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Writer/酉野たまご

LGBTQ+と「アウティング」問題。いちレズビアンが個人的に思うこと

LGBTQ+への人権侵害であり、深刻な問題行為として取り上げられることが多い「アウティング」。しかし、そもそも「アウティング」の問題性について、LGBTQ+以外の人にはピンとこないのではないか? と思い、いちレズビアンとして考えてみた。

「アウティング」はLGBTQ+以外にはピンとこない?

LGBTQ+当事者の性的指向や性自認を、本人の同意なく他人に明かすことを「アウティング」という。

LGBTQ+当事者にとって深刻な問題行為「アウティング」

たとえば、学校で友人から「私、実はレズビアンなんだ」と打ち明けられたとする。

そのことを、本人に確認を取らず「あの子、レズビアンなんだって」と、ほかの同級生に言いふらせば、それはまぎれもなく「アウティング」だ。

LGBTQ+にとって、セクシュアリティというものはごくごくプライベートな領域の情報。

だから、許可なく他人に言いふらしてしまうと、本人が知られたくないと思う相手にまで話が伝わってしまったり、周囲の態度が変化することで本人が傷ついてしまったりする恐れがある。

しかし、この「アウティング」について、最近個人的にちょっと思うところがあった。

LGBTQ+に対して、理解を示そうとする人がずいぶん増えた令和の今、いまだに多くの人たちは「アウティング」という行為の重大さにピンときていないのではないだろうか?
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LGBTQ+当事者以外の人に「アウティング」の判断は難しい?

冒頭で例に挙げたように、こっそりと秘密を打ち明けるような雰囲気で「・・・・・・実はレズビアンなんだ」と言われたら、一定数の人は「ああ、これはあまり他人には言わないほうがいいのかな」と思うかもしれない。

ただ、たとえば会話の中でサラリと言われただけだったり、SNSで情報を見かけたりした場合、その人がLGBTQ+であることを「他人の前で言ってもいいのか、ダメなのか」はわかりにくいのではないだろうか。

先日、知人たちと話していて、ある共通の知り合いが話題に上った。

私はその知り合いとふたりで話していた際、彼女の年齢が40代であることを本人から聞いていた。また、彼女のSNS(鍵付きアカウント)の投稿を見て、彼女に子どもがいることも知っていた。

しかし、そのことを口にしかけた瞬間、あわてて急ブレーキを踏んだ。

共通の知り合いとはいえ、本人が大っぴらには公表していないプライベートの情報を、勝手に話題にしてはいけないのではないか?

彼女からは「内緒ですよ」とも「ほかの人に言わないでくださいね」とも言われていないけれど、もし目の前にいる知人がそれらの情報を知らなかった場合、私が勝手に彼女の個人情報を暴露したことになってしまう。

その場では結局、あたりさわりのない話題しか口にしなかったのだけれど、この経験から私は「アウティング」に連想が及んだ。

もしかして、LGBTQ+にとっての「アウティング」は、マジョリティの人たちにとって、これくらい判断が難しいと感じられているのではないだろうか。

「アウティング」について、いちレズビアンとして思うこと

私はレズビアンだけれど、実のところ、アウティングをされたという経験がない。

レズビアンを公表している私にも、アウティングが怖い時期があった

現在、私はSNSでも、対面で会う相手にも、レズビアンであることを公表しているけれど、ほんの数年前まではそうじゃなかった。

特に、今のパートナーと付き合い始めて数か月の頃は、親しい友人にはパートナーのことを話していたものの、両親にはパートナーの性別を言えずにいた。

そのため、デート中に私たちの姿を見かけた知り合いが、両親に私とパートナーのことを話してしまったらどうしよう・・・・・・と、常にヒヤヒヤしていた。

知り合いと遭遇しそうな場所では、私もパートナーも手をつがないようにするなど、一時はかなりの緊張感をもって過ごしていた。

両親にカミングアウトをしてからは一気に緊張感が緩んだけれど、だからといってすぐさま「誰にでも自分のセクシュアリティを明かして大丈夫」と思えたわけではない。

というか、多くのLGBTQ+当事者は「誰にでも自分のセクシュアリティを明かして大丈夫」とは、なかなか思えないのではないだろうか。

私のパートナーも、親しい友人や家族にはカミングアウト済みだけれど、職場で自分がレズビアンであることを言うのは、いまだに勇気がいると言う。

だからやっぱり、どんなにあっさりとセクシュアリティを明かされたとしても、本人の了承なしにそれを広めてはいけないのだ。

実際に遭遇したアウティングの現場と、LGBTQ+当事者としての疑問

私自身がアウティングをされたという経験がないのは、幸運なことだと思う。

学生の頃、同じサークルの先輩から「A子ってレズなんだよ」「B美はバイセクシュアルかもしれないって自分で言ってたよ」などと聞かされたときは、自分事のように戦慄した。
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話題に上ったふたりが「ほかの人に言ってもいいですよ」と言っていなかったのだとしたら、先輩はアウティングをしたことになる。

当時は「それ、私が聞いてもいい話ですか?」と確認することすら怖く、この人には自分がレズビアンであることは明かすまい、とひっそり決意した。

ただ、特に今の時代はSNSが盛んなこともあって、何が言ってはいけない話題で何が大丈夫な話題か、判断が難しくなっている部分はある。

鍵付きのアカウントや、特定の人にしか見られないように制限をかけた状態でSNS投稿をしていたとしても、何度も投稿を目にしている人は「公の場で話してもいい情報」だと錯覚してしまうかもしれない。

また、SNS内外でセクシュアリティをオープンにしているLGBTQ+の人と、鍵付きアカウントや制限付きの投稿のみで(一部の人にだけ)セクシュアリティを明かしているLGBTQ+の人とでは、アウティングのボーダーラインは異なるはずだけれど、何の気なしにSNSを流し見している人にとってはその区別はつきにくいかもしれない。

では、アウティングを防ぐためには、LGBTQ+当事者の側から「ほかの人に言わないでくださいね」といちいち口止めをするしかないのだろうか?

そして、万が一アウティング行為に遭遇した場合、私たちは暴露した人に「それはアウティングですよ」と注意するべきなのだろうか?

アウティングで傷つくことを防ぐために―LGBTQ+当事者として考えてみた

アウティングは深刻な問題ではあるものの、本音を言えば私自身は「アウティングを重く捉え過ぎたくはない」と思っている節がある。

LGBTQ+の友人がいると「アウティング」のボーダーラインに葛藤する

私には、ノンセクシュアルの友人や、アロマンティック・アセクシュアルの(可能性がある)友人が何人かいる。

友人たちはそれぞれ、一部の人だけに自分のセクシュアリティを明かしていたり、まだ確信がもてないからと自分からはセクシュアリティの話をしなかったり、できるだけ隠したいと思っていたりと、カミングアウトの度合いもさまざまだ。

そんな彼らの共通の知人たちと話していると、恋愛の話題になった際に「どこまで彼らの事情をふまえたうえで話せばいいか」と、ボーダーラインを気遣いながら話すことになる。

「今付き合っている人がいないなんてもったいない」「前の恋人とはセックスレスのせいで別れたって聞いたけど」などという話になれば、それとなく「人には人の事情があるから」「全員が誰かと付き合いたいってわけでもないし」と口を挟みはするけれど、それ以上の言及はアウティングになる可能性もあり、躊躇してしまう。

ただ、それを私が「いちいちアウティングなんて気にしていられない」と面倒がってはいけないな、とは思う。

レズビアンである私もそうだけれど、ノンセクシュアルやアロマンティック・アセクシュアルは、性的な行為や感情にまで内容が及ぶセクシュアリティだからこそ、なおさら気をつけなくてはいけない。

うっかりアウティングしてしまったせいで、友人たちが心ない性的な噂話のネタにされてしまったら・・・・・・と思うと、ぞっとする。

LGBTQ+当事者として「アウティング」に対してできるベターな行動とは

アウティングのボーダーラインに葛藤するものの、とはいえ心の奥底では「アウティングを問題視する必要がないくらい、寛容な世の中になればいいなあ」と願っている。

「カミングアウト」や「アウティング」という概念が意味をなさなくなるくらい、誰もが自分のセクシュアリティをオープンにしても傷つかず、言いたくない人が言わずにいても誰も変に思わない・・・・・・そんな世間の風潮が、私にとっての理想像だ。

だからこそ、私のなかでは「アウティングをしてはいけない」という戒めと「アウティングを重く捉え過ぎたくない」という気持ちが共存している。

現時点では、アウティングは軽々しくしてはいけないし、させてもいけない、という考えではある。

ただ、前述したように、LGBTQ+当事者でない人にとっては「アウティング」の重大さがピンとこないのかもしれない、という懸念もあるから、アウティングを即刻「悪意ある、罰すべき行為」だと決めつけたくもない。

自分がアウティングされたくないと思ったら、多少面倒でも「一応内緒の話なんですけど」などと前置きをつけ、万が一アウティング行為に遭遇したら、それとなく「あまりほかの人に言わないほうがいいと思いますよ」と指摘する。

私自身が、LGBTQ+当事者としてできる(現時点での)ベターな行動は、このあたりかなあと思うのだ。

「アウティング」でLGBTQ+とそうでない人の間に線を引きたくない

そういえば、LGBTQ+当事者以外の人と話すなかで「アウティング」という単語を聞いたことがないかもしれない、と気がついた。

そもそもLGBTQ+についての知識がなければ馴染みのない言葉だろうし、ある程度知識があったとしても「アウティングをされるとどれくらいダメージを受けるか」にピンときていなければ、実際に気にかけることは難しいだろうなあ・・・・・・と想像する。

LGBTQ+当事者も、そうでない人も、過度に傷つけたくはないし、いちいち細かいことばかり言ってきて面倒くさい、と距離を取られてしまうのも悲しい。

誰に対しても丁寧に気遣いできる人はもちろん素敵だけれど、言葉選びや話し方が多少おおざっぱでも、仲良くしていたいと思える人たちもたくさんいる。

そういう人たちと、LGBTQ+当事者である自分たちの間に、アウティング行為という名前の線を引いてしまうことは、できれば避けたいのだ。

コンプライアンスは大切にしつつ、同時に、目の前の人間関係も見失わないようにしたいから、私は今日もボーダーラインを見極め、自問自答しつつ時には迷いながら、他者とのコミュニケーションを模索している。

 

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