同じレズビアンであっても、恋愛と友情の境界線の濃さは人それぞれ。私は、恋愛感情と友愛がはっきりと分かれているタイプですが、それでも友達にやきもちを焼いてしまうことがあります。嫉妬の背景にあるもの、そして友達との関係を心地よく保つために心がけていることとは?
レズビアンの私にとって「友達」と「恋愛対象」は別
同性のパートナーと暮らす私には、レズビアンや異性愛者の友達がいます。そんな日常のなかで、私が人との関係をどんなふうに見極め、育ててきたのか。その基準や感覚を、ここで言葉にしてみたいと思います。
レズビアンの私。初対面で「友達」と「恋愛対象」を無意識に分けている?
現在のパートナーと出会う前の私は、無意識に初対面の相手を「友達」と「恋愛対象」に分けていました。
どこで線を引いていたのか、自分でもはっきり説明できません。相手のファッションや身体的な特徴なのか、漂う雰囲気なのか、もっと直感的な何かなのか。
ただ、第一印象の段階で「この人は友達」「この人は恋愛対象」と判断していたことを覚えています。
一度でも友達と認識した相手には、恋心が芽生えることはありません。友達と一緒にいると家族のような安心感があって、決してロマンチックな気持ちにはなれないのです。
逆に「恋愛対象」と認識した相手とは、友達として関係を築くことができません。意識しすぎてしまい、結局は距離を置いてフェードアウトしてしまうことがほとんどでした。
私のまわりの多くの人が「友情と恋愛の境目が曖昧」「初対面の時点で、恋愛対象になるかはわからない」というなかで、最初からきっぱり分けてしまう自分は、少数派なのかもしれない。そんなことをふと考えます。(関連記事はこちらNOISE:友人であるレズビアンからの告白。同性パートナーがいる私が選んだ “答え方”)
9年連れ添う同性パートナーとの関係性
9年連れ添ってきた同性パートナーとの関係は、付き合い始めのころから少しずつ変わり、今では恋人という言葉だけでは表せないものになっています。
恋愛感情はもちろんベースにありますが、前面に出てくることはありません。今はもっと深いところで支え合う「戦友」や「同志」のような絆が育ってきたと感じています。
そんなパートナーに対して、私がやきもちを焼くことはもうありません。むしろ、パートナーが友達と楽しい時間を過ごしてくれたらいいな、と自然に思えるのです。
誰かと笑って帰ってくる姿を見ると、安心する気持ちのほうが大きいくらいです。
お互いの世界を尊重しながら、それでも帰る場所としてそばにいる。それが今の私たちの関係性です。(関連記事はこちらNOISE:交際8年目の同性カップル。私たちに「恋愛感情」はまだあるのか)
レズビアンの私が、友達にやきもちを焼くとき。心のなかで起こっていること
恋愛感情はないはずなのに、友達が誰かと楽しそうにしていると心がざわつく。その揺れはどこから生まれるのか。その内側にある気持ちを探っていきます。
「特別な友達でいたい」という静かな欲求

友達がレズビアンでも異性愛者でも、ほかの誰かと親しげにしていると胸がざわつくことがありました。最近は減ってきましたが、当時の私はその理由をうまく言葉にできませんでした。
振り返ると、その根っこには「特別な友達でいたい」という欲求があったように思います。自分がその人にとって唯一ではなくても、かけがえのない存在でありたい。そんな願いがありました。
いっぽうで、恋人にはやきもちを焼きません。パートナーとは同居し、パートナーシップ宣誓をし、人生の伴侶としての関係性がしっかりと築き上げられている状態です。
揺るぎない土台があるからこそ、誰と過ごしていても不安にならないのです。
しかし、友達との関係には「この先も一緒にいる」と示すような明確な約束事がありません。
どれだけ大切に思っていても、関係の位置づけは曖昧で、保証もない。
だからこそ、ほかの誰かと楽しそうにしている姿を見ると、自分の特別な位置が脅かされるように感じてしまっていたのだと、今は考えています。
自信のなさが生む「自分じゃなくてもいい」という卑屈さ
仲のよい友達が誰かと親しげにしていると「ああ、私じゃなくてもいいんだ」と卑屈になる瞬間がありました。
一緒に遊んでいるときでさえ、頭のどこかでその考えがよぎり、相手に失礼だとわかっていても止められませんでした。
とくに近年は、SNS上で誰と遊びに行ったのか、どんな時間を過ごしたのかが簡単に見えてしまう時代です。知らなくてもよいはずの情報が流れ込んでしまい、余計に心がざわつくことが多々ありました。
そんなふうに、私がモヤモヤしてしまう要因のひとつが「自信のなさ」でした。
自分は特別な存在ではない。こんな自分と一緒にいて、はたして相手は楽しんでくれるのだろうか。
そんな思い込みがあるからこそ、友達にとっての特別な存在でありたいと願い、そして友達が誰かと楽しそうにしているだけで、自分の立場が揺らぐように感じていたのでしょう。
恋愛ではないのにやきもちを焼いてしまうのは、相手を大切に思う気持ちと、自分への不安が静かに交差するからなのだと気づきました。
「レズビアンであることと」「友達にやきもちを焼くこと」はあまり関係がない?
私は友達に対してやきもちを焼くことがあっても、それはレズビアンであることとは、あまり関係がないと思っています。
友達に対してのおもいに恋愛感情が混ざっているわけでもなく「同性だから特別に揺れる」というわけでもありません。実際、相手が女性でも男性でも、レズビアンでも異性愛者でも、私の心の動きはほとんど変わりませんでした。
むしろやきもちの正体は自信のなさという、もっと個人的なものです。
友達との関係は恋人のように明確な枠組みがなく、続いていく保証もない。だからこそ、ほかの誰かと親しげにしている姿を見ると、自分の立場が揺らぐように感じてしまうのです。
つまり、私が友達に嫉妬するのは「レズビアンだから」ではなく、「その友達を大切に思っているからこそ生まれる不安」なのだと、今では落ち着いて理解できるようになりました。
レズビアンの私の「やきもち」との向き合い方。友達との関係を心地よく保つには
心がやきもちで揺れることがあっても、友達との関係を大切にしたい気持ちはずっと変わりません。だからこそ、日々のなかで自分なりに意識してきたことがあります。
比べるのをやめて、目の前の友達との時間に集中する

友達にやきもちを焼いていたときは、私は頭のなかで無意識に「比較」をしていました。
「あの子といた方が楽しそう」「自分より気が合うのかも」といった想像が勝手にふくらみ、目の前の時間を素直に楽しめなくなるのです。実際には確かめようのない憶測なのに、その想像に飲み込まれてしまう。
そんなとき、私は意識的に視線を戻すようにしています。今、隣にいる友達がどんな表情をしているか、どんな話をしてくれているか、その瞬間に集中します。すると、不思議と心が落ち着いてくるのです。
それが習慣化してから、かつての自分が、いかに相手の言葉も笑顔も受け取れていなかったかがはっきりとわかります。
そして今は、友達のちょっとした仕草や、ふとした一言の温かさに気づけるようになりました。余計な想像に振り回されず、ただその場の会話や時間をそのまま楽しめるようになってきました。
「特別でいたい」気持ちを否定せず、静かに扱う
友達に対して「特別でいたい」と思う気持ちは、決して悪いものではないと、今となっては思います。むしろ、その人との関係を大切に思っている証ともいえます。
ただ、この気持ちは強く意識しすぎると、相手の行動を深読みしてしまい、自分を苦しめる方向へ傾いてしまうことがあります。
そのため、私はこの欲求を否定するのではなく、静かに受け入れるようにしています。
「特別でいたい」という感情を押し込めたり恥じたりせず「そう感じるほど大切な友達なんだな」と一度受け止める。すると、心のなかの焦りが少し和らぎます。
相手の言動に少し不安を感じたときも、すぐに「特別じゃなくなったのかも」と結びつけず、一度その感情を横に置いてから状況を見るようにすると、必要以上に心が揺れなくなりました。
相手にとって特別でいたい気持ちを認めつつ、その欲求だけで次の行動を決めない。気持ちと行動を切り離して扱うことで、友達との関係をより健やかに保てるようになりました。
レズビアンの私が「友達へのやきもち」を通じて気づいた “ふたりだからこそ” の価値
嫉妬や不安に心が引っ張られそうになるときは「私とその友達だからこそ生まれるもの」に目を向けるようにしています。
どんなに仲のよい別の友達がいても、私とその人が共有してきた時間や、ふとした瞬間にだけ通じ合える感覚は、ほかの誰とも同じにはならないはずです。
たとえば、同じ景色を見て笑い合った経験や、弱さを見せ合えた夜の会話。そうした積み重ねは、ほかの誰かが代わりに分かち合えるものではありません。
特別であるかどうかを測るのではなく「この人とだから自然に生まれたもの」を思い出すと、やきもちや心のざわつきが静まります。
私が求めていた「特別」は、実はすでにあったのだと気づけたとき、心がふっと軽くなりました。(関連記事はこちらNOISE:レズビアンの私と男友達。フラットな関係を保つための距離感)
不安な気持ちに振りまわされないために。これからも続けたいこと

友達へのやきもちそのものを完全になくすことは、きっとこれからも難しいでしょう。
それでも、揺れたときにどうするかは、自分で少しずつ選び直せる。そう気づいてから、私は感情に振りまわされるのではなく、丁寧に向き合うようになりました。
他者と比べる癖に気づいたら視線を戻すこと。特別でいたい気持ちを否定せず静かに受け止めること。そして「私とその友達だからこそ生まれるもの」を忘れずにいること。
どれも小さなことですが、積み重ねるほど心が軽くなっていきました。
やきもちは、関係を壊すためではなく、むしろ大切に思っている証です。
だからこそ、これからも揺れた自分を責めず、目の前の関係をていねいに育てていきたい。
そんな姿勢を続けていくことが、私にとって友達と関係を心地よく続けるコツなのだと思います。(関連記事はこちらNOISE:恋人だけが特別じゃない。レズビアンの私が「友達についてののろけ」を聞きたい理由)
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