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Writer/日向レマ

「パンセクシュアルって、誰でもいいってこと?」。そんなわけないだろう

ぼくは複数の人に惹かれる「パンロマンティック」当事者だ。「パンセクシュアル」と伝えた日に言われた一言は、LGBTQ+の中にある分断に気づくきっかけになった。「単性愛」というワードを手掛かりに、いろいろ考えてみた。

ビアンバーで「パンセクシュアル」を名乗った日

レズビアンではないぼくが、友達に誘われてビアンバーに行った。セクシュアリティを聞かれて「パンセクシュアルです」と答えると・・・・・・。

友達と行った、初めてのビアンバー

大学進学と同時に、地方から上京した。セクシュアリティについて話せる友人ができた。

クィアライフも悪くないかも。
こんな幸せなことってあるんだ!

今までの人生、全部報われた気分だったかもしれない。ちょっと言いすぎだけど、それくらいぼくはハッピーだった。

「みんなでレズビアンバー(ビアンバー)に行ってみる?」

そんな話が出たのは、お酒が飲めるようになって少したったころ。ビアンバーといえば「女性同士の出会い・社交の場」というイメージで、自分のことを女性だと認識していなかったぼくには未知の場所だった。

でも調べたら、いろいろな属性の人々の来店を歓迎しているお店もあるらしい、とわかった。恋愛的な出会いを目的としていなくても、友達を作りに行く人も多いとか。

行ってみてもいいかも。

・・・・・・というわけで、ぼくたちは「レズビアンバー」ではあるけれども、さまざまなセクシュアリティの人が入れるお店を見つけて行くことにした。安心して話せるコミュニティが、増えたらいいなという期待を込めて。

「パンセクシュアルです(?)」という、不完全な自己紹介

ところではじめに書いたとおり、ぼくはレズビアンではない。

ぼくのセクシュアリティをきちんと説明すると、実際にはパンセクシュアルではなく「パンロマンティック・アセクシュアルのノンバイナリーです」ということになる。我ながらカタカナが多すぎるとは思うけど、実際にそうなんだから仕方がない。

自分のセクシュアリティについて感じていることを、どうにか日本語で説明しようとした場合

・相手の性別にかかわらず、恋愛感情を抱く可能性があります
・性的な魅力や欲求は誰にも向かいません
・自分のことは、男性・女性のどちらでもなく「無性」であると認識しています

ということになる。長すぎる。教科書の解説文?

ちなみに「パンセクシュアル」と「パンロマンティック」とは

◉パンセクシュアル(性的指向)
相手の性別に関係なく、恋愛感情と性愛感情(性的欲求)を感じることがある

◉パンロマンティック(恋愛的指向)
相手の性別に関係なく、恋愛感情のみを感じることがある

というもので、この2つの共通点は「好きになる対象に相手の性別は関係がない」ということ。大きな違いは、性愛感情(性的欲求)が含まれているか否かにある。

性的指向とされている「パンセクシュアル」の方が、今のところ広く知られている。(関連記事はこちらNOISE:セクシュアリティの細分化:性的指向と恋愛的指向

とまあそういうわけで、ぼくは自分のセクシュアリティをよりわかりやすいだろう「パンセクシュアルです」と表明することがあった。相手がSOGIに詳しくなさそうなときは、たくさんカタカナを使って壁を作りたくはない、という気持ちが大きくなってしまうからだ。

LGBTQ+に関する用語が今ほど浸透していなかったころは「全部言っても通じるわけがない」とあきらめているところもあった。

ついでに言うと、ぼくにはさまざまな性別の人との交際経験がある。「パンセクシュアル」と名乗って「性別関係なく惹かれることがある人なんだな」とスムーズに伝わると、何かと便利なのだ。

周囲にいろいろな出会いが発生しうるコミュニティでは特に。

「それって、誰でもいいってこと?」

だからあの日も、ぼくはパンセクシュアルを名乗った。しかし・・・・・・。

ビアンバーに入ると、たまたまお客さんはほとんどいない時間だった。
店員さんがぼくたちそれぞれに話しかけてくれる。

「レズビアンなの?」と聞かれて、「パンセクシュアルです」と答えた。
店員さんは笑顔で、聞き返してきた。
「それって、誰でもいいってこと?」と。

何を言われたかよくわからなかった。誰でもいい? なんで?
とにかく頭のなかがすごく混乱して、曖昧に笑っていた気がする。

そのあとのことはあまり覚えていない。

パンセクシュアル(本当はパンロマンティック)であること

ぼくは「パンセクシュアルって、誰でもいいってこと?」と言われてショックを受けた。では「パンセクシュアル(実際にはパンロマンティック)」であるとは、実際にどういうことなのか? 当事者の体感を説明してみたい。

性別にかかわらず人に「惹かれうる」パンセクシュアル

ぼく自身はパンロマンティックだから、どんな性別の人にも恋愛感情を抱くことがある(が、他者に対して性的欲求は抱かない)。

しかし、それはぼくにとって「相手に恋愛感情を持つ可能性が、性別を理由に閉ざされない」というだけだ。別に「誰でもOK! 全人類大好き!」とかではない。むしろ、ぼく自身に限って言えば、好きになる人の幅は狭い方だと思う。

正直、ここは日本語の難しさだと思っている。

パンセクシュアルやパンロマンティックに関して「性別を問わず人を好きになる」「あらゆる性別の人が性愛/恋愛対象になる」というような説明をすると、いろいろな人をこだわりなく愛せる博愛主義人間をイメージされることがどうしても多い。

この手の解釈はまだまだ蔓延していて、誤解を解くには時間がかかる。

だからこっちは結構言葉に気をつかっていて「惹かれ ”うる”」とか「惹かれる ”可能性がある”」とか言っているんだけども。

今もどこかで、パンセクシュアルやパンロマンティックの誰かが「誰でもいいってこと?」「つまり全人類恋愛対象?」と聞かれ「いやぁ・・・・・・」と苦笑しているに違いない。

やれやれ。

性別よりも、好きになれるかどうか

そもそもぼくは、恋愛において相手の性別を重視していない。

ぼくが好きになるのは、異なる価値観や立場に対して開放的な人だ。あとは言語的なユーモアに長けていて、夢中で語れるようなものを持っていて、他者の背景を想像する力があって・・・・・・(たいてい、ここらへんで友人たちに「贅沢」と突っ込まれる)

とまあそんなふうに好みのタイプは明確にあるものの、ぼくは恋愛においてはその人個人を好きになるのであって、性別はかなりどうでもいい。仮に今、パートナーが違う性別になったとしても、きっと好きになるだろうな、と思う。

ところで、これを書いていて思い出したんだけど、同性愛を題材とする作品で「男/女だからじゃない、あなただから好きになった」というような描かれ方が存在するという。

こういったストーリーの作品が多いことに対して、当事者からの批判も多々ある。当然だろう。同性愛者の人々にとっては基本的に、好きになる相手の性別が重要なのだから。

むしろ、この「性別関係なく、あなただから好きになった」という描写に共感できるのは、パンセクシュアルやパンロマンティックなんじゃないか。少なくともぼくはこのセリフを見た時、まさに自分の感覚だ! とびっくりした。

性別を意識せず、ただ「あなた」であることが大切だという感覚。

だから、繰り返すが「誰でもいい」わけではまったくないのだ。

単性愛が「ふつう」の社会で

ビアンバーでの体験は、単にぼくの個人的な話にはとどまらない。ここからは「単性愛」という概念を通して、セクシュアリティの間にある分断を紐解いていきたい。

「単性愛」とは

ビアンバーでのあの日から、ぼくはいろいろと調べ始めた。最近になってたどり着いたのは「単性愛(モノセクシュアリティ)」という概念だ。

単性愛とは「恋愛感情・性愛感情の対象が1つの性別である」というあり方だ。異性愛と同性愛は、どちらも単性愛という点では共通している。

「マジョリティである異性愛が、さまざまな特権を持っている」ということは、社会でも知られるようになってきた。しかし、それと同時に単性愛が社会の「デフォルト」かのように考えられ、そうでない人たちがたくさんの困難に直面しているという側面は、あまり気づかれていない。

ここまで読んで「単性愛じゃないことの困難って何? そんなものある?」と思う人たちもいるかもしれない。

具体的にどのような困難が存在するのか。パンロマンティックとして、非単性愛を生きているぼくの視点から語らせてほしい。

誤解され、疑われるセクシュアリティ

ぼくが経験したことは、単性愛でない人々に向けられやすい、偏見のひとつだったのかもしれない。

複数の性別に惹かれるぼくたちは「誰でもいいんでしょ?」と言われたり「浮気性」と誤解されたりすることがある。

パンセクシュアルやパンロマンティック、バイセクシュアルであるというだけで「中途半端」「ファッション」と否定的に捉えられることもある。

あと、ぼくたちのセクシュアリティは、ときどきのパートナーによって決まると思われがちだ。

たとえば、バイセクシュアルを公表していた芸能人が、パートナーと法律婚をしたとき。

ネット上には「やっぱりバイセクシュアルは嘘だったんだ」というコメントが飛び交っていた。

そんなわけないだろ。そのときのパートナーが異性で、だから法律婚が可能だった、というだけだ。

さらに言えば「惹かれるすべての性別と、等しく交際しないと『本物(のパンセクシュアル/パンロマンティック/バイセクシュアル)』じゃない」といったような圧力も存在する。

「男女両方と同じくらい付き合わないとバイセクシュアルじゃない」みたいなやつだ。

そんなわけないだろ(2回目)。

コミュニティの不在と疎外感

非単性愛を生きる人々は、異性愛者のコミュニティでも、LGBTQ+のコミュニティでも疎外感を感じることがある。

異性愛者のコミュニティでは同性愛への偏見を受けたり、「浮気者」と思われたり。
LGBTQ+のコミュニティでは「結局は異性と付き合って裏切る人々」と排斥されたり、嫌悪感を抱かれたり。

また「複数の性別に惹かれる」ということで、誰かとつながるのは難しい。たとえば、同じパンセクシュアル同士でも、パートナーの性別や、どの性にどれだけ惹かれるかは、人によって大きく異なる。恋愛感情や性愛感情のもち方にも、無数の違いがある。

状況や惹かれ方に応じていろいろな世界に分けられてしまう我々は、いつだってコミュニティの端っこにいるような気分だったりする。

「わかりやすさ」に抗うこと

パンセクシュアルと答えたら「誰でもいいってこと?」と聞いてきた、ビアンバーのあの店員さんに対して、ぼくは怒っていない。むしろ、感謝している。

LGBTQ+の仲間ができて浮かれていたぼくに対し、見えていなかった分断の存在を教えてくれたからだ。

「分断」といったら強い言葉のように感じるかもしれないけど、同じセクシュアルマイノリティのなかでも、比較的声を聞き届けられやすい人々と、そうでない人々がいる、ということだ。

ぼくたちのような非単性愛の人々は、どちらかというと後者ではないだろうか。

パンセクシュアルやパンロマンティック、バイセクシュアルは「わかりにくい」マイノリティなんだろうな、と思う。困っていそうな感じがしないから。「異性を好きになることもあって『ふつう』に生きていける」と思われているから。

「惹かれる対象が多くてお得じゃない?」ってそれ、本気で言ってるの?

わかりやすい困難さや物語性がなく、マイノリティらしくないことで、ぼくらは少なからず不可視化されている。包括的で多様な「LGBTQ+」のなかでも、取りこぼされることがある。

でも、単純化されたストーリーに乗れなくたって、存在していることに変わりはない。

ぼくは最近、自分のセクシュアリティを少し丁寧に説明することにしている。(社会的な意味合いでの)異性と付き合っているときでも、ためらわずにセクマイと名乗っている。

わかりやすくない現実を、わかりやすくせずに伝えていく。

「理解しやすい」属性から順に許容されて、幸せになっていくのはうんざりだ。
世界がもっとずっと複雑だってこと、もっと示していかなくちゃ。

あの日「誰でもいい」って言ったあなたにも、いつか届かないかな?

 

■NOISE関連記事
セクシュアリティの細分化:性的指向と恋愛的指向

 

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