女性として生きていると「ふつうの幸せはこうです」と言われる時期がやってくる。恋愛して、結婚して、いつかは子どもを産んで母親になる。それが当たり前で、誰もが望む未来だと言わんばかりだ。でも、誰に対しても性的な欲求や恋愛感情を抱かないアセクシュアルのわたしにとって、その枠組みは息苦しいものだった。25歳のあの日、占い師の言葉に覚えた違和感の正体を、いまなら言葉にできる。
心の底からうれしくなれない占星術
「あなたは人を守り育てる人です。いいお母さんになると思いますよ」。美しい占い師は、わたしの未来を祝福するように微笑んだ。手渡された紙には、わたしが生まれたときの天体の配置が書かれている。しかし、わたしには自分がおひつじ座であることしかわかっていなかった。
ほめ言葉のはずなのに、心の底からうれしくなかった
占い師に悪気がないことは、よくわかっていた。女性にとって、これ以上ないほどのほめ言葉を伝えたつもりだったのだと思う。
けれど、その言葉はどろりとした重さをともなって耳に届いた。同時に、頭のなかと胸の奥がすっと冷めていく。
ありがたい言葉を向けられているはずだ。
ここは、うれしそうな顔をするのが正解のはず。
わかっていても、うれしいとは思えなかった。
「そうでしょうか・・・・・・まだ想像できないですね」と、愛想笑いを浮かべたつもりだ。
実際のところ、本当に笑えていたかは自信がない。ふつうの女性なら、顔をほころばせる人も多いだろう。
そんなわかりきった反応ができない自分に、戸惑いを感じていた。
とにかく仕事が好きだった
当時のわたしは25歳。地元の文具店で画材の担当をしていた。絵の具や筆、色とりどりの紙や額縁などの仕入れを任されて、毎日楽しく働いていた。
今日はどんなお客さまが来るだろう。新商品の使い方を聞かれたら、うまく答えられるようにしておかないと。
売り場を整えたり、新しい画材のPOPを作ったりする時間は本当に充実していて、わたしは日々の生活に心地よさを感じていた。
仕事こそが人生の充実度を高めてくれる。このままこのお店で働けたらいいのに。
家があり、趣味があり、仕事がある。思えばあのころは、仕事といってもまるで遊びの感覚で、ひたすら楽しいと思いながら働いていた。
なんか違うんだよな、との理由が言えずにいた日
ある日、ホロスコープから性格や運勢を読み解くという占い師のもとを訪ねた。
占い師の口からは「お母さん」という単語が出てしまう。
わたしにも母親がいる。何度この「お母さん」を口にしたことか。けれどそれは、自分の母親だったり、あるいはお客さまの子どもに向けたものだったり。
自分が「お母さん」と呼ばれる未来が想像できない。いや、想像できたとしても、わたしは誰の子を産むのか。そこで思考が止まってしまう。
わからない。
ほかの人なら恋人との子どもを想像するし、あるいはまだ見ぬ誰かとの将来を思い描くのかもしれない。
あとになって自分の生まれたときの星の配置を調べてみた。ざっくりとしかわからなかったが、どうもわたしには「責任感をもって支え守る力」があるらしい。
なるほど、それが母親としての軸と読み取れるわけか。ふうん、と気の抜けた声しか出なかった。
当時のわたしには「いい母親になる」と言われるのがどうしても窮屈でしかたがなかった。「お母さん」という役割を前提として人生を語られると、どうにもしっくりこない。
言葉にできない違和感が心の片隅に細く深く刺さったまま、わたしの25歳は静かに終わった。
「母になる未来」を拒む理由を説明できない
占い師の言葉をきっかけに「周りと考え方がズレている」と再認識した。多くの人が当たり前に通るルートが見えない。答えの出ない問いを抱え、わたしは自分の本心を誰にも打ち明けないまま、静かに心を閉ざしていくことになる。
「産む」が遠い

20代半ばを過ぎたあたりから、友人や同僚の何人かは結婚に向けて動き始めた。
恋人ができた、プロポーズされた、結婚式はどうする。華やかな話題が飛び交うなかで、わたしはいつも他人事のような顔をしていたように思う。
口では「わぁ、よかったね」「幸せそうでうらやましいなぁ」なんて言っていたが、実際はうらやましくなどなかった。人の幸福なんて、本人にしかわからない。少なくとも私の幸福は、彼女らのそれとは対極にある気がした。
恋を経て、その先に結婚があり、いつかお母さんになる。この流れが、わたしには自分事として想像できなかったのだ。
よく言うじゃないか。誰かにときめきを感じるとか「この人と一緒にいたい」と胸を焦がすとか。それが、わたしのなかには存在しない。
知識はある。
想像もできる。
きっと恋愛相談にも「ピンとこないや」と思いながらも応じられるだろう。
みんなが当たり前にもっている感情が、わたしにはない。10代のころからうすうす気付いてはいたけれど、やはりそうなんだな。
焦ってしまう。
マジョリティであれば「婚期を逃したらどうしよう」と焦るのだろうか。
私は違う。「『婚期を逃したらどうしよう』と思えない」から、焦る。
「トラウマのせい」と言われても、反論する言葉できなかった
わたしが恋愛や結婚の話に食いつかないので、周りの人から「恋愛のトラウマでもあるんじゃない?」と言われたことがある。
きっと、わたしを思いやって理由を探そうとしてくれたのだろうと思う。あるいは、単なる興味本位だったかもしれない。
当時のわたしには、うまく説明できなかった。説明したところで理解されないのはわかっていたし、正直なところ、家庭を築くことに面倒臭さや「きっと失敗する」という気持ちがあったから。
それを他人に伝えるには、若かったわたしには相当な勇気が必要だった。
「トラウマなんてないよ」と返したら、どうなるんだろう。また根掘り葉掘り聞かれて「いい人と出会えるといいね!」「そろそろ将来を考えないと、出産が遅くなるよ」なんて言われるんだろうか。私はそんなこと望んでないのに。
当時は2000年代の初め。いまであればセクハラとも受け取られかねない発言でも、真面目に受け止めて「気にしてくれてありがとう」と返すような時代だった。少なくとも、あのころのわたしには言い返すだけの気力はなかったように思う。
だから、相手の決めつけに反論するのをやめた。そうやって自分の心に鍵をかけるしかなかった。
言葉を持たないということは、相手の土俵に無理やり立たされるということでもあったのだ。
一生独身がわたしの当たり前だった
学生時代から「自分は一生独身で生きていくんだろうな」と確信していた。
家庭をもつ自分が、大人になっても想像できない。文具店での仕事は相変わらず楽しかったし、ひとりで過ごす時間も満たされている。
それなのに、世間からは「まだ若いんだからこれからだよ」とか「いい人がいれば変わるよ」と、わたしのいまを否定するような言葉ばかりが投げつけられる。
数年後、焦燥感もあってしたくもない婚活をすることになるが、それはまた別の話だ。(関連記事はこちらNOISE:アセクシュアルの結婚迷走記録)
アセクシュアルという言葉がわたしの違和感に名前をくれた
25歳のわたしが抱えていた違和感。それが解消されるまでには、そこからさらに長い時間が必要だった。セクシュアリティの自認に至るまで15年。そのあいだも失敗を繰り返して、随分遠回りした気がする。
わたしは「アセクシュアル」なんだ。自分のラベルが生まれた感覚を得て

自分はどんな人間なのか。周りとのズレがどこからくるのか。明確な答えを見つけられないまま、わたしは年齢を重ねていった。
転機が訪れたのは、40代になってからのことだ。いつものようにSNSを眺めていたとき、ある言葉が目に飛び込んできた。
他者に対して性的な欲求を抱かない人を「アセクシュアル」という。
そうか、そうだったのか。
視界が開ける感覚を覚えた。
なぜみんなのように恋ができないのか。
どうして母親になる未来を想像できないのか。
わたしの心が壊れているからでも、トラウマのせいでもなかった。ただそういう性質をもって生まれてきたというシンプルな事実にすぎない。
自分のことなのに説明できないもどかしさが、アセクシュアルを自認してようやく小さくなっていった。
アセクシュアルであることも、性愛・結婚・出産をひとつながりで考えなくてもいい時代
アセクシュアルという言葉を知ってから周囲を見渡してみると、世界は少しずつ、けれど確実に変わり始めていることに気づかされた。
かつてわたしが25歳だったころの2000年代初頭は「恋愛して、結婚して、子どもを産む」という流れが絶対の正解として立ちはだかっていた。けれどいまの時代は、そのすべてをひとつながりの義務としてとらえなくてもいいという価値観が、少しずつ広がりを見せている。
たとえば現代では、生殖補助医療によって生まれる子どもは、いまや全出生の1割を超え、約9人に1人にのぼるデータもある。従来の形にとらわれず、さまざまな選択肢を経て家族を迎える人たちが現実に存在しているのだ。
こうした社会の変化や事実から、わたしは深い安堵を得る。
わたしの違和感は、決してわがままや異常ではなかった。ただ、アセクシュアルだっただけ。少数派だっただけに過ぎない。
もっとも、マイノリティであることに若干の窮屈さを感じる瞬間はいまもある。
25歳の自分を見つめ直す
家族の形が多様に広がりつつあるいま、あらためて25歳の自分を静かに思い出している。
占い師から「いいお母さんになれる」と言われて、それをよろこべない自分はおかしいと思っていた。社会が求める「よき母親」という役割にポジティブな感情をもたなくてはならないと焦っていた。
ホロスコープで示されている「責任感をもって支え守る力」を、結婚や出産という方法でしか発揮できないと思い込んでいたのかもしれない。
わたしは「母親」にはならなかった。けれど、教育の現場で支援に関わったり、こうして言葉を紡いだりするなかで、星の配置が示していた資質を、いま別の役割で使えている実感がある。
25歳のわたしと、息苦しさを抱えるあなたへ

わたしは結局、母親にはならなかった。
誰かと恋に落ちて、結婚して、子どもを産む。このスタンダードな流れは、私の人生とは相容れなかった。
25歳のころはその理由をうまく説明できず、ただ「なんか人とは違うんだよな」としか言えなかった。
でも、いまならわかる。あの違和感は、わたしが冷たいからでも、欠けているからでもない。一般的な幸福と、わたしの幸福の形が違っただけだ。
そう、母になる人生ではなかった。けれど、誰かを支えたり、言葉にならない誰かの思いを拾ったり、わたしなりに何かを育ててきた気はしている。
恋をしなくても、母にならなくても、人生はいつだって自分次第で楽しくもつまらなくもなる。25歳のわたしは、それを知らなかった。
だからいまのわたしが、代わりに言っておく。
感情に蓋をするな。
違和感から目を逸らすな。
マイノリティであることを恐れるな。
悪いことなんてしていない。
後ろ指をさされることでもないはずだ。
きっと、あなただって。
■参考情報
・厚生労働省 令和5年人口動態統計月報年計(概数)
・公益社団法人 日本産科婦人科学会2023年体外受精・胚移植等の臨床実施成績
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