毎年6月は、多様性と平等を目指す「プライドマンス(プライド月間)」だ。パレードには行かないぼくだけど、プライドマンスの意義は感じるところ。来たる6月に向けて、当事者が想いをつづる記事。
LGBTQ+のぼくとプライドマンス
LGBTQ+の月? プライドマンスがやってくる!
6月だ。毎日じめじめしていて、少し蒸し暑くもなってきて、湿気と雨が嫌いなぼくにとってはちょっと憂鬱な月。
しかし、LGBTQ+当事者としては、特別な気持ちになる月でもある。
年に一度の、プライドマンスだから。
毎年6月は、プライドマンス(プライド月間)だ。LGBTQ+の権利について啓発し、多様なセクシュアリティの存在を祝うための月。
世界各地でパレードやイベントが行われ、LGBTQ+関連の話題が活発になる時期だ。ぼくが今住んでいる東京でも、大規模なパレードが予定されている。
パレードには行かないけれど
ところで、これを書いているぼく自身はプライドパレードへの参加経験がない。
パレードに反対、というわけではまったくもってなく、単にとても人混みが苦手で疲れやすいのだ。知らない人と話すのも得意ではないから、交流イベントにもあまり出ていかないことが多い。
だから、たいていのプライドマンスは、特にいつもと変わりない日常を送り、ニュースを見て「今年も色々やってるのか~」なんて言いながら過ごしている。
あ、iPhoneの壁紙をレインボーフラッグ仕様にしてはいるけど。あれ、毎年公式から出るのでおすすめ。
プライドマンスに感じるうれしさ
いつもと変わりなく過ごす6月。それでもぼくにとって大切な時期だ。というのも・・・・・・。
当事者が声をあげるプライドマンス

プライドマンスになると、LGBTQ+についての情報発信が増える。
特にぼくがうれしいのは、SNSで見る、等身大の当事者の様子だ。
同性カップルの平和な食卓。「私もアセクシュアルです」という言葉。
自分と同じような人々が、当事者であることを発信してくれている。彼らが語る「ふつう」の暮らしが、ぼくを安心させる。
身近なコミュニティでも、プライドマンスが生むつながりがあるかもしれない。
学生時代、アルバイトをしていた時のこと。6月になると、社内チャットのプロフィールにレインボーフラッグの絵文字をつけてくれる人がいた。
「ハッピープライド!」と投稿してくれる人、LGBTQ+関連の記事をシェアしてくれる人。
普段は仕事の話しかしない人を、ぐっと身近に感じた瞬間だった。もちろん環境に恵まれているからだけど、こんなハッピーもあったりする。
社会のあたたかさを感じる月
プライドマンスには、LGBTQ+への応援を表明する企業・団体も多い。
「売り上げはLGBTQ+支援団体に寄付します」という商品を売る企業。
レインボーフラッグを置いてくれる公共施設。
そういった光景を見るたび、なんとなく世界への信頼感が高まる気がする。
特別なサービスを受けたいわけじゃない。
まだまだ差別や偏見が存在するなか、我々のほうを向いてくれる人々がいる。
それが何よりも大切なことだと思うのだ。
「いないことにされない」月
こういったうれしさは、突き詰めると「いないことにされない」ということなのかもしれない。
ぼくに限らず「黙っているとマジョリティにされる」という経験を持つ当事者は多いだろう。LGBTQ+が、まるでどこか遠くにいる、まったく違う人々かのように語られることもある。
そんな時に、我々に光を当ててくれるのがプライドマンスなんだと思う。
この世に存在するありのままの当事者が可視化される。
世界が、ぼくたちを認識してくれる。
ぼくにとって6月はそういう月だ。
6月のプライドマンスに寄せて
「ハッピー」かはわからないけど

ところで、プライドマンスは「ハッピープライド!」という言葉をよく見かける。
自分たちのありようを肯定して、祝おう、というフレーズ。
でも、ぼく自身やその周囲を振り返ったとき「ハッピー」という言葉には、ためらいがあるのも正直なところだ。
LGBTQ+を取り巻く状況はまだまだ困難で、差別的な言説も制度の壁も存在する。
「ありのままで」「自分らしく」という言葉が、空虚に見えるような現実も山ほどある。
そして、それはきっと今までだってそうだったはずだ。
「ハッピー」なんて言えない人生を歩む人もたくさんいるなかで、それでも自分たちの幸せをつかみ取ろうとした先人たち。
明るいスローガンや華やかなパレードには、彼らの想いも詰まっているような気がしてならないのだ。
だからあえてぼくも、「ハッピープライド!」という言葉を選びたいと思う。
プライドマンスじゃなくても、誇りを持てる方がいい
最後に少しだけ。
プライドマンスの起源は、1969年に起きたアメリカのゲイ解放運動「ストーンウォールの反乱」とされている。
日本で初めてのプライドパレードが開催されるのは、そこから25年経った1994年のことだ。さらに30年経ち、今は2026年。世の中はどれだけ変わっただろうか。
過去と比較して生きやすい方向には進んでいると思う。しかし、「プライド」を叫ばなくても、6月以外の月にも、当然のように当事者が誇りを持てる。そんな風にならないだろうか、とも思ってしまう。
プライドマンスの意義が薄れていくような社会であることを、ぼくは願わずにはいられない。
■参考情報
プライドパレードを知る|特定非営利活動法人 東京レインボープライド


