「長女だから、親に孫の顔を見せてあげなきゃ」。そんな責任感に縛られて、苦しんだ時期がありました。誰かを好きになる感覚がわからない、親になりたいと思えない自分はおかしいのかも。不安を抱えながら、必死に「いいお姉ちゃん」を演じていました。
「長女だから」という鎖と、恋愛感情のないわたし
子どものころから、わたしはいつも「しっかり者のお姉ちゃん」でした。大人たちの期待に応えるのは当たり前で、自分の気持ちはあまり押し出さなかった気がします。けれど成長するにつれて、周りの人たちとの間に少しずつズレを感じるようになりました。その要因は、他者に向ける恋愛感情の欠如だったのです。
「お姉ちゃんだから」。長女症候群の静かな始まり
「さすがお姉ちゃん、おりこうだね」
わたしは弟妹と大きく年齢が離れています。そのため子守りを任される機会も多く、大人になるのが少し早かったかもしれません。
わたしの話し方や考え方は、よく親や祖父母、親戚に褒められました。ですが時折、喉の奥が縮こまるような感覚だったのを覚えています。
長女だから、わがままを言ってはいけない。
長女だから、下の子の面倒を見なければいけない。
大人から求められることをこなすうちに、自分のなかに「いい子」の型を作っていった気がします。なにを言えば、なにをすれば周りの大人が喜ぶか。10歳を迎えるころには、それが自然に感じ取れるようになっていました。
いま思えば、これがわたしを長く縛ってきた長女症候群の始まりだったのかもしれません。
長女症候群。その言葉に医学的な裏付けはありませんが、長女が大人になっても責任感や完璧主義から抜け出せない特徴を示しているそうです。もちろん、個人の性格や家庭環境に影響される点も多くあります。長女が全員こういった傾向にあるわけではありません。
しかしわたし個人としては、妙にしっくりくる言葉です。
恋バナにどうしてもついていけない
中学生、高校生と成長するにつれ、友人たちの話は少しずつ「恋愛」の色を帯びるようになっていきました。
空気を読んで、時には恋愛に興味のあるお芝居をしながら、自分を偽る苦しさを抱える少女時代。明らかに演じ切れていない自分を俯瞰しながら、頭の中ではきょうだいのことでいっぱいでした。
母子家庭だったので、母が仕事から帰ってくるまではわたしが小学生のきょうだいを世話しなければなりません。
放課後は帰りにスーパーで夕飯の買い物。帰ったらすぐに夕飯を作って、きょうだいに宿題をさせる。
そんな高校時代だったので、周りでよく聞く「◯◯くんがかっこいい」「あのふたりは付き合っているらしい」。こうした話題も、貼り付けた笑顔のまま「ちょっと言っている意味がわからない」と思いつつ、適当に相槌を打っていました。
勘の良い人は、もしかしたらわたしのいい加減な態度に気付いていたかもしれません。
話を合わせるために、芸能人の名前を挙げて「好みだわ」と言ってみたり、恋愛相談に耳を傾けたり。その裏側で、ひどく冷めている自分がいたのは確かです。
学生時代、わたしは「温かい家庭」とは少々縁遠い暮らしを送っていました。けれど、それを免罪符にして「周囲と違う自分」を全肯定するのは違う気もしていたのです。
わたしは、自分の性質について「家庭環境によって作られたものではない」とどこかで気づいていたのかもしれません。
自分は生まれたときから恋や愛に鈍く、あるいは関心がない。それは家族が起因しているのではなく、あくまでも生を受けたときから備わっている個性なんだ。
幼さゆえに言語化はできませんでしたが、当時はそんなふうに思っていた気がします。
恋する感覚が麻痺している
子どものころは「大人になったら男の人を好きになって、そのうち結婚するんだろうな」と思っていました。だって、テレビドラマも小説も、周りの大人たちも、みんなそうやって生きていたのですから。
思春期がくるまでは、周りと同じように生きていくものなんだと、無意識に信じ込んでいました。
でも、いくつになっても誰かを恋愛対象として見たり、付き合いたいと思ったりする瞬間はいっこうに訪れませんでした。
友人のことは好きだし、家族も大切です。友愛、家族愛、隣人愛。愛情の種類はさまざまあります。わたしの場合は、恋愛の枠が自分のなかに存在していませんでした。15歳になっても、20歳になっても。
わたしには人としてのなにかが欠落しているのかもしれない。
きょうだいの世話で、学校の友人とちゃんと関われてなかったから?
恋愛に関する知識や感覚を養えなかったから?
「ふつう」になれない恐怖と焦り、そして「こういう人間なんだからしかたないな」と妙に吹っ切れた感覚を感じながら、わたしの20代は過ぎていきました。
「親に孫を見せなくちゃ」というプレッシャーの正体
20代後半を迎えるころ、わたしの周りは少しずつ変化していました。友人や知人が次々と結婚し、母親になっていく。ライフステージに関して、身内から直接なにかを言われたことはありません。そのかわり、職場や飲み会で投げかけられる言葉が自分への違和感と言いようのない焦りを膨らませていきました。
周囲の結婚ラッシュと、悪気のない言葉たち

25歳を過ぎたあたりから、周りの人の結婚報告や出産報告が届き始めました。また、同時に、同僚や知人から「いい人はいないの?」「そろそろ結婚とか考えないの?」と聞かれる機会がぐんと増えたのです。
わかっています。彼らに悪気はありません。
「ふつうの幸せ」について、ただアドバイスしてくれているだけです。
けれど、誰かをまともに好きになったことのないわたしにとって、その言葉は時に鋭い刃のように感じられました。
「まだ予定はないよ」と笑って受け流しながら、心の中に「どうしてわたしには、みんなと同じことができないんだろう」と焦りが広がっていきました。
女手ひとつで三人の子どもを育てた母は、決してわたしに「早く結婚して子どもを産みなさい」と言いませんでした。だからこそ、でしょうか。周りから急かされるたびに「わたしにはふつうに生きて親孝行することはないんだな」と罪悪感が膨らんでいきました。
ふつうの幸せを選べない自分へのいらだちを抱えて
わたしが20代から30代中盤を過ごした1990年代後半から2000年代。当時はまだまだ「女性は子どもを産んで家庭を支えるもの」という思想が一般的でした。田舎で暮らしていたというのも要因かと思います。
わたしはずっとその風潮になじめなくて、もしかしたら上司や年配の同僚が言うように親不孝者なのかもしれない・・・・・・と感じていました。(関連記事はこちらNOISE:「産んでこそ一人前」が苦しかった。アロマンティック・アセクシュアルのひとりごと)
母に孫を抱かせたい。抱かせなくてはならない。
それはわたしが自分に義務付けようとする、なかば呪いのようなものだった気がします。
自分が誰かと結婚して子どもを産む。その未来を想像しようとしても、心がフリーズするとでもいいましょうか。わたしには現実味が感じられません。
誰かと恋愛関係になり、結婚し、子どもを産み育てる。その見知ったライフステージを、自分のこととして受け止められませんでした。
成長したきょうだいたちがそれぞれの道を歩み始めるなか、長女である自分だけが、親の期待(だとわたしが勝手に思い込んでいたもの)に応えられず取り残されている感覚。
みんなが当たり前にできる親孝行ができない。その事実は、わたしの自己肯定感を薄く薄く削り取っていきました。
されてもいない期待に応えようとした日々
このままではいけない。
焦ったわたしは、自分の本心に背を向けて、世間の「ふつう」に染まろうとしました。親を安心させたい気持ちと、異端になってはならないという焦りから、気乗りしないのに婚活をしてみたのです。(関連記事はこちらNOISE:アセクシュアルの結婚迷走記録)
けれど、しょせん無理なものは無理でした。
相手の方に対して「よい人だな」とは思うものの、そこから先に進むためのエンジンがどうしてもかからない。幸福も得もときめきも見いだせない。それならひとりで家にこもってインターネットに興じるほうがずっと楽しかったのです。
自分の心を置き去りにして、誰かの期待に応えようとする。まるで自分の首をじわじわと絞めていくようでした。「しっかり者の模範的な長女」でいようとしていました、無意識に。
きょうだいも成人して、わたしはもう、長女でもお姉ちゃんでもなくていいのに。
さようなら長女症候群。アロマンティック・アセクシュアルという言葉に出会って手放せたもの
人に言えない違和感を抱えたまま、時間は流れていきました。わたしがセクシュアリティを自認するきっかけとなる出来事が起こったのは、40代になってからのこと。何気なくSNSを眺めていたときです。
アロマンティック・アセクシュアルだからこそ選べる、これからの自由な選択

SNSのタイムラインで見つけたふたつの単語、それが「アロマンティック」と「アセクシュアル」でした。他者に恋愛感情を抱かない性質と、同じく他者に性的欲求を感じない性質。驚くほどわたしの状態にぴったりと重なりました。
自分はおかしくもなければ、なにかが欠落しているのでもない。そういう個性をもった人間なんだ。
40代にして、わたしはようやく「自分が何者か」を言葉にできる気がしました。
アロマンティックやアセクシュアルを自認できて、わたしは「『ふつうの幸せ』を無理に求めなくてもいいや」と思うようになりました。
これからは自分の意志で、自分が心地よくなれる生き方を選ぼう。そう思えたとき、目の前が少しだけ明るく感じられたのを覚えています。
重かった長女症候群との別れ
アロマンティック・アセクシュアル。
自分のセクシュアリティを表す言葉に出会えて、わたしは長女症候群の呪縛からも抜け出すことができました。母はわたしになにも求めていなかったのに、わたしが勝手に背負い込んでいた「模範となる長女」という役割。
親きょうだいを安心させようという思いは優しさの一種だったかもしれないけれど、自分の心をすり減らしてまで型にはまる必要はない。きょうだいも大人になった。わたしはもう、彼らの「いいお姉ちゃん」を演じなくてもいいのです。
さようなら、長女症候群。
されてもいない期待に応えようとするのをやめて、誰にどう思われても自分のために生きる。そう決めたとき、わたしはようやく、本当の意味で肩の荷を下ろせたように思いました。
人生も心も、ほかの誰のものでもないから

「長女だから」
「ふつうはこうだから」
周りから求められているであろう役割を背負う代わりに、自分の心を見失いそうになる人はきっと少なくないでしょう。
他者を大切に思う優しい人ほど、誰かから期待を寄せられると「応えなくては」と自分の義務として受け止めます。それを望んでいなかったとしても。
でも、心はほかの誰のものでもありません。自分だけのものです。
“ ふつう” から外れていても、心の声に正直になって選んだ生き方は愛おしいもの。模範的な「お姉ちゃん」をやめたければ、やめてもいいのです。
アロマンティック・アセクシュアルを自認していても、結婚や子育てに対する考え方は多様です。
わたしは、妻や母になる人生を選びません。わたしははっきり声に出せるようになったのです。
「アロマンティック・アセクシュアルです。家庭を築いたり子どもを産んだりはしていません」って。
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