胸オペから3ヶ月。ノンバイナリーのぼくは、平らになった胸に心から満足している。でもそれは「自然」なのか? 身体に違和感を抱えていたぼくが、胸オペで「ぴったりくる体」を手に入れるまでの話。
ノンバイナリーのぼくと胸オペ
胸オペ(乳腺摘出)を受けてから、3ヶ月たった。ふくらみを持っていた胸が、無事フラットになっている。
胸オペを終えて
時々ぴりっとした痛みが走ることはあるけど、日常生活の制限もなく、基本的には快適に過ごせている。手術直後は傷跡が残っていて、ぼくの場合は乳輪の下半分を小さく切開したので「これ本当に消えるの?」と思ったけど、今はもうほとんど目立たない。
今のところとても満足できる結果で、体を見る度に「胸オペしてよかったなあ」としみじみ思っている。
強いてマイナスポイントをあげるとすれば、数十万円の医療ローンを組んで胸オペの手術を受けたので、その返済が社会人1年目のお財布にはちょっと痛い、というくらいだ。もちろん、それも覚悟の上だけれども!
ノンバイナリーだけど、胸オペして胸をなくしたいと思った
ぼくはノンバイナリーだけど、男女どちらかの性別が必要になるような場では、女性として生活している。男性に戸籍を変更する予定はないし「男性として生きたいから胸オペをした」というケースではない。
また、あえてプライベートな話をするけど、もともとそこまで胸が目立つ、というような体型ではなかった。「胸があることでいやがらせを受けた」とか、そういう(あってほしくないけど、悲しいほどにあるあるな)ストーリーも特にない。
それでも、胸を取りたくて手術という方法を選んだ。
ぼくはどんな違和感を持っていて、なぜ胸オペを決めたのか。ひとことで言えばそれは「ノンバイナリーらしい身体が欲しい」ということになる。
身体への違和感と「性別のない体」
ぼくは自分の胸のことを、ずっと「異物」だと思っていた。
胸なんて絶対に欲しくなかった

見たくも触れたくも考えたくもない異物が、体に四六時中くっついている。せめて翼でも一緒に生えてくれればよかったのに、まったく人間とは難儀なものである。
ぼくの違和感への対処法は、極力、胸なんて存在しないかのように振る舞うことだった。
この「なかったことにする」作戦において、いちばん苦痛だったのは入浴だ。まっすぐ前を見ると、鏡に映った自分の体が見える。うつむくと下にある胸が目に入る。どっちにしたって詰んでいる。おしまいだ。
下着を選ぶのも嫌だった。自分に合うものを選ぼうにも、胸のサイズなんて考えたくもない。かといって適当なカップつきのインナーを買うと、胸が目立ってしまう。胸をフラットにするもの(いわゆる「ナベシャツ」)は何度か試したが、締めつけが気持ち悪くて毎日は着られない。
結局、一番シンプルな、何の飾り気もないブラジャーを買い、中のパッドを外して仕方なくつけていた。
周囲には「胸が嫌だ」なんて言えなかった。言ったら変な顔をされると思っていたから。親しい人に勇気を出して打ち明けた時「(胸が大きい人への)負け惜しみじゃないの?」と笑いながら返されたことがある。
そんなわけないだろ。
「性別のない体」になりたい
ぼくが望んでいるのは「性別のない体」だ。
たとえば棒人間とか、つるっとした人形みたいな体。
男性・女性のどちらの特徴も持たない体。
ノンバイナリーであり、自分のことを男女どちらでもないと感じるぼくにとっては「自分にふさわしい」と思えるのがそういう身体なのだ。
ところで、その理想を考えたとき、実は自分はかなり恵まれている。165cmある身長に、水泳を習っていたおかげで(?)広い肩幅。髪を切れば性別不詳になれるらしい顔。メンズ服をオーバーサイズ気味に着れば、体型なんてよくわからない。
だからこそ、胸オペにはずっと迷いがあった。
胸さえ気にしなければいいだ
自分のわがままなんじゃないか
手術までするほどか?
そういう気持ちを振り切るまでに、長い時間がかかってしまった。
しかし、結論から言うと胸オペはぼくにとって正解の選択だったと思っている。
自分の身体について悩むことがかなり少なくなった。
鏡を見ながらお風呂に入ることが、嫌じゃなくなった。
色々な服を、ぼくにとってぴったりくるシルエットで着られるようになった。
自分の嫌いな要素がひとつ減った。それだけでいま、ぼくはとても幸せだ。
ノンバイナリーのぼくが、胸オペして自分の身体を受け入れるために

ところで、ぼくが取った胸オペという選択は、時として「健康な体に傷をつけるなんて不自然」「取り返しがつかないのに」と非難にさらされることがある。
胸オペを選んだ人々が「社会のゆがみのせいでそうせざるを得なかった、可哀想な人たち」として扱われることだってある。
違う。違うんだよ。
確かに現代社会はまだまだだけど、ぼくにだって主体性はある。少なくとも人生の半分くらいは、自分の体と折り合いをつけるためにあがいてきたんだ。
「社会の圧力に負けた」なんて紋切り型の言葉で、ぼくたちを語らないでほしい。
そもそも「自分はまったくもって生まれたままの姿で、抵抗感なく幸せに生きていける」と感じている人が、この世にどれだけいるだろうか。
たしかに「胸を取り除いて幸せに生きる」と聞くと、びっくりするかもしれない。でも、みんな大なり小なり、自分の体や見た目に手を加えて生きているはずだ。
そして手術に限らず、人生における選択の多くは元に戻せないし、取り返しがつかないことだって珍しくない。
じゃあ、トランス/ノンバイナリーにだけ突然求められる「自然」とはいったい何なのか。それを問い直したっていいんじゃないか。
もちろん、ぼくはだれかに胸オペを勧めたいわけじゃない。「ノンバイナリーだから胸オペして当然」と言いたいわけでもない。手術を選ぶかどうかは、最終的には本人と医療関係者が決めることだ。
ぼくが言いたいのは、自分の心身と付き合っていくための選択肢は、人によって違うってこと。
そして、胸オペによってしんどさが軽減されたノンバイナリーが、ここにひとりいるということ。
胸をなくした自分の身体が「最初からこれだったらよかったのに」と思うくらい、受け入れられるものだってこと。
ぼくにとっての「自然」はこの体だ。今、人生でいちばん生きやすいと感じている。

