初恋の記憶を思い出させてくれる作品、というものがある。映画『少女たちのファンタジー』はまさにそんな作品だった。レズビアンである私にとって『少女たちのファンタジー』は、10代の頃に見たかった映画の筆頭となった。
映画『少女たちのファンタジー』のあらすじ
『少女たちのファンタジー』は、2016年に製作された韓国映画であり、ソウル独立再出品後、2018年に一般公開された。
映画『少女たちのファンタジー』の描き出すストーリーとは
物語は、10代の主人公・ソナが、演劇部が上演する『ロミオとジュリエット』という作品にどうしても出演したいという友人の練習に付き合っているところから始まる。
友人は、ロミオ役を演じる3年生の「ハナム先輩」に恋心を抱いており、相手役のジュリエットを演じるためにオーディションに挑戦しようとしていた。
しかし、ひょんなことからソナがジュリエット役を演じることになり、ソナはロミオ役のハナムと急接近する。
「同性に恋をするってどんな感じだろう」「そもそも、恋って何だろう」というふうに冷めた視線で友人たちを見ていたソナだが、次第にハナムに心惹かれていく。
『少女たちのファンタジー』はレズビアン映画なのか?
作中では、はっきり「恋」という単語が使われているけれど、個人的にはこの映画は「レズビアン映画かどうか、微妙なラインにある」と感じた。
主人公たちはいずれも10代で、学生であり、自分自身のセクシュアリティが何なのか決めきっていない、手探りの状態として描かれているように見える。
実際、主人公・ソナの近くには幼なじみらしき少年(ウチョル)がいて、家族ぐるみで仲良くする様子や、彼に親しみを感じているような様子が描かれており、もしかしたら今後恋愛に発展するのかもしれない・・・・・・という気配も感じさせる。
ただ、この映画を私が10代の頃に観ていたら、まちがいなく「レズビアンの初恋を描いた作品だ」と確信していたはずだ。
それは、私自身がレズビアンであり、映画『少女たちのファンタジー』に描かれているような同性への感情を経験した記憶があるからだ。
『少女たちのファンタジー』のような、レズビアンとしての初恋の記憶
私のレズビアンとしての恋愛感情は、さかのぼると、映画『少女たちのファンタジー』のような先輩への憧れの気持ちから始まった。
レズビアンとしての初恋を「疑似恋愛」と一蹴されたこと

小学生の頃はあまり意識したことがなかったけれど、中学生になると、部活動で「先輩」と深くかかわることが増えた。
1歳、2歳くらいしか年齢は違わないのに、同性の先輩たちはとても大人っぽく見えた。
しかも、私が所属していた部活は、映画『少女たちのファンタジー』のハナムたちと同じ、演劇部。
ハナムは男役を演じることで、同性の後輩たちから「カッコいい」ともてはやされるが、私が所属していた演劇部でも女子生徒が男役を演じることが多かった。
私が特に憧れていたのは、いつも笑顔が朗らかなA子先輩と、クールに見えるけど少し天然なところが可愛らしいM先輩のふたりで、彼女たちが男役を演じるたびに、私は胸が高鳴るのを感じた。
「カッコいい」「私もあんなふうになりたい」「いや、その前に、男役を演じる先輩の相手役をやってみたい・・・・・・」
そんなふうに目をキラキラさせていた当時の私は、ハナムに憧れるソナの友人そのもので、恋に浮かされたような顔をしていたはずだ。
私は、先輩への憧れの気持ちがあまりにも強く、自分では抱えきれないような気がして、つい母親に相談をもちかけた。
「この気持ちは何だろう?」という、そわそわとした衝動が抑えられなかったのだ。
しかし、母親から返ってきた答えはそっけなかった。
「それは疑似恋愛という感情で、思春期の女の子にはよくあることなの。異性に恋愛する前に、同性と恋愛ごっこを楽しみたくなってるだけなんだから、冷静になって」
浮かれた気持ちに水を差されたような気分になり、私はショックを受けた。
「疑似恋愛」ということばは、その後、6年ほど私の心の中にくすぶりつづけた。
同性に淡い想いを抱くたびに、これは母親の言っていた「疑似恋愛」だ、と自分に言い聞かせ、その気持ちが強くならないように押さえつけることを繰り返す。
今になって振り返ると、母親は私がレズビアンかもしれないということを受け入れたくなくて、釘を刺したのだとわかる。
その釘は、ばっちり私の心に刺さり、高校を卒業するまで「自分はレズビアンかもしれない」という可能性すら浮かばないほどだった。
レズビアンの私が思うこと。映画『少女たちのファンタジー』のような先輩への憧れは、恋愛感情なのか?
個人的に、同性の先輩に憧れる気持ちと「レズビアンとしての恋愛感情」は、必ずしも同じではないと思う。(関連記事はこちらNOISE:映画『blue』から考える、レズビアンの「恋愛対象」と「憧れの人」の違い)
私の場合、中学生の頃、先輩たちに抱いていた気持ちは「推し感情」と表現するのがいちばん近い気がする。
アイドルや俳優など、自分の手の届かない存在にときめくように、先輩たちの姿に自分の理想像を重ねてはしゃいでいる部分が大きかった。
正直なところ、母親の言った「疑似恋愛」ということばは、的を射ていたのだ。
映画『少女たちのファンタジー』でも、ソナの友人は「ハナム先輩に恋してる」と表現されているけれど、その姿は「ファン」と呼びたくなるような、どことなくミーハーな気配に満ちている。
きっと中学生の頃の私も、周囲から見ればそんなふうだったのだ。
しかし、それでも、私は先輩たちから「レズビアンとしての恋愛」の最初の部分を教わったように思う。
たとえば、異性に抱く感情と、同性に抱く感情の違い。
異性と接するときの微妙な緊張感を、同性に対してはあまり感じず、むしろ「やさしく共感しあえる」ような安心感をおぼえること。
A子先輩とM先輩がとても仲良く、手をつないで廊下を歩いている姿を見かけたときの、複雑な気持ち。
「推しと推しが仲良い姿を見られて、うれしい」一方で、同時に「どうして先輩のとなりにいるのが私じゃないんだろう」というさみしさもあった。
当時の私は、先輩たちへの「推し感情」が少しずつ「恋愛感情」に近づいていったことに気づかず、レズビアンとしての自認にも至らないまま、いつしかその気持ちを卒業していた。
映画『少女たちのファンタジー』を昔の自分に見せたい理由
『少女たちのファンタジー』は、ストーリーこそシンプルだけど、細部にやさしい手触りが感じられて、私にとって「昔の自分に見せたい映画」の筆頭となった。
レズビアンの初恋にやさしく寄り添ってくれる映画

2010年代の映画であるにもかかわらず、レズビアンとしての恋愛感情を「おかしい」「変だ」と断定するような人物は『少女たちのファンタジー』には登場しない。
主人公・ソナは最初こそ友人の恋心に懐疑的だけれど、ハナムの魅力に触れるにつれ、だんだんと「同性への恋愛感情」を受け入れていく。
3年生のハナムは、孤高の存在のように見えるけれど、意外とフレンドリーで、口を開けばポエムのような叙情的なフレーズが飛び出してくる。ロマンチストで、いうなれば「かっこつけ」で、ソナが自分に惹かれているのを察知しつつも、思わせぶりな態度を取り続ける。
大人になった私からすれば、ハナムの言動に「この子、自分に酔っちゃってない?」などと思ってしまうけれど、10代はじめの頃の私がこの映画を見たら、きっと「ハナム先輩、カッコいい!」とソナのようにときめくはずだ。
『少女たちのファンタジー』は、思わせぶりなハナムのずるさも、そんなハナムにうっかり惹かれてしまうソナも、そして人知れず葛藤を抱えている三人目の少女の存在も、厳しい評価を加えず、やさしく描き出している。
「レズビアン」という単語こそ出てこないけれど
同性同士で恋愛することへのためらい
ただの憧れの気持ちから「彼女に触れたい」と具体性を増していく感情
それでいて「劇の相手役だから、好きだと思い込んでしまっているだけなのだろうか?」という疑問の余地も残した描写
こんなにもやさしく、丁寧に、少女たちの心に寄り添ってレズビアンの初恋を描いてくれる作品は、なかなかないと思わせてくれる。
中学生の私に『少女たちのファンタジー』を見せたら、きっとソナやハナムにどっぷり感情移入して、映画のやさしい手触りに励まされ、自分の中にある「レズビアンとしての恋愛感情」を受け入れる助けになったことだろう。
『少女たちのファンタジー』のやさしさを象徴するシーン
私が『少女たちのファンタジー』のなかで好きな描写のひとつに、キャンディーの瓶のシーンがある。
映画の作中で、ある人物が、カラフルなキャンディーのたくさん詰まった瓶を差し出すのだ。
何十個もあるキャンディーを指して「毎日1個ずつ食べたら、全部なくなる頃には傷ついた心が癒えるはず」と語られるそのことばに、私は途方もないやさしさを感じた。
「時間ぐすり」ということばがある。深い悲しみも、時間が経てばある程度軽くなり、立ち直って次に向かうことができる場合が多い。
ただ、単純に「時間が経てば忘れられるよ」などと誰かに言われても、とっさには受け入れられない。まだ人生経験の少ない10代ならなおさらだ。
それを見越したうえで、カラフルなキャンディーが詰まった瓶という具体的な目安を見せて「きっとこの痛みも乗り越えられるよ」と教えてくれるシーンには、この映画のもつ「やさしさ」があふれている。
私も、自分がレズビアンだと気がついてからは何度も失恋を経験した。
そのたびに「失恋 立ち直る 方法」などとインターネットで検索しては「時間が経つのを待つしかない」という結果に毎回行き当たり、ひっそりと落ち込んでいた。
あの頃の私が『少女たちのファンタジー』を知っていたら、きっと自分のためにキャンディーの瓶を買っただろう。失恋の痛みを忘れられる日が、いつか来るのだと信じるために。
私が映画『少女たちのファンタジー』を10代の頃に見たかったと思う理由が、おわかりいただけることと思う。
レズビアンであるかどうかを気にせずに初恋を楽しめたら

映画『少女たちのファンタジー』の中で、主人公・ソナはおそらく、自分がレズビアンかどうか(同性に恋愛感情を抱く人間なのかどうか)をあまり気にしていない。
自分は女性のハナム先輩を好きになったけど、恋愛感情自体がとても変な気持ちで、その気持ちを味わうのに忙しくて、先輩が女性であるということはもはやどうでもいい。
そんなふうに見えるソナの伸び伸びとした様子は、見ているこちらも穏やかな気持ちにさせてくれる。
自分が何者なのかについて悩みがちな10代の頃に、あえて「自分はレズビアンかどうか」を気にせず、ただ同性を好きになったという事実だけを真正面から受け止めて味わうことができたら・・・・・・きっと、かけがえのないキラキラとした感情を記憶に刻むことができただろう。
セクシュアリティは移り変わっていくこともあるし、10代のうちは自分のセクシュアリティに迷ってあたりまえなのだから、気にせず自分の感情にとことん没頭し、浮かれたり、傷ついたりしてもいいのではないだろうか。
ソナよりはいくぶん窮屈な10代を過ごしてしまった私は、今あらためてそう思う。
■作品情報
映画『少女たちのファンタジー』
監督:アン・ジョンミン
脚本:クク・ユナ、アン・ジョンミン
出演:ノ・ジョンウィ、チョ・スヒャン、クォン・ナラほか
配給:ドリームファクトエンターテインメント
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