「ずっと一緒にいたい!」「ずっとそばにいたい」。そんな言葉を耳にすると、私は戸惑ってしまうことがあります。誰かと一緒に過ごすのは楽しいし、心が通うような会話ができたらうれしいです。でも、「ずっと」となると、どうにもピンとこないんです。
クワロマンティックの私には「一緒にいたい」がピンとこない
「ずっと一緒にいたい」ってどういうこと?
「あなたとずっと一緒にいたい」
「一生あなたのそばにいさせて」
そんなセリフは、ドラマや映画のプロポーズの場面なんかでよく耳にします。でも正直なところ、この「ずっと一緒にいたい」という気持ちが、私にはよくわからないんです。
これってつまり「永遠」ってことですか?
「気持ちは一生変わりません」っていう約束で、合ってるでしょうか?
そこまで言えるってめちゃくちゃすごいなあと思います。
だって「ずっと」ですよ!?
すばらしい決意だし、勇気ある決断だし、冷やかしでもなんでもなく、本気でそう思えるって、すごいことです。
でも・・・・・その言葉たちは、私の中にまっすぐ落ちてこないんです。
クワロマンティックの私にはその想いがわからない
私は「クワロマンティック」です。
クワロマンティックは、「自分が他者に抱く好意的な感情が、恋愛感情か否か(友情との違い)を区別できない」もしくは「恋愛感情と友情を区別したくない」と説明される恋愛的指向です。
今の私にとっては、「恋愛感情と友情を区別したくない」という気持ちのほうがしっくりきていて「今この瞬間のあたたかさ」や、「心が通い合うようなつながり」を大切にしたい、という想いが強いんです。
出会った一人ひとりに特別な想いはあるし、大切なつながりもたくさんあるけど、「ずっと私と(だけ)一緒にいて!」というふうにはならないんです。
誰かを独占したいとか、そういうことではないのです。
会えたときにじっくり話せたらそれでいいし、時間を忘れるくらい楽しい時間を過ごせたら、私は満たされます。だけど、「ずっと一緒にいてほしい」とまでは思わないんです。
「ずっと」とか「一緒にいる」。付き合いたいって何ですか?
長く付き合うだけが絶対なのか
私は「ずっと」という言葉に「途絶えることのない」とか「長く続いていく」みたいなイメージを持っています。とにかく連綿と続いていくような感覚です。
この「ずっと」という言葉が、世の中で特別な意味を持って使われるのは、なぜでしょうか。
ひとつあげるとしたら、「ずっと」は永遠を想起させ、時を越えて限りなく続きそうな感じがします。
壮大で、夢があって、素晴らしいことのように思えるからかもしれません。
けれど、付き合いが長く続くことだけに意味があるのでしょうか。
おもいの「深さ」についても考えてみます。
「ずっと一緒にいたい」と伝えるとき、それは愛情の深さが前提になっているかもしれません。お互いにわかりあっていれば、あえて深さについては言葉にしないということでしょうか。
私なんかは「(長く)ずっと付き合う」というよりもまず、「今この瞬間にどれだけ深く心を通わせられるか」を大切にしたいと思っています。もちろん、深くて長い関係が続いたら良いなあとは思いますが、関係の「長さ」だけでははかれないのではないか、と思います。
会えなくなったら「一緒にいる」にはならないのか
もうひとつ「一緒にいる」という言葉についても考えてみました。
「ずっと一緒にいたい」と伝えるときは、「生活を共にすること」や「同じ家に住むこと」など、物理的にも、精神的にもそばにいるというイメージがあります。
ここで、あなたの親友を思い浮かべてみてください。
あなたにパートナー的な存在ができたら、親友と会える時間は減ってしまうでしょう。でも、心の距離が大きく変わるということはないと思いませんか?
きっと、以前と変わらず支え合ったり、短い時間でも楽しく過ごせたりする存在だと思います。
この関係性だって、「ずっと一緒にいる」と言えるのではないでしょうか。
そう考えると、「一緒にいる」って不思議な言葉に思えてきます。
「ずっと一緒にいる」「長く付き合う」は、パートナーにしか使えない言葉ではないのかもしれません。心の拠り所になるような存在がいたら、会えない日々が続いても「一緒にいたい!」って言ってもいいんじゃないかなと思います。
いろいろな「一緒にいたい」「付き合いたい」がある
セクシュアリティには揺れがあると知って思ったこと
私がセクシュアリティについて、ニュースや記事などいろいろな媒体を通じて知っていくなかで、驚いたことがあります。
それは、「セクシュアリティは変化することもある」ということです。
このことを知ったとき、私の中にあった「当たり前」が音を立てて崩れました。いろいろなセクシュアリティがあることはイメージができていましたが、「変わることもある」という事実には、本当に驚いたことを覚えています。
この話が「ずっと一緒にいたい」「長く付き合いたい」という話と重なります。
セクシュアリティが変化するということは、恋愛対象となる性別(性的指向)が変わったり、あるいは増えたり、性自認や性表現が変わったりする、ということになります。
そうすると、パートナーとの間で、心の通い合いにズレを感じることが増えるかもしれません。
そうなったとき、パートナーと一緒に暮らしていたら、「パートナーのまま別々で暮らしたい」という人もいそうですし、「友人に戻りたい」という人も出てきそうです。
大切とおもえる人のセクシュアリティや自分のセクシュアリティが変わっても、心の奥底では「ずっと一緒にいる」感覚を持ち続けられる人もいるかもしれません。
つながり方は変化するから、今を大事にする
私たちは日々変化していますし、他者との間柄もそれに応じて変わっていきます。
物理的に「一緒にいる」こと。
精神的に「一緒にいる」こと。
つまりだれかと交流する、付き合うことは、実はとても流動的ということが言えそうです。
そうすると、「ずっと一緒にいたい」は決意や決断を表すだけでなく、「そうありたい」という希望や願いから生まれる言葉でもあるのかもしれません。
もしかしたら、いつか会えなくなるかもしれない。
それでも、それをわかりあったうえで、どこかでつながっていたいと思う。
心の深いところで触れあえたあなたとのつながりは、私のなかで「一緒にいる」感覚としてこれからも続いていく。
これがクワロマンティックな私なりの「ずっと一緒にいる」「ずっと付き合う」の表現です。