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Writer/佐藤恵美

「恋愛したい」がわからない。アロマンティックは恋愛リアリティ番組を楽しめたのか。

わたしは、他者への恋愛感情がないアロマンティックだ。だからといって、恋愛がからむコンテンツを意図的に避けている意識はない。面白いと感じるものは、わりと抵抗なく楽しめている。感情移入できたかどうかは、別として。

今月、仕事がなかった。

わたしはフリーライター。いつもは月初めに埋まるスケジュールは、先月ほぼ空白状態だった。久々の「何も仕事がない」月だ。焦りしかない。でも、時間はたっぷりある。こんなときは気楽に観られるエンタメに触れたいと思い、選んだのは以前も観たことがある恋愛リアリティ番組だった。

突然の空っぽ時間

先月のスマホのカレンダーには、締め切りの文字が3つもなかった。

いつもなら「早くリサーチしなきゃ」「構成案を作らなきゃ」と何かに追われている。それが先月は、何もなかった。

フリーランスになってから、こんなにも仕事がないのは本当に久しぶりのことだ。

最初の数日は「たまには休まないとね」とのんびり過ごしていたものの、少しずつ部屋の空気が重く感じられるようになってきた。まるで生きるのに手を抜いているような。

もちろんそんなことはない。今まで走り続けてきたのだから、少しくらい足を止めてもいいはずだ。

それなのに、やることがないとそわそわしてしまう。けれど、せっかく手に入った休暇だ。最近できなかったことを思い切りやってみよう。

そう思い立って、久しぶりにタブレットを手に取り、Amazon Prime Videoを開いた。

なぜ「恋愛リアリティ番組」だったのか

わたしの部屋には、テレビがない。

ニュースアプリで情報をキャッチアップし、ドラマやバラエティは動画配信サービスがある。しかしこの数ヶ月、正直言って情報を追う時間もなかった。

少しは動画も見ていたけれど、仕事に必要なAI情報だったり、あるいはミニマリストの暮らし動画だったり、あまりエンタメ要素のない動画ばかり観ていた記憶がある。きっと、自分のなかで優先順位が低かったのだろう。

しかし、休暇はそうしたものを楽しむ時間でもある。

画面をスクロールすると、何年も前に観ていたドラマや映画、アニメなど、数え切れないほどの作品が目に飛び込んでくる。選び放題だ。

あれもこれも観たいとわくわくするわたしの指が、あるひとつのサムネイルの前で止まった。SNSでも大きな話題になった恋愛リアリティ番組「バチェロレッテ・ジャパン シーズン4」だ。

この番組は、一人の男性を複数の女性が奪い合う「バチェラー・ジャパン」の男女逆転バージョンとして作られた。地位も名誉も手にした独身女性(バチェロレッテ)が、男性参加者のなかから、たった一人の相手を選ぶ旅をする、というコンセプトになっている。

ちなみに「バチェラー・ジャパン」は、アメリカの大人気番組「ザ・バチェラー」の日本版だ。

自分でも「ちょっとおかしな選択だな」と思った。
過去の作品を観たことがあったので、どんな番組かは知っている。恋愛感情がわからないわたしにとって、およそ共感できるとは言いがたいものだ。

ずっと以前にも、似たような番組は観たことがあった。わたしがまだ自分のセクシュアリティに名前をつけられなかった、ずっとずっと若かったときの話だ。

年の離れた妹と、何度か一緒に観た。彼らの気持ちは理解できなかったけれど、知識としての恋愛は頭のなかに残ってくれた気がする。

だからだろうか。わたしは自分のなかで、恋愛が絡むコンテンツを「知的好奇心を満たすもの」と定義づけている。

若者たちの人間模様

「バチェロレッテ・ジャパン」には、わたしが普段関わることがなさそうな背景をもつ人が多い。彼らが同じ場所に集い想いをぶつけ合う姿は、どこか遠い世界の出来事のようでありながら、うるんだ熱をはらんでいたように思う。

ただの傍観者となって

今回観た「バチェロレッテ・ジャパン シーズン4」でも、とにかく個性的なメンバーがそろっていた。

モデル、実業家、アーティスト。肩書きだけでもバラエティーに富んでいて「世のなかにはいろいろな仕事、いろいろな生き方があるんだ」と、少しわくわくしてしまう。

みんな若くて、キラキラしていて、なんだかかわいい。大人に対して失礼かもしれないが、まるで親のような気持ちで見てしまう。

「ある程度の演出とか、番組として見せ方を考えているんだろうな」と冷めた目で見る部分もある。「いやいや、そんな展開にはならないだろう」と、心のなかで突っ込みを入れるときもあった。

それでも、彼らが発する言葉や表情のすべてが作り物だとはどうしても思えない。応援したくなるような魅力的なメンバーもたくさんいた。「この人、次はどう動くのかな」と予想するのも楽しい。

それは、丁寧に作られた群像劇を観ている感覚によく似ていた。

感情移入はできなくても「おもしろい」と感じた理由

よく、恋愛リアリティ番組の楽しみ方として「推しのメンバーの動きにハラハラする」とか「自分だったらと考えてドキドキする」といった話を耳にする。
けれど、わたしにはそうした経験が一切ない。

昔も、もちろん今も。今なんて、年齢的にも自分と番組に出ているメンバーを重ねるなんてできない。最初から最後まで、わたしはただの傍観者であり、客席から舞台の上を眺めているだけだ。

でも、なぜかちゃんとおもしろい。

その理由は、わたしにとって番組が人間観察の教科書みたいなものだからだと思う。恋の入り口に立ったとき、あるいは激しい波に飲まれたとき、人はどんなふうに喜び、どんなふうに傷つき、相手と向き合うのか。

「人って、こういう状況になるとこんな表情をするんだ」
「こういう言葉をかけられると、うれしいものなんだな」

自分にはない感情、コミュニケーションのとりかたを観察するのは、純粋におもしろかった。共感はできなくても、複数の人が絡むドラマとしてじゅうぶんに楽しめた気がする。

アロマンティックの視点で考える「恋愛したい」の正体

番組内で繰り広げられる、男性たちからバチェロレッテへの積極的なアプローチや告白。一歩引いたところから観ていると、ひとつの疑問が浮かんできた。恋愛で心が揺さぶられるって、いったいどういうことなんだ。

アロマンティックが最後までわからなかった「ドキドキ」の正体

番組のなかで、参加者たちの口から何度か「恋愛のドキドキ」という言葉がきかれた。

一応知っている。

誰かを好きになったときに、人間の身体や心が勝手に反応する現象なのだろう。

けれど、アロマンティックであるわたしには「恋愛のドキドキ」とやらがわからない。想像だけならいくらでもできるけれど。

緊張して心拍数が上がる感覚なら知っている。たとえば、締め切りに追われているときや大勢の前で話すときは、わたしの心臓も嫌というほど激しく高鳴る。けれど、誰かの顔を見ただけで胸が苦しくなったり、触れられただけで頭が真っ白になったりするような感覚は、正直言ってわからない。

重ねて言うが、想像はできる。これでも物書きなのだから。

番組のなかでは、手をつないだり、ハグをしたりするたびに「距離が縮まった」「相手を少し理解できた気がする」といった雰囲気になる。

まあ、わかる。

気を許していない相手には触れたくないし、触れられたくないものだ。そこを超えたのだから、きっと関係が進んだと考えて間違いないのだろう。

しかし、わたしは本気で首をかしげてしまう。なぜこの若者たちは、こんなにも相手の一挙手一投足に心を乱されているのか。

彼らが追い求めている胸の高鳴りは、未知のテクノロジーであるように感じられた。アロマンティックなのだから、当たり前なのかもしれない。それにしたって、人の心を動きを「テクノロジー」だなんて、無粋な表現だなと自分でも思う。

「恋愛したい」という気持ちはどこから来るのか? と問いを立てたアロマンティックのわたし

そもそも、この「バチェロレッテ・ジャパン」という番組は、恋をした先の未来を見すえて、一生のパートナーを見つけたい人たちで成り立っている。それぞれの恋愛観や結婚観をもって参加している印象だ。

当然のことながら、そんな場所に「恋愛したい」と思わないアロマンティックなどいない。

登場する人たちは皆、仕事を休んで異国の地に赴き、ライバルと衝突しながらも、美しいバチェロレッテにアピールを続ける。

彼らを見ていると、異次元にある別世界を眺めているような気持ちになってくる。極上のフィクションを観ているのと変わらない感覚とでも言おうか。

ふつうに恋愛できる人たちは、きっとアロマンティックとは違う価値観や心の動きがあって、それを原動力にして恋をするのだ。

眩しく思う。そして、不思議でならない。
なぜ人は、こうも恋とやらでここまで心を砕けるのか。

彼らの「恋愛したい」という想いの裏には、きっと寂しさや慈しみ、誰かに肯定されたいという願いも隠れているのだと思う。きっと、数多の恋愛経験者は、そうなのだろう。

恋愛対象をもたないわたしには、理解するのが難しい。身内や友人に向ける感情とは違うのだから。

けれど、笑ったり傷ついたりする彼らの姿には、人間の不器用さと愛おしさが、詰まっているような気がしてならない。

アロマンティックでもそうでなくても、エンタメも人生も自由に楽しめればそれでよし!

わたしには、誰かを泣くほど好きになる感情は備わっていない。けれど、番組をとおして恋模様を観察したことで得たものがある。自分にはわからない痛みに寄り添うための、優しい客観性。

他人が恋に悩み、涙を流しているとき「そんな感情もあるんだな」と、相手の心の動きをとらえて寄り添うことができる。わたしには、きっとそれができるのだと思う。

年齢を重ねてきたおかげもあるだろうし、かつて相談支援の仕事をしていたおかげもあるだろうけれど。恋愛したいとは思わなくても、自分にない価値観を無視しない姿勢はとれるはずだ。

アロマンティックだからといって、恋愛コンテンツを楽しめないわけじゃない。
漫画や小説のように、自分には遠い世界の物語として観てもいい。
近しい人を大切にするヒントをもらうこともできるだろう。

正解の形に縛られず自分だけの物差しをたずさえて、この広い世界をどこまでも自由に、のびのびと楽しんでいけばいいのだ。

 

■参考情報
バチェラー・ジャパン 公式インスタグラム

 

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