懇親会、忘年会、打ち上げ、合宿。大人数で集まり、お酒が入ってする話の代表格と言ったらなんでしょう。そう、「恋バナ」です。”恋バナが嫌いな人なんていない” ”仲良くなるにはとりあえず恋バナっしょ”。こうした発言をする人や、こう思っている人たちとの場は、クワロマンティックの私にとって違和感のオンパレード。心から楽しめる場ではないのです。今回はそんな違和感についてお伝えしたいと思います。
クワロマンティックの私にとっては謎すぎる「とりあえず恋バナ」文化
「カンパーイ!」という掛け声のあと「恋人いるの?」「今好きな人いないの?」「どんなタイプが好きなの?」と、自然発生的に始まっていく恋バナ。もはや「とりあえずビール」ばりの「とりあえず恋バナ」です。クワロマンティックの私にとって、こんなふうにして始まっていく光景を、いつも不思議な気持ちで見ています。
「とりあえず恋バナしよう!」の裏にある暗黙の了解
「好き」という感情が、恋愛感情として好きかどうかを区別できない(区別しない)のがクワロマンティックです。
(私の「好き」に対する捉え方は、NOISE記事『「好き=恋愛感情」は必ずしも成立しない。クワロマンティックの私が思う「好き=」の答え』をご参照ください)
だから、「今好きな人いないの?」という質問に厳密に答えようとすると、カミングアウトするくらいの説明が必要になるんです。だって私の「好き」は、多くの人と違うのですから。
それに「じゃあ今から恋バナしよう!」と、会話のはじめに提案する人を私は見たことがありません。それは恋バナが、「この話ってしても大丈夫かな」などという心配がいらない、誰もが話せて盛り上がる話題だと、無意識に思っているからなのではないでしょうか。
恋しない人はいない
恋バナが嫌いな人なんかいない
恋バナすれば仲良くなれそう!
と言った言葉は、直接聞こえてきたことはあまりありません。
しかし、みんなには暗黙の了解となっていて、そういう前提の元で恋バナが展開されていく。そういう空気や雰囲気を感じてしまいます。
これは、ただの私の被害妄想なのでしょうか。
仲良くなっても恋バナ
”これから仲良くなるために何か話題を” となったときに、いろいろな話題のひとつとして恋バナをするのはまだ納得できます。まだ何者か分からない人同士であれば、いろいろな角度からネタを持ってきて会話をすることで、その人の人物像がだんだんと見えてくるという側面があるからです。
でも、仲良くなっても恋バナは続きます。”友達なんだから恋バナするよね”という空気をかもし出しながら・・・・・・。
「友達だからこの話は共有する」「恋人だからこれは一緒にしよう」。その基準ってみんな一緒なのでしょうか?
私は人それぞれだと思っています。何を話すか、どこまで話すかはそれぞれ、これを話せるから友達っていう決まりなんてないと思っています。
恋バナをしなくたって心の距離は縮められますし、恋バナをしたことがなくても仲の良い人が私にはいます。
恋バナに共感できないクワロマンティック
クワロマンティックからすると「恋バナ」はパラレルワールド
「好き」の世界がはっきりしていないクワロマンティックの私にとって、恋バナはパラレルワールドで行われているようなものです。
恋バナ以外の話をしているときは、同じ世界にいる人だと思っていたのに、恋バナが始まると「あ、そっちの世界の人だったんだ」となってしまうことがあります。話が展開されるほどに、自分の世界とその人の世界が遠いものになっていく気がしてならないのです。
この感覚は、私がクワロマンティックを自認する前からずっと感じていたものです。だから、一体この感覚はなんなんだろう? とずーっともやもやしていました。
恋バナをする人たちと私は一見同じようだけど、違う世界に生きているのだ。
ということは、恋愛は自分には起こらないことなのかもしれない。
いつしか自然にそう思うようになりました。
「恋バナ」に共感できない申し訳なさ
違う世界にいることで困るのは ”共感できない” ことです。
ここでいう共感とは、「私だったらこうするけどな〜」といった、個々の意見が違うことによる ”共感できない” とは違います。この違いはとても感覚的なものなので、言語化するのがかなり難しいのです。
その人の立場になって考えるのが難しい(想像ができない)
興味を持つことが難しい(考えたことがないから分からない)
とでも言いましょうか。
恋愛を扱ったドラマや映画、音楽は世の中にあふれています。それを見たり聞いたりすることは私もありますし、感動したり、涙を流すこともあります。でもそれは、その人の立場になって気持ちに共感したからではなく、俯瞰してみて作品として素晴らしいな〜と思ってのものなのです。
だから、「好き」が分からないクワロマンティックの私は、友達が恋バナをしていても共感できない。
自分の意見も言えない。
どう興味を持って聞けばいいか分からない。
だから申し訳ない、となってしまうんです。
本当は伝えたい! 私のトリセツ
「恋バナ」の前に本当は知ってほしい私のトリセツ
恋バナが始まる前に、本当は言いたいけど伝えらえないことがあります。恋バナに対する私のトリセツみたいなものです。
・「好き」がよくわかっていないこと
・どういう気持ちで聞いていいか分からないこと
・どんな質問をしてあげたらいいか分からない
・共感が難しいこと
・「どう思う?」と意見を求められても答えられないこと
ただこのトリセツと同時に、みなさんに理解してもらいたいことは、「恋バナはしないでほしい」と言いたいわけじゃない、ということです。
恋バナする人が悪いわけではないですし、私もそうは思っていません。恋バナをしたからといってその人のことが嫌いになるわけでもないです。
ただ、私以外の多くの人は、恋バナに難なくのれるのだろうと思うと、私のトリセツはとても口にできないんです。
そういう人もいる、と想像してほしい
「恋バナに違和感がある」という話をしてきましたが、クワロマンティックの人はみんなそうである、とも思わないでほしいです。ここに書いたのはあくまで私の意見です。
私だって、相手との関係性が深ければ深いほど、話題の種類に関わらず話を聞いてあげたいと思います。その人がしたいと思うことはしてほしい。でも、相手が思っているように聞くのはきっと難しい。だからややこしいんです。
「必ずしもみんなが恋バナを楽しめるわけじゃない。そういう人もいるんだ」と想像してくれれば今はそれでいい、というのが私の本音です。