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Writer/shu

「友愛」は、クワロマンティックの私と “大切な他者” とをつないでくれる

みなさんは「友愛」という言葉を知っていますか?「友愛」は “愛” の種類のひとつです。細かい説明はのちほどしますが、この「友愛」が、クワロマンティックの私が “大切な他者” に抱く “愛” であり、とても大事なものだということに気づきました。なので、今回は「友愛」の話をしたいと思います。

「友愛」は人と人とがつながるうえで欠かせない “愛”

私は、人生のテーマとして “愛” を掲げています。そして「“愛” ってなんだろう?」と向き合い続けることがモットーです。「友愛」は、私が “愛” について学ぶなかで出会った大切な “愛” なのです。

思想書『愛するということ』、キリスト教思想入門『「愛」の思想史』における友愛

まず「友愛」とは何か。私が読んだ2冊の本で、どんなふうに説明されているのかをざっくり紹介します。

◉哲学者・エーリック・フロム氏の名著『愛するということ』より
・あらゆる愛の根底にある愛で、対等な他者同士の間での愛
・その人の人生をより良いものにしたいという願望のこと
・聖書にある「汝のごとく汝の隣人を愛せ」は友愛のことを指す

◉東大教授・山本芳久氏の『「愛」の思想史』より
アリストテレスの名著『ニコマコス倫理学』の内容を用いて解説されています。

・「相手の善を願う」という行為がお互いに行われていて、その行為に当人たちが気づいている状態
・相手とつながる理由として、「この人は自分の役に立つ」「この人といると楽しい」「この人の人柄に惹かれた」という3種類がある
・「人柄に惹かれた」は長く安定した「友愛」となり、「役に立つ」「楽しい」といった要素も含む十分な友愛である
・「役に立つ」「楽しい」が理由の「友愛」は一時的なこともあるが、決してダメなものではなく、人生において不可欠な「友愛」である

などと解説されています。

私は特定の宗教を信仰しているわけではありませんが  “愛” についての理解を深めるためにこれらの本を読みました。今回の話はこれらの説明を前提に話します。

関係性によって区切られることのない「友愛」

私は、2冊の本で「友愛」という言葉に出会う以前にも「友愛」という言葉を見たり聞いたりしたことはあった気がします。ただ、あまり意味を理解していなくて、“そういう愛もあるんだな” “友ってことは友情の愛なのかな” くらいの認識でした。

でもこれらの本を読んで「友愛」は、人と人とが純粋に向き合って生まれる “愛” であって、人が他者と助け合いながら生きていくうえで欠かせないものだと感じました。

しかも、「恋愛」のように恋人同士だから生まれるものではなく、関係性によって区切られることのない “愛” だと思いました。そしてこれは、クワロマンティックである私が抱いている “愛の正体” なんじゃないかと思い始めたんです。

クワロマンティックの私は “大切な他者” と「友愛」でつながっている

クワロマンティックの私が抱く “愛” は「友愛」かもしれない

恋愛的指向がクワロマンティックと自認している私は、一人ひとりとの関係性に名前をつけることをあまり好みません。

ただここでは「友達であり、仲間でもあり、味方でもある、ある程度の自信を持って自己開示してもいいと思える相手」というニュアンスで “大切な他者” という言葉を使いたいと思います。

私はずっと “大切な他者” に抱く想いは、なんなんだろうと思ってきました。“愛” に向き合い続けている私としては、“何かしらの愛” をもって人と接しているという感覚はありましたが、その “何かしら” がわからずにもやもやしていたんです。

そんな状態の私の心にスッと入ってきたのが「友愛」でした。

クワロマンティックの私が、“大切な他者” へ抱いている気持ちに名前をつけるとしたら「友愛」かもしれないと。そう思えた途端に、もやもやが晴れたような気がしました。

私の「友愛」の正体

「友愛」という言葉がスッと入ってきたのにはもうひとつ理由があります。

つい最近 “こんなことができたらいいな” という、自分の中の希望や願いのようなものと改めて向き合う機会がありました。そこで心の中から湧き出てきたのが、“大切な他者” とともにどう生きたいか、という気持ちでした。

・幸せであってほしいと願う
・頑張っていることを応援したい
・私が力になれるなら協力したい
・私はいつでもあなたのことを肯定する
・私の応援が重かったり、あなたの本望じゃなかったりしたら、遠くから祈りたい

“大切な他者” が善い人生を送っていて、そんな相手を見ることができたら私はめちゃくちゃうれしい。完璧かどうかはわからないけど、これは「友愛」なのでは? と思ったわけです。

深いつながりは「友愛」でつくっていく

「恋愛」ではなく「友愛」でも深いつながりを感じることはできる

先人や研究者たちいわく「友愛」は、人生において不可欠なもの。しかも、どんな人にも、どんなセクシュアリティの人にも存在する。もちろん、それはクワロマンティックの私にもあるということです。

「友愛」という言葉に出会えて、私は少し自信を持ちました。“大切な他者” に抱いていた想いは捨てなくていい。持っていていい。

「他者に抱く好意的な感情が、恋愛感情か否かを区別できない(区別したくない)」という恋愛的指向の自分でも、他者との関係性に “愛” という言葉を用いても良いんだと思うことができるようになりました。

そして今、“大切な他者” を思い浮かべてみると「友愛」による深いつながりを感じることができます。

お互いに話せたらもっとすてきかもしれない

ただ私の友愛は、まだ “完璧な友愛” ではないのかもしれない、とも思っているのです。

それは、『「愛」の思想史』で語られている「”相手の善を願う“ という行為がお互いに行われていて、その行為に当人たちが気づいている状態」には、なれていないからです。

その状態になるためには、お互いに気持ちを伝え合う必要がありますが、まだしたことがありません。

「きっと相手も、私の善を願ってくれているはず」という想像はしていますが、勇気が出ず、話せたことがないのです。

まずは、話したいかどうかから相手と相談する必要もありますが、私は話せたら良いなと思っています。

 

■参考情報
・エーリッヒ・フロム著 鈴木晶訳 株式会社紀伊國屋書店発行 『愛するということ』(2020)
・山本芳久著 NHK出版発行 『「愛」の思想史』(2022)

 

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