してもいいし、しなくてもいい・・・・・・。とはいえ「する側」「される側」どちらであれ、そう簡単ではない場合だって多いであろう「カミングアウト」について、私なりに語っていこうと思う。
カミングアウトで、すべてを打ち明けなくてもいい
高校時代のとある出来事を振り返りながら、10代の当事者としてリアルな視点でお伝えしたい。そして中高生など若い仲間や、彼らのカミングアウトの相手となりうる人たちに届いたらうれしい。
カミングアウトの前に知っておいてほしいこと
まず何よりも、結論として先に言いたいことがある。
それは「カミングアウトで全てを打ち明けなくてもいい」ということ。高校生の私が、心の底から大切だと思っていることだ。
「カミングアウトで全てを打ち明けなくてもいい」とあれば、この簡単かつ当たり前(であるべき)なことに、大抵の人が「まあ、そうだよな」と深く考える間もなくうなずくのでは?
それほど単純なことをあえて伝えたいのは、私自身が勇気を持ってカミングアウトをする前から、すべてを打ち明けなくていいとちゃんと理解していたら、もっと楽だっただろうと感じるからだ。私のカミングアウトについてははまたあとで詳しく。少し長くなるが、目を通してみてほしい。
みんなが少し楽になれたら
自分がセクシュアルマイノリティであることを誰かに打ち明けたい人がいるなら、別に誰にも言いたくない人も、同じように一定数いるはず。
両者にとって「全部話さなくてもいいんだ」というアイデアが心のどこかにあることは、それぞれが背負う重荷を軽減することになると思いたい。
伝え方に悩んでいたり、それゆえ誰にも言えずにいたり、親や友達に隠すことで罪悪感を感じていたり・・・・・・。
なにを伝えるか、伝えないか。どれくらい知ってほしいかなどの内容にも、決まりごとや「〜すべき」はない。
カミングアウトしなくても、自分が本当に話したい範囲だけを伝えるのも、私はいいと思う。
どこからがカミングアウト?
カミングアウトについて考えるときに、どこからがカミングアウトになるのかは、割と曖昧だと感じている。友達との会話の流れに限定すると、特に恋愛の話題との境界はあやふやなような。
恋バナ・性の話・カミングアウト
あくまでここ数年の個人的な実感だが、恋愛の話は中高生の話題として避けて通れないところがある。
同時に恋バナは、性の話(ジェンダーから性的行為まで幅広く)との距離感も遠くない。
だからLGBTでも、LGBTじゃなくても、恋バナに多少の苦手意識がある人は案外多いんじゃないかと思っている。何も気にせず参加したいが、そうはできない事情があるとか、興味がないのでつまらない、好きじゃない、とか。あまりに個人的な話題だし無理もない。
そして、親しい人との恋バナは、必然的にカミングアウトの世界とも触れあう可能性がある。
私は何年も前から、恋バナ・性の話・カミングアウトって、話題の種類として “ベン図”で表せるよなあ・・・・・・という感覚を持っていた。
アウティングにもつながる
本来ならセンシティブなこととして注意深く扱われるべき「カミングアウト」の内容が、ほかの話題と混ざりあったときに、当人の知らないところで意図せぬ人に伝えられてしまうおそれもあるということだ。
これは「アウティング」であり、あってはならないこと。
でもアウティングをする人に、悪意があるとは限らない。悪意というより恋バナやうわさ話の中で、あるいは秘密だと分かっていながらもアウティングとして意識せず、良かれと思って誰かに言ってしまう場面が多いように思う。
実際、おしゃべりをしている友達の口からアウティングすれすれの話が出る、という体験が私にもたまにある。聞かなかったことにはするけれど、やっぱりヒヤヒヤしてしまう。
友達へのカミングアウト
高校生のときに、同性との恋愛を女友達に一度だけ打ち明けたことがある。友達への初めてのカミングアウトは、思いがけない出来事だった。
当時のこと、恋人(のような人)
私のセクシュアリティは、心もからだも女性。レズビアン寄りのパンセクシュアルだと自覚している。
でも、誰かにセクシュアリティの詳細を伝えたことはほとんどないし、日ごろ友達と恋バナになったときも、異性以外との恋愛はなんとなく隠している。
隠していることに苦痛はないが、まるで服の裏表を間違えたときの着心地の悪さのような違和感は否めない。
「カミングアウトしたら、絶対拒絶される!」といった強い懸念があるわけでもないのにそう感じるのは、考えすぎてしまったり、気持ちをさらけ出したりするのが苦手な、私の性格が原因な気がする。
友達へカミングアウトした当時は、同級生のAという女の子のことが好きで、彼女には私の恋愛としての好意を伝え、そのあと片想いとも両想いともとれない恋をしていた。
マスク越しにだったり頬にだったり、ごく軽いキスならお互いにしてしまうような・・・・・・やや複雑である。
結果、カミングアウトした日
Aへの気持ちを話した相手は、同じく同級生のBで、Aの親友。Bと私の下校が偶然一緒になった日に、高校の最寄り駅でだらだらと話し込んでいた。
最初はAへの恋心を打ち明けるのはおろか、恋バナをする気すらなかったが、流れで私とB、お互いの恋愛が話題になってしまった。
Aは男女どちらとも恋愛をする子で、それを隠しはせず、だからなのか私もAには告白するのがやけに簡単だった。Aの無理に偽らないオープンさはとても魅力的だった。親友のBに、「彼女がほしい」と話していた時期もあるみたいだ。
そんなわけでBは、私が打ち明けた恋愛事情に驚いたもののすんなり受け入れてくれた。
Bへのカミングアウトは、あっけなかったとも言えるかもしれない。そのあとはごく一般的な恋バナと同じように、二人でちゃんと盛り上がった記憶がある。
緊張は怖かった
初めてのカミングアウトで忘れられないのは、「私はAのことが好きなんだ」と口にするときの緊張だ。
場の流れとBの寛容さから、ちょっと聞いてほしいな、言ってみようかな、と思ったものの、一瞬でネガティブな思考が生まれた。
引かれたらどうしよう
話が進んじゃって、パンセクシュアルって何?とか聞かれたら、どう答えるのがスマートなの?
伝える直前、一気に不安になった。いつもなら、Bに限ってそんなことはしないとよく分かっているのに。
同性愛的な恋愛を友達に打ち明けるのが、あんなにバクバクすることだとは。もはやドキドキの域ではなく、言い出す前の数秒、自分の心臓の音が聞こえて、じんわり涙も出てきて、声が出なくなるかと思うほどだった。
実はその日、たぶん人に言ってこなかったであろう大事な恋のことを、Bも私に話してくれた。まさかあの日の帰りに、私に打ち明けることになるとはBも思っていなかったはずだし、緊張しただろう。
あの子も少し泣いていたのを覚えている。
気が済むまで話したあと、私たちはちょっと軽い足取りで家に帰った。
LGBTがカミングアウトするとき
私が友達Bに伝えたのは「Aが好き」ということだけ。Bは「パンセクで、それもレズビアンに近い」私のセクシュアリティのことを知らないままだ。一方Bは(おそらく)ストレートで、仮にそうでないとしても、LGBT当事者だと判断できるようなことを、あのとき私に打ち明けはしなかった。
カミングアウトから身をもって理解できたこと
全てを打ち明けてしまわなくても、過剰に感情を込めたり劇的な表現をしたりしなくても、聞いてくれる人がいることで軽くなる気持ちはあると、初めてのカミングアウトで身をもって理解した。
それはAとの恋愛をなんとなく隠し、カミングアウトに対して無意識に構えていた私に、Bが「じゃあレズなの?」などと深堀りしない子だったことも大きい。いきなり持っているものを根こそぎ明かすことは、私には少ししんどかった。
でもやっぱり、一度のカミングアウトで全部を明かしたい人はいるだろうし、各々の状況や打ち明ける相手との関係性、その相手によって、カミングアウトにおけるざっくりした悩みもさまざまなはずだ。
それでも「全部言えなくても大丈夫」と少しでも頭の片隅に入れておけたら、いざというときに不安も緊張も、かすかには和らぐのではないだろうか。
少なくとも私があのとき、すべてを説明する必要はないと意識できていれば、ネガティブな思考回路はマシになっていたと思う。
LGBTだとカミングアウトされるとき
カミングアウトされた側であれば、ストンとスムーズに受け入れるほうが珍しい可能性もある。
私だってたとえば父に「実はゲイだ」と告白されたらすごくびっくりするし、妹に「本当は男の子なんだ」と言われても、すぐに弟として切り替えることは難しい。しばらく不自然な接し方をしてしまうかもしれない。
でも、もしあなたがカミングアウトされたら、打ち明けた側の葛藤やものすごい緊張を、本気で想像してみてほしい。そして、LGBTの人のいろいろなカミングアウト体験に触れてみてほしい(それを簡単にできるのがインターネットのいいところ)。
一人ひとり違う人間だから、それすら参考にならなくても仕方がない。参考にならなくても、思いきってカミングアウトした人の気持ちを理解していくのには、確実に役立つと思う。
LGBTに限らず何事も当事者でなければ、ひとりで主観的に理解するには限界がある。
LGBTでも、LGBTじゃなくても
セクシュアリティのことに関わらず、カミングアウトする内容やその場に求める空気感は、三者三様だ。それぞれの目的やタイミング、相手に期待することも、みんな異なっているに違いない。
カミングアウトする側は、なるべく「その」相手が受け取りやすい言い方を考えてあげられるのがベターだと思う。相手がBのように寛容で話しやすいかどうかは、運もあるけれど。
自分以外の誰かの心を想像してみること、理解しようとすることをやめない姿勢。こんなものはどれだけあってもいいと、私は信じている。
あの日はBの打ち明け話を、Bの気持ちを考えながら真摯に聞くことで、ほっとしてもらえたようだったことも印象的だった。Bの肩の力がふっと抜けた瞬間があって、それが私にとってもうれしく、特別なひとときになった。
なんにせよ、自分が本当に話したい範囲だけを伝えるのも一つの選択。
シンプルなことだ。
「全てを打ち明けなくても大丈夫」だと、マイノリティのあなたに知っていてほしい。