2023年に公開され、邦画史上初のクィア・パルム賞を受賞したことで話題を呼んだ、是枝裕和監督による映画『怪物』。そして、同じく2023年に公開されたルーカス・ドン監督による映画『CLOSE』。私は、このふたつの映画を観ようと決めていた。たとえ時間がかかったとしても。
映画『怪物』と『CLOSE』―観るのに時間が必要だったふたつの映画
LGBTがテーマだと知らなかった映画『怪物』。『怪物』と似ているらしいと知った映画『CLOSE』
映画『怪物』が公開された当時、私はメインビジュアルや宣伝文句を見て「なんだか、重くて暗そうな映画だな」とスルーしてしまった。
もともと、映画館に足を運ぶ機会が少ないということもあって、観るのにエネルギーが要りそうな映画『怪物』は、観たい映画の候補から外してしまっていたのだ。
その考えを改めたのは、映画『怪物』が邦画史上初のクィア・パルム賞を受賞したという情報を目にしたときだった。
映画『怪物』がLGBTにまつわる作品だと知らなかった私は、単純に驚いた。
そして、同年に公開された映画『CLOSE』が、映画『怪物』とストーリー上の共通点があると話題になったことも知った。
いつかこのふたつの映画を観よう、と心に決めたものの、実際に観るまでにはかなりの時間を必要とした。
なぜなら、私の中で「LGBTの人物がつらい目に遭う作品かもしれない」という想像がふくらんでしまっていたから。
LGBTの人物が出てくる映画を観るまでに躊躇してしまう理由
LGBTの登場人物が出てくる映画は、悲しい結末を迎えるものが多い。
あらすじの時点で「ふたりは仲が良かったが・・・・・・」などと書かれていると、正直に言って、「勘弁してくれ!」という気持ちが湧いてくる。
LGBTの登場人物は、死んでしまったり、最愛の人を亡くしたり、さまざまな事情で愛する人と引き裂かれてしまったりすることが、あまりにも多過ぎる。
LGBT当事者だからこそ、LGBT関連の映画は観たいと思うものの、「また誰か死ぬのだろうか、それとも愛する人と別れるのだろうか」と考えだすと、毎回気が重くなってしまう。
映画『怪物』も、映画『CLOSE』も、ビジュアルやあらすじを見る限り「明るいストーリーではないのだろう」という予感がしていた。
そのために、つい気が重くなり、観る覚悟が固まるまでに1年以上の月日が経ってしまったのだ。
映画『怪物』と『CLOSE』を観て抱いた、LGBT当事者としての感想
映画『怪物』と『CLOSE』の共通点
まず観たのは、ルーカス・ドン監督による映画『CLOSE』。
レオとレミという、13歳の少年ふたりの交流を描いた作品だ。
家族ぐるみで仲が良く、まるで兄弟のようにじゃれ合い、毎日のように一緒に遊んでいたレオとレミは、学校に通い始めたことで関係性が変化してしまう。
次に、是枝裕和監督による映画『怪物』を観た。
小学5年生の麦野湊という少年、その母親、湊に体罰を与えていたとされる担任教師、それぞれの視点から一連の出来事を描き直すことで、全く違った事実が見えてくる。そういった構成の、サスペンス調の作品だった。
実際に観たことで、映画『怪物』と『CLOSE』が似ている、という情報の根拠は見えてきた。
ふたりの少年が、自転車に乗って並走する場面。
少年たちの関係性に口を出す同級生の存在。
大人はどうせ自分たちのことを理解してくれない、という少年たちの諦めと割り切り。
意識して観ると、共通点はいくつか見つかった。
ただ、「LGBTを描いた映画」として比較すると、個人的にこのふたつの映画は「結構違うな」という印象だった。
LGBT当事者として、ふたつの映画を見比べて感じた「没入感」の差
個人的な感想ではあるけれど、映画『CLOSE』は「LGBT当事者だからこそ、よりつらく感じてしまう作品」で、映画『怪物』は「LGBT当事者ではない人に、よりおすすめしたい作品」だと思った。
映画『CLOSE』はとてもプライベートな感情の描き方が特徴で、少年たちに感情移入すればするほど、その痛みがひしひしと感じられる。
だから、たくさんの人におすすめしたいというよりは、自分の心の奥に大事にしまっておきたい気持ちになる作品だった。
対して、映画『怪物』は、坂元裕二氏のテクニカルな脚本と、是枝裕和監督のリアルでありながらドラマティックな演出によって、多くの人におすすめしやすい、間口の広い作品になっている。
そして、観終わった後の感情の動きも、私の場合は全然違った。
映画『CLOSE』は苦しいほど泣いて、虚脱感の中でラストシーンを見届けたのに対し、映画『怪物』は終盤に向かうにつれてどんどん冷静になっていき、ラストシーンのあたりではすでに作品全体の分析を始めてしまっていた。
LGBT当事者として観たときの没入感は、個人的に映画『CLOSE』のほうが圧倒的だった。
ただ、それは映画『怪物』がサスペンス調の作品で、ストーリーが進むにしたがってあらゆる伏線が回収され、謎が氷解していく構成であることも関係しているかもしれない。
LGBTを描いた作品として、映画『怪物』と『CLOSE』はどう異なっていたか
ふたつの映画の最も異なる点は、想定している観客層の違いにあるのかもしれない、と思った。
映画『怪物』と『CLOSE』が想定する観客層の違い
映画『CLOSE』は「LGBT当事者に寄り添った作品」として作られている印象なのに対し、映画『怪物』は「LGBTではない、マジョリティの観客に向けた作品」だと、私は感じた。
是枝裕和監督が「映画『怪物』はLGBTというテーマに特化した作品ではない」という旨の発言をしたことが一時期取り沙汰されていたが、映画本編を観たことで、なんとなく合点がいった。
映画『CLOSE』は、ルーカス・ドン監督自身がLGBT当事者ということもあり、ふたりの少年の心情がとてもリアルに描写されていたけれど、それに比べると映画『怪物』で描かれる少年たちのやりとりは少しフィクショナルで、LGBTというテーマ以上に、作品が内包している他のテーマの印象が強い。
作品としての情報量が多いのは映画『怪物』のほうで、だからこそ間口が広いともいえるけれど、映画『CLOSE』のようにLGBT当事者に寄り添う姿勢は、その分弱く感じられてしまう。
LGBT当事者として感じた、映画における「リアリティ」の落差
映画『CLOSE』の中で、主人公・レオは、親友・レミとの関係性や、レミに対して自分が抱く感情にふさわしい名前を見つけられていない。
だからこそ、同級生に「(ふたりは)つきあってるの?」と聞かれたことで戸惑い、レミとの関係がぎくしゃくしてしまう。
一方、映画『怪物』において、主人公・麦野湊と友達である星川依里の関係性は、基本的にはずっと揺らがない。
理解を示さない周囲の人間のせいで、湊と依里は仲が良いことを隠してはいるけれど、どんなことが起こっても、ふたりはお互いを必要としていることを確かめ合う。
人によっては、レオとレミよりも、湊と依里のほうがお互いの絆が強く、愛情が深いように見えるかもしれない。
ただ、私自身LGBTとして生きてきた中で、レオとレミのようにすれ違いが生まれてしまう関係のほうが、よりリアルだということを実感している。
10歳そこそこという年齢で自分のセクシュアリティを確信した上で、お互いを「好きな人」であると認識している湊と依里は、もはやフィクションを通り越して、ファンタジーに近い存在に思えてしまうのだ。
また、演技や演出のちょっとしたバランスだとは思うけれど、湊に対する依里の言動は少しエロティックな印象が強く、そのために湊と依里の関係性は、LGBTの物語というよりは「BL(ボーイズラブ)」というジャンルに近いような気がしてしまった。
その点も、私が映画『怪物』の世界観に没頭しきれず、どこか第三者的な視点で作品を観てしまった原因かもしれない。
湊と依里の関係性にリアリティを感じられなかったことで、LGBT当事者として一種の疎外感をおぼえてしまったのだ。
とはいえ、映画『怪物』と『CLOSE』の違いについては、正直、個人的な好みの差が大きいと思う。
同じLGBT当事者だとしても、私以外の人が観たら、また違った感想を抱くのかもしれない。
ただ、監督自身が「LGBTというテーマに特化した作品ではない」と発言し、実際に公開当時はLGBT関連の作品としてプロモーションされていなかった映画『怪物』がクィア・パルム賞を受賞したという事実には引っ掛かりをおぼえる。
そして、映画『CLOSE』と『怪物』は似ているようで全然違う作品だ、ということは、はっきりと主張したいと思う。
LGBTにまつわる映画は、どのように社会と向き合うべきか
2024年に、映画『怪物』を巡って、是枝裕和監督、ライターの坪井里緒氏、映画文筆家の児玉美月氏の3名による鼎談が行われた。
私はその時点で本編を観ていなかったけれど、映画『怪物』がLGBTにまつわる作品であることを宣伝当時に明かしていなかったことが問題視されているらしい、ということを知った。
当時は、それがどれくらいの重みをもつ問題なのか、あまりピンときていなかった気がする。
ただ、映画『怪物』を観て感じたのは、「テーマを知らないまま、この映画を両親と一緒に観ていたとしたら、私はかなり傷ついたかもしれない」ということだった。
映画『CLOSE』は少年ふたりの関係性が示唆されるような、互いに抱きしめ合うビジュアルがポスターなどに使用されている。
それに対し、映画『怪物』は「少年ふたりがLGBTかもしれないという内容が、本編の重要なネタバレになってしまう」という理由で、LGBTというテーマを隠した状態で宣伝が行われた。
予想外のところで「LGBT」というテーマに対面したとき、自分の身近な人がどのような反応を示すかはわからない。
私自身も、そして多くのLGBT当事者の人たちも、そのリアクションに傷ついたり、意見や感想を求められて葛藤したりした経験があるはずだ。
「LGBTであることが物語のキーであり、伏せておかないとおもしろくない『ネタバレ』になってしまう」という考え方自体が、LGBT当事者ではない、マジョリティの観客を想定したものだ。
たとえば、2024年に公開された映画『52ヘルツのクジラたち』では、「登場人物がLGBTである」という設定を、作品内でも、宣伝においても、早い段階で明かしていた。
原作小説では物語の後半に明かされる「LGBT」というテーマを、種明かしとして使うのではなく、映画全体の重要な要素として捉え直したのだ。
その取り組みがどんなに大きな意味を持つものだったか、映画『怪物』と『CLOSE』を比較して鑑賞したことで、あらためて実感した。
映画の中でLGBTの人物を描くのであれば、LGBT当事者に寄り添った作品づくりやプロモーションの方法を探ってほしい。
今後、LGBT関連の映画にふれていく中で、きっと何度も思いだすことになる願いを、心の中でそっとかみしめた。
■作品情報
『怪物』
監督:是枝裕和
脚本:坂元裕二
出演:黒川想矢、柊木陽太ほか
配給:東宝、ギャガ
『CLOSE』
監督:ルーカス・ドン
脚本:ルーカス・ドン、アンジェロ・タイセンス
出演:エデン・ダンブリン、グスタフ・ドゥ・ワールほか
配給:クロックワークス、STAR CHANNEL MOVIES