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Writer/shu

クワロマンティックだから? 私にはわからない「異性として見る・見られる」ということ

私は「男性だから〇〇」「女性は〇〇が好き」というような言葉が苦手。私は普段、性別で人を見ないようにしているし、性別に関わらず人を1人の人間として尊重したいと思っている。だから、異性で区切るような言葉を耳にすると、なんとも違和感があるのだ。

異性として見る・見られるってどういうこと? クワロマンティックの私の疑問

私にとって「異性として見られる」というのは、「恋愛対象として見られる」ことや、「男性なら〇〇」というような表現をされること。このことを前提に考えてみました。

クワロマンティックだからピンとこないのか?

私は「クワロマンティック」です。

クワロマンティックは、「自分が他者に抱く好意的な感情が、恋愛感情か否か(友情との違い)を区別できない」もしくは「恋愛感情と友情を区別したくない」などと説明される恋愛的指向です。

私は、他者に抱く好意が恋愛感情か否かがわからない。恋愛というものがぼんやりしている、という感じ。

世の中の多くの人は、性自認=シスジェンダー。性的指向=ヘテロセクシュアル(異性愛者)のいわゆるマジョリティです。

私の性自認はシスジェンダー男性です。そして私は、はっきりとだれかを「恋愛対象として見る」ことがありません。

そのため、女性から「異性として見られる」ということがピンとこないのです。そして、女性を「女性なら〇〇」という考え方がないし、女性を「異性として見る」ということもピンとこない。

加えて私は、これまで誰からも恋愛的なアプローチを受けたことがない。こんな感じの人生で「異性として見る・見られる」ことにピンと来るほうが難しんじゃないか、と思っている。

これは、クワロマンティックというセクシュアリティを持つ私だから、なのだろうか。どうなのだろう。

「男性だから」「男性なら〇〇」ってなんだ?

少し危険な場面や体力が必要な時に、「男の子だから大丈夫だよね!」「力がある男性に任せよう!」などという言葉を、みなさんも聞いたことがあると思います。

私は最近まであまり自覚がなかったんだけど、こうした言いかたをされることにもやもやしていることに気づいた。うまく言語化ができないけど、「あ、自分にも言われているのか」という感じ。

私は普段から自分が「男だから」という意識をしていない。つまり、日常で「男性意識」が弱い私にとって、急に「男性」として区切られると、戸惑ってしまうわけです。

私は人を人として愛したいだけ

私は異性とコミュニケーションをとるとき、「女性だからああしよう」としているわけじゃない。

異性としてじゃなくて1人の人間として接したい

1人ひとり違うんだから、何か頼むとしたら「〇〇さんだからお願い」という気持ちで接している。私は、異性を異性としてというよりも、あくまで1人の人間として接したいし、なるべくそうしているつもり。

それは、1人ひとりが特別な存在だと思っているから。
こういうのって小学校とかで、多分、先生に言われた気がする。

こう思う背景には、私自身が男性という括りで見てほしいわけではなく、私個人を見てほしいという願いがあるのかもしれない。だから「男性」として扱われると、「私はそういう考え方じゃないのに」と、思ってしまうのもしれない。

私は人として魅力的なところを愛したい

私は「〇〇さんの考え方が好き」「〇〇さんといると落ち着く」という気持ちを感じることがある。そして、その気持ちをできるだけ相手に伝えている。

これは、相手を「人としてめちゃくちゃ好き」という想いの表れだと思っている。

でも、「ちょっと距離感近いかも」と気持ちを違う意味で受け取られてしまうこともあった。

だから、言葉の選び方や伝える相手との距離感に気をつけている。それでも私は、相手に魅力を感じたら、人としてちゃんと愛したいし、できるだけ伝えたいと思っている。

「男性らしく」ではなく「自分らしく」で生きたい

「男性らしく」を意識したことがない

恋愛がテーマのテレビ番組でよくある、「男性には男らしくリードしてほしい」や「女性は〜〜って言ってほしい」が、私には違和感がある。チクチクする。

私の性自認は男性なんだけど、だからといって「男らしくいよう」とか「男っぽくしたい」とかっていう感覚がない。

「カッコよく見られたい」とも思わないし、学生時代、友達が雰囲気や服装でカッコよくしていても、同じことをしたいとは全然思わなかった。

こうして人生を振り返ってみると、「話し方がやわらかいね」とか「中性的だよね」と言われてきたことを思い出す。

たぶん私は「男性はこうあるべき」という姿にとらわれずに生きてきたのかもしれない。

「私」という一人称が合っている

私は男らしさを意識しない。

でも、たまに「俺」という一人称を使ってしまう。なんか、自分に合ってない感覚があるのに、つい使ってしまう。

つい出てしまうのは、今までの人生で「大人の男性の一人称=俺」だと刷り込まれてきたからかもしれない。でも私の中で「俺」は、強すぎるような、とがっているような感じがしてゾワゾワする。

じゃあどんな一人称がいいか考えてみると、私は、「私」という一人称が心地いい。やさしい感じ、やわらかい感じがするし、オフィシャルな場でも使いやすい。

日本語は一人称を使わなくても会話が成り立つけど、自分の気持ちをちゃんと伝えたいときには、自分らしくあれる「私」を使っていきたい。

 

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