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Writer/遥

同性パートナーと暮らす私。「レズビアン」と名乗ることへの違和感

「私はレズビアンです」。そう誰かに説明するとき、事実ではあるものの、ちょっとした違和感を抱くようになりました。人生のパートナーがいるのに、わざわざレズビアンと名乗る必要はあるのかと。

私は「レズビアン」。セクシュアリティを意識しなかった時代

私は自分のセクシュアリティを「レズビアン」と自然に受け入れていました。しかし、現在の同性パートナーと交際を始めてから、自分のセクシュアリティについて立ち止まって考えるようになりました。

セクシュアリティを「レズビアン」と説明していた20代

私は20代前半の頃、レズビアン向けのマッチングアプリを利用したり、レズビアンオフ会に参加したりと、恋人づくりにいそしんでいました。

当時の私は「女性が好きだから、レズビアン」という自認で、自分のセクシュアリティについて深く考えていませんでした。

女性に惹かれるセクシュアリティを指す言葉は、レズビアンのほかに「ウーマセクシュアル」や「ウーマロマンティック」など性自認を問わないものもありますが、当時の私はそういった用語を知らなかったのです。

そのため、マッチングアプリやSNSのプロフィールには「Lです」と書き、口頭でセクシュアリティを説明するときも「レズビアンです」と名乗っていました。

同性パートナーと出会い、同棲。30代の今

20代前半の頃に、私は現在のパートナーと出会いました。付き合ってすぐに同棲を始め、30代になった今も一緒に暮らしています。

パートナーと同棲して8年ほどになりますが、私と彼女はお互いに「恋人兼親友・家族」であり、いわゆるモノガミー(一対一の交際を前提とする関係性)的な関係です。

こうした関係性を踏まえたうえで、自分のセクシュアリティを誰かに説明する場面で、私はあるときから違和感を抱くようになりました。

もう私は「同性のパートナーがいます」と伝えるだけでよいのではないかと。わざわざレズビアンと名乗る必要はあるのだろうか、というモヤモヤした気持ちが心の奥にあります。

私にとって同性パートナーは人生の伴侶であり、これから先、ほかの誰かを好きになる可能性は今のところありません。そのため、最近は「パートナーだけを愛している状態で、あえてセクシュアリティを説明しなくてもよいのでは?」と考えるようになりました。

レズビアンだけど、セクシュアルマイノリティの自覚が薄い私

私がレズビアンと名乗ることに抵抗がある背景には、そもそも自分がセクシュアルマイノリティだという自覚が薄いこともあると思います。女性が女性を好きになることや、女性同士で付き合うことはごく自然なことだと捉えているからか、わざわざ「少数者」として意識したり、自分を特別な枠に当てはめたりする感覚があまりなかったのです。

友人のほとんどがクィアで、レズビアンがマイノリティではない

私の友人のほとんどは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、パンセクシュアルなど、いわゆる “クィア” な人たちです。そのなかでも、女性に惹かれるセクシュアリティの友人が多いです。

そんな友人に囲まれてきたこともあって、むしろ異性愛者のほうが少数に感じるくらい、レズビアンであることが特別ではなくなっていました。

クィアではない、いわゆる異性愛者の友人もいますが、長年の付き合いなので、今さら私のセクシュアリティが話題にあがることもありません。私と同性パートナーの日常の話を、異性カップルと変わらない温度感で聞いてくれています。

「自分はレズビアン」と声に出して説明する機会は減りつつある

以前の私は、誰かにカミングアウトする際に「私はレズビアンで・・・・・・」というわかりやすい文言をつかっていました。しかし、最近はレズビアンという言葉をつかうことも以前よりぐんと減ったように思います。

たとえば、会話の流れで、同性パートナーがいることを話すときは「うちはパートナーとふたり暮らしで、彼女は女性なんですけど~」とさりげなく伝えています。また、パートナーがいることだけを伝えて、彼女が同性であることは「性別について言及されたら話す」というスタンスをとることもあります。

私の周りのクィアな友人も「レズビアン」とはっきりと明言はせず、会話のなかでこれまでの恋愛遍歴や今気になっている相手を語る人がほとんどです。

レズビアンという言葉にこだわらず、自分のありのままの恋愛や生活を自然に受け入れ、表現する人がいる一方で、レズビアンであることを強くアイデンティティとして大切にしている人もいる。

近年は、そんな多様な在り方が共存しているのだと感じます。

「レズビアン」というセクシュアリティとの向き合い方。同性パートナーがいる私の場合

同性のパートナーと暮らす私にとって「レズビアン」は、恋愛のかたちを示す言葉であると同時に、ときに自分を説明するラベルにもなります。「レズビアン」というセクシュアリティとどう向き合うか。その感覚の変化について、同性パートナーとの暮らしを通して考えてみました。

異性カップルと同じように

異性のカップルや夫婦の場合「私たちは異性愛者です」「パートナーは異性です」とカミングアウトすることはありません。世間一般で考えると男女カップルがマジョリティなので、わざわざ説明する必要がないからです。

それと同じように、私も自分のセクシュアリティは、必ずしも伝えなければならないことではないと思っています。

私の狭いコミュニティのなかでは、クィアであることは多数側なので「何らかのクィアである」という点さえ伝われば、細かくカテゴライズしなくてもいいと、考えるようになりました。

セクシュアリティはあいまいなままでもいい

異性カップルのなかにアセクシュアルやサピオセクシュアルなど、クィアな要素を持つ人もたくさんいます。

しかし、本人は無自覚であったり、そもそもセクシュアリティについてあまり深く掘り下げないスタンスであったりするケースが多いように感じます。

もちろん、セクシュアリティについて考えることは義務ではないので、気にしない人はそのままでいいと思います。また、もし自覚があったとしても、深い仲でない限りは、そういったパーソナルな話はしないでしょう。

私は自分がセクシュアルマイノリティに含まれる人間だと知ったときから、なぜか「クィアである以上、何かのセクシュアリティ名に決めなくては」という義務感に駆られていました。

自分はレズビアンではなく別の何かではないかと、ひたすらセクシュアリティを模索した時期もあります。しかし、異性愛者の友人の「セクシュアリティを気にしないスタンス」をみて、ふと私もそうしようと思ったのです。

マイノリティだからといって、何でも説明できるようにしなくては、という考えから離れた瞬間でした。

名乗らなくても、そこにある。レズビアンというセクシュアリティ

同性パートナーがいる私が、誰かの前でレズビアンと名乗る必要はないのでは、という疑問はあるものの、レズビアンという言葉から完全に離れたいわけではありません。

現在のパートナーを含め、これまで交際してきた相手はレズビアン向けのイベントで出会った人ばかりです。レズビアンという言葉があったからこそ、出会えたのだと思います。

レズビアンというセクシュアリティは「同性をパートナーに選び、ともに生きる」という私のライフスタイルの基盤となっています。パートナーとの関係も、レズビアンというセクシュアリティと地続きになっているのだと考えています。

レズビアンという言葉を手放すのではなく、ずっとそこにあるものという認識を持つこと。

たまに思い出して、必要があれば誰かに伝えてみる、くらいにゆるい感覚でいること。それが、私なりのレズビアンという言葉との向き合い方です。

 

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