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Writer/shu

クワロマンティックの「好き」は、「推し」に似ていると思う

わたしは最近、人生をともに歩むパートナーがほしいと思うようになりました。そんな思いをもつうちに、わたしにとっての「好き」という感覚についても深掘りしています。そこで気づいたのが、わたしの「好き」には「推し活」に近い感覚が含まれているのかもしれない、ということです。

「好き」という感覚は、ひとつではなかった

遠くから見ていたい「好き」

これまでの人生のなかで、人を好きになったことは何度もあります。そのなかには、素敵だと思うけれど、なぜか直接関わりたいとは思わず、遠くから見ていればそれで十分だと感じる相手もいました。

これがどういう感覚かというと、その人の見た目や、わたし以外の誰かと話しているときの雰囲気に惹かれていて、遠くてもその存在を感じられたら満たされるような感じ。必ずしも話して仲良くなりたいとか、距離を縮めたいとは限らないんです。

「好き」ではあるけれど、自分から関係を築きにいこうとは思わない。そんな「好き」という感覚でした。

関われるのに、あるラインからは踏み込めない「好き」

一方で、それなりに話ができて仲良くなり、相手の人柄や考え方を知って「いいな」「好きだな」と感じることもありました。

もっと話したいし、関係を深めていけたらいいなと思うものの、この気持ちが「友達として仲を深めたい」のか、もしくは「恋人になりたい」のか、自分でもよくわかりませんでした。

さらに、相手との心の距離が近くなったら、今の心地良さがなくなってしまうかもしれない。そんな不安もありました。

またわたしには、相手のことを「完成された存在」としてイメージしてしまう感覚があります。それは、相手が聖域のようなものに包まれているような感じです。

その聖域に対して「こんな自分が関わっていいのだろうか」と遠慮するような気持ちが生まれてしまいます。そして、もし自分がそこに踏み込んでしまったら、わたしが素敵だと感じている相手の人柄の美しさや、尊敬している姿を壊してしまうのではないか、そんな不安もあります。

さらに言えば、わたしは相手に「完全な存在」でいてほしいと思っているのかもしれません。だからこそ、関係性が近くなって、相手の完全ではない姿を見てしまうことにも怖さを感じているんだと思います。

わたしの好きには「推し」の感覚が含まれている

好きだからこそ、距離をとりたくなる

今まで体験した感情や感覚を振り返ってみると、それらは「推し」に近いものかもしれない、と思うんです。

その人のことを魅力的だと思えば思うほど、むしろ距離をとって、魅力的だと感じない部分を見ないようにしたり・・・・・・。関わりの中で、どこか一線を越えないように、とブレーキをかけてしまう感覚がありました。

相手の存在そのものを大切にしていて、崩れる姿を見たくない。無理に関係を変えるよりも、今の距離感のままでいたいと思ってしまうんです。

好きなのに近づかない。むしろ、好きだからこそ距離をとる。そんな感覚が、自分のなかにありました。

推しのように好きだった、という気づき

好きになった相手に恋人や好きな人がいると知ったとき、正直ちょっと複雑な気持ちにはなりましたが、だからといって自分の「好き」という感覚が消えるわけではありませんでした。

それだけではなく、誰かに惹かれたとき、知らず知らずのうちに「あの人ってめっちゃ素敵な人だよね」と、誰かに言いたくなるような感覚があり、実際に周りの人に話していました。

わたしがこれまで抱いてきた「好き」には、推し的な要素が含まれていたのかもしれない、と感じる理由です。

クワロマンティックのわたしは、それでも踏み出して前に進みたい

みんなにもある感覚と、クワロマンティックのわたしとの違い

遠くから憧れるように好きになることもあれば、関わるなかで好きになることもある。

これは、わたしだけの特別なものではなく、クワロマンティック特有のものでもなく、多くの人にもある感覚なのかもしれない、と思いました。

しかし、違うのはその先です。

多くの人がそこから関係を深めていくのに対して、わたしはなぜかそこで立ち止まってしまっていました。このことは、クワロマンティックであることが関係しているのかわかりません。

しかし、少なくともわたしのなかでは「推し」的感覚が働いていたからだと思っています。

結果として、好きな人とどう関わりたいのか自分でもわからないまま「好き」という気持ちだけを伝えてしまうこともありました。

それでも踏み出して、パートナーをつくりたいと思っている

わたしの感覚は「推し」に近いと気づいたばかりですが、これからはその先に進んでみたいと思っています。

これまでのように「好きだから距離をとる」のではなく「好きだからこそ関わっていきたい」というあり方を選びたい、と思うようになりました。

自分が勝手に想い描いた完全な姿ではない相手を見てしまうかもしれないけど、ちゃんと関わってみたい。もしかすると、これまでの、推し的な要素を含んだ「好き」から、誰かと恋愛関係を築いていく「好き」へと、わたしのなかで変化が起きている途中なのかもしれません。

そんなふうに思いながら、これからも「好き」と向き合っていきます。

 

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