私は小さい頃から、テレビを見ることが大好きで、テレビなしでは生きていけないくらい。ときどき問題もあるけど、私はいつもおもしろさを見出して見続けてきた。でも、気になることがある。恋愛をテーマにしたトークでは、私のような少数派(クワロマンティック)は、存在しないんだと感じてしまう。そんなテレビっ子として、これからテレビ界へ期待することを話したい。
異性愛が「当たり前」なテレビ界への違和感
最近では、時代の流れにそってか、LGBTを描くドラマやLGBTをテーマにした番組が増えてきて、良い流れだと思うのだが・・・・・・。
私たちはテレビの恋愛トークに存在しない
ドラマでもバラエティでも、恋愛の話になると、前提はいつも異性愛。男女が恋をして、付き合って、浮気を疑って、別れて、よりを戻して・・・・・・という「当たり前の恋愛」をする人たちばかり。
恋をしない人、同性を好きになる人、恋愛感情がわからない人、性を決めない人・・・・・・。そういう人たちの姿はほとんど出てこない。
しかも、その中身はといえば、「男性は」「女性は」が主語になっていたり、さも正解があるかのような展開で話されていたりする。クワロマンティックの私にとって、これが違和感で仕方ない。
そして、テレビは影響力が大きいので、そうした考え方が世間に流れていき、「世の当たり前」が作られていくんだな、と被害妄想かもしれないが、そういうことを思ってしまう。
私が見ている映像はただの雑談ではない。テレビだから企画があり、台本があり、演出がある。多少話を盛ったり、場が盛り上がるようにあえて逆の立場を取ったりなど、番組を成立させるために、たくさんの人がたくさんのことを考え、さまざまな工夫がなされているだろう。
そういうショービジネスを見ていると分かった上でなお、私はここに書いておきたい。
テレビには影響力があるから
私はテレビからさまざまな知識や人生の考え方を学んできて、確実に自分の一部になっている。それくらいテレビは影響力が強い。
例えば、「男女の友情は成立するか成立しないか」なんて、もうずーっと恋愛にまつわるテーマになっている。
それは正解がないからだと思うんだけど、どっちにも決められない人がいるし、決めたくない人だっているのに、そういう議論には全然ならない。そもそも、「異性愛」が当たり前であることが前提だから、「男女の友情」となる。
ほかにも、ドラマや映画では必ずと言っていいほど恋愛要素が組み込まれている。
男女の心の距離が近ければ、めでたく両想いになるか、残念ながら片想いで終わる。だけど私は、「男女が仲良いからって、必ず恋愛を想起する展開にならなくたっていいのに」といつも思ってしまうのだ。
異性愛の話はそのままあっていいけど、私のような考え方も世間で積極的に話題にされていかないと、当たり前に入れない人がいるということは伝わっていかない。異性愛を前提としないトークがあれば、もっと多様な価値観が広まっていくのに、と思う。
例えば、この質問で始まるトーク番組はどうだろう。
「異性愛ってどういうことなんですか?」
LGBTは “ふつう” にいるんだよ
LGBTは特別な存在なのか
テレビを含め、さまざまなメディアでLGBTが取り上げられるとき、まだどこか特別な存在として描かれているように感じる。
「LGBTという存在が世の中にいて、例えばこんな言い方はあまり良くないよ。こういう表現の方がやさしいよ」といった姿勢はとてもありがたい。以前と比べたら格段に変わってきている。
でも、新聞やテレビなどで「特集」みたいに表立って取り上げられているのを見ると、それは「社会でふつうに生活している実態」からは、遠ざけているという印象もある。
例えば、NHK総合やEテレでは、LGBTをはじめとした多様な性のあり方について語られる番組がある。当事者が出演していて、日常でどんな悩みがあるか、どんな暮らしをしているのか、世間に伝えきれていない「LGBTのふつう」を伝えてくれている。
でも、その番組を知らなければ、見なければ、その知に触れることはない。私はもっと、LGBTがテレビに「ふつう」にいてほしい。
みんなふつうでみんな特別
私は、LGBTを特別視してほしいわけではない。「ふつうにいる」をもっと描いてほしいということ。社会には当たり前に存在していることを知ってもらい、受け入れられなくても、理解できなくても「そういう人がいてもいい」と思ってほしい。
いや、異性愛の人を「いてもいい」とは言わないから、それもおかしな話。配慮することを、意識しないくらいにまでなったらうれしいなと思っている。
LGBTの人は、異性愛の人と同じように当たり前にいる。無理に取り上げすぎないで、見せようとせずに見せてほしい。異性愛の人も含めて千差万別。
本当は、みんな違って、みんな特別で、みんなふつうなんだよ。
テレビっ子だからこそテレビに期待したい
LGBTがふつうにいる世界を作ってほしい
テレビは、最近はたしかに変わってきた。以前よりもLGBTを丁寧に扱おうとしていることが伝わってくる。でも、やっぱりまだ「理解しましょう」「配慮しましょう」っていう文脈が多いように感じる。それは、まだまだ世の中にLGBTのことが伝わりきっていないから。
そんな今だからこそ、テレビの力が必要だと思っている。
テレビは、たくさんの人へ、しかも幅広い世代に情報を届けることができる。テレビがもっと変われば、世の中は変わっていく。
LGBT当事者がテレビ番組の制作に関われる環境をもっと作って、LGBTが「ふつう」にいるドラマやバラエティ番組を、私たちの日常に届けてほしい。
テレビにはもっと変わってほしい
テレビっ子である私からすれば、テレビを作るみなさんはほんとすごい! って思っている。こんなにも笑わせてくれて、感動させてくれて、いろんな人の人生を楽しく、分かりやすく伝えてくれる。
新しい知識をくれたり、旅に出たくなったり、美味しいものを知ったり、自然のすごさを感じたり。私にはテレビからたくさんもらってきたものがある。すごいメディアだ。
そんな素晴らしいことができるのだから、もっとできるはず。
テレビを見ていて、「LGBTを扱うのが難しい」とか「触れづらい」みたいな空気も感じる。でも、考えることはとてもシンプルでいい。
一人の人間としてちゃんと尊重し ”LGBTだから” 取り上げるのではなく ”
人として魅力的だから” 出演するようになったらいいなと思う。
テレビにはそれをやれるパワーがまだまだあるはず。きっともっとできるはず。私はそう信じている。