数々の感動的なドラマが報道され、2024年8月11日に閉幕したパリオリンピック。その明るいニュースの一方で、パリオリンピックの女子ボクシングで金メダルを獲得した、アルジェリアのイマネ・ヘリフ選手と、台湾のリン・ユーチン選手を巡って、スポーツと多様な性について世界中で論争が巻き起こりました。今回は前・後編に分けて、パリオリンピックでの出来事を通して、スポーツと多様な性との関係性について考えます。
パリオリンピックで論争となった、多様な性とスポーツの関係
今回パリオリンピックで起きたことを調べてみると、多様な性だけではなく国際政治の思惑も見え隠れし、余計にモヤモヤするばかりでした。
パリオリンピックでの多様な性に関する問題とは
まずは、今回なにが議論の的となったのか、時系列に沿って改めて整理します。
2023年に行われた、国際ボクシング協会(IBA)主催のボクシング世界選手権。この大会での性別適格性検査の結果、アルジェリアのイマネ・ヘリフ選手と台湾のリン・ユーチン選手は、Y性染色体を持っているとして失格処分を受けました。
一方、オリンピックの各競技の主催は原則、統括競技団体が行うことになっています。しかし、パリオリンピックのボクシングはIBAではなく国際オリンピック委員会(IOC)が担当することとなりました。
2016年のリオデジャネイロオリンピック以降、IBAのガバナンスに問題があるとして、IOCがIBAを承認しなかったためです(この問題についてはのちほど改めて詳しく触れます)。
IOCは、パリオリンピックの出場選手を「参加資格を遵守し、性別はパスポートに基づいて判断する」として、両選手の出場を認めました。しかし、両選手がオリンピックで勝ち上がっていくにつれて「IBAで性別の “問題” で失格となった選手が、どうしてオリンピックには出場できるのか?」と疑問視する人が続出しました。
なお、パリオリンピックにて、アルジェリアのイマネ・ヘリフ選手は女子ボクシング66キロ級で、台湾のリン・ユーチン選手は57キロ級で、それぞれ金メダルを獲得しました。
女子ボクシング選手のセクシュアリティを決めつける
特にひどかったのが、根拠なしに両選手がトランスジェンダー女性であると決めてかかったうえで、両選手に対する誹謗中傷や、トランスヘイトがまき散らされたこと。
著名人でさえも、両選手がトランスジェンダー女性であるという認識のもと発信し、それを受け取った人がまた信じてしまうという悪循環が発生。そのなかには、昨今ひどさを増しているトランスヘイトと結びついたコメントも散見されました。
その後「両選手は、IBAの検査にてY染色体を有しているとされた人物である」という訂正がなされ、誤解は解けつつあります。
しかしながら、それでも「Y染色体を有している → 身体的に男性である → 女子枠のスポーツで身体的に有利である」と考えている人は、未だにたくさんいるように思います。
このような思い込みに対して、性分化疾患に詳しい堀川玲子医師は「『Y染色体があるから筋肉が多い』といった考えは違う」と説明しています。
IBAとIOCに垣間見える政治的な問題
さて、話を戻しましょう。
今回の論争について両選手だけではなく、IBAとIOCについてフォーカスしてみると、違った側面が見えてきました。IBAがロシア寄りの組織であるようなのです。
たとえば、IBAの会長はロシア人実業家であるウマル・クレムレフ氏。また、IOCがIBAを承認しなかった理由の一つに、IBAがロシア国営企業に財政的に依存していることも挙げられています。
ロシアと言えば、LGBTQについて否定的な認識を持つ国の一つです。2014年に開催されたソチオリンピックでは、LGBTQを含むロシアでの人権問題に対する抗議として、欧米各国の指導者が開会式をボイコットしました。2023年には、ロシアの最高裁がLGBT市民運動と呼ばれるものを過激派組織と断定して、全国での活動を禁止する判断を下しています。
一方、今回のパリオリンピックでは、ウクライナ侵攻などを理由に、ロシアと同盟国のベラルーシの選手は、国を代表しない「中立な個人資格の選手」として参加することが承認されました。
オリンピックは「平和の祭典」とも言われていることから、この判断は妥当なようにも思えますが、一方でロシアと敵対する自由主義諸国寄りだという見方もできなくもありません。
今回のパリオリンピックでの、性のあり方を巡る論争と、ロシア側と自由主義諸国との対立・・・・・・。これらが無関係であるとは、私はどうしても思えません。
性分化疾患とは? トランスジェンダーとの違いは? 多様な性の理解を広めよう
そもそも、多くの人は性分化疾患についてあまり知らないのではないでしょうか。
■性分化疾患(DSD)とは
IBAによる検査の結果、「Y染色体を有している」とされた、アルジェリアのイマネ・ヘリフ選手と、台湾のリン・ユーチン選手。両選手の「性のありよう」について本人からは公にはされていないはずです。しかしながら、もしこれが事実ならば、両選手は性分化疾患(DSD:Disorder of Sex Development)である可能性があります。
普段から性の多様性についてアンテナを張っていない人のなかには「Y染色体をもっているのに女性のアスリートって、どういうこと?」と混乱している人もいるかもしれません。
「性分化」とは、性染色体に基づいて身体が男性/女性の機能を有する形に成長していく過程のことです。この過程になんらかのトラブルが生じて、性染色体、性腺、内性器、外性器が非典型的に発達することを「性分化疾患」といいます。
その身体的特徴は人によってさまざまです。先ほど紹介した堀川医師の説明にもあるように「Y染色体を有している=身体的に男性である」とは必ずしも言えません。
性分化疾患とトランスジェンダーは別次元の話
性分化疾患をもって生まれたからといって、性自認がゆらいでいる、トランスジェンダーを自認している、というわけではありません。
性分化疾患をもつ人の多くは、出生時にすでに外性器が非典型的に発達していることから、性分化疾患であると診断されるといいます。一方で、親はその子の「社会的な性別」を決めるよう求められることが多いそうです。これは「現実問題として、性別を決めないで育てるより性別が決まっていたほうが、当人は生きやすいだろう」という考えによるものです。
そして、性分化疾患と診断された人たちは、自分の身体的な「性のありよう」を受け止めつつも、親が決めた社会的な性別を受け入れて「自分は男性/女性である」と自認して成長する人が多いといいます。
「性別が決まっていたほうが、性分化疾患を抱える当人は生きやすい」という考えについて、私はある程度理解できます。
そもそも、日本の戸籍も含めて、現状の社会システムでは出生時に性別を登録することが求められるので、親は子の社会的な性別を決めなければなりません。
スポーツだけではなく実生活でも、トイレ、更衣室など、性別で分けられているあらゆる場面があります。社会的な性別が決まっていないと、そのたびに個別の対応や判断が必要となり、生きづらさにつながる可能性があるでしょう。性の多様性に対して、人々の理解が深まりつつあると言えども、現実世界はまだまだ男女二元論のもとでシステム化されているのです。
今回の論争を通して、トランスジェンダーと性分化疾患はまったく別ものであるということ、性分化疾患を抱える人の「性のありよう」は人それぞれであることも、理解が広まったらいいなと思います。
多様な性への理解が広まる現代で、第三者の性別について言及すること
パリオリンピックでの女子ボクシングに対する論争を受けて、ほかの女性選手が公平にスポーツに参加できているのか? と疑問に思うこと自体は、否定できるものではありません。シスジェンダーの人も含めて、あらゆる「性のありよう」の人々が、スポーツに公平に参加して楽しむ環境を考える必要があるはずだからです。
一方で、私はノンバイナリー当事者として、そもそも第三者のセクシュアリティや身体的性別(性分化疾患か否かも含めて)について、他人が決めつけたり公言したりする言動が世界中を飛び交っていること自体に、不安を感じました。
中京大学でスポーツ史を研究している來田享子教授は、次のように発言しています。
性のありようは、高度なプライバシーに関わる情報です。当事者が自ら公表していないにもかかわらず、推測に基づき、「トランスジェンダーではないか」「DSDs(性分化疾患)ではないか」などと公然と論じることは、あってはならない行為です。
今が、LGBTQの認知度が向上して、多様な性への理解が深まっている過渡期であるからこそ、今回の論争が起こっているのだと思います。
今回の騒動を契機として、他人の「性のありよう」は軽はずみに言及してよいものではないという認識が、少しでも広まってほしいです。
マイノリティがスポーツに参加するまでの歴史
「性別のありよう」とスポーツについて考える前に、スポーツの女子枠や障害者スポーツについて振り返る必要があるでしょう。
オリンピックの女性選手がお見合い要員?
スポーツの歴史を振り返ると、そもそも女性が参加できない時代が続いていました。
近代の第1回オリンピックは1896年に開催されましたが、このとき女性選手は0人でした。第2回から女子枠が設けられるようになりましたが、女性の比率はわずか2%。しかも、前出の來田教授によれば、これは「お見合い」の場であって、女性選手が男性と同様に参加したわけではなかったといいます。
それから時代の流れとともに、少しずつ女性が主体的にスポーツに参加できるようになってきました。今回のパリオリンピックでは、選手の男女比率を50%にする目標が掲げられています。
女子スポーツの話題もニューストピックとなることが当たり前の現代において、選手の男女比率を50%とする目標が掲げられているのか? と驚いた人もなかにはいるかもしれません。
ですが、この目標の存在は、裏を返せば男女のスポーツ参画が未だに公平ではないということでしょう。
パラリンピック:リハビリからスポーツ競技へ
障害者が出場するパラリンピックは、ローマで1960年に開催されたスポーツ大会が第1回パラリンピックであると位置づけられています。その起源は、第二次世界大戦で身体的に不自由となった元兵士のリハビリ目的だったそうです。
そもそも「パラリンピック」の名前の由来は「パラレル・オリンピック」。つまり「もう一つのオリンピック」。今回のパリパラリンピックでは、パリオリンピックと同じエンブレムが採用されており、まさに「もう一つのオリンピック」を具現化しています。
さて、前編はここまで。
後編では、前編で整理したことをふまえて、スポーツの公平性と多様な性を認めることとを両立させるにはどうすればいいのか? を考えます。
■参考情報
・五輪ボクシング女子、出場資格巡り世界で議論 SNSに誤解や中傷も(朝日新聞)
・五輪=IBAトップ、バッハ会長を批判 2選手の検査詳細明かさず(ロイター)
・”性別問題”女子ボクサー・へリフがメダル確定!彼女を「男」と広めた超有名ユーチューバーら続々と謝罪(イーファイト)
・欧米首脳の五輪開幕式ボイコット「影響なし」とロシア(AFP)
・IOC ロシアとベラルーシ国籍の選手25人 パリ五輪への参加承認(NHK)
・性分化疾患(一般社団法人日本小児内分泌学会)
・性分化疾患(DSD)とは?性分化疾患の種類や特徴について(メディカルノート)
・性分化疾患(DSD)とわかったら-社会的性を選択するということ(メディカルノート)
・ボクシング女子、性と出場資格めぐる議論 「公平性」模索の歴史(朝日新聞)
・スポーツにおける女性の活躍(内閣府男女共同参画局)
・男女混合が20種目に ジェンダー平等へと向かうパリ五輪(NHK)
・パラリンピックとは(東京都オリンピック・パラリンピック競技大会ホームページ)
・パラリンピックの歴史を知る(笹川スポーツ財団)