わたしは最近、パートナーという存在についてよく考えています。それは、人生をともに歩む人がほしいと思うようになったからです。そのなかで浮かんできた問いが「パートナーってどこまでを共有する関係なのか」ということです。この問いについて、自分が歩みたい人生のスタイルから向きあってみました。(関連記事はこちらNOISE:クワロマンティックが「パートナー」を望むようになった理由)
わたしはわたしを表現しつくす人生を歩みたい
パートナーの話に入る前に、まずわたしが生きていきたい世界、つくっていきたい未来についてお話しします。
やりたいことが増えていく
最近、やりたいことが次々に増えています。
・愛に向きあう環境づくり
・詩を書くこと
・本をつくること
・ライフストーリーをテーマにしたインタビュー記事を書くこと
・写真撮影
そのどれもが、今のわたしがやりたいことであり、これからやっていきたい表現です。
わたしにとって表現とは「こんな世界になったらいいな」という願いを、自分ができることを通して、何らかの形にする。そしてそれを誰かに共有することです。
その行為が、お金をもらうかどうかにかかわらず、誰かと対話することも、文章を書くことも、場をつくることも、わたしなりの表現です。
わたしなりの表現の根底には、ひとつの信念があります。
“sharing love”
愛をわかちあう瞬間を増やしたい、という意味です。
それが、今のわたしの人生のテーマであり、ある種「祈り」を込めてできる活動をしています。やりたいことは、どれもが別々の活動のように見えますが、わたしのなかではひとつの大きな表現なんです。
表現にはお金も時間もかかる
これだけ表現したいことがあると、お金も時間もかかります。
わたしが表現していきたいことの多くは、すでに用意されたレールの上を進むものではありません。誰も入っていったことのない藪を切り開き、道をつくり、その道を歩いていくようなものです。仕事として成り立たせようとするなら、さらに時間がかかります。
・活動を知ってもらうこと
・価値を届けること
・応援してくれる人を増やすこと
その積み重ねです。
さらには、学ぶためのスクール代や講座代、活動のための交通費、オンラインツールの利用料などなど、個人で仕事をしていく以上、そうした先行投資は欠かせません。
会社や組織が守ってくれるわけではないので、収入は常に不安定です。自由に時間を使える反面、自分で決め、自分で責任を引き受けていかなければなりません。ときには、思うようにいかず、気持ちが落ち込むこともあるでしょう。
そんなとき、もしパートナーがいたら、このようなライフスタイルは相手にも影響します。お金のこと、時間のこと、そして精神的なこと。パートナーシップとは、そうしたものを少しずつ共有していく関係でもあるはずです。
だからこそ、表現は自分ひとりだけの問題ではなくなります。
自分がどんな人生を歩みたいのか
どんな世界をつくりたいのか
その表現を続けていくことは、パートナーとの関係にもつながっていくのだと思うのです。
パートナーシップは、お互いの表現を受容しあうことが大切なのだろうか
わたしは、自分の表現を誰かに応援してほしいと思っています。
相手の表現を受け入れられるだろうか

わたしの挑戦や生き方を、近くで見守り、ときには応援してくれる人がいたらうれしいです。
ではパートナーができたとき、その人のやりたいことをわたしはどう感じるのか。
たとえば
・続けていた仕事を突然辞めたいと言ったら
・起業したいと言ったら
・海外へ行きたいと言ったら
・わたしには理解できない夢を追い始めたら
そんなとき、わたしはパートナーを応援できるか、ということです。応援したい気持ちはあると思います。でも同時に、不安も出てくるんじゃないかな、と思うんです。
パートナーの理想や願いが強いほど、応援したい気持ちは大きくなるでしょう。
ただ一方で
・本当にうまくいくのだろうか
・手放しでよろこべるだろうか
・心から背中を押せるだろうか
という気持ちも出てくるかもしれません。
そんなことを考えると、パートナーシップとは、単に「好き」という感情だけでは成り立たないのかもしれない、と思ってきました。むしろ、パートナーがどんな人生を生きようとしているのかを知り、その生き方と向きあっていくことが必要なのかもしれません。
お互いを受容しあえるだろうか
お互いがお互いのやりたいこと、表現を受け入れていけるか?
つまり「受容」できるか、ということについて考えてみます。
パートナーは友人よりも、お互いの人生に深く関わる存在です。
時間やお金の使い方、働き方、住む場所、人生の優先順位・・・・・・。
そうしたものは、どれも相手に影響を与えます。
自分の選択によって、相手の人生に影響を与える。
相手の選択によって、自分の人生に影響を受ける。
パートナーとわたしが相互に影響を与えあう関係だとするなら、人生のなかでどのようなことを大切にしていきたいのか、やっぱりお互いに知っておくことが欠かせないと思います。
どんな未来を望んでいるのか?
どんな生き方をしたいのか?
それらを知ったうえでどこまで受容しあえて、どこまで応援しあえるのか。そこにパートナーシップの大切なポイントがあるような気がしています。
ただ、パートナーシップは「何でも受け入れること」ではない、とも思っています。
無理をして合わせ続けることでもなければ、自分の人生を諦めることでもない。
お互いがお互いを好きであること。
そのうえで、その人が生きたい人生を尊重できること。
そして、自分自身の人生も大切にできること。
パートナーシップとは、そのバランスを探し続けることかもしれません。
パートナーシップとは「人生を共有すること」なのかもしれない
パートナーを望むようになってから、わたしはずっと「関係を深める」ということについて考えてきました。
パートナーとして歩むとは

わたしは、人と深い話をすることには慣れていますが、最近になって「関係を深める」とはそれだけではないのかもしれない、と思うようになりました。
日常を共有すること
何気ないやり取りを重ねていくこと
そうした積み重ねのなかで、人との距離は少しずつ近づいていくのかもしれないと思うようになったんです。(関連記事はこちらNOISE:31歳でクワロマンティック。やっと考え始めた「関係を築く」ということ)
そして、その先にあるのがパートナーシップなのかもしれません。
わたしにとってパートナーという存在は、ただ一緒に過ごす相手ではなく、時間を共有し、お金を共有し、生活を共有し、不安や悩みといった精神的な部分まで共有していく存在なんだろうなって。
パートナーシップとは、人生そのものを共有することなのかもしれない。
そう思います。
ともに未来を見る
人生を共有するとは、同じ夢をもつことではないと思います。
同じ活動をしている必要もありません。
大切なのは、それぞれが願う未来を知り、尊重しあえること。その未来に、お互いに関わっていくこと。
でも、未来について語ることは、怖いことでもある気がします。その未来は、ふたりの未来だから。対立するかもしれないし、願っても叶わないかもしれない。
それでも、未来について語りあい、歩み寄り、お互いが見ている景色を知りながら「一緒にいたい」と思えること。
そんな覚悟のようなものが、わたしの思う理想のパートナーシップなのかな、と今は考えています。
クワロマンティックのわたしは、それぞれの人生を表現できる関係でいたい
クワロマンティックは、一人で生きることはできるかもしれないけど

わたしには、これから挑戦してみたいことがたくさんあります。会いたい人もいます。
頼れる仲間もいて、充実している人生だなと思います。
だから、パートナーがいなければいけないとは思っていません。特に、クワロマンティックを自認して以降、自分で考え、自分で決め、自分で責任を引き受けながら生きてきました。
正直言って、パートナーがいなくても、一人でも生きていけると思っています。
でも最近は「一人で生きられること」と「一人で生きたいこと」は違うのかもしれない、と思うようになりました。
どれだけやりたいことがあっても、どれだけ充実していても、人生のよろこびや葛藤を分かちあえる人がいることには、別の価値があるんじゃないかって思うことがあります。
一人でも生きていける。でも、誰かと生きてみたい。
クワロマンティックでも、最近はそう思うようになりました。
パートナーを望むようになったからこそ、以前よりも真剣に考えるようになりました。「好き」という気持ちだけではなく、どんな人生を生きたいのか。どんな未来を見たいのか。そして、お互いの表現をどこまで尊重しあえるのか。
パートナーシップとは「誰かと一緒にいること」ではなく「お互いの人生に関わりながら生きていくこと」かと思います。
表現しあえるパートナーがいい
人生が豊かになればなるほど、わたしは表現したいことは増えていく気がします。
新しいことを始めれば、うまくいかずに落ち込む日もあるでしょう。何かを達成し、喜びに満ちた日もあるでしょう。
そんなとき「パートナー」がいたら?
お互いの表現を支えあう存在になるでしょう。
人生を支えあう存在になるでしょう。
わたしは相手の人生を生きることはできません。
相手もまた、わたしの人生を生きることはできません。
それぞれが自分の人生を生きながら、ときには支えあう。
そんな関係を築いていけたらいいなと思っています。
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