佐藤良成、佐野遊穂の2名からなる男女デュオ「ハンバートハンバート」。NHK連続テレビ小説『ばけばけ』の主題歌にも選出されたこの2人の作る歌は、LGBT当事者である私の心を強く揺さぶる。その理由について、考えてみた。
男女デュオ「ハンバートハンバート」とは?
私と「ハンバートハンバート」との出会い
ギターやバイオリンが奏でる、穏やかな旋律。
やわらかな女性の歌声と、そこに重なる深みのある男性の声。
私が男女デュオ「ハンバートハンバート」を知ったのは、2019年頃のことだ。
知人から教わった『おなじ話』という曲を聴いて、せつないような哀しいような歌詞と、それでいて軽やかな曲調に、一気に引き込まれた。
この曲を作った人たちは、「ハンバートハンバート」という2人組らしい。
どうやら、夫婦でデュオをやっているらしい。
調べていくうちに、ハンバートハンバートへの興味はますます強くなっていった。
今では、当時『おなじ話』を教えてくれた知人よりもたくさんの曲を知っていて、定期的にライブに通うほど、ハンバートハンバートと彼らの作る音楽のとりこになった。
LGBT当事者をも包み込む、普遍性のある曲
私がハンバートハンバートに惹かれた大きな理由のひとつとして「LGBTの心に響く歌詞が多い」ことが挙げられる。
ハンバートハンバートの2人にそのような意図があるかはわからないけれど、少し聴いただけでも「これは、私たち(LGBT当事者)のための歌詞だ」と感じられる曲がたくさんあるのだ。
ハンバートハンバートの2人は夫婦で、3人の男の子を育てているらしいのだけれど、不思議と、彼らの曲に「親から子への目線」や「夫婦の愛情」のようなものが登場することは少ない。
どちらかといえば、瑞々しい恋愛(それも、片想いだったり、終わりかけだったりするような恋愛)の描写や、未来に行き詰まりを感じる若者の感情、この世から旅立つ人の思いを歌った曲などが目立つ。
だからこそ、LGBT当事者をも包み込むような、普遍性のある曲が多いのではないかと思う。
LGBT当事者に響く、ハンバートハンバートの歌詞①
私が一番好きなハンバートハンバートの曲のひとつに『どこにいても同じさ』というものがある。
ハンバートハンバート『どこにいても同じさ』の歌詞の魅力

お笑い芸人の「阿佐ヶ谷姉妹」とコラボレーションしたミュージックビデオも公開されており、その映像も何度となく見返している。
マジョリティの人が聴いたら「ごく一般的な、夫婦愛を歌った曲なのでは?」と思うかもしれない。
しかし、私はこの曲をLGBT当事者として聴くことで、毎回気持ちがあふれそうになる。ライブでのパフォーマンスを聴くと、ほぼ必ず涙してしまうほどだ。
『どこにいても同じさ』は、少し変わったフレーズで始まる歌だ。
間違ってるとか正しいとか そんなことどうでもいいと思った
何が「間違ってる」のか、何が「正しい」のか、詳細は語られない。
でも、私はこの歌を聴いて「私とあなたが一緒にいること」について表現した曲なのだ、と感じた。
たとえば、家族に理解されないまま、同性同士でお付き合いをしている人たち。
セクシュアリティの壁を越えて、課題を抱えながらも、パートナーになることを決めた人たち。
阿佐ヶ谷姉妹のように、実際の姉妹でも恋人でもないけれど、一緒に暮らしている人たち。
そんなふうに、世間では「正しくない」「間違っている」と言われてしまいかねないような微妙な関係性でも、一緒にいたいと願い合う2人の人物を描いているのが『どこにいても同じさ』という曲なのではないだろうか。
大切な人がいるLGBT当事者に響くハンバートハンバートの『どこにいても同じさ』のフレーズ
私は、現在お付き合いしている同性のパートナーと出会った頃、よく『どこにいても同じさ』を聴いていた。
当時、私は初めての恋人と一緒に時間を過ごせることの喜びを味わいながらも、いつかこの時間が終わってしまうかもしれない、という不安におびえていた。
自分がLGBTであることを受け入れてくれない親に、いつかはカミングアウトしなければならない。
もしそのときに、彼女と一緒に暮らすことを反対されたら?
家族や世間からのプレッシャーに負けて、私とパートナーが別れることになったら?
考えれば考えるほど募っていく不安を、ハンバートハンバートの2人の歌声が優しくとかしてくれた。
どこにもいきたくないよ ぼくは君といたい
どこにいても同じさ 君さえいれば
『どこにいても同じさ』を聴きながら、私は毎回同じフレーズで感極まっていた。
自分のセクシュアリティを受け入れてくれない親に反発する気持ちと、パートナーと生涯を共にしたいと思う感情に、この曲はぴったりと寄り添ってくれたのだ。
今では、親も私とパートナーの関係を認めてくれて、一緒に暮らすことができている。
それでも、LGBTに関する暗いニュースを目にしたときや、パートナーとすれ違ってしまったときなど、不安に駆られそうになったら『どこにいても同じさ』を聴くようにしている。
いやなニュースばかりうんざりだね 誰もが誰かの子どもなのに
明日の朝は何を食べよう 死んだらおんなじ墓に入ろう
いつ聴いても、何かしら新しいフレーズに心を動かされ、新鮮な気持ちで曲と向き合うことができる。
「男女」や「恋愛」「結婚」といったキーワードに縛られない歌詞が、LGBT当事者である私の抱えている思いに共鳴してくれるのだ。
LGBT当事者に響く、ハンバートハンバートの歌詞②
私がLGBTに響く歌詞として、もうひとつ紹介したいハンバートハンバートの曲がある。『傷』というタイトルのものだ。
現実の厳しさを浮き彫りにするハンバートハンバートの『傷』という曲

ハンバートハンバートの『傷』という歌は、映画『包帯クラブ』のサウンドトラックに収録されている。
『傷』というタイトルのとおり、人が生きているとどうしても負ったり、与えたりしてしまう心の「傷」について描いた楽曲だ。
悪気もなく ためらいもなく
人は僕 傷を踏みつける
だけどそれは 目に見えないから
傷ついても 僕は気付かない
誰かに傷つけられることや、人を傷つけてしまうことを歌った曲の中でも、ハンバートハンバートの『傷』はひときわ現実に即した、ある意味で手加減のない歌詞に思える。
「誰もが傷つけあわない世界を作ろう」というわけではなく、「傷ついてもまた立ち直ればいい」と励ますのでもなく、自分も他人も傷つけあうし、そのうえで傷に気付かないことも、傷つけたことが見逃されてしまうことも、実際にありうる。
そんなどうしようもないリアルなできごとを、ハンバートハンバートの2人は持ち前の優しい歌声でサラリと歌い上げている。
LGBT当事者が受けやすい「心の傷」に響く歌詞
先日、知人からとある舞台作品を観たという話を聞いた。
その舞台作品の中で、ひとりの登場人物が「『パートナー』っていう呼び方、やめなよ」というセリフを言っていたのだという。
自分の(異性の)恋人を「パートナー」と呼ぶ人物に対して、嫉妬や八つ当たりの感情が入り混じった結果「パートナーじゃなくて、ふつうに彼氏って言えばいいじゃん」「パートナーっていう呼び方をするのが意識高いと思っているんだったら、それってダサいよ」というニュアンスで発されたセリフらしい。
舞台を観劇していた知人は、LGBT当事者(レズビアン)であり、そのことを私以外の知人にはあまり公表していない。
だから、知人はそのセリフを聞いて「私が嘘をつかずに自分の恋人のことを話そうとしたら『パートナー』と呼ぶしかないのに・・・・・・」と思い、悲しい気持ちになったのだという。
もちろん、そのセリフを発した登場人物の意見がそのまま脚本家の意見である、という訳ではないと思う。
ただ、おそらくちょっとした笑いをとるつもりで書かれたセリフに、本気でショックを受け、傷つく観客、LGBT当事者がいるかもしれないとは、誰も想定していなかったのだろう。
そして、これは舞台作品のようなフィクションに限った話ではなく、日常で起こり得ることだとも思った。
特に、自分がLGBT当事者であることを他人に言わずに生活していると、相手にそのつもりがなくても、軽口に傷つき、誰にも言えないままその場で固まってしまうようなことはしょっちゅうある。
そういった場面で、ハンバートハンバートの『傷』の歌詞をよく思い出す。
どこまで遠く登って行けば
人の痛みがわかるだろう
自分のこと 他人のこと
何を僕は知っているのか
やわらかな歌声を思い返しながら、自分だってきっとどこかで他人を傷つけているんだろう、と想像する。
でもそれは絶望するようなことではなくて、他人の傷や痛みをわかろうとすることはとても難しいのだから、せめてその事実だけでも心に留めて生きていこう・・・・・・と小さく決意する。
すると不思議なことに、心の中の空が晴れ渡っていくような、痛みがゆっくりと和らいでいくような気持ちになれるのだ。
LGBT当事者も「生活」をして生きている

前述したように、ハンバートハンバートはNHK連続テレビ小説『ばけばけ』の主題歌を担当している。
主題歌である『笑ったり転んだり』の歌詞の中にも、私の好きなフレーズがある。
日に日に世界が悪くなる
気のせいか そうじゃない
そんなじゃダメだと焦ったり
生活しなきゃと坐ったり
生きていると、つらいことや苦しいことはある。
「気のせいか そうじゃない」というフレーズからもわかるように、ハンバートハンバートの曲は現実の厳しい側面から逃げず、しっかりと見つめるものが多い。
私が好きなのは、そういった厳しい状況の中でも「生活しなきゃと坐ったり」する姿が描かれているところだ。
つらい境遇や、その時々の苦しさに打ちのめされてしまうことは、LGBT当事者であっても、そうでない人にもあるけれど、とりあえず一旦座って落ち着いて、食事をとったり、お風呂に入ったり、外に出たりするものだ。
どれだけ嘆いても、泣きわめいても、いつかは眠って、起き上がって、生活を続けていくしかない。
それはちょっと情けない事実でもあるし、ある意味で心が救われることだとも思う。
LGBT当事者も、いつも傷ついて、苦しんで、嘆いてばかりいるわけじゃない。
多くの人たちと同じように「生活」をしながら生きていくのだ。
私は今日も、ハンバートハンバートの綴る歌詞に救われながら「生活」をするべく生きている。


