誰もがふつうに恋をして「男らしさ」や「女らしさ」を身にまとう世界。そのなかにあって、わたしはずっと、型にはまれない自分を隠すようにして生きてきた。「自分はおかしいんだ」と自分をさいなむ日々。心ない言葉をぶつけられ、時には奇妙な行動に出て、やっと落ち着いた今がある。
「女の子」が嫌だった、あのころ
学生時代は、社会が用意した「女の子の型」を毎日のように強要されるようだった。周りとなじめない自分にイライラして、それでも必死にやり過ごしていた、とても不器用でけなげな時代だったと思う。
体育のブルマが苦痛
小中学生のころ、体育のブルマが嫌でたまらなかった。ちょっと分厚いショーツみたいなもんじゃないか、こんなもの。
そう思い始めたのは、きっと小学校に入ってすぐだったと思う。まわりの女の子たちは、みんなふつうに受け入れているように見えた。
半袖の体操服、下着を覆い隠すためだけの紺のブルマ。みんな不満を口にすることなく、当たり前の顔をして制服として着用している。私はとても嫌だったのに。
5年生になるころには、体操服が大嫌いになっていた。足がむき出しになること、そしてなにより、自分の身体が生々しく思える感覚が、どうしても耐えられなかった。
私の身体は、物心ついたころから同い年の子よりもひとまわり大きく、よくからかわれた。顔つきも妙に大人びていて、10歳のころには「中学生? ひょっとして高校生かな・・・・・・?」と言われるようになったのを覚えている。
実際のわたしはまだ10代に入ったばかりだったのに、周りからの視線や自分が他人に与える印象は決してそうではなかった。実年齢よりも上に見えるために、早い段階でいろいろ嫌な目にもあった。
精神年齢、外見年齢、知識、経験、すべてがバラバラ。何を拒否して、何を受け入れればいいのか、幼い私には何もわかっていなかったと思う。
男の子になりたいわけじゃないけれど
女の子として見られること、女の子らしさを求められることに強い抵抗感があった。
だからといって、男の子になりたいと思ったことはない。同級生の男の子に対して「羨ましい。わたしもあっち側になりたい」と憧れた経験はなかった。
私が好んだのは、フリルやレースのついた短いスカートではない。足首の上まで隠すロングスカートやズボンだ。かわいい印象を与えるものに、どうしても違和感があった。
わたしはこれじゃない。
男の子になりたいわけでも、かわいい女の子になりたいわけでもない。ただのわたしでいられれば、それでよかった。
当時、わたしの周りにはこの葛藤をわかってくれる人はいなかったから、どうにかこうにか自分で抱えていくほかない。思春期以降、わたしはどんどん内にこもり、自分でも何をどうすればいいのかわからなくなっていった。
タイトスカートの下にはいたジーパン
とにかく、女として見られたくない。男性とも女性とも、気兼ねなく自分のままでありたい。こうした思いは、高校を卒業して就職した職場でいびつに表れることになる。
19歳のわたしに支給されたのは、よくある事務服だった。ジャケット、ベスト、カッターシャツにタイトスカート。しかもシャツ以外はそこそこ濃いめのピンクで固められていた。
「男の子は青、女の子はピンク」みたいな、よくある区別だな。
ある程度は自分の感情を抑えられる年齢になっていたから、その制服も着られるだろうと安易に考えていた。
甘かった。最初の数ヶ月は何とかなった。仕事を覚えるのが先だと思って集中していたし、太っていて化粧っ気もないわたしなど誰も見てはいまい。そう考えることで、制服を着た自分への嫌悪感を打ち消すことができていたのだ。
しかし時間が経ち、やがて上司や顧客から性的な目を向けられるようになり、わたしは突飛な行動に出る。
出勤して更衣室で制服に着替える際、タイトスカートの下にジーンズをはいたのだ。
今振り返れば、おかしなことをしていたなと思う。まわりからは注意こそされなかったものの「ちょっと異常なんじゃないか」と陰で言われていた。それでも、私はこの職場を辞める直前までそのスタイルをかたくなに貫き通した。
膝上タイトスカートの下にはいたジーンズ。私にとっては真っ当な対策だった。女として消費されないための。
わたしは、どこか壊れているの?
見た目で女性らしさを求められる苦痛だけでなく、わたしを長く苦しめ続けたもの。それは世間との隔絶だった。「誰も好きにならない」という自分にとっての当たり前は、なかなか理解されない。
「心が幼い」と言われて

10歳を過ぎたころから大人になるまで、何度も投げかけられた「好きな人はいないの?」という質問。
まわりの恋バナにどうしてもついていけない。興味がない。食指が動かない。楽しくない。そんなわたしに、一部の人は冷ややかな、あるいはあわれむような視線を向けてきた。
さらに決定的な傷となったのは、30代のときだ。
特定の上司から、日常的にセクハラやパワハラを受けていた。食事の誘いを断れば業務量が激増し、休日にも電話がかかってくる。
そろそろ辞めようかと考えていたとき、その上司から「ちょっとした恋愛も楽しめないなんて、幼過ぎる。異常だ」と言われたのである。
激しい怒りがこみ上げた。それと同時に、10代のころから感じ続けてきた歪みがひとつの疑問になって浮かんでくる。
本当に、わたしの脳や精神には重大な欠陥があるんじゃないか?
足の裏側から冷えるような感覚をおぼえた。足元をぐらぐらと揺らす。
男でも女でも、他人を好きになれないわたしは、人間としてどこか壊れているのだろうか。
誰かを好きにならなくても、わたしはわたし
世の中は恋であふれている。テレビをつけても、音楽を聴いても、誰かと話をしても、他者を好きになるのは人として当然であるように語られる。
恋愛至上主義を掲げる知人もいるなかで、ふつうになれないわたしはどんどんすり減っていった。
みんなが当たり前にできることが、わたしにはできない。
みんなの心を揺さぶる恋とやらが、わたしにはわからない。
マジョリティが作る大きな波に、わたしの「恋をしない」という当たり前はあっさりかき消されてしまった。
幼い。精神の未発達。
こうした言葉でまとめられてしまって、それでも私は言い返したりしなかった。どうせわかってもらえないと確信があったからだ。
それでも、心の奥には「わたしを誰にも否定させない」と固い意思もあったのだ。
幼さなんかじゃない。わたしはわたしとして、ここで息をしているだけなのに。
怒りと諦めのあいだで揺れながら、自分を守るための答えをずっと探し続けていた気がする。
アロマンティックとシスジェンダー
40歳を超えたある日「アロマンティック」と「シスジェンダー」という言葉に出会った。そこから、わたしは少しずつ「自分にとっての自由とはなにか」を考えはじめる。
アロマンティックを知って、心が軽くなった日

もやもやした違和感にふたをしたまま、わたしは40歳を過ぎていた。周りの人はもう誰も結婚や出産について詮索しない。
その日もふつうに働いていたと思う。何となくSNSを見ていた私の目に飛び込んできた単語があった。
他者に対して恋愛感情をもたないセクシュアリティである、アロマンティック。
「これだ」
腑に落ちた感覚があった。
私は欠陥品じゃないようだ。
そんな安心感で心が満ちていく。わたしと同じような人が、どうやら世界中にいるらしい。少数派であるにしても。
他者からの言葉に傷ついたり、自分のあり方に疑問を感じたりしながら生きてきたが、アロマンティックというラベルを得て「自分を変えなくてもよさそう」と思えた。わたしにとって、それがどれほど幸運だったか。
シスジェンダーであり、アロマンティックであるがゆえの葛藤を超えて
恋愛指向はアロマンティックのわたし。自分の性に対する自認はシスジェンダーだ。身体の性と心の性が一致している。だからこそ、女らしい振る舞いや服装を拒否することに対して戸惑いがあったのかもしれない。
どうして女として恋愛できないんだろう
身も心も女なのに、どうして「女らしい」や「かわいい」を受け入れられないのか
シスジェンダーである、だから「女」として一般的と思われる生き方をしなければならない。それなのに、枠からはみ出す自分がちぐはぐに感じていたのだと思う。
アロマンティックであり、シスジェンダーであると受け入れたいま、私は自分の女性という性別と穏やかに向き合えている。
「女」というラベルをたずさえて生きるのと、世間が言う「女らしさ」を演出して生きるのは別の話だ。ずいぶん回り道をしたけれど、わたしは自分がどうしようもなく女性であるのだと受け入れている。
わたしは、わたしのままで息をする

いま、これを読んでいるあなたは「女の子らしくできない・したくない」と苦しんでいたり「恋愛しない自分はおかしいのかも」と不安になっていたりするかもしれない。
どうか、心にある違和感を悪いものだと思わないでほしい。あなたは何も壊れていないし、何の欠陥もないのだから。
欠けているのではなく、きっとまだじゅうぶん知らないだけなのだ。自分が何者なのか。
世間が決めた ”ふつう” に当てはまらなかったとしても、誰が何と言おうとも。自分の感覚を疑わずにいれば、心が軽くなる瞬間はきっと訪れる。
わたしは、自分がアロマンティックでありシスジェンダーだと自認できたのは、ずいぶん大人になってからだ。自分は「こう」だと言えるようになるまで、長い時間がかかってしまった。
だから、誰かに「こう考えるといいよ」なんてとても言えない。
ただ、自分を力ずくで歪めないこと。決まった型におさまるだけが楽に生きるすべではないのだと、覚えていてくれたらいいなと思う。


