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Writer/酉野たまご

人生で初めて出会ったレズビアン映画『水の中のつぼみ』

友人におすすめの映画をいくつかピックアップしていて、無意識のうちにセリーヌ・シアマ監督作品ばかりを選んでしまったことがある。それほどまでに、私は彼女の作る映画が好きだ。今回は、私が人生で初めて出会ったセリーヌ・シアマ監督のレズビアン映画、『水の中のつぼみ』についてご紹介したい。

初めて出会ったレズビアン映画『水の中のつぼみ』

出会いのきっかけは、レズビアンを自認したこと

レズビアンであることを自認した18歳の頃、私は同性愛を描いた映画や小説を探すことに熱中した。

いわゆる「少年愛」を描いた昭和時代の少女漫画や、男性同士の恋愛をテーマにした洋画なども楽しんだけれど、やはりレズビアンを描いた作品は自分の中で別格だった。

自分の感情に名前を付けられずにいた中高生時代の思い出や、これから訪れるであろうレズビアンとして生きる自分の未来が、作品を鑑賞するだけであざやかに立ち上がってくるような感覚があった。

今では好きな小説や漫画、映画の中にもレズビアンをテーマにしたものがたくさんあるけれど、当時はまだ新しい世界をのぞくような不安感もあり、一度に多くの作品を鑑賞するということはあまりできなかった。

恐る恐る1作選んでは、自分の感じたことを確かめる・・・・・・というのを繰り返し、少しずつ自分の好きな作品を見つけていった覚えがある。

そして、おそらく当時の私が最初にふれたレズビアン映画が、セリーヌ・シアマ監督作品『水の中のつぼみ』だった。

独特な雰囲気をもつ映画『水の中のつぼみ』の魅力

映画『水の中のつぼみ』に出会ったのは、「レズビアン 映画」で検索して出てきたものの中から、自分の感覚に合いそうなあらすじの作品を探していたときだったと思う。

15歳の主人公がアーティスティックスイミングの大会で美しい上級生に出会い、彼女に心惹かれていくというストーリーは、中高生の頃から同性の先輩に憧れを抱きがちだった私にとって、とても身近に感じられた。

映画『水の中のつぼみ』のもつ独特の雰囲気は、フランス映画をそれまで観たことのなかった私の目には新鮮に映った。

少ない会話、物憂げな表情の俳優たち、派手な動きはないけれど、時折はっとさせられるようなあざやかさで彩られた画面・・・・・・。

初めて観たときはストーリーをあまり理解できていなかった気がするけれど、なぜか心に引っ掛かり、2回、3回と続けて観るうちに、この作品が自分にとって大事な存在だと思えるようになった。

今でも、私がセリーヌ・シアマ監督の作品の中で最も好きなのは、映画『水の中のつぼみ』のまま変わっていない。

映画『水の中のつぼみ』と、レズビアンとしての初恋

私が映画『水の中のつぼみ』に惹かれた理由のひとつに、「自分自身の初恋を連想するから」という点がある。

自分の初恋と重なる『水の中のつぼみ』の描写

映画『水の中のつぼみ』の主人公・マリーは、上級生のフロリアーヌに恋をする。

マリーは彼女のことをほとんど知らないまま好きになるけれど、高慢に振る舞うフロリアーヌは同性からの評判が悪く、異性と遊んでばかりいるという噂が絶えない。

しかし、マリーはそんなことを気にも留めず、フロリアーヌとの距離を縮めようと努力する。

私は、自分自身をマリーに重ねずにはいられなかった。

当時、私がレズビアンを自覚するきっかけになった友人がいた。
その友人はダンス部に所属していて、以前から顔見知りではあったけれど、高校3年生になるまで特に仲が良いわけではなかった。

映画『水の中のつぼみ』のマリーが、アーティスティックスイミングの選手であるフロリアーヌの演技を観て彼女に恋をしたように、私も友人がステージで踊る姿を観て、彼女のことを好きになった。

文化祭が終わった秋以降は、その友人の踊りを観る機会もなくなってしまったけれど、なんとか彼女と接点を持ちたかった私は、学校の図書室に入り浸るようになる。

彼女はダンス部と文芸部を兼部していて、放課後の図書室に行けば、ほぼ必ず会うことができたから。

借りたい本がなくてもとりあえず図書室に向かい、おすすめの本を彼女に聞いたり、本の感想を互いに話し合ったりする時間がとても好きだった。

フロリアーヌを追ってスイミングプールに入り込み、彼女のいとこを装って試合にもついていくようなマリーのけなげな姿に、厚かましくも自分の姿を重ねて、ちょっと照れくさいような気持ちになったこともあった。

レズビアンではない友人を好きになってしまった自分

フロリアーヌは、マリーがスイミングの稽古を見学することを許す代わりに、自分がボーイフレンドと外出する際の口裏合わせを要求する。

マリーと一緒に出かけるふりをして家を出てから、ボーイフレンドと落ち合い、1時間後にまたマリーと合流する。それを繰り返していくうちに、マリーは我慢できないような苦しさに駆られる。

私の友人も、フロリアーヌのように、ボーイフレンドの存在を周囲に隠していた。

私と彼女は同じ大学に進学し、同じ授業に出席する日が週に1回だけあった。
「同じ科目を登録しよう」とふたりで示し合わせたはずだったのに、同じ授業を、友人のボーイフレンドも登録していたことを後から知ったのだ。

私と友人は毎週、教室で待ち合わせて隣の席に座り、授業中はノートの隅にラクガキをし合って、ちょっとしたやりとりを楽しんだ。

でも、反対側の隣席には、いつも彼女のボーイフレンドがいる。

友人とボーイフレンドは、授業中に目立ったやりとりをすることはなかった。
ただ、隣同士の席に座っているだけ。

私は毎週その時間を楽しみにしながらも、彼女のボーイフレンドへの嫉妬と、自分が利用されているような感覚で、とても苦しくなることがあった。

映画『水の中のつぼみ』は、ちょうどその頃の自分の感情にマッチしていた。
しすぎていたかもしれない。

レズビアンである自分が、レズビアンではない友人に恋をしてしまったこと、彼女が私に「仲の良い友人として」隣にいてほしいと求めてくることによって、非常にアンバランスな関係性が生まれていたのだと、映画を通して教えられたような気がした。

言葉で多くを語らない、映画『水の中のつぼみ』の魅力

映画『水の中のつぼみ』の魅力は、会話そのものより、会話の間の余白にこそ表れている。

レズビアン映画の中でも特徴的な、ノンバーバルな表現

そもそも、セリーヌ・シアマ監督の映画は、会話で多くを語らない傾向がある。登場人物の台詞だけを追っていても、明確なストーリーや感情の動きはつかみにくい。

映画『水の中のつぼみ』も例にもれず、最も大事なことは会話ではない部分で描かれる。

マリーはフロリアーヌに向かって、「あなたが好きだ」とは口にしない。

それでも物語の終盤で、フロリアーヌはマリーが自分に好意を寄せていることに気がついている。

マリーの恋愛感情は、会話ではなく、プールの水中でフロリアーヌに注ぐ視線や、時折見せるぶっきらぼうな態度、手や足のもじもじとした小さな動きによって、驚くほど雄弁に伝わってくる。

今まで観たレズビアン映画の中でも、『水の中のつぼみ』は特に、感情表現が間接的で、むしろだからこそ、余白の部分が豊かに感じられる作品だ。

失恋の救いになった映画『水の中のつぼみ』のラストシーン

映画『水の中のつぼみ』の、はっきりと言葉で描かれない表現に、救われたこともあった。
忘れもしない、大好きだった友人に失恋したときのことだ。

映画のラストは、マリーにとって残酷な展開を迎える。
私の初恋も、映画のように、ハッピーとは言い難い形で終わった。

私が片想いをしていた友人は、私がレズビアンで、彼女に恋愛感情をもっていると知ってから、私の存在を拒むようになった。

隠していたはずのボーイフレンドとの関係を、むしろ見せつけるように、大学内でもぴったり寄り添って歩くようになり、私が視界に入りそうになると目線をそらし、話しかける隙も与えられなかった。

映画の展開とは少し違っていたけれど、「レズビアンではない同性を好きになってはいけないんだ」「相手が友人同士だと信じている関係性を壊してはいけないんだ」という思いは、主人公のマリーが抱いた感情と共通していたのではないかと思う。

フロリアーヌはマリーに残酷な言葉をかけるけれど、ラストシーンでプールに飛び込んだマリーの表情は、どこか晴れ晴れとしている。

何も語らず、ただおだやかな表情を浮かべているマリーの姿は、失恋のショックの中にいた当時の私にとって救いだった。

きっとマリーは、この胸の痛みを抱えながらも、いつか素敵な人と出会うのだろう。そのことに気づかせてくれた恋愛だったのだと、この恋を思い出すときがくるのだろう。

映画『水の中のつぼみ』のラストシーンは、私自身にも、「きっとマリーと同じように、今よりも明るい未来が待っているのだろう」と思わせてくれた。

レズビアンにも、そうでない人にも寄り添ってくれる映画

映画『blue』との違いからわかる、映画『水の中のつぼみ』の優しいまなざし

映画『水の中のつぼみ』とほぼ同時期に観た作品に、日本の映画『blue』がある。

同名の漫画が原作になっているこの映画は、「主人公がレズビアンではない少女を好きになり、友人として親しくなるけれど、彼女の異性関係に傷つけられる」というおおまかなストーリーが、『水の中のつぼみ』と共通していた。

映画『水の中のつぼみ』と同じくらい、映画『blue』も繰り返し見返す作品になった。

ただ、何度も観るうちに、両者の大きな違いに気がついた。

『blue』では、恋愛で傷ついた主人公が新しく「やりたいこと」を見つけ、未来に向かって前進していく様子が描かれる。

一方、『水の中のつぼみ』では、主人公のマリーは何も発見しない。
ただ傷ついて、片想いを終わらせた気配だけ残すところまでしか描かれない。

どちらの作品も好きだけれど、映画『水の中のつぼみ』からは「無理に忘れようとしなくてもいい」というメッセージも感じられて、より優しいラストシーンだと思える。

だから、友人にレズビアン映画をおすすめするときはつい、映画『水の中のつぼみ』のほうを、より熱心に推してしまうことが多い。

最初にふれるレズビアン映画としておすすめ

自分がレズビアンだと自認した人も、「そうかもしれない」という思いに留まっている人も、レズビアンの恋愛を描いた映画作品にふれたくなるときがあると思う。

レズビアン映画は、ハッピーな展開を迎えるものが圧倒的に少ないけれど、残酷すぎるエンディングや過激すぎる演出の映画を観ると、やはり辛いものがある。

最初の1作は、できれば優しく、レズビアンにもそうでない人にも寄り添ってくれるような映画がいい。

映画『水の中のつぼみ』は、そんなニーズにぴったりあてはまる作品であり、観るたびに感じることが変化する、味わい深い作品だ。

初めての1作にこの映画を選んだ自分の先見の明を、今でも少し誇らしく思う。

 

■作品情報
映画『水の中のつぼみ』(2007年 フランス)
監督・脚本:セリーヌ・シアマ
出演:ポーリーヌ・アキュアール/ルイーズ・ブラシェール/アデル・エネル

 

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