは人と違うんだろうなと。恋も性愛も置き去りにしてひとりで生きていく。アロマンティック・アセクシュアルのわたしが、人生の舵を自分で握るまで。
恋とはきっとフィクションなんだ
思春期、いや、それ以前も。友達がなんとなく恋に近い気持ちを抱きはじめ、それを理解できないと「変わり者」だと言われた。人は、自分と違う価値観や性質をもつ相手に対して、時にひどく残酷だ。
友情だけじゃだめなのか
わたしはもともと男っぽいところがあった。可愛いものは苦手だし、手足を出すのが嫌いだった。幼いころはそれでよくても、10歳を過ぎたあたりから性差はどんどんはっきりしていく。
自分が女性だという意識はしっかりあって、けれどどうしても「異性が好き」という感情が理解できない。じゃあ同性が好きなのかと言われたら、それも違った。
いや、そうなのかもと考えた時期もあったけれど、やはり違った。
女の子らしさを感じさせない性格と見た目から、男の子とも壁を作らず話せていたと思う。その裏で、女の子たちから無視されたり、容姿について陰口を叩かれたりしたのが懐かしい。
今なら、あれは嫉妬も含まれていたのだとわかる。
「家庭」への無関心
高校を卒業して社会に出ると、周囲との感覚の違いはさらに大きくなっていくようだった。
精神的にも金銭的にも、パートナーや子どもをもつ人生が安定するのであろうとはわかっていた。けれど、どうしても興味がもてない。もてなくても、もっているふりをしなければならない。
わたし、こんなんで人生やっていけるんだろうか。
漠然とした不安めいた思いはあった。でもそれをぬぐうために行動する気にもなれない。
「今の彼氏と結婚を考えてる」
「子どもは3人ほしいな」
「家庭はいいぞ、きみも早く嫁に行きなさい」
2000年代初め、令和の今ならハラスメントになりかねない言葉も、たまに受け取った。
愛想笑いをしながら、いかにも「わたしはふつうの女です」とでも言いたげに「早く出会いがほしいです」と答えたけれど、まるで喉に石が詰まったようで。つきたくない嘘とは、こんなにも苦しいのかと思った。
大人になったら妻となり母となる。
この流れに対する居心地の悪さを、折に触れ思い出す。ずっと「自分はひとりがいいんだろうな」とわかっているのに、それをおおっぴらに言えないなんて、やっぱりしんどいのだ。
両親の離婚が教えてくれた、「結婚」に興味をもてない理由
わたしの価値観に影響を与えたとすれば、やはり両親の離婚だろうか。はっきりした原因は知らない。夫婦のことだ、きっといろいろあったのだろう。
夜ごとなじり合う親の怒号と物音に、恐怖と同時に諦めの気持ちがせり上がってくる毎日を、今もよく覚えている。
トラウマといえば、まあそうかもしれない。思春期だったから、余計に傷が深かったのかも。今となっては判断するのが難しい。
もともと恋愛感情をもたない自分の性質に家庭の不安定さが加わって、ひとりで平穏に暮らすほうがよほど自然なことに思えた。
わたしにとって、恋愛や結婚とはすなわち壮大なフィクションだったのかもしれない。そう、人生で演じるお芝居のような。
2人の「ともだち」
20代後半から30代にかけて、わたしは自分のセクシュアリティがなにかを知らないまま過ごしていた。あいかわらず「恋とはなにか」「性愛とはどんなものか」そのあたりの理解はきっと中学生以下だったに違いない。だから誰に対しても友情止まりだったし、それでよかった。
「付き合う」選択がもたらす嫌悪感と焦り

趣味を通じて出会ったAさんは、気の置けない友人だった。物腰の柔らかい、年上の人だった。
わたしにとって、友愛が他人への最大の好意だったことに間違いはない。それは大人になっても変わらなかった。しかし、大多数の人は友情が恋に変わる経験がある。
わたしはそれを漫画やドラマを通して学んでいたけれど、自分ごととして受け止めることはできず、完全なフィクションだと受け流すにとどまっていた。
しかし、周囲はなにかと「とりあえず付き合ってみればいいのに」とか「理想が高いとチャンスを逃すよ」などと言う。
なんとなく付き合う、とか時間の無駄になることはしたくないし、相手に失礼だ。
理想もなにも、そもそも理想がないのだからどうしようもないじゃないか。
でも、周りは「好きかどうかは置いておいて、まず付き合ってみろ」と無責任なことを言った。それが正しいことのように思え始めていたわたしは、きっと疲れていたのだと思う。Aさんから交際を申し込まれたとき、すんなり受け入れてしまった。
苦しかった。
「恋愛関係」を自分のなかに落とし込めない。いつまでたっても私にはAさんが友人にしか見えなかった。加えて「性交渉に至る前に、早くこの関係を終わらせなきゃ」と焦りを感じていたのだ。わたしはある事情から、性嫌悪が強い状態だった。
結局、1ヶ月も経たないうちにわたしから別れを切り出した。薄情なことに、そのときのAさんの様子をまったく覚えていない。ただ罪悪感と「やっぱり自分はふつうじゃないんだ」という絶望だけが残った。
穏やかな友情から結婚を意識した日
Bさんは、SNSを通じて出会った同い年の友人だった。
彼はわたしを純粋に友人として見てくれていて、本当に穏やかな友情をはぐくめたと思う。お互いの価値観や境遇を理解した関係性は、等身大の自分でいられる心地よさがあった。
ある夜、2人で食事をしているときに「この人とだったら、いつまでだって一緒にいられそうだ」と感じた。
知っている。人は、多くのマジョリティはこういうときに相手への恋を自覚し、あるいは結婚を意識するのだ。
マジョリティに擬態したかった
いま振り返れば、わたしは必死にマジョリティのふりをしようとしていたように思う。
私は長女だ。だから母子家庭で育ててくれた母を、祖父母を安心させなくてはと義務感を掲げて生きてきた。それがアイデンティティだった。(関連記事はこちらNOISE:長女症候群だった私が、アロマンティック・アセクシュアルとして自分の人生を歩み出すまで)
周りから変な目で見られないための、隠れ蓑がほしかったのも確かだ。また、当時はひとりで老いていくことに対しての恐ろしさもあったかもしれない。誰かとつながることで身を守ろうとしていた。
今なら、それがよくわかる。
恋愛はできなくても、Bさんとなら楽しく生きていけそう・・・・・・と、すがりそうになった。
もっとも、その甘えもBさんが引っ越したことで希薄になり、今はもう連絡すらとっていない。
アロマンティック・アセクシュアルなわたしが「友情結婚」について考える
2人の友人を失ったわたしは、かなりあとになってアロマンティック・アセクシュアルが選ぶ結婚について知った。時期がもっと早かったら、私も「友情結婚」を望んだかもしれない。
アロマンティック・アセクシュアルを自認したあとに知った「友情結婚」

Aさん、Bさんと疎遠になって数年が経ってから「友情結婚」という言葉を耳にした。恋愛感情や性的な関わりを望まない者同士が、信頼とお互いの条件で築くパートナーシップ。
友情結婚の専門相談所「カラーズ」が公表しているデータを見ると、友情結婚を希望する女性の大部分はアセクシュアルやノンセクシュアルといった性愛をもたない人たちだ。
また、友情結婚を希望する理由は多岐にわたる。
「親を安心させたいから」「世間体が気になるから」「子どもやパートナーがほしいから」などさまざまだ。人として生きる際に生じる自然な願望だと思う。
アロマンティック・アセクシュアルかどうかは関係なく、人はひとりでは生きていけない。周囲の視線や将来への不安に耐えかねていたり、自分の子どもを育てたいと願ったり。
マジョリティであれマイノリティであれ、誰かとの結びつきをもって自分を守り平穏な暮らしを送りたいと思う人は大勢いるのだろう。
私は50歳を迎えて、すでに他人と暮らす選択肢は考えていない。これを話すと「まだどうなるかわからないじゃない」と言われる。相手は、私が「もうこんな年だし結婚なんて、ねぇ」と言っていると思っている。
そうではなくて「自分は他人と暮らすのが向いていないからひとりがいいの」というだけの話だ。面倒なので、訂正はしないけれど。
恋愛感情がなくてもつながる選択肢の多様さと、それぞれの切実な願い
もっとも、みんながみんな、同じ生き方を選ぶわけじゃない。選択には生育歴や性格、その人の優先順位や価値観など、あらゆる背景や事情がからむ。
親のために自分を抑えてでも家庭をつくろうとする人もいれば、性的な欲求はなくても子どもを育てたい人だっている。その願いは本物で、他人が「それは本当の結婚といえるのか?」と切り捨てていいはずがない。
わたしはアロマンティック・アセクシュアルを自認する前から、一生ひとりで生きる道を選んだ。選んだ、と言うと覚悟を要したように感じるが、実際はそうじゃない。
もはや「これしかしっくりこないな」のレベルで自然な選択だったように思う。両親の離婚を経験したからか、誰かと生活するのは平穏を乱されるリスクに感じられた。
両親の離婚から何十年も経ったのに、わたしはいまだに、口汚く罵る男性の大声や、物が壊れる音が大の苦手だ。だから、自分だけの時間と空間を静かに整えるのが一番の救いと癒しになっている。
もし別の道があったなら。” ひとり ” を選んで思うこと

いまでこそ結婚や恋愛、人生の歩き方についても多様性が認められつつあるが、昔は男性は女性と、女性は男性と家庭をもち、命をつないでいく流れが当然とされていた。
現在もそれは多数派だけれど、それでもいまのほうがずっと生きやすい気がする。
誰かと手を取り合う生き方も、ひとりの平穏を愛する生き方も、どちらも尊重されるべきものだ。
けれど、いまでもたまに思う。
もし、AさんBさんという2人の友人に対して、もっと歩み寄っていたら、別の人生があったのだろうか。
自分がアロマンティック・アセクシュアルであると、彼らにきちんと話せていたら、もっと違った「いま」があったのかもしれない。妻になり、母になる未来があったのかも。とても想像できないけれど。
わたしはライター。たまにエッセイや小説めいたものも書く。だからか、どうしても「あり得なかった未来」を妄想する癖が抜けない。
せめて、2人の友人のいまが穏やかなものであれと思うのは、傲慢だろうか。
■参考情報
友情結婚相談所カラーズ
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