チェーザレ・パヴェーゼによるイタリア文学の名作をもとに、現代的な感性で再構築された映画『美しい夏』。2025年8月1日(金)より全国順次公開される本作を、オンライン試写にて一足先に鑑賞した。
映画『美しい夏』はどんなストーリー?
同名の小説『美しい夏』から着想を得たという、映画『美しい夏』の物語は1938年、イタリアのトリノを舞台に始まる。
ふたりの女性の交流を描く、映画『美しい夏』のあらすじ
©2023 Kino Produzioni, 9.99 Films/ ©foto di Matteo Vieille
主人公は、兄と共に暮らす16歳の少女・ジーニア。
ジーニアは兄や友人たちと参加したピクニックで19歳のアメーリアと出会い、次第に彼女に惹かれていく。
アメーリアは背が高く、突然、半裸で湖に飛び込むような風変わりな女性だ。
まじめにお針子として働き、タバコも吸ったことがないジーニアにとって、自由奔放にふるまい、画家のモデルとしてお金を稼ぐアメーリアの姿はとても新鮮に映る。
兄はアメーリアとの交流にいい顔をしないが、ジーニアはアメーリアをとりまく大人びた世界にどんどん足を踏み入れていく。
美しく輝くイタリアの太陽の光と、薄暗い影の対比が活きた映像によって、ジーニアとアメーリアの奇妙な交流が描かれた作品だ。
現代の感覚でも共感できるアレンジ! 映画『美しい夏』の見どころ
©2023 Kino Produzioni, 9.99 Films
今から100年近く前の外国を舞台にした映画に、どのように感情移入すればいいのか? と思う人もいるかもしれない。
でも、映画『美しい夏』は原作小説の要素にアレンジを加え、現代の私たちが観ても共感しやすい雰囲気に仕上げられている。
年上の同性への憧れ、自分はまだ本当の恋愛を知らないという焦り、単調な日々の繰り返しから抜け出して、新しい世界に飛び込みたいという冒険心、そしてセクシュアリティの揺らぎ・・・・・・。
映画『美しい夏』は、LGBTQ+という括りにとどまらず、性の揺らぎを感じたことのあるあらゆる人に寄り添ってくれる作品だと感じた。
ジーニアの感じる不安や高揚は、多くの人が10代の頃に抱いたことのある感覚に近いはずだ。
私自身、映画を通して、つい過去の自分の記憶を振り返ってしまうタイミングが何度かあった。
映画『美しい夏』を観て思い出した、LGBTQ+の「揺らぎ」の記憶
映画『美しい夏』を通じてよみがえった記憶
©2023 Kino Produzioni, 9.99 Films
映画『美しい夏』では、ジーニアがアメーリアのように「画家のモデルをやってみたい」と語るシーンがある。
作中では、ジーニアをはじめ、登場人物たちはあまり多くを語らない。
だから、なぜジーニアが画家たちに近づくのか、モデルをつとめることを申し出るのか、人によっては理解できないかもしれない。
私は実のところ、ジーニアの行動に「どうしてそんな危ないことを?」を思ってしまった。
自分の仕事にやりがいを感じていて、毎日おだやかに暮らしているのに、なぜわざわざ深みにはまろうとするのだろうか、と。
しかし、観ているうちに思い出した。
私もかつて、画家のモデルをしようとしたことがあったことを。
LGBTQ+ならではの悩みと、心の揺らぎを感じていた過去
20代はじめの頃、私は「自分は何者なんだろう」ということについて悩んでいた。
「自分はLGBTQ+かもしれない」ということには気がついていたものの、恋愛の経験自体が少なかったため、正確なセクシュアリティは判断できていなかった。
そのせいもあってか、自分の性格や魅力、長所や短所などもよくわからなくなって、「自分のことをもっと知りたい」という欲求が強くなった。
焦って知ろうとするべきものではないはずなのに、当時は周囲の同年代に置いて行かれてしまっているような不安があって、とにかく何か行動を起こしたいと思ったのだ。
そして、目にとまったのが、「被写体」と称して撮影モデルをつとめる、知人のSNS投稿だった。
彼女はSNSのプロフィールに「被写体/モデル」という文言を載せ、スケジュールが空いている日にカメラマンと会い、写真のモデルをして謝礼を受け取っているようだった。
写真によってさまざまな表情を見せる彼女の姿に、「こんなふうに自分の姿を客観視できたら、私も自分のことがわかるかもしれない」と感じた。
調べてみると、彼女たちを撮影するカメラマンのなかには「この日程が空いているので、誰か撮らせてください」と募集をかけている人もいた。
幅広く募集しているということは、「被写体」の経験がなくても撮ってもらえるかもしれない。
似たような投稿を探すうち、私はとある投稿を見つけた。
油絵を描いているという人の投稿で、「モデルを募集しています」という文言とともに、私の地元近くの住所が書かれていた。
過去の投稿をさかのぼってみると、重厚なタッチで、さまざまな年齢層の女性が描かれていた。いずれもヌードではなく、洋服を着ている姿だった。
私はなぜか、「これだ!」と思った。
画家の人が私をどんなふうに見て、どういう絵を描くのかがわかれば、私の本質が浮き彫りになるかもしれない。
そうして、私はSNSのDMから画家の男性に連絡を取った。
今思えば、ジーニアの行動に対してあれこれ言えないくらい、私も危ない橋を渡っていた。
過去の自分と、映画『美しい夏』のジーニアに共通する思い
2023 Kino Produzioni, 9.99 Films/ ©foto di Matteo Vieille
画家の男性(50代くらいの人だった)とは百貨店のカフェで会い、話をした。
私が連絡を取った理由として、「自分が何者か知りたい」ということを話しても、相手はピンときていないようだった。
画家の男性は自分の活動について語り、「また連絡します」と言って帰って行った。
後日、SNSのDM宛に「ヌードモデルとしてでよければ、あなたの絵を描きます」と彼から連絡がきた。
今になって振り返るとありえないことだけれど、当時の私は、ものすごく悩んだ。
学生時代には、芸術大学の授業でデッサンモデルのアルバイトをしたという知人もいた。
人体のデッサンを学ぶための授業なので、モデルは裸でつとめる。
「みんな真剣に絵を描いてるだけだし、恥ずかしくはなかったよ」と語っていた彼女の涼しい表情を思い出して、「ヌードモデルくらいで恥ずかしがるなんて、度胸がなさすぎるだろうか」と思ってしまったのだ。
ただ、ギリギリのところで思い直し、「裸には抵抗があるのでごめんなさい」と断りの連絡を入れた。
そのときの私は、「自分の本質を知りたい」と同時に、「他人が自分をどう見ているのかが知りたい」「自分の価値を知りたい」という思いが強かったのだろう。
だから、ヌードモデルを断ったのは理性からというより、「この画家の人には、私の価値は裸にしかないと思われたのか」という落胆からだったように思う。
自分でも、こんなにも映画『美しい夏』に近しい記憶が眠っていたとは予想外だった。
でもその記憶がよみがえったことで、ジーニアの無謀な行動や、矛盾する感情の根本にあるものがわかるような気がした。
恋愛も性もよくわからない、揺らぎのなかにいると、ちょっと強い刺激で自分の輪郭を確かめたくなることがあるのだ。
映画『美しい夏』をLGBTQ+の人に観てほしい理由
私が考える、映画『美しい夏』を味わうポイント
©2023 Kino Produzioni, 9.99 Films
映画『美しい夏』は、ある夏のひとときを切り取るように描いた作品だ。
もしかしたら、作中に描かれているのはジーニアが過去を振り返って思い出している部分だけで、都合の悪いところは忘れてしまっているのかもしれない。
だけど、そう勘繰ってしまうくらい映像のひとコマひとコマが美しく、強く印象に残る。
映画『美しい夏』では、目まぐるしくシーンが展開したり、ドラマティックな事件が次々と起こったりはしない。
映画全体は、どこかセピアに近い、やや淡い色彩でいろどられている。
そして、そのやわらかな色のなかで、ジーニアの不安定さと、アメーリアのアブノーマルさが、一際鮮やかに感じられる。
ジーニアが少しずつ変化していく様子は、まるでつぼみがゆっくりと花開いていくかのようだし、アメーリアの存在はずっとまぶしく、熟しきって滴り落ちる寸前の果実のようなあでやかさがある。
そのふたりの姿を、自然の風景を眺めながら昔を思い起こすように、ゆったりと鑑賞するのに向いている作品だ。
LGBTQ+視点で紐解く、映画『美しい夏』の魅力とは
©2023 Kino Produzioni, 9.99 Films
映画『美しい夏』は、LGBTQ+がテーマというよりは、10代の恋愛と青春を主題にした作品というほうが近いかもしれない。
それでも私は、この映画をLGBTQ+の人にぜひ観てほしいと思う。
たとえば、ノンセクシュアルやアセクシュアルの人でなくても、自分はまだ恋愛について知識がないだけなのだろうか、自分は他の人とは違っているのだろうか、と悩んだことのある人はいるだろう。
たとえば、レズビアンやバイセクシュアルでなくでも、アメーリアのような魅惑的な同性の友人がいたら、心惹かれてしまう気持ちがわかる、という人もいるだろう。
それでも、LGBTQ+当事者の立場から観れば、彼女たちの苦悩や不安、憧れや葛藤、不思議に満ち足りた気持ちに共感できる部分は多いと思う。
映画の舞台となった1938年のイタリアで、自分のセクシュアリティに揺らぎを感じることがどれだけ心細いことか・・・・・・私たちはただ、想像することしかできない。
そして、そんな一歩先の未来もわからないような不安のなかで、ジーニアとアメーリアが見せる笑顔に、きっと心がふわりと救われるような気持ちになるはずだ。
映画『美しい夏』をこれから観る人へ
©2023 Kino Produzioni, 9.99 Films
近年、いくつかの映画を観ていて気がついたことがある。
映画のなかには、「作品を読み解くための視点(前提知識)が自分に足りないせいで、十分に楽しめないもの」がある、ということだ。
実際に、観たあとは「なんだか感想がまとまらないし、おもしろかったのかどうかもわからない・・・・・・」と感じていたのに、監督のインタビュー記事を読んで「そういうことを描いていたのか! だったら感想は変わってくるよ!」と思い直す、というパターンが何度かあった。
もし映画『美しい夏』がそういうタイプの作品だったらどうしようか、と鑑賞前は少し身構えていたのだけど、個人的には、前提知識も原作での予習も必要ない作品だと感じた。
むしろ、原作にはない場面やストーリーによって、ふたりの女性の出会いと交流を新鮮に描いている映画だから、身構えることなく、ゆったりとした気持ちで観ることをおすすめする。
そして、映画『美しい夏』を観た人が、自身のどのような記憶を思い起こすのか(もしくは、何も思い出さないのか)。
ひとりひとりに感想を求めてみたくなるような、語りがいのある作品なので、ぜひ鑑賞した際には誰かと語り合ってみてほしい。
2025年8月1日(金)よりYEBISU GARDEN CINEMA、シネスイッチ銀座、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開だ。
■作品情報
『美しい夏』
監督・脚本:ラウラ・ルケッティ
出演:イーレ・ヴィアネッロ、ディーヴァ・カッセル
配給:ミモザフィルムズ
公式サイト:https://mimosafilms.com/labellaestate/