クワロマンティックは「他者に抱く好意的な感情が、恋愛感情か否かを区別できない(区別したくない)」恋愛的指向です。私は、恋愛に関心がない自分と恋愛の話題で盛り上がる友達を比べて、恋愛は「楽しむ一つの趣味みたいなもの」という考えを持つようになりました。
趣味の定義から考える、恋愛の意味
趣味って、対象となるものに興味があるかどうかで、その程度や費やす時間などが人それぞれ異なりますよね。
「趣味」ってどういうものか調べてみた
まず「趣味」という言葉の意味を調べてみました。
コトバンクによると
①仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。
②どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向。
③物事のもっている味わい。おもむき。情趣。
とのこと。
ある人が、興味や関心の対象から
・どんなメッセージを受け取るか
・どんな感情を抱くか
・どんな考えが浮かぶか
・どんなふうに楽しむか
という感覚や、それと向き合う理由が「しなければならないから」ではなく「したいから」する、という意味なんだと思います。
やっぱり恋愛って趣味じゃない!?
趣味という言葉をひもとくと「やっぱ恋愛も趣味なんだな」ってあらためて思います。
「したいから趣味にする人」がいるのなら「趣味にしなくてもいい」わけです。
それに、趣味を楽しむには、ある程度時間やお金を使います。それは恋愛も同じです。
さらに言えば「趣味はないなあ」と、口にする人もいますよね。
恋愛に置き換えれば「だれかと恋愛関係をもつってないなあ」「結婚はないなあ」という人がいるのと同じかもしれません。
クワロマンティックの私が感じる、趣味の話と恋愛の話での会話の違い
アニメ鑑賞が趣味の人もいれば、野球観戦が趣味の人もいます。人によって「興味があること」「楽しみたいこと」が異なるのは当たり前です。
「趣味的な会話にならない恋愛話」が不思議に見えるのは、クワロマンティックだから?

私は、カラオケや旅行が趣味ですが、それらに興味がない人もいます。私にとっては、恋愛は「あまり興味がない」「わざわざしたいと思わない」というだけのことです。
趣味の話であれば
「なんでそれにハマっているの?」「どんなところが楽しい?」って聞くと、相手の視点や考え、もっと言えばその人の哲学まで深掘って聞くことができます。
しかし世間は、恋愛を趣味のように扱ってはくれません。
恋愛の場合「好きな人できた?」「その人とどこにデート行くの?」と、いきなり具体的な話に入っていくことが多いように感じます。一方で、恋愛そのものの楽しさや、本質について語り合う機会はなかなかないように、私は思うんです。
恋愛についても「恋人に求めるものって何? それって過去に何かあったから?」など、趣味の話と同じように深まることもあるかもしれませんが・・・・・・こう思うのは、私がクワロマンティックだからでしょうか?
クワロマンティック自認の私がもつ「恋愛は誰もがするもの」への違和感
「休みの日は家でダラダラ」「やってはみるけどなかなかハマるものがない」
といったように、これといった趣味がない人っていますよね。
そんな人がいたらどんなふうに話をするでしょうか。
試しに自分の趣味を話して「一緒にやらない?」って誘うかもしれません。
もしもあまり反応がなかったら「ダラダラするだけっていうのもアリだよね!」と肯定的に受け止めるでしょう。
かなり前の話ですが、私が「恋愛に興味ない」と言うと、「人生損してる」「なんで恋しないの?」と、まるで人生を充分に楽しんでいないかのような問いを、ぶつけられたことがありました。
この時すでに、私はクワロマンティックを自認していたので「この人は、恋愛はみんなするもの」と決め込んでいるんだな、と思いました。
「キャンプしないの?」「御朱印集めしないの?」といった趣味への問いかけは、その楽しさを純粋に伝えたい気持ちからくるものだと思います。
しかし「恋しないの?」という問いは “みんなしてるんだから、あなたもすべき” という圧力みたいなものを感じてしまうんです。
これは、クワロマンティックの私の思い込みかもしれませんが・・・・・・。
恋愛を趣味の一つと捉えたら、もっとやさしい世界になるかもしれない
趣味のことを考えてみると、興味がある理由と同じように、興味がない理由もありますよね。
恋愛の話も趣味のように語り合えたら

読書を例にとってみます。
読書に興味がある人は
「本を通して新しい世界を見せてくれるのが良い」
「スマホもいじらず没頭できるところが好き」
という理由が
読書に興味がないに人は
「活字を目で追うと疲れちゃうから」
「映像で見るほうがスッと入ってくるから」
という理由があったりします。
恋愛だって同じで、恋愛をしたい人にも、恋愛をしたくない人にも、それなりの理由があるはずだと、私は思うんです。
恋愛を数ある趣味の一つと捉えてみたら
私はときどき思うんです。
もしも恋愛を「誰もがすること」ではなく「数ある趣味の一つ」と捉え直したら、どんな世界が見えるだろうか、と。
相手と趣味が違うからといって、相手を否定することはないはずです。それと同じように、クワロマンティックのように恋愛をしない人のことも、肯定できるようになるんじゃないかと思います。
「私は恋愛をする(しない)けど、あなたは恋愛をしない(する)んだね。その上で聞きたいんだけど、あなたにとって恋愛がどういうものか聞いてもいい?」
こんなふうに、お互いの違いを受け止めて、尊重する会話ができるなら「恋愛を趣味の一つ」と捉えてみてもいいと思うんです。
そうすれば、きっともう少しやさしい世界になるんじゃないかって、私はそう考えます。
■参考情報
・デジタル大辞泉 https://kotobank.jp/word/%E8%B6%A3%E5%91%B3-78244#w-529337

