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Writer/shu

クワロマンティックのわたしは、正解を探すのをやめた

最近、ふと自分のクワロマンティック史を振り返ってみたくなりました。振り返ってみると、クワロマンティックという言葉を知ったあと、わたしはその言葉に救われる一方で、いつの間にかその言葉にしばられていました。でも最近のわたしは、そのしばりから抜けて、とても楽に生きられるようになったんです。

「正解」がないのが、クワロマンティックのつらさ

今回は、クワロマンティックというセクシュアリティに出会ってから、わたしがどんなふうに悩み、何にしばられ、そして、少しずつ楽になってきたのか。その過程を振り返りながら書いてみたいと思います。

「クワロマンティック」を知ったけど、はて、自分はどうしたいのか?

クワロマンティックを知る前のわたしは、ずっとどこかで違和感を抱えていました。

恋愛の「ふつう」と言われるものを、自分は参考にできない。みんなが自然に歩いている道を、自分だけ歩けていないような感覚がありました。(関連記事はこちら:NOISE「恋愛のふつう」を前に、クワロマンティックのわたしが感じてきたこと

「自分はどこか欠けているんじゃないか」
「普通じゃないのかもしれない」

そんなことを何度も何度も考えていました。

だから、クワロマンティックというセクシュアリティを知ったときは、とても安心しました。やっと自分を説明できる言葉が見つかった、って。

心のなかでちいさくガッツポーズしました。

でも、その安心は長くは続きませんでした。

クワロマンティックというセクシュアリティを知ったからといって「自分がどう生きたいのか」まではわからなかったからです。

きっと「クワロマンティック」といっても、1つの概念には括れず、いろいろな人がいるでしょう。恋愛をする人もいるだろうし、パートナーをもつ人もいるだろう。

じゃあ、自分はどうなんだろう
わたしは何を望んでいるんだろう
どんな相手とどんな関係を築きたいんだろう

わたしを表す言葉は見つかったのに、自分がどうしたいのかは、まだよくわかりませんでした。

周りに「正解」がない、というクワロマンティックの孤独

振り返ってみると、クワロマンティックであることは、わたしにとって「正解」が見えない状態でした。

どんな生き方が自分に合っているのか
どんな関係を築いていけばいいのか

相談したくても、周りにクワロマンティックの人がいるかわからないし、誰にどう相談していいかわからない。そんなさみしさ、むなしさをずっと一人で抱え続けていました。

そもそも、誰かに「クワロマンティック」と言っても伝わらないだろうと思っていました。

「LGBTQ」という言葉の認知は少しずつ広がってきていましたが、クワロマンティックという言葉は、まだあまり知られていません。

だから、何から説明したらいいのかわからない。だったら自分は何をどうしたらいいんだろうって・・・・・・。

これまで「自分には参考にできる正解がない」と感じていて、大きな大きな孤独だったんです。

クワロマンティックの「正解」を探すことが目的になっていた

クワロマンティックとして、どう生きるのが正しいんだろう

わたしは「クワロマンティックとして、どう生きるのが正しいんだろう」ということを、ずっと考えていました。

なぜなら、クワロマンティックというものを深く理解できれば「正解が見つかるはずだ」と思っていたからです。

恋愛はしてもいいのだろうか
パートナーをつくってもいいのだろうか
相手とどんな関係性を築くのがいいんだろうか
クワロマンティックにとっての「好き」ってどういう意味なんだろうか

そんな問いと、ずっと向き合っていました。

それらの問いの答えが見つかれば、きっと生きやすくなるんだって、信じて疑わなかったからです。

そしていつしか「クワロマンティックとして、どう生きればいいか?」という問いは、まるで自分に課せられた宿題のようになっていました。

当時はそう思っていませんでしたが、いま思い返すとそう思います。

本当は、目の前の人を見たほうがよかった

わたしはずっと「クワロマンティックとしての正解」を探していました。

正しい関係。正しい距離感。正しい「好き」。でも、本当に見なければいけなかったのは、目の前にいる相手でした。

「わたしは、この人とどうなりたいんだろう?」

相手と関係を築きながら、この問いと向き合うことのほうが大切なのに・・・・・・。

クワロマンティックとしてのつながりかたを考えすぎるあまり、いつの間にか目の前の相手と関係を築くという意識が薄くなっていました。

問いに向き合っていた時間に意味がなかったとは思っていません。ただ、途中から考えること自体が目的になっていました。

そして、そんな自分を「ちゃんと考えている自分は偉い」ってどこか誇らしく思っていたんです。

それは、どう関係を築けばいいのかわからないわたしにとって、自分を守るための盾だったのかもしれません。

クワロマンティックである前に、わたしはわたし

あのころのわたしは、考えれば考えるほどわからなくなって、身動きが取れなくなり、立ち止まってしまっていました。

心が泣いていたことに、ようやく気づいた

・答えを見つけなければいけない
・クワロマンティックとしての正解を探さなきゃ
・どう関係をつくっていきたいのか、はっきりさせてからじゃないと自分のことを語ってはいけない

そんなふうに、わたしがわたしにたくさんの義務を課してしまっていたんです。

わたしをしばっていたのは「クワロマンティックには正解があるはずだ」と思い込み、その正解を探し続けていた、ほかでもないわたし自身でした。

ずっと苦しかった。ずっと泣きたかった。

でも、そのことにさえ気づいてあげられなかったんです。

「クワロマンティックだから〇〇じゃなきゃいけない」なんてことはなかった。生きたいように生きて、しゃべりたいようにしゃべって、人との関係だって、自分が望みたいように望んでよかったはずなのに・・・・・・。

そんな当たり前のことを、自分は自分に許せていませんでした。そんなことに、ようやく最近になって、気づけるようになりました。

わたしはわたし、と考えることにした

嫉妬や怒りやさみしさを抑えてまで「クワロマンティックだから〇〇じゃなきゃいけない」と考えていたわたし。

そうか、わたしは苦しんでいたんだ・・・・・・。
そう気づいて、いろいろなものを手放してから、わたしは楽になりました。

手放したのは「クワロマンティックなんだから、〇〇」という、自分へのしばりでした。

・正解を見つけなければいけない
・クワロマンティックだから〇〇じゃなきゃいけない
・“好き” をちゃんと説明できなければいけない

自分に課していたおもりを、一つひとつ下ろしていったなかで気づいたこと。それは、どこまで考えても答えは出ないのに、その答えを探し続けて苦しくなっていたのは、自分自身でした。

だから、正解探しをやめることにしました。

クワロマンティックは、わたしを説明してくれる言葉ですが、その前に、わたしはわたしでしかありません。

そう思えるようになってから、一気に肩の力が抜けました。
わたしはわたしとして、自分らしく生きていいんだと思えるようになった気がしています。

「正解」とは違う、クワロマンティックのわたしがいま思うこと

最近になって思うようになったことがあります。「人間関係は、考えきってからつくるものではない」ということです。

人間関係は、考えきってからつくるものじゃなかった

以前のわたしは「自分のスタンスを考えてから」「自分なりの答えを見つけてから」と、まずは自分で考えきることがよいことだと思っていました。

でも、本当は違う。まずは動いてみる。会って、話して、笑って、一緒に時間を過ごしてみる。

その積み重ねのなかで、その人とどんな関係を築きたいのか、どんな自分でいたいのかを考え始めても遅くない。

答えが出ていなくてもいい。むしろ、最初から答えなんて出ないんだから。「好き」と思ったなら、その気持ちを否定せず、そのまま相手と関わってみてもいい。

最近は、人と会ったときに「この距離感は正しいのだろうか」といった不安が消えました。目の前の人と、ただ自然に笑って、話しているわたしがいます。

そうやって1つずつ積み重ねていくことが、いまのわたしにとって大事なことなんだ。そう信じることができています。

「正解」から解き放たれて、これからどう生きるか

わたしは、クワロマンティックという言葉を否定したわけではありません。この言葉に出会えたことで、自分を理解できた部分はたくさんあります。

この言葉に出会えたからこそ「自分だけじゃなかった」と思えましたし、自分を説明できるようになりました。だから、この言葉には今でも感謝しています。

でも、ある1つのセクシュアリティに、画一的な生き方や関係性の正解があるわけではありません。

そして今は、大切にしたい問いがあります。それは「クワロマンティックとしてどう生きるか」ではなく「わたしはどう生きたいか」という問いです。

クワロマンティックは、わたしを説明する言葉の1つです。
でも、わたしの人生をしばるものでも、決めるものでもありません。

正解を求め続け、そのせいで自分をしばり続けたこと。自分を苦しめてしまっていたこと。
その苦しさから、わたしはずっと逃げたかったんだと思います。

「わたしはどうしたい?」

これが、いまのわたしを大切にするための自分との合言葉です。自分らしい関係も、自分らしい生き方も、実際に人と関わりながら少しずつ見えてくるものなんだと思います。

最後に、クワロマンティックという言葉に出会ったばかりのころのわたしに、今ならこう伝えたいです。

「焦って答えを出そうとしなくていいんだよ」
「関係性は相手と二人で築き上げていくものだから、やりながら見つけていけばいいんだよ」
「これが正解、というものはきっとない。不安なのは、相手も同じだから」
って。

 

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「恋愛のふつう」を前に、クワロマンティックのわたしが感じてきたこと

 

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