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Writer/酉野たまご

大人になってからわかる真実― 映画『アフターサン』とLGBTの絆

「あなたにはぜひ見てほしい」と知人から猛プッシュを受けて鑑賞した、映画『アフターサン』。はじめは父親と娘のひと夏の旅行をめぐる、他愛のないストーリーかと思って見ていたが、次第に「これはLGBTを描いた作品だ」と気づき始めた。

二度見返したくなってしまう作品、映画『アフターサン』とは

最後まで見てやっと魅力がわかる稀有な映画『アフターサン』

「あらすじだけではこの映画の魅力は伝えられないから、とにかく見てほしい」

知人にそう言われて、あまり気の進まないままに見始めた作品、それが映画『アフターサン』だった。

気が進まなかった理由は、「若い父親と幼い娘が旅行した思い出の記録」という説明を目にして、どこか懐かしくてちょっとエモーショナルな、親子の絆を描いた―正直なところ、ちょっと陳腐にも思える―話なのだろうな、と予想していたから。

とはいえ、知人から「あなたは絶対に見たほうがいい」と言われると少し気になってしまい、話の種に見てもいいか、と思い立った。

そして、最後まで見てやっとわかった。
「あらすじだけでは説明できない」と言われた映画『アフターサン』の魅力と、自分がこの映画を見るべきだという理由が。

実際、私は見終わってすぐにもう一度、映画『アフターサン』を最初から見返した。

きっと私と同じように、二度見返したい思いに駆られた人は大勢いたのだろう。

映画『アフターサン』にはLGBTの苦悩が隠れている

正直なところ、映画『アフターサン』をまだ見ていないという人は一旦この文章を読むのをやめて、本編をじっくりと鑑賞してほしいという思いがある。

なぜなら、映画『アフターサン』は最初からテーマを前面に押し出すことはせず、見る人に解釈を委ねながら、ゆっくりと結末を明かしていくタイプの作品だからだ。

鑑賞を薦めてきた知人が、私に多くを説明せずに「とにかく見てほしい」と言っていたのもそういう理由で、「前情報がない状態で、あなたはこの映画から何を感じるか?」という部分が重要だと考えていたのだ。

ただ、私自身は中盤で気づき、映画が終わるころには確信にいたったのだけど、LGBT当事者の多くは「この作品はLGBTを描いている」と感じるはず。

そして、映画『アフターサン』は「LGBTを描いている」という点だけにとどまらず、セクシュアリティへの葛藤、諦念、希望、家族への思いなどが複雑に絡み合った、「人間ドラマ」として非常に味わい深い作品なのだ。

なぜ映画『アフターサン』がLGBT映画であるとわかるのか?

映画『アフターサン』は意図的に説明が省かれており、パッチワークのように切り貼りされた場面を頭の中でつなげていくことで、徐々に全容がわかっていくという作品だ。では、映画『アフターサン』のどこに着目すれば「LGBTを描いている」ことがわかるのだろうか?

父親・カラムの言動からにじむ「LGBTらしい」描写

映画『アフターサン』は、若い父親・カラムと11歳の娘・ソフィのひと夏のバカンスの記録だ。

旅の様子が、時系列もバラバラに、時にはソフィの視点で、時にはカラムの視点で、あるいはそれぞれが撮影したビデオカメラの映像によって綴られる。

そして、しばらく見ていると、ソフィが「性」へのめざめを意識していることがわかる描写が頻繁にあると気がつく。

たとえば、性行為の話をしている女性たちの話をトイレで盗み聞きしたり、カップルらしき男女のスキンシップを見つめていたり・・・・・・。

11歳というソフィの年齢からいっても、恋愛や性に興味をもっているという設定は妥当なようにも思える。

それに対して、父親であるカラムはほぼ、ソフィ以外には男性としか会話をしない。

むしろ、ダイビングの男性インストラクターと会話を交わす場面など、「あれ、このやりとりをこんなに長く映すんだ?」と意外なところがピックアップされている。

時折物憂げな表情を見せ、ソフィ以外の他者とあまり関わろうとしないカラムが、このときは珍しく明るい笑顔になっているのも印象深い。

そして、ソフィの母親と離婚してから付き合っていたらしい「彼女」の話をソフィにはするけれど、それ以外に女性とのやりとりや恋愛感情について匂わせることはない。

私はこのあたりで、「もしかしてカラムはLGBT(ゲイまたはバイセクシュアル)なのだろうか」と感じ始めた。

映画『アフターサン』の随所に隠された「LGBT」の伏線

二度目に鑑賞して気づいた点として、「性」に関心を示すソフィの目線が「徐々に変化している」こと、がある。

最初は性行為を含む恋愛話や、男女カップルのふれあいに視線を送っていたソフィだけれど、そのソフィ視点と思われる画面をじっくり見ていると、「男性よりも女性の体により注目している」ことがわかる。

プールサイドで出会った20代くらいの男女グループと遊ぶ際、一見、ソフィは全員にまんべんなく視線を送っているように見えて、実際に画面に映っているのは女性のほうが多いのだ。それも、顔ではなく胸や腕など、体つきに着目しているように感じられる。

20代の男女よりも背が低いソフィの視線を考えると、顔ではなく胸のあたりに目がいくのはあたりまえのことかもしれない。

ただ、ことさらに性的には映されないからこそ、ソフィ自身も意識していない「大人の女性の体」への興味を演出していることが読み取れる。

さらに、見察の対象は男女カップルだけでなく、物陰に隠れて抱き合っている、おそらく男性同士と思われるカップルにまでおよぶ。

この伏線は、後に、成長したソフィがパートナーらしき女性とふたり、小さな子の世話をする場面が登場した際に回収される。

私も途中までは気がつかなかったけれど、大人になったソフィの場面を見た際、驚きではなくじんわりとした納得感があったのは、こういった「LGBTを描くため」の小さな伏線が映画『アフターサン』の随所にちりばめられているからなのだろう。

LGBTだからこそ、父と娘の思いが交錯する映画『アフターサン』の真の魅力

映画『アフターサン』におけるLGBT描写は、ごくさりげない。人によっては全く気がつかないかもしれないほどだ。ただ、それでもこの映画の真の魅力は「LGBT」というテーマなしには語れないと、私自身は感じている。

映画『アフターサン』全編を通して、ソフィがカラムから感じた思い

映画『アフターサン』を観て抱く感想は、人によって千差万別だと思う。
それくらい要素が多く、また説明の少ない作品だからだ。

私自身が最初に抱いた感想は、「ソフィとカラムの関係性が、父親と娘っぽくない」ということだった。

カラムは、11歳の子の父親にしては若い。30代という設定だけれど、見た目だけでいえば、せいぜい20代後半くらいにしか見えない。(実際、カラム役を演じているポール・メスカルは撮影当時20代だった)

そして、ソフィは11歳にしては表情や仕草、発言が大人びていて、カラムと並んで会話していると、親子というよりはカップルの会話に見えてくるのだ。

カラムがソフィの背中に日焼け止めを塗る様子、ソフィが父親の背中を見つめる視線、並んで日光浴をしながらぽつぽつと語りあうふたりの空気感は、「離婚したためにあまり会えない父と娘」という関係を差し引いても、どこか特別な親密さを感じさせる。

『アフターサン』がLGBTを描いた映画だと気がつく前は、ふたりから「親子」以外の関係性を読み取らなければいけないのか? と少し身構えながら鑑賞してしまったほどだ。

今になってわかるのは、「カラムとソフィは、LGBTだからこそ他に代えられない特別な絆があった」ということだ。

もちろん、旅行の時点でソフィは、カラムも自分自身もLGBTであることには気づいていない。

ただ、自分に懸命に何かを伝えよう、残そうとしてくれるカラムの思いや、今を逃すともう会えなくなってしまいそうな関係性の儚さ、そしてカラムからの純粋な愛情を感じ取ってはいたはずだ。

LGBTだからこそ、カラムがソフィに抱いた特別な愛情

なによりカラムにとってソフィはこの世で唯一、「恋愛も性行為も関係なく、自分自身をさらけ出せる家族」だった。

LGBTであることが理由なのかは定かではないけれど、カラムは実の両親と折り合いが良くない。故郷には帰りたくないと言い張り、ソフィの母親とは離婚し、「彼女」とも別れてしまった。

彼氏らしき存在を一瞬匂わせはするものの、暗い表情で座り込み、虚空を見つめていることの多いカラムは、本質的に孤独であることがわかる。

カラムにとって、恋愛も性行為も絡まないけれど、お互いに「大好きだ」と伝え合える関係は非常に貴重なのだ。

ソフィと過ごしたバカンスはきっと、妻や恋人との間では実現しえない、「ただ純粋に、楽しい時間を共有したい」という思いの詰まった時間だったはずだ。

そしてそこには、「ソフィには自分と同じような苦悩を抱えず、幸せに生きてほしい」という願いも込められていたのかもしれない。

主人公の2人がLGBTとして描かれているからこそ、一般的な「親子」とは少し違う、ある意味対等に慈しみ合うふたりとして、映画『アフターサン』のカラムとソフィは印象的な関係を結んでいるのだ。

映画『アフターサン』をもし、10代の自分が見ていたら

映画『アフターサン』は、大人になったソフィが11歳の頃を振り返り、当時は気がつかなかった真実に出会う物語だ。

私自身、もし10代の頃にこの映画に出会っていても、あまり多くのことを読み取れなかったという気がしている。

なぜカラムがソフィを休暇に誘ったのか、笑顔と翳りのある表情の裏に何があるのか、ソフィの妻となぜ離婚してしまったのか・・・・・・。10代の頃の自分には、きっと想像がつかなかっただろう。

LGBTとしての生きづらさ
他の人には同じような思いを抱えてほしくないという願い
日常の中で感じる希望と失望
「大人になった自分の姿が想像できない」という途方もない感覚

今まで生きてきた中でゆっくりと降り積もってきた、LGBTとしてのあらゆる感情が、映像を通して静かに揺り起こされ、舞い上がるような、そんな不思議な作品だった。

あなたは、映画『アフターサン』を通して何を感じ、何に思いを馳せるのだろうか。

 

■作品情報
『アフターサン』
監督・脚本:シャーロット・ウェルズ
出演:ポール・メスカル、フランキー・コリオほか
配給:A24(アメリカ)、ハピネットファントム・スタジオ(日本)

 

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